第1章 All Dressed Up and No Place to Go?の部分のディスカッションをほぼ終えました。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2013年4月30日火曜日
2013年4月27日土曜日
2013年4月25日木曜日
つけ麺文化
教会のブログとしてはかなり大外れな記事ですね。
とは言え毎月「食の日」でコイノニアの一端を形成している教会としては少しは関係があるかも。(少々こじつけ)
昨日テレビを見ていたらアメリカ発の「つけ麺」が新横浜ラーメン博物館に逆輸入されたとかやっていた。
IKEMEN HOLLYWOODと言う店。
番組によると今では全米で300の「RAMEN」店があるそうだ。
見るからに太そうな麺。
これでまた思った。
日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。
筆者は麺類は子供の頃から何でも好きだった。
たまに上京して(その頃は仙台にいた)ご馳走しに連れて行かれても、注文するのは「もりそば」で「なーんだ、そんなのでいいの」とがっかりさせたものである。
米国に遊学に出て最初の頃は夢で(味噌)ラーメンが食べたくなった。
当時は周りに日本食料品店などなかったので、小麦粉を捏ねてモップの柄を麺棒にして伸ばし、仲間の日本人留学生にふるまったこともある。
さて1984年一時帰国した折、とにかく食べられるだけ食べよう、と言うことで山本益博「東京 味のグランプリ (1984)」をガイドに食べまわった。
特に思い入れが強かったのが「ラーメン」だ。
何軒か食べまわった中で、その後帰国してからも通い続けるようになったのが、東池袋・大勝軒だ。
いつも行列ができていたが、その頃はまだ近くのビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生くらいだった。(待ち時間は大体20分程度と記憶している。)
大勝軒は「元祖つけ麺」となっているが、店内では「特製もりそば」となっており、普通に水にさらしたものの他に、再度熱い湯に潜らせた「あつもり」というのもあった。
大勝軒は当時ではまだ珍しく「自家製麺」だった。
麺の太さは現在主流となった太麺と比較すればかなり細い。
と言うかインスタントラーメン程度の太さ。
この麺が何しろ打ちたて、茹でたてで、シコシコ、チュルチュル、の舌触りでおいしかった。
とにかく客の大半が、ビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生連中だから、麺の量は通常の1.5-2倍程度あっただろう。
ラーメンの場合、食べ終る前に麺が伸びてしまうのである。
それで「もりそば」がメニューとして生まれたのではないか、とひそかに思っている。
さて、その後大勝軒は度々テレビ取材に取り上げられるようになり、客層が増え、行列は異常に長くなり、ついに行かなくなってしまった。
その後地域の再開発で2007年に閉店したが、初代店主の山岸さんから受け継いだ二代目が新・大勝軒を構えている。
先に「日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。」 と書いたが幾つかポイントを挙げて結論としておこう。
①基本は熱い中華そば
どんぶりの中で麺とスープと具のバランスが取れている中華そばがスタンダードだと思う。もりそばは、副のメニューだと思う。大勝軒の麺のように大量で食べ終る前に伸びてしまうようなケースで出てくる工夫だと思う。
②スープはシンプルに
最近のラーメンのスープは出汁の種類がめちゃくちゃ多く、加えて調味料も濃過ぎで、味が何だか分からない位だ。「濃厚」と言えば聞こえはいいが、要するに作ってる方も、食べてる方も、味覚が麻痺してきているか・・・と思うほどだ。スープの味が分からないほど調味料が多かったり、脂その他で味を濃くしていくやり方は本末転倒。
③麺の太さや縮れ加減に懲りすぎるな
特につけ麺に言えるが、太過ぎ!! ぼそぼそした食感の麺が多すぎる。基本は表面に湿り気が残るようなしなやかな麺、がうまい。縮れのあるなしはさほど関係ない。麺がスープとよく絡むのは麺自体の性質よりも、食べる人の食べ方の問題だ。
以上どうでもいいことを書き連ねました。
とは言え毎月「食の日」でコイノニアの一端を形成している教会としては少しは関係があるかも。(少々こじつけ)
昨日テレビを見ていたらアメリカ発の「つけ麺」が新横浜ラーメン博物館に逆輸入されたとかやっていた。
IKEMEN HOLLYWOODと言う店。
番組によると今では全米で300の「RAMEN」店があるそうだ。
見るからに太そうな麺。
これでまた思った。
日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。
筆者は麺類は子供の頃から何でも好きだった。
たまに上京して(その頃は仙台にいた)ご馳走しに連れて行かれても、注文するのは「もりそば」で「なーんだ、そんなのでいいの」とがっかりさせたものである。
米国に遊学に出て最初の頃は夢で(味噌)ラーメンが食べたくなった。
当時は周りに日本食料品店などなかったので、小麦粉を捏ねてモップの柄を麺棒にして伸ばし、仲間の日本人留学生にふるまったこともある。
さて1984年一時帰国した折、とにかく食べられるだけ食べよう、と言うことで山本益博「東京 味のグランプリ (1984)」をガイドに食べまわった。
特に思い入れが強かったのが「ラーメン」だ。
何軒か食べまわった中で、その後帰国してからも通い続けるようになったのが、東池袋・大勝軒だ。
いつも行列ができていたが、その頃はまだ近くのビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生くらいだった。(待ち時間は大体20分程度と記憶している。)
