2011年7月30日土曜日

ご案内

明日、7月31日主日の礼拝をお休みいたします。

(※例年この時期には聖泉連合のサマーキャンプと合同礼拝がありお休みしていました。今年サマーキャンプは中止となりましたが、そのままお休みといたします。)

次の主日礼拝は、8月7日となります。

2011年7月29日金曜日

満身の怒り

目下注目の人が、2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会で、
「放射線の健康への影響」に関して参考人説明をした児玉龍彦氏。
東京大学先端科学技術研究センター教授
東京大学アイソトープ総合センター長

標題の「満身の怒り」は、児玉教授が福島第一原発事故以降の政府の対策に対して、総じて後手後手であり、無策に過ぎていることに対して発せられた言明のようである。


と言うことで先ず関心のある方は、この児玉教授の国会参考人質疑のYouTube画像をご覧になると良い。リンク

さらにこの時の衆議院厚生労働委員会での質疑の全体は
URL:http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=41163&media_type=wb

筆者は全部を見たわけではないが、児玉教授の危機感露な発言に対して、質問に立った国会議員の質問は生ぬるい感じがする。

ファラオの前に夢を解釈するために呼び出されたヨセフが、7年の豊作と7年の飢饉を解き明かした後に、この国難に対する危機管理長官に直ちに選出された。
児玉教授のような発言はこのヨセフの時のように、正しく評価して、「国会がすぐにやるべき対策」を取るべきだろう。
アクションを起こす代わりに、国会であーだこーだ審議しているだけでは埒が明かない。

とまあ、児玉教授だけではなく正しい危機感を持って自分の専門領域で働いている人が少なくないことを願う。

2011年7月28日木曜日

ジョン・ストット(1921-2011)

ビリー・グラハムと並んで、戦後福音主義を代表する人物であったジョン・ストットが天に召された。90歳だった。


不思議なことに筆者は殆んど何もストットに関する縁というかつながりを持っていない。著書を一冊も持っていないし覚えている限り彼の著作と言えるものを何一つ読んだことがない。

彼の講演を聴いたこともない。

と言うわけで、これを機に師の訃報を伝える記事をあちこち見ながら改めて師の人柄や業績を学んでいる次第である。

少し遡るが、ストット師が熱烈なバードウォッチングの愛好者であること。それを切り札に日本伝道会議の聖書講演者として招くことに成功した次第を、「のらくら者の日記」ブログが紹介している。(「二つの書物」)

先ずストット師の業績を概観する記事として「クリスチャニティ・トゥデー(オンライン)」のティム・スタッフォード記者の文章、John Stott Has Died、を読むことをお勧めする。
記事の最後に彼の人柄をこうまとめている。
He was known all over the world, but when you met him he was a most devout, humble Christian man. His private life was no different from his public life. It was the same person. That's another way to say that he had integrity. There was no posing."
筆者が回覧している英語ブログで一番早く訃報を伝えたのは、デニー・バークのブログだった。

やがて次から次へと哀悼のメッセージや彼の影響を語るブロガーたちの記事に接した。
マイケル・バード「ユーアンゲリオン」
スコット・マクナイト「ジーザス・クリード」
(以上は右側のリンクを参照あれ。但し「ユーアンゲリオン」の新しいアドレスは新しくなっているので、古い方からジャンプしてください。)

マイケル・ゴーマンの「クロス・トーク」ブログでは、Thoughts on the death of John Stott、と言う記事でストット師から受けた影響(主に著作を通して)を紹介している。

と言うわけで、個人的にはジョン・ストット師と殆んどつながりを持たない筆者だが、彼の残した影響は色んな形を通して筆者にもやって来ているのだと思う。

改めて幾つかの訃報記事を読んで筆者が惹かれたのは、ストット師のキリスト者としての人柄だ。伝えられるところによると、彼の「謙遜さ」、「表裏のないこと」、「大げさじゃない」、「知的誠実さ」、そんなところだろうか。
しかし人柄だけでなく、何よりも福音の宣証に対する熱心さ、その福音の意味を社会的広がりにまで広げた、ローザンヌ誓約をまとめあげた人間関係を大切にするリーダーシップ、が印象に残る。

さて遅くなったが彼の本を何か一つ読んでみようかな。

2011年7月25日月曜日

ノルウェー銃乱射事件

この国で、こんな事件が・・・。

衝撃だった。
福祉が充実し、比較的裕福で安定した社会。
それがノルウェーを含めた北欧三国のイメージだった。

アンネシュ・ブレイビク容疑者(32)については色々な報道がなされていて、ある程度この人物の輪郭は掴めるようである。しかし、政府庁舎爆撃とウトヤ島での銃乱射と言う政治テロと見える行動の背景はまだまだこれからではないか。

