しばらく更新が滞っています。
この「大和郷にある教会」ブログにはシリーズものの記事が幾つかありますが、特に「主に神学ブログ」は日本語のものを紹介してきました。
それより前に「英語圏ブログ」シリーズで、おもに聖書学や神学のブログを紹介して来ました。
しかし時代は変化し最近はブログと共に「ポッドキャスト」と云う形でコンテンツをアップするサイトが増えてきました。(音声を扱うプラットフォームはiTunesとか色々ありますが・・・。)
筆者は日本語のものは殆ど知らないのですが、英語のサイトのものはレギュラーに(ダウンロードして)聞いているものが幾つもあります。それらのサイトを幾つか紹介してみようと思います。
最初に紹介するのは略称LSEと呼ばれる英国の学校です。
London School of Economics and Political Science
(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンス)
とにかく収蔵ファイル数が多いです。
トピックは社会科学系ですが、時事的な話題も旺盛にカバーしています。
提供されている音声ファイル(mp3フォーマット)は同大学で「パブリック講演」のような形で収録されたものが殆どだと思いますが、すばらしいのは講演のあと必ず(と言っていいほど)聴衆とのQ&Aがあることです。
それは付け足しのようなものではなく、聴衆との「パブリック・フォーラム」を意識したような構成になっています。
質問者は学生だけでなく、専門領域の人や、コミュニティの(講演トピックに関する)利害関係者だったりします。
ですからその応答は講演内容にかなり踏み込んだものが多くなります。
ここ数年でもう何十と云う数の講演を聞いてきましたが、最近聞いたものの中で印象に残ったものを紹介します。
Future Politics: living together in a world transformed by tech
スピーカーのジェイミー・サスキンドが著書の内容を紹介するものですが、デジタル時代の政治が色んな点で新機軸・新展開を孕んでいるので、従来の政治に対する姿勢では対応できない、ということを指摘するものです。
ちょうど日本では「サイバー・セキュリティ担当大臣がPCに触ったこともない・・・」というような冗談のような国会での光景を目にしていますが、他人事ではないと思います。
民主主義政治に多大な影響を与えるデジタル・テクノロジーに関して国民側も十分勉強していかなければならないと思います。
彼の指摘したポイントで印象に残ったものの一つは、システム・エンジニア習得の要件に技術的なものだけでなく、その技術によって社会に多大な影響を与える側面を「倫理学(ethics)」からも習得させるようにすべきだ、というものです。
専門職が持つ「パプリックへの影響力」に見合う「倫理的責任」をも教育機関が担当しなければそれは片手落ちである、ということですね。
ではまた機会を見つけて、次の「ポッドキャスト」サイトをご紹介したいと思います。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2018年11月26日月曜日
2018年8月18日土曜日
(5)タカ牧師のRR 2018/8/18
多分今度で3回目の「タカ牧師のRR」です。
(RRとは、Recommended Reading、の略です。)
前回、2回目はNYT(ニューヨーク・タイムズ)のコラムニスト、デーヴィッド・ブルックス「青年教育のチグハグ(Mis-Educating the Young)」(2017年6月25日)を選びました。
今回はかなり長い記事で、趣向も今までとかなり異なりますが、読み応えがあっていいかと思い選びました。
The un-celebrity president
Jimmy Carter shuns riches, lives modestly in his Georgia hometown
(2018年8月17日、ワシントンポスト)
「セレブリティ」という語が使われていますが、米国の歴代大統領の中でそれほど評価が高くなかったカーター大統領が「いま」注目されている資質は「品格」的なものです。
それほど「大統領」のイメージは金まみれでセレブ的になり、米国の庶民からかけ離れてきた、と云う感慨が背景にあるようです。
「カーター大統領」が(ある意味)レジェンド扱いされるほど、等身大の人間が大統領になるのが難しくなってきているのでしょうか・・・。
比較は難しいですが、日本で言えば「村山富市首相」に似た感じですかね・・・。
記事は長いですが、(父・子)ブッシュ、レーガン、クリントン、オバマ、と最近の大統領やその前の大統領の「人となり」を例に出しながら綴ったわりあい読みやすい文章です。
長いのが大変な人には、2~3回に分けて読めば攻略できるでしょう。