大勝軒は「元祖つけ麺」となっているが、店内では「特製もりそば」となっており、普通に水にさらしたものの他に、再度熱い湯に潜らせた「あつもり」というのもあった。
大勝軒は当時ではまだ珍しく「自家製麺」だった。
麺の太さは現在主流となった太麺と比較すればかなり細い。
と言うかインスタントラーメン程度の太さ。
この麺が何しろ打ちたて、茹でたてで、シコシコ、チュルチュル、の舌触りでおいしかった。
とにかく客の大半が、ビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生連中だから、麺の量は通常の1.5-2倍程度あっただろう。
ラーメンの場合、食べ終る前に麺が伸びてしまうのである。
それで「もりそば」がメニューとして生まれたのではないか、とひそかに思っている。
さて、その後大勝軒は度々テレビ取材に取り上げられるようになり、客層が増え、行列は異常に長くなり、ついに行かなくなってしまった。
その後地域の再開発で2007年に閉店したが、初代店主の山岸さんから受け継いだ二代目が新・大勝軒を構えている。
先に「日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。」 と書いたが幾つかポイントを挙げて結論としておこう。
①基本は熱い中華そば
どんぶりの中で麺とスープと具のバランスが取れている中華そばがスタンダードだと思う。もりそばは、副のメニューだと思う。大勝軒の麺のように大量で食べ終る前に伸びてしまうようなケースで出てくる工夫だと思う。
②スープはシンプルに
最近のラーメンのスープは出汁の種類がめちゃくちゃ多く、加えて調味料も濃過ぎで、味が何だか分からない位だ。「濃厚」と言えば聞こえはいいが、要するに作ってる方も、食べてる方も、味覚が麻痺してきているか・・・と思うほどだ。スープの味が分からないほど調味料が多かったり、脂その他で味を濃くしていくやり方は本末転倒。
③麺の太さや縮れ加減に懲りすぎるな
特につけ麺に言えるが、太過ぎ!! ぼそぼそした食感の麺が多すぎる。基本は表面に湿り気が残るようなしなやかな麺、がうまい。縮れのあるなしはさほど関係ない。麺がスープとよく絡むのは麺自体の性質よりも、食べる人の食べ方の問題だ。
以上どうでもいいことを書き連ねました。
2013年4月23日火曜日
N.T.ライト読書会ブログ始めました
このブログでも大分今迄お世話になりましたが、この度「N.T.ライト読書会」は独自のブログを開始しました。
普通のウェッブサイトは構築が少し複雑で面倒なため余り頻繁に更新して来ませんでした。
これを機会により情報を頻繁にきめ細かくして行きたいと思っています。
N.T.ライト読書会ブログ
をよろしくお願いします。
普通のウェッブサイトは構築が少し複雑で面倒なため余り頻繁に更新して来ませんでした。
これを機会により情報を頻繁にきめ細かくして行きたいと思っています。
N.T.ライト読書会ブログ
をよろしくお願いします。
2013年4月21日日曜日
神学遍歴⑦
前回まで「アズベリー神学校時代」のことを何度か書いた。
今回はいよいよアズベリーを卒業して「プリンストン神学校」時代のことに移ろう。
アズベリー卒業時点で滞米4年が経過していた。
牧師となるのであればそのまま帰国するのが普通だろうが、周りの意見などもあり勉学を続けることになった。
と言うことは「博士課程」と言うことになるが、ハーバードPh.Dのクーン教授に(まあ言ってみれば)師事していたこともあり、言われるままに4校に入学申請した。
キリスト教倫理の領域と言うことで4校に絞ったのであるが、クーン教授から提案されたのは、
① Harvard Divinity School
② Princeton Theological Seminary
③ Candler School of Theology (Emory University)
④ The University of Iowa (the Department of Religious Studies)
であった。
筆者的には①と②は鼻から無理と思っていたが、クーン教授は「とにかくアプライするだけやった方が良い」と言うことで譲らなかった。要するに両校とも神学教育と言うことで北米一二を争うのだから、トライして損はない、と言うことだった。
③はメソジスト系の大学
④は、当時George Forellが健在であった。
結局入学許可を受けたのは、③と④であった。
③と④どちらかに行くと言う選択肢もあったが、確かクーン教授の方がもう一年待ってプリンストンにアプライしたらどうか、と言うことになった。
それで待っている間、プリンストンのMaster of Theology (Th.M)に入ることにした。
その頃プリンストンのTh.Mは一年間で修士論文も必要なく、ちょっと「はく」をつけるために重宝されていたし、留学生が多かった。
プリンストンで筆者の指導的役割を果たしてくれたのが、社会倫理学を教えていたギブソン・ウィンター教授だった。
彼については既に2度投稿しているので今回は省略する。(こことここ)
その他に印象に残っているのは、チャールズ・C・ウェスト教授。キリスト教倫理の専門で、著書としては
Communism and the Theologians: Study of an Encounter (with major analyses of Barth, Berdyaev, Brunner, Hromdka, Niebuhr, Tillich)
が目立つ位だが。(ここにスキャンしたページが読めるリンクがある。)
「ディートリッヒ・ボンヘッファー」のクラスを取ったが、初めて「チューター」式授業を経験した。