報道によるとブレイビク容疑者は保守的キリスト者であるという。
しかしノルウェー労働党政府の移民政策や反イスラム主義に対するテロとしては単なる保守キリスト教を背景と見るのは早計ではないか。


YouTubeで流されたと言う反イスラム主義の、Knights Templar 2083としての主張や、戦争ゲームなどを好んでいたとの情報を合わせると、何やら子供じみた大げさなドラマ仕立ての主役であるかのように振舞ったように見える。

目下の関心は法廷でのやり取りを公開するかどうかにある。と言うのも容疑者自身が自分の行動の背景を説明したいと言っており、もし公開すればテロリストに自己のイデオロギーを宣伝する機会を与えることになるからだ。

BBCによると
His lawyer, Geir Lippestad, told Norwegian media on Sunday: "He thought it was gruesome having to commit these acts, but in his head, they were necessary.
"He wished to attack society and the structure of society."
つまり彼の頭の中では今回のテロは残虐であるが必要だとの確信に基づく蛮行であったわけだ。殺戮についての計画も念の入ったものであっただけでなく、それを正当化するイデオロギー強化にもかなり時間をかけた様子である。

非道な暴力を冷血とか人の血が通っていないとか言うが、少なくとも普通の人間の感覚や感情が彼には全く備わっていなかったのだろうか。
それとも自分のイデオロギーの正しさに余りにも自己陶酔してしまって、殺戮行為を犯すと言う感覚が麻痺してしまったのだろうか。

彼の爆破行為や銃乱射に何かシュールでバーチャルな感覚がつきまとう。
テレビゲームで大量殺戮を日常的にやっている姿が重なってしまう。
現実とバーチャルが実際の世界で摩り替わってしまったのだとすれば、何と短絡的なテロ行為だったのではなかろうか。

従来のテロ行為は、軍事的に圧倒的劣勢に立つ者が起こす自爆的なもの、と言う構図があった。
先進国で今回起こったテロ行為はそれとは異質なものだと思う。
日本では数年前に秋葉原事件があったが、政治的メッセージが込められていなかったにせよ、現代の孤独と不満を暴力によって発散する構造には何か通底するものを感じる。

これだけの人の命をまるでゲームをするかのように手玉に取った容疑者の行動には言い知れぬ恐れとともに、悪の非道性を越え、人倫の規範の枠の外で行われた、無機質な一種の表現主義を見るような気がする。

2011年7月23日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月24日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 4:1-31
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 4:12
説 教 題 「私のようになってください」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(64)
ガラテヤ人への手紙(52)
・4:8-20 訴えかけるパウロ

※次週、7/31の礼拝はお休みします。

2011年7月22日金曜日

J.H.ヨーダー

今日は神学者で既に故人となったジョン・ハワード・ヨーダーについて。

迂闊にも20世紀から21世紀にかけて在野(と言う表現はちょっと正確ではないが)の神学者として影響力を持つヨーダーのことを余り注意してこなかった。

たまたまとあるグループのヨーダーの著書『イエスの政治』(原題、The Politics of Jesus)の読書会に加わることになった。
毎月一回のペースで、昨日が二回目の参加。
でも途中から加わったので昨日はもう12章ある本の11章目だった。

この読書会に参加することになって本棚からThe Politics of Jesusを見つけ出した。
いつ頃購入して読んだのか記憶がはっきりしない。
多分アズベリー神学校時代(1978-1981)だったろうと思う。

一応本にはアンダーラインやメモが入っているので、読んだには読んだのだと思う。最後まで。
でもこれと言ったインパクトがあったかと言うとそのような印象はない。

ヨーダーはアナバプティストのグループの一つ、メノナイトの神学者で、平和主義者であり、本の題が示すようにイエスの教えを行動原理として現代に活かそうとするラディカルな神学者、と言う位置づけとなり、その頃の自分には多分距離が離れすぎていたのだろう。
それで余り感銘を受けなかったのかもしれない。

「本を枕にースピリチュアルな日々」ブログで紹介している「『クリスチャニティ・トゥデイ誌』が選んだ宗教書、宗教思想書100選シリーズ」では第5番目だそうだ。
この本についてのクレオパさんのコメントは
アメリカ人。プロテスタント。非暴力、絶対平和主義のメノナイト派の神学者。日本のキリスト者はぜひ読むべきなんでしょうね。わたしも持ってますが、読むのはまだ・・・・。
だそうである。