良かったら皆さんもどうぞ。
総ワード数: 2700
英語レベル: 中(5段階の2~3)
(RRとは、Recommended Reading、の略です。)
前回、2回目はNYT(ニューヨーク・タイムズ)のコラムニスト、デーヴィッド・ブルックス「青年教育のチグハグ(Mis-Educating the Young)」(2017年6月25日)を選びました。
今回はかなり長い記事で、趣向も今までとかなり異なりますが、読み応えがあっていいかと思い選びました。
The un-celebrity president
Jimmy Carter shuns riches, lives modestly in his Georgia hometown
(2018年8月17日、ワシントンポスト)
「セレブリティ」という語が使われていますが、米国の歴代大統領の中でそれほど評価が高くなかったカーター大統領が「いま」注目されている資質は「品格」的なものです。
それほど「大統領」のイメージは金まみれでセレブ的になり、米国の庶民からかけ離れてきた、と云う感慨が背景にあるようです。
「カーター大統領」が(ある意味)レジェンド扱いされるほど、等身大の人間が大統領になるのが難しくなってきているのでしょうか・・・。
比較は難しいですが、日本で言えば「村山富市首相」に似た感じですかね・・・。
記事は長いですが、(父・子)ブッシュ、レーガン、クリントン、オバマ、と最近の大統領やその前の大統領の「人となり」を例に出しながら綴ったわりあい読みやすい文章です。
長いのが大変な人には、2~3回に分けて読めば攻略できるでしょう。
良かったら皆さんもどうぞ。
総ワード数: 2700
英語レベル: 中(5段階の2~3)
2018年1月24日水曜日
(4)ムーディー聖書学院(騒動)、その①
某オンライン・クリスチャン情報誌が『ムーディー聖書学院、学長ら3人が辞任・退職 』を伝えたのは1月21日。
その6日前に
のツイートで(シカゴ大神学部)マーティー名誉教授がその辞任騒動に言及していたのでリンクされたCT記事(1月10日)には一応目を通していた。
で、今日(1月23日)になるまでCT(クリスチャニティー・トゥデー)誌が伝えたように(某オンライン・クリスチャン情報誌の記事内容も基本CT記事と同じ)、辞任・退職の背景は単なる「金銭面での不適切な取引」に端を発する幕引き(陣容一新)事件と思っていた。
そうしたら今日RNS(Religion News Serviceなど)のジョナサン・メリット記者が同校での10年に及ぶ「人種差別問題」との取り組みが辞任騒動の背景にあることを伝えた。
そのインタヴューとはクリスチャン・ピチオリーニという元ネオナチ・グループで暴れていた若者が、後に更生して自伝を書き、同様の若者たちがネオナチのようなグループに取り込まれないよう活動についてだった。
これもたまたまなのだが、このクリスチャン・ピチオリーニ氏も(ムーディー聖書学院がある)シカゴの人であった。
番組の終わりの方で「ピチオリーニ氏が関わる人種差別問題への啓蒙活動への政府援助」がオバマ大統領からトランプ大統領に代わった途端「打ち切られた」ということが話題に挙げられていた。
なぜ打ち切られたのかの「説明はなかった」という。(憶測だがトランプ支持のオルト・ライト層を意識してのものではなかったか、と述べていた。)
実はこの部分と、メリット記者の上掲記事の最後の方にある部分とが結構ピタリと重なった(ように感じた)。
メリット記事によると辞任したポール・ナイキスト元学長は、人種差別問題に対して(少なくとも)以前より「前向きに取り組んでいた」という。
しかし、以下に引用するように人種(的)な差別が「給付金」という形で存在しており、ナイキスト元学長はこの問題の存在についても認め対応に取り組んでいたことを示唆している。
果たして今回の辞職騒動がどの程度この問題を大きな背景としているかどうかについては簡単には言えないだろうと思うが、少なくとも「不適切な金銭取引」のような不祥事(?)だけが引き金ではないだろうと考える。
生徒数の減少で経営難に陥っているらしいことも要因にあるだろうが、資金面での支援者たちの意向が絡んでくることから言えば「人種問題との取り組み」のような進歩的ポリシーのナイキスト元学長と政治的保守層を背景にしている学校支援者との対立、という要因も示唆されるのではないかと考える。
とにかくこの辺の軋轢や対立はムーディー聖書学院一校だけの事情では決してなく、ここ二つの大統領選(オバマそしてトランプ)での対立軸が米福音派を襲い、指導層が選択を迫られて(その結果)分断を露呈してきたようにも見えるのだ。
※次回、(余裕があれば)問題の所在と云うか性格について、もう少し例証を使って言及してみたいと思う。
その6日前に