チューターというのはウェスト教授についている博士課程の学生が小グループで課題図書を読み、ディスカッションするのをリードする仕組である。
これだとウェスト教授の講義で咀嚼できない部分も補完したり、クラスに意欲的に取り組む動機付けとなる。
ボンヘッファーの名前は聞いていたが実際に読むのはその時が初めてだった。
Life TogetherやThe Cost of Discipleshipも良かったが、一番身を入れて読んだのはEthicsだった。
課題論文ではMandatesを中心に書いたように記憶している。
また続きを書くことにして、ちょっと最後に興味深いエピソードを一つ加えておこう。
筆者がいた頃のプリンストンTh.Mには沢山の留学生がいたが、その中にスイスから来ている男子学生がいた。彼のガール・フレンドがカール・バルトの孫とかいう話で騒いでいたっけ。
今回はいよいよアズベリーを卒業して「プリンストン神学校」時代のことに移ろう。
アズベリー卒業時点で滞米4年が経過していた。
牧師となるのであればそのまま帰国するのが普通だろうが、周りの意見などもあり勉学を続けることになった。
と言うことは「博士課程」と言うことになるが、ハーバードPh.Dのクーン教授に(まあ言ってみれば)師事していたこともあり、言われるままに4校に入学申請した。
キリスト教倫理の領域と言うことで4校に絞ったのであるが、クーン教授から提案されたのは、
① Harvard Divinity School
② Princeton Theological Seminary
③ Candler School of Theology (Emory University)
④ The University of Iowa (the Department of Religious Studies)
であった。
筆者的には①と②は鼻から無理と思っていたが、クーン教授は「とにかくアプライするだけやった方が良い」と言うことで譲らなかった。要するに両校とも神学教育と言うことで北米一二を争うのだから、トライして損はない、と言うことだった。
③はメソジスト系の大学
④は、当時George Forellが健在であった。
結局入学許可を受けたのは、③と④であった。
③と④どちらかに行くと言う選択肢もあったが、確かクーン教授の方がもう一年待ってプリンストンにアプライしたらどうか、と言うことになった。
それで待っている間、プリンストンのMaster of Theology (Th.M)に入ることにした。
その頃プリンストンのTh.Mは一年間で修士論文も必要なく、ちょっと「はく」をつけるために重宝されていたし、留学生が多かった。
プリンストンで筆者の指導的役割を果たしてくれたのが、社会倫理学を教えていたギブソン・ウィンター教授だった。
彼については既に2度投稿しているので今回は省略する。(こことここ)
その他に印象に残っているのは、チャールズ・C・ウェスト教授。キリスト教倫理の専門で、著書としては
Communism and the Theologians: Study of an Encounter (with major analyses of Barth, Berdyaev, Brunner, Hromdka, Niebuhr, Tillich)
が目立つ位だが。(ここにスキャンしたページが読めるリンクがある。)
「ディートリッヒ・ボンヘッファー」のクラスを取ったが、初めて「チューター」式授業を経験した。
チューターというのはウェスト教授についている博士課程の学生が小グループで課題図書を読み、ディスカッションするのをリードする仕組である。
これだとウェスト教授の講義で咀嚼できない部分も補完したり、クラスに意欲的に取り組む動機付けとなる。
ボンヘッファーの名前は聞いていたが実際に読むのはその時が初めてだった。
Life TogetherやThe Cost of Discipleshipも良かったが、一番身を入れて読んだのはEthicsだった。
課題論文ではMandatesを中心に書いたように記憶している。
また続きを書くことにして、ちょっと最後に興味深いエピソードを一つ加えておこう。
筆者がいた頃のプリンストンTh.Mには沢山の留学生がいたが、その中にスイスから来ている男子学生がいた。彼のガール・フレンドがカール・バルトの孫とかいう話で騒いでいたっけ。
2013年4月20日土曜日
2013年4月18日木曜日
ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズ第四巻目
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目
Paul and the Faithfulness of God
がいよいよ出版に向けて態勢が整いつつあるようだ。
N.T. Wright アップデートでも、「2013年の夏から秋くらい」と紹介しておいたが、さらに確定的な時期が出版社から案内された。
2013年11月1日(詳細はここ)
しかし、またまた「えっ」である。
上記ブログ記事で実は「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされると紹介したが、まだ情報自体が行き渡っていなかったため「追記」で説明したように修正削除した。
しかし、「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされることはその後LOGOSのPre-orderで周知のことである。
今回の「えっ」は、中心volumeであるPaul and the Faithfulness of God自体が何と2分冊になる、と言うことである。2冊合わせての総ページ数は何と1,700ページ!