ヨーダー『イエスの政治』読書会に参加するようになって、例によって色々ネットで検索してみたが日本語ウィキペディアでは記事にもなっていない。
英語ウィキペディア(John Howard Yoder)ではヨーダーの個人的スキャンダルについての消息が結構詳しく書かれている。

昨日の読書会では筆者がN.T.ライトの次くらいに注目している、リチャード・B・ヘイズ(現デューク大神学科長)にも多大な影響を与えている、と聞き「えっ」と思った次第である。
これはいよいよヨーダーをもっと読まねば、と思わされた。

さて神学者としてのヨーダーはどうやら重量級だ、と言うことは感じられた。
彼の著作は今後も編集者によって発掘され発刊されるようである。
日本でも邦訳は進んでいくのではないか。
とすると「ジョン・ハワード・ヨーダー」の名前は記憶にとどめておくべきものと思う。

2011年7月20日水曜日

ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ

カタカナの羅列の標題になってしまったが、New Perspective on Paul (略してNPP)は最近のパウロ研究の中心を占めてきた話題である。


ネット上を英語で検索すればざくざくでてくるのに、日本語では殆んどヒットしない。
そもそもまだ定訳がないみたいだ。
「新パウロ観」と訳しているサイトもあるようだが、何しろ日本語サイトでは『ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ』に関する情報を得ることはかなり困難な印象である。

私事で恐縮だが、筆者が主宰する「N.T.ライト読書会」ウェッブサイトで、元ダーラム大聖堂主教、現セント・アンドリュース大学特任教授(と訳せばいいのかな)、のトム・ライト師を「・・・『パウロ神学』の〝新解釈〟の論客の一人として有名です。」と紹介している。

日本にも(新約)聖書学者、パウロ研究者は結構いるはずだろうに、ネット上での啓蒙活動は個人的、個別的研究に限られていて、最近のパウロ研究の動向には余り関心がないのだろうか、と勘ぐりたくなる。
あるいは筆者の検索が悪いのか浅いのか・・・。

と言うわけで、非常に初歩的で簡単な『ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ』についてのメモをここに残しておこうと思う。
もちろん門外漢である筆者のメモであるから、その辺適当に「そんなもんか」と受け流して欲しい。

(英語が大丈夫な方は、ウィキ記事が簡単な入門になる。)

さて、最初に誰の名前を挙げようか。やはり『ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ』の一応の名付け親となった新約学者のジェームズD・G・ダン教授かな。

筆者の理解では、NPPの意義は、宗教改革以来の根本教理である『信仰義認』は関連聖書箇所であるローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙を正しく(歴史的に)解釈していない、と問題提起したことではないかと思う。
宗教改革の『信仰義認』理解の背景となったのは、当時のカトリック教会の救済観(免罪符の問題や功徳の役割)であり、その理解を関連聖書箇所に読み込んでしまった、と言う分析である。

このようなパウロ神学解釈のパラダイムシフトの先駆けとして名前が挙げられるのが、クリスター・ステンダールの、The Apostle Paul and the Introspective Conscience of the West、である。
数年前までこの論文はネット上で入手可能であったのだが、現在は見当たらない。

この論文もそうだが、総じてNPPが主張するのは宗教改革の『信仰義認』理解は、厳密な聖書釈義に基づくものではなく、西洋史における「内省的自己」、個人の罪責感からの解放を救済論における「義認」に読み込んだ、というものであろう。

その点で大事なのは、近年のユダヤ教研究が進み、『信仰義認』の教理の背景となる「戒律主義的ユダヤ教」理解が時代錯誤であることを確認したことである。
この辺りを綿密に実証したのが、E・P・サンダースの、Paul and Palestinian Judaism: A Comparison of Patterns of Religion (Fortress Press, Philadelphia, 1977)、である。

なおウィキペディア記事では物足りない方には、The Paul Pageと言うウェッブサイトがあること紹介しよう。
The New Perspective on Paulのセクションは以下のような内容となっている。
    * Introduction and Summary
    * From The Paul Page
          o Articles
          o Book Reviews
    * Around the Web
          o On the New Perspective
          o From the New Perspective
          o Challenging the New Perspective
          o Book Reviews
          o Discussion Lists
    * Bibliography
    * Related Sites

英語圏では神学や聖書学を専門にしているブログが数多くあるが、日本語圏では非常に少ない。
既に少し書いたがこの辺の事情を日本の研究者たちはもっと真剣に考えて欲しい。
学会に対してだけでなく、ネットパブリックに対してもせっかくの研究成果をもっと発表して欲しいものである。

(※NPPが主題ではないが、ネット上で入手できる論文として栗林輝夫氏の「『帝国論』におけるイエスとパウロ」はNPPも含めて最近の動向を紹介している。)