ICYMI: Martin Marty's latest is now up at @RNS https://t.co/qoOnsjSq4Y— Sightings (@DivSightings) 2018年1月16日
のツイートで(シカゴ大神学部)マーティー名誉教授がその辞任騒動に言及していたのでリンクされたCT記事(1月10日)には一応目を通していた。
で、今日(1月23日)になるまでCT(クリスチャニティー・トゥデー)誌が伝えたように(某オンライン・クリスチャン情報誌の記事内容も基本CT記事と同じ)、辞任・退職の背景は単なる「金銭面での不適切な取引」に端を発する幕引き(陣容一新)事件と思っていた。
そうしたら今日RNS(Religion News Serviceなど)のジョナサン・メリット記者が同校での10年に及ぶ「人種差別問題」との取り組みが辞任騒動の背景にあることを伝えた。
How White Privilege Is Destroying One of America’s Oldest Bible Colleges: Students and faculty at Moody Bible Institute report more than a decade of white aggression and resistance to diversity initiatives.たまたまなのだがこの記事を読む直前、あるインタヴュー番組(ネット配信)を聞いていた。(もしこの番組で多少とも人種問題の根深さに敏感になっていなければ、へーそんなもんか・・・で終わっていたかもしれない。)
そのインタヴューとはクリスチャン・ピチオリーニという元ネオナチ・グループで暴れていた若者が、後に更生して自伝を書き、同様の若者たちがネオナチのようなグループに取り込まれないよう活動についてだった。
これもたまたまなのだが、このクリスチャン・ピチオリーニ氏も(ムーディー聖書学院がある)シカゴの人であった。
番組の終わりの方で「ピチオリーニ氏が関わる人種差別問題への啓蒙活動への政府援助」がオバマ大統領からトランプ大統領に代わった途端「打ち切られた」ということが話題に挙げられていた。
なぜ打ち切られたのかの「説明はなかった」という。(憶測だがトランプ支持のオルト・ライト層を意識してのものではなかったか、と述べていた。)
実はこの部分と、メリット記者の上掲記事の最後の方にある部分とが結構ピタリと重なった(ように感じた)。
メリット記事によると辞任したポール・ナイキスト元学長は、人種差別問題に対して(少なくとも)以前より「前向きに取り組んでいた」という。
しかし、以下に引用するように人種(的)な差別が「給付金」という形で存在しており、ナイキスト元学長はこの問題の存在についても認め対応に取り組んでいたことを示唆している。
Pendleton says that Nyquist’s engagement on these issues went well beyond mere sentiment. After Pendleton took over leadership of Embrace, he realized that leaders of all but two student groups received stipends from Moody—all except Embrace and the Jewish student group, Kesher. Though Pendleton “never made a big issue of it,” he received an unexpected email from Nyquist apologizing and offering Embrace leaders a stipend like the others.メリット記者の記事は全体として、米福音派がこれまで人種問題について社会一般ほど意識が高くなく、(進歩的な側から見ると)問題に積極的に取り組んでこなかったことを炙り出そうとしているように読める。
果たして今回の辞職騒動がどの程度この問題を大きな背景としているかどうかについては簡単には言えないだろうと思うが、少なくとも「不適切な金銭取引」のような不祥事(?)だけが引き金ではないだろうと考える。
生徒数の減少で経営難に陥っているらしいことも要因にあるだろうが、資金面での支援者たちの意向が絡んでくることから言えば「人種問題との取り組み」のような進歩的ポリシーのナイキスト元学長と政治的保守層を背景にしている学校支援者との対立、という要因も示唆されるのではないかと考える。
とにかくこの辺の軋轢や対立はムーディー聖書学院一校だけの事情では決してなく、ここ二つの大統領選(オバマそしてトランプ)での対立軸が米福音派を襲い、指導層が選択を迫られて(その結果)分断を露呈してきたようにも見えるのだ。
※次回、(余裕があれば)問題の所在と云うか性格について、もう少し例証を使って言及してみたいと思う。