お値段も$89.00。
(但しpre-orderだと34%ディスカウントの$59.00)
うーん購入については色々考えてしまう。
ここで整理しておこう。
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目は、パッケージとしては以下のようになる。
①Paul and the Faithfulness of God (2 vols.)・・・呼び方としてはこれがシリーズの第四巻目。
②Paul and His Recent Interpreters
③Pauline Perspectives: Essays on Paul 1978–2012
②と③が第四巻目の主題である『パウロ』に関する研究の現時点での集大成とするコンパニオン・ボリュームと言えるだろう。
②は384ページ、③は864ページだから、パッケージの総ページ数は3000ページ近い。
ロゴス のpre-orderだとパッケージ全体が$129.95となっている。
はたしてこんな大著、書棚の残りスペースに入れられるだろうか。
やはりエレクトロニック・ボリュームとして購入する方がいいのだろうか・・・。
しばらくよく考えてみよう。
Paul and the Faithfulness of God
がいよいよ出版に向けて態勢が整いつつあるようだ。
N.T. Wright アップデートでも、「2013年の夏から秋くらい」と紹介しておいたが、さらに確定的な時期が出版社から案内された。
2013年11月1日(詳細はここ)
しかし、またまた「えっ」である。
上記ブログ記事で実は「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされると紹介したが、まだ情報自体が行き渡っていなかったため「追記」で説明したように修正削除した。
しかし、「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされることはその後LOGOSのPre-orderで周知のことである。
今回の「えっ」は、中心volumeであるPaul and the Faithfulness of God自体が何と2分冊になる、と言うことである。2冊合わせての総ページ数は何と1,700ページ!
お値段も$89.00。
(但しpre-orderだと34%ディスカウントの$59.00)
うーん購入については色々考えてしまう。
ここで整理しておこう。
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目は、パッケージとしては以下のようになる。
①Paul and the Faithfulness of God (2 vols.)・・・呼び方としてはこれがシリーズの第四巻目。
②Paul and His Recent Interpreters
③Pauline Perspectives: Essays on Paul 1978–2012
②と③が第四巻目の主題である『パウロ』に関する研究の現時点での集大成とするコンパニオン・ボリュームと言えるだろう。
②は384ページ、③は864ページだから、パッケージの総ページ数は3000ページ近い。
ロゴス のpre-orderだとパッケージ全体が$129.95となっている。
はたしてこんな大著、書棚の残りスペースに入れられるだろうか。
やはりエレクトロニック・ボリュームとして購入する方がいいのだろうか・・・。
しばらくよく考えてみよう。
2013年4月16日火曜日
2013オープン・チャーチ
今年もささやかながら開催します。
日時:2013年5月5日(日)、
午後12時30分-14時30分
場所:巣鴨聖泉キリスト教会(地図及びアクセス)
5月5日は巣鴨教会の創立記念日。
開設特別集会の様子を8ミリカメラに収めた映像が一度も映写されることなく眠っていました。
今年のオープン・チャーチに合わせて、DVDに変換し、プロジェクターで映写する予定です。
創立当時の巣鴨一丁目教会前風景や、特別伝道集会を宣伝する路傍伝道、創立当時の所属教団であったインマヌエル綜合伝道団から協力に駆けつけた牧師や神学生の方々、集会の風景、・・・などが映っています。(※無音声)
ゴールデン・ウィークのさなかですが、お時間都合つきましたら、また近くにお立ち寄りの際は是非どうぞいらしてください。
お茶とお菓子でおもてなしします。
日時:2013年5月5日(日)、
午後12時30分-14時30分
場所:巣鴨聖泉キリスト教会(地図及びアクセス)
5月5日は巣鴨教会の創立記念日。
開設特別集会の様子を8ミリカメラに収めた映像が一度も映写されることなく眠っていました。
今年のオープン・チャーチに合わせて、DVDに変換し、プロジェクターで映写する予定です。
創立当時の巣鴨一丁目教会前風景や、特別伝道集会を宣伝する路傍伝道、創立当時の所属教団であったインマヌエル綜合伝道団から協力に駆けつけた牧師や神学生の方々、集会の風景、・・・などが映っています。(※無音声)
ゴールデン・ウィークのさなかですが、お時間都合つきましたら、また近くにお立ち寄りの際は是非どうぞいらしてください。
お茶とお菓子でおもてなしします。
2013年4月14日日曜日
N.T.ライトFacebook読書会
このブログでもご案内しました
How God Became King 読書会
リアルのN.T.ライト読書会と並行して、フェイスブック上で、2012年4月から開始したわけですが、おかげさまで2013年1月で読み終えました。
読書会のメンバーもフェイスブックという気楽さ、簡便さもあってか、45名にまで増えました。
その間、読書会のメンバーたちが中心になって、「N.T.ライト セミナー」と言うイベントも開催できました。
How God Became Kingを読了後、情報交換やライトにまつわるトピックについてディスカッションをしながら次のステップを探っていました。
結論から言いますと、更にライトによる著書を読もう、と言うことになり、読書会は継続することになりました。
それで次の本をどれにしようと検討していたわけですが、この度Surprised By Hopeに決定しました。
キリスト教は「世の終わり(終末論)」について何を教えているのか。
特に「死後のいのち」についてどう教えているのか。
ライトは西洋キリスト教で一般的な「クリスチャンは死んだら天国に行く」と言う見方に疑問を呈します。
そのような見方は聖書的に言って十分ではない。かなり(ギリシャ哲学によって)歪められた見方だ、と指摘します。
では新約聖書が、使徒的福音が語る「キリスト者の希望」とは何か、をこの本の中で展開します。
4月下旬に入る頃には購読・ディスカッションを開始します。
また、これを機会にこの読書会の名称を、『How God Became King 読書会』から、『N.T.ライトFB読書会』と改名します。
ご関心のある方はこれを機会に是非ご入会くださるようお奨めします。(フェイスブックに登録をする必要があります。)
How God Became King 読書会
リアルのN.T.ライト読書会と並行して、フェイスブック上で、2012年4月から開始したわけですが、おかげさまで2013年1月で読み終えました。
読書会のメンバーもフェイスブックという気楽さ、簡便さもあってか、45名にまで増えました。
その間、読書会のメンバーたちが中心になって、「N.T.ライト セミナー」と言うイベントも開催できました。
How God Became Kingを読了後、情報交換やライトにまつわるトピックについてディスカッションをしながら次のステップを探っていました。
結論から言いますと、更にライトによる著書を読もう、と言うことになり、読書会は継続することになりました。
それで次の本をどれにしようと検討していたわけですが、この度Surprised By Hopeに決定しました。
キリスト教は「世の終わり(終末論)」について何を教えているのか。
特に「死後のいのち」についてどう教えているのか。
ライトは西洋キリスト教で一般的な「クリスチャンは死んだら天国に行く」と言う見方に疑問を呈します。
そのような見方は聖書的に言って十分ではない。かなり(ギリシャ哲学によって)歪められた見方だ、と指摘します。
では新約聖書が、使徒的福音が語る「キリスト者の希望」とは何か、をこの本の中で展開します。
4月下旬に入る頃には購読・ディスカッションを開始します。
また、これを機会にこの読書会の名称を、『How God Became King 読書会』から、『N.T.ライトFB読書会』と改名します。
ご関心のある方はこれを機会に是非ご入会くださるようお奨めします。(フェイスブックに登録をする必要があります。)
2013年4月13日土曜日
2013年4月8日月曜日
主に神学ブログ 4
冬眠明けでまだ頭がぼんやりしている時にこのブログを紹介してしまっていいものか、ちょっと迷いましたがブログ主は(多分)温厚なお方でしょうから、お許しくださると思います。
のらくら者の日記
ブログ主とはまだ実際にお会いしたことはないとは言え、ネット上で親しくさせていただいていますので、その意味では客観的な紹介が難しいとも言えます。