2017年6月27日火曜日
今日のツイート 2017/6/26
ちょっとややこしい内容なので、経緯を少しでも確かめてから・・・と思っているうち一日遅れになりました。
これなんですけどね・・・
よく分からないんですよ。(←昨日の段階。よく分からなかったので少し経緯を確かめた)
こういう経緯らしい・・・
(1)「チャンネル桜の木坂麻衣子氏」という人物が朝日新聞6月23日朝刊掲載記事「パレルモ条約は対テロリズム目的ではない」を解説したパッサス教授の(英語)発言を聞き間違えた(結果捏造した?)と批判した。
(2)その際の朝日新聞記事の当該部分和訳は「テロのように思想に由来する犯罪に対応する目的で作られてはいない。」
(3)この英語発言部分を木坂麻衣子氏は(報道ステーションでも放映された)動画から聞き取り・文字起こしをし、以下のように提示した。
(5)この一連の中で何人かのツイッター・フォロワーたちが「木坂麻衣子氏自身が英語の聞きとりを間違っている(朝日新聞の和訳文の方が正しい聞き取りに基づいている)」と指摘し以下のような英文になることを指摘した。
(6)(プロの翻訳家である)勝見氏が乗り出してパッサス教授に文意等を含め確認し、木坂麻衣子氏が間違っていることを検証し、彼女に間違いを承認し、番組を削除するよう勧めた。
(7)木坂麻衣子氏は自分の英語聞き取りの間違いであったことを認め、謝罪し、番組は削除された。
大体だが以上のような経過をたどったようだ。
改めてこんなレベルでの「英語聞き取り」でこんな騒動を起こしてしまう「ネット空間」の情報事情のあやうさを思わされた次第。
ちなみに当該発言を含んだ「パッサス教授とのインタヴュー」動画はこれのようだ。
(当該発言部分は1分32秒付近から始まる)
問題を「英語聞き取り」だけに限っていうと、間違いがどちらの方にあるかは明瞭である。
仮に間違った方の文(のように聞こえた)としても、文章の構成とか文意から、そして前後の文脈から、殆ど意味をなさない「下段」で意味を通すのは困難なので自分の聞き取りを疑うのが自然と思うが。
スクープネタ発見!? という手柄に誘導された木坂麻衣子氏が「ideologically motivated」リスニングをしてしまったとしたら・・・皮肉なことですね。
この「ツイッターまとめ」を見ると、木坂麻衣子氏に「英語に対する自信過剰」があったようです。
自信過剰が招いた勇み足であったとすると、その自信過剰さはやはりかなり重症と思いますね。
彼女があとから間違いを認め関連記事等の訂正削除がなされたのがせめてもの不幸中の幸い。
ああー何てややこしいことを、と言いたいところですが、プロ翻訳家勝見氏のジャーナリスト精神というかネット世界におけるボランティア活動には敬服です。
これなんですけどね・・・
例のチャンネル桜の件。木坂麻衣子氏は ideologically を idea logically、such as を suggest と解釈(聞き間違い)してるわけだけど、これ、英語力の無さもさることながら、なんでも都合よく認知してしまうネトウヨ脳の機能にも由来すると思う。 pic.twitter.com/uMkVxFeQc7— ネトウヨの毒舌な伯父さんbot (@NTUY_uncle_bot) 2017年6月26日
よく分からないんですよ。(←昨日の段階。よく分からなかったので少し経緯を確かめた)
こういう経緯らしい・・・
(1)「チャンネル桜の木坂麻衣子氏」という人物が朝日新聞6月23日朝刊掲載記事「パレルモ条約は対テロリズム目的ではない」を解説したパッサス教授の(英語)発言を聞き間違えた(結果捏造した?)と批判した。
(2)その際の朝日新聞記事の当該部分和訳は「テロのように思想に由来する犯罪に対応する目的で作られてはいない。」
(3)この英語発言部分を木坂麻衣子氏は(報道ステーションでも放映された)動画から聞き取り・文字起こしをし、以下のように提示した。
It is not meant to cover idea logically motivated offenses suggest terrorism.そしてこの文の直訳として与えられたのが
論理的に動機づけされた諸々の攻撃はテロを示唆しているという考えは(TOCには)含まれない(4)木坂麻衣子氏はこのことを英文メールでパッサス教授に確認し、朝日新聞側の手落ちではないかとのパッサス教授の返事とともに発信した。
(5)この一連の中で何人かのツイッター・フォロワーたちが「木坂麻衣子氏自身が英語の聞きとりを間違っている(朝日新聞の和訳文の方が正しい聞き取りに基づいている)」と指摘し以下のような英文になることを指摘した。
It is not meant to cover ideologically motivated offenses such as terrorism.