てなことを書きましたが、実際はこと神学に関し、特に英語圏の神学事情、更に特に英国のそれに関しては幅広い知見と見識を持つ方です。
さて筆者がこのブログを何かの拍子に発見し、その後購読するようになってから大分経ちます。
紹介のため調べてみたら開始しなさったのが2008年1月のようです。
ブロガーとしてはかなり先輩です。
カテゴリーをご覧になれば分かるように守備範囲が広い。
クワガタの飼育やギターのこと、クラシック音楽についての造詣が深く、よくぞここまでと言う感じです。
政治や社会など時事問題についても時折鋭い指摘のエントリーがあり驚くことがあります。
と言うかいかに筆者自身がこれらの問題に対して日頃無関心・不勉強であるかを反省させられてしまいます。
筆者が最初にこのブログを読むようになった時、背景画像はブログ主の書斎であり、部屋一杯の書棚に蔵書が埋まっていました。
とてつもない読書家なのだなー、と漠然とした印象を持ったことを思い出します。
実名は出ていませんのでこのブログ主は一体誰なのだろう、果たして筆者の知っている人なのだろうか・・・、などと記事のテーマや傾向などから推理して楽しんでいました。
オックスフォードのウィクリフ・ホールご出身と言うことでどうやら自分が名前を知っている人ではないな、と思いながらエントリーの中に度々N.T.ライトのことも出てくるので、思い切ってメールを出してみようと思いつきました。
ちょうど3年前のことです。
ご好意で筆者の主宰する「N.T.ライト読書会」のことをブログで紹介してくださるなどそれ以来度々お世話になるようになりました。
「神学」のカテゴリーで検索して頂くとそのお世話のほどが幾分かお分かりになると思います。
筆者がこのブログで楽しんでいることの一つは、ブログ主の留学時代の恩師たちの人物描写です。
恩師たちへの敬慕の念、そして彼らの学識と人柄の織り成す人物像が温かいタッチでよく伝わってきます。
著作は読んでいても実際に面識のないこれらの主に英国の学者たちのバイオグラフィカルなエピソードを知ることはとても有益です。
筆者にはそれがとても役立っています。
恩師たちを描いた資質はまたブログ主の神学・思索との取り組みにも反映している様に思います。
それはやはり英国の持っているいい意味での保守的で経験に裏打ちされた知性を大事にする傾向ではないかと(勝手に)推察しています。
なお時折舌鋒鋭い(辛辣な)記事にも遭遇しますが、それらの記事の背景には是々非々をはっきりさせようとするブログ主の熱意があると思っています。
そのような物言いのできる「硬派」なブログの筆頭ではないかと、かかる資質の貧しい筆者としては読みながら反省している次第です。
と言う訳で今後もますますのご活躍を期待したいと思っております。
物足りない紹介で失礼しました。
のらくら者の日記
ブログ主とはまだ実際にお会いしたことはないとは言え、ネット上で親しくさせていただいていますので、その意味では客観的な紹介が難しいとも言えます。
てなことを書きましたが、実際はこと神学に関し、特に英語圏の神学事情、更に特に英国のそれに関しては幅広い知見と見識を持つ方です。
さて筆者がこのブログを何かの拍子に発見し、その後購読するようになってから大分経ちます。
紹介のため調べてみたら開始しなさったのが2008年1月のようです。
ブロガーとしてはかなり先輩です。
カテゴリーをご覧になれば分かるように守備範囲が広い。
クワガタの飼育やギターのこと、クラシック音楽についての造詣が深く、よくぞここまでと言う感じです。
政治や社会など時事問題についても時折鋭い指摘のエントリーがあり驚くことがあります。
と言うかいかに筆者自身がこれらの問題に対して日頃無関心・不勉強であるかを反省させられてしまいます。
筆者が最初にこのブログを読むようになった時、背景画像はブログ主の書斎であり、部屋一杯の書棚に蔵書が埋まっていました。
とてつもない読書家なのだなー、と漠然とした印象を持ったことを思い出します。
実名は出ていませんのでこのブログ主は一体誰なのだろう、果たして筆者の知っている人なのだろうか・・・、などと記事のテーマや傾向などから推理して楽しんでいました。
オックスフォードのウィクリフ・ホールご出身と言うことでどうやら自分が名前を知っている人ではないな、と思いながらエントリーの中に度々N.T.ライトのことも出てくるので、思い切ってメールを出してみようと思いつきました。
ちょうど3年前のことです。
ご好意で筆者の主宰する「N.T.ライト読書会」のことをブログで紹介してくださるなどそれ以来度々お世話になるようになりました。
「神学」のカテゴリーで検索して頂くとそのお世話のほどが幾分かお分かりになると思います。
筆者がこのブログで楽しんでいることの一つは、ブログ主の留学時代の恩師たちの人物描写です。
恩師たちへの敬慕の念、そして彼らの学識と人柄の織り成す人物像が温かいタッチでよく伝わってきます。
著作は読んでいても実際に面識のないこれらの主に英国の学者たちのバイオグラフィカルなエピソードを知ることはとても有益です。
筆者にはそれがとても役立っています。
恩師たちを描いた資質はまたブログ主の神学・思索との取り組みにも反映している様に思います。
それはやはり英国の持っているいい意味での保守的で経験に裏打ちされた知性を大事にする傾向ではないかと(勝手に)推察しています。
なお時折舌鋒鋭い(辛辣な)記事にも遭遇しますが、それらの記事の背景には是々非々をはっきりさせようとするブログ主の熱意があると思っています。
そのような物言いのできる「硬派」なブログの筆頭ではないかと、かかる資質の貧しい筆者としては読みながら反省している次第です。
と言う訳で今後もますますのご活躍を期待したいと思っております。
物足りない紹介で失礼しました。
2013年4月6日土曜日
2013年4月4日木曜日
冬眠から覚めようかな
数ヶ月間「礼拝案内」以外、殆んど更新していませんでした。
読者の皆様にはご心配かけたり、無駄足をかけさせたりしたかと思います。
申し訳ありませんでした。
自分では勝手に「冬眠中」と言うことにしておいたのですが・・・。
さて今年もイースターが過ぎ、冬眠から覚めようかな、と思っている次第です。
「覚める」と言えば「信仰覚醒」と言う出来事がアメリカ・キリスト教史にありました。The Great Awakeningと言うのですが。
その一翼を担った人物がジョナサン・エドワーズ(1703-1758)。日本語ウィキ、英語ウィキ
色々な意味で主にあるご親交を頂いている「ミーちゃんはーちゃん」さんの最近のブログでも、こことここで取りあげられています。
(※こちらが冬眠中、ミーちゃんはーちゃんさんは驚異的なペースで次々に面白い記事をアップされ、その筆力に圧倒されてしまっている筆者です。その旺盛な好奇心と知の前線を開拓し踏破していくエネルギーの幾分かでもあやかりたいほどです。)
さて「眠りから覚めよ」うと思ったのは、このジョナサン・エドワーズと直接関わりがあるわけではなく、今年のキリスト教書籍界に一つの風を起こすことを期待している本が間もなく出版されるからです。
スコット・マクナイト「福音の再発見(原題、The King Jesus Gospel)」
当ブログでも、王なるイエスの福音でご紹介しました。
その後「キング・ジーザス・ゴスペル」のラベルがついている記事で度々紹介してきました。
そうですいよいよ邦訳が出るのです。(期待してお待ちください。)
ところでまたジョナサン・エドワーズに戻りますが、先ほど「直接関わりがあるわけではなく」と書きましたが、実は関わりが出てきてしまったのです。
筆者はこのスコット・マクナイトのThe King Jesus Gospelを邦訳出版しようと言うプロジェクト・チームに入れてもらったのですが、そのプロセスの最終過程で、ゲラを読みながら、段々とこの福音派なるものの特徴である「(個人的)救いの強調」の歴史的展開について自分なりに再考する必要を覚えたのです。
マクナイト教授はその著書の中で(第5章)、聖書本来の「福音」から「救い」中心の縮小化された福音理解へとなぜ変化したのかを教会史を概観して示しています。
しかし、それは本当に概観で、踏み込んだ記述は殆んどなされていないのです。
マクナイト教授は福音理解の変質の歴史的要因を、「宗教改革」後の主にアメリカ・キリスト教史に絞って見ているのですが、材料として挙げられているのは、「ピューリタニズム」、そして(a)「リバイバリズム(信仰覚醒運動)」、と(b)「根本主義者たちと近代主義者たちの間の文化戦争」で発揮された「福音主義の力強い福音伝道の文化」、の三つだけなのです。
それでもう少し立ち入った歴史的知見を得たい・・・と思ったわけです。
と言うわけで段々話が長くなってきましたので、ジョナサン・エドワーズに戻って整理しますと、
宗教改革後の歴史的展開の中で
①ピューリタニズム
②リバイバリズム(信仰覚醒運動)
の繋げる代表的そして神学的にも重要な人物がジョナサン・エドワーズではないか、と目星をつけた次第です。
実は米国遊学時代、筆者にとっての一大レジャーが「中古書店」を回って掘り出し物を探すことでした。
いや掘り出し物なんて書くといかにも「買うべき本」を知っているかのように響きますから、改め。