(6)(プロの翻訳家である)勝見氏が乗り出してパッサス教授に文意等を含め確認し、木坂麻衣子氏が間違っていることを検証し、彼女に間違いを承認し、番組を削除するよう勧めた。
(7)木坂麻衣子氏は自分の英語聞き取りの間違いであったことを認め、謝罪し、番組は削除された。
大体だが以上のような経過をたどったようだ。
改めてこんなレベルでの「英語聞き取り」でこんな騒動を起こしてしまう「ネット空間」の情報事情のあやうさを思わされた次第。
ちなみに当該発言を含んだ「パッサス教授とのインタヴュー」動画はこれのようだ。
(当該発言部分は1分32秒付近から始まる)
問題を「英語聞き取り」だけに限っていうと、間違いがどちらの方にあるかは明瞭である。
(正) It is not meant to cover ideologically motivated offenses such as terrorism.どういう風に明瞭であるかは「普段英語で文意を追っている」、つまり日常的に英語でコミュニケーションしている者たちにとって明瞭ということだが・・・。(普段英語を使用している人の耳には「上段」のように聞こえる。「下段」のようには聞こえない・・・と思う。つまり英語で文意を追う人はわざわざ意味をなさないようには聞かない。)
(誤) It is not meant to cover idea logically motivated offenses suggest terrorism.
仮に間違った方の文(のように聞こえた)としても、文章の構成とか文意から、そして前後の文脈から、殆ど意味をなさない「下段」で意味を通すのは困難なので自分の聞き取りを疑うのが自然と思うが。
スクープネタ発見!? という手柄に誘導された木坂麻衣子氏が「ideologically motivated」リスニングをしてしまったとしたら・・・皮肉なことですね。
この「ツイッターまとめ」を見ると、木坂麻衣子氏に「英語に対する自信過剰」があったようです。
自信過剰が招いた勇み足であったとすると、その自信過剰さはやはりかなり重症と思いますね。
彼女があとから間違いを認め関連記事等の訂正削除がなされたのがせめてもの不幸中の幸い。
ああー何てややこしいことを、と言いたいところですが、プロ翻訳家勝見氏のジャーナリスト精神というかネット世界におけるボランティア活動には敬服です。
2017年2月11日土曜日
今日のツイート 2017/2/11
日米首脳会談でのマリーン・ワン機上の両首脳の写真に対するツイートの一つです。
上の画像では安倍首相をちゃんとファーストネームで呼んでいますが・・・
(国内では)「ポチ」と揶揄されたり・・・
(英国視線からは??)「誘拐された(日本は身代金を払わなければならない???)」と皮肉られたり・・・
いろいろありますね。
[追記: 約43分後]
どうやらビル・クリストフ記者は安倍首相の姓と名とを取り間違えたと見ているようです。当方てっきり親しみをPRするためにそうしたのかと思いましたが・・・。
Heading to Joint Base Andrews on #MarineOne with Prime Minister Shinzō earlier today. pic.twitter.com/4JFhyYdeHO— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2017年2月10日
Shinzō Abe has the expression of a kidnap victim https://t.co/1HrM3bmSyx— Rupert Myers (@RupertMyers) 2017年2月10日
上の画像では安倍首相をちゃんとファーストネームで呼んでいますが・・・
(国内では)「ポチ」と揶揄されたり・・・
(英国視線からは??)「誘拐された(日本は身代金を払わなければならない???)」と皮肉られたり・・・
いろいろありますね。
[追記: 約43分後]
どうやらビル・クリストフ記者は安倍首相の姓と名とを取り間違えたと見ているようです。当方てっきり親しみをPRするためにそうしたのかと思いましたが・・・。
Pro tip for Pres Trump. If there's time, it's always best to learn the name of an allied leader before you tweet about him. https://t.co/XCY6hpANaS— Nicholas Kristof (@NickKristof) 2017年2月11日