要するにこれはと言う本で安く売っている本を買い集めたわけです。
ジャンルは様々ですが、その中にアメリカ史、アメリカキリスト教史があり、その中でもピューリタン研究家として有名な、ハーヴァードのペリー・ミラー教授の本を見つけては買っていたのです。
その中の一冊がペーパーバック、ポケット版の「ジョナサン・エドワーズ」でした。
目下この本を読んでいます。
と言うことで、「冬眠から覚めたみたいです」というご報告でした。
読者の皆様にはご心配かけたり、無駄足をかけさせたりしたかと思います。
申し訳ありませんでした。
自分では勝手に「冬眠中」と言うことにしておいたのですが・・・。
さて今年もイースターが過ぎ、冬眠から覚めようかな、と思っている次第です。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エフェソの信徒への手紙 5章14節・・・新共同訳)ちょっとテキストの文脈とは直接関わらないですが、合いの手程度に引用してみました。(不謹慎なと言うお叱りもあるかもしれませんが・・・。)
「覚める」と言えば「信仰覚醒」と言う出来事がアメリカ・キリスト教史にありました。The Great Awakeningと言うのですが。
その一翼を担った人物がジョナサン・エドワーズ(1703-1758)。日本語ウィキ、英語ウィキ
色々な意味で主にあるご親交を頂いている「ミーちゃんはーちゃん」さんの最近のブログでも、こことここで取りあげられています。
(※こちらが冬眠中、ミーちゃんはーちゃんさんは驚異的なペースで次々に面白い記事をアップされ、その筆力に圧倒されてしまっている筆者です。その旺盛な好奇心と知の前線を開拓し踏破していくエネルギーの幾分かでもあやかりたいほどです。)
さて「眠りから覚めよ」うと思ったのは、このジョナサン・エドワーズと直接関わりがあるわけではなく、今年のキリスト教書籍界に一つの風を起こすことを期待している本が間もなく出版されるからです。
スコット・マクナイト「福音の再発見(原題、The King Jesus Gospel)」
当ブログでも、王なるイエスの福音でご紹介しました。
その後「キング・ジーザス・ゴスペル」のラベルがついている記事で度々紹介してきました。
そうですいよいよ邦訳が出るのです。(期待してお待ちください。)
ところでまたジョナサン・エドワーズに戻りますが、先ほど「直接関わりがあるわけではなく」と書きましたが、実は関わりが出てきてしまったのです。
筆者はこのスコット・マクナイトのThe King Jesus Gospelを邦訳出版しようと言うプロジェクト・チームに入れてもらったのですが、そのプロセスの最終過程で、ゲラを読みながら、段々とこの福音派なるものの特徴である「(個人的)救いの強調」の歴史的展開について自分なりに再考する必要を覚えたのです。
マクナイト教授はその著書の中で(第5章)、聖書本来の「福音」から「救い」中心の縮小化された福音理解へとなぜ変化したのかを教会史を概観して示しています。
しかし、それは本当に概観で、踏み込んだ記述は殆んどなされていないのです。
マクナイト教授は福音理解の変質の歴史的要因を、「宗教改革」後の主にアメリカ・キリスト教史に絞って見ているのですが、材料として挙げられているのは、「ピューリタニズム」、そして(a)「リバイバリズム(信仰覚醒運動)」、と(b)「根本主義者たちと近代主義者たちの間の文化戦争」で発揮された「福音主義の力強い福音伝道の文化」、の三つだけなのです。
それでもう少し立ち入った歴史的知見を得たい・・・と思ったわけです。
と言うわけで段々話が長くなってきましたので、ジョナサン・エドワーズに戻って整理しますと、
宗教改革後の歴史的展開の中で
①ピューリタニズム
②リバイバリズム(信仰覚醒運動)
の繋げる代表的そして神学的にも重要な人物がジョナサン・エドワーズではないか、と目星をつけた次第です。
実は米国遊学時代、筆者にとっての一大レジャーが「中古書店」を回って掘り出し物を探すことでした。
いや掘り出し物なんて書くといかにも「買うべき本」を知っているかのように響きますから、改め。
要するにこれはと言う本で安く売っている本を買い集めたわけです。
ジャンルは様々ですが、その中にアメリカ史、アメリカキリスト教史があり、その中でもピューリタン研究家として有名な、ハーヴァードのペリー・ミラー教授の本を見つけては買っていたのです。
その中の一冊がペーパーバック、ポケット版の「ジョナサン・エドワーズ」でした。
目下この本を読んでいます。
と言うことで、「冬眠から覚めたみたいです」というご報告でした。