2017年1月10日火曜日
(4)民主主義と「ポスト真実」
民主主義社会において「ポスト真実」現象を支えているのは、有権者の政治との関わり方でもある。
・・・と(一応私が思うに)「ポスト真実」現象の一面を平易に語ってる記事です。
Ordinary citizens searching for the convenient satisfaction of immediate necessity are Donald Trump’s unwitting allies in an unseen war on democracy. It’s difficult to blame them. Most Americans are busy leading frenetic lives. In sound bites, they receive what passes for news; there’s no time to confirm its veracity. Politicians like Trump tell them what they want to hear; it pleases them. But quick solutions displace efforts to understand complicated challenges for which there are no easy answers.
「断片的な情報をニュースとして受け止め、その真実を確かめもせず、」忙しい日常生活をしていると「自分の耳に聞こえのいい情報を安易に濾過して聞くようになる」ところをトランプ候補のような戦術の人につけ込まれやすくなる・・・
といった感じです。
2016年12月3日土曜日
今日のツイート 2016/12/3
今年の流行語大賞にノミネートされてたことでまた話題になっている。
(社会学者)古市氏のツイートは「死ね」という過激なコトバを誰がどの文脈で使うかによっては「擁護」できる、という趣旨のようだ(と筆者は理解したが)。
これに対して殆どの反論ツイートは「死ね」というコトバの「比喩」使用の無制限濫用の危険性、のような反応の仕方になっている。(「死ね」を比喩的に使うならば許されるのなら、ヘイトスピーチのような形で拡大してしまう・・・みたいな。)
津田氏のツイートは「本来政治の文脈での現状への不満、改善申し立て」に集約される方向で「意見(ツイート)百出」が表現されれば・・・という意見のようである。
筆者もどちらかと言えばそのような「正論」的議論に収まった方がよろしいと思うが、「民主政治が様々な不満を回収して政策に反映する」ことがなかなか出来ない(却って政治不信・諦めが進行する)現状では、この「個別の過激表現」を「流行語」祭りで「通路として」様々な人がそれぞれの「一過的怒りを爆発させる」現象(↓)自体を観察する必要があるのかな・・・という印象である。
「じこぼう」さんのツイートはそのような(メディアによるガス抜き?)現象を「(後期資本主義社会)における消費」の視点で批判的に見るよう示唆している感じだ。
インターネット・メディアが「政治と世論操作」の問題にどう関わっているか・・・はまだそれほど表立って問題になっていない印象だが・・・。
※少し蛇足かもしれないが、これも今朝のツイートなので追加しておこう。
人格攻撃でもなく、あくまでも比喩としての「死ね」と、具体的な他者や人格を貶めるために使う「死ね」は全然違うよ。しかも、他にどうしようもなく、そうするしかない悲痛な叫びとしての「日本死ね」でしょ。— 古市憲寿 (@poe1985) 2016年12月2日
日本死ね問題は様々なところに論点拡散しちゃって一番最初の「政治が都市部の待機児童問題まったく解消するつもりなくて無為無策(あるいは不作為)」という点に絞って、その議論もっと深めるなり与党に要望するなりした方がいいんじゃないですかね。一応参院選の争点に格上げされてたわけだし。— 津田大介 (@tsuda) 2016年12月2日
「保育園落ちた日本死ね」なんて日本を貶めていて日本人として傷つくし言葉使いが汚い、みたいなゆるふわ愛国民の反応はどうでもいいけど、日本という国や社会に対する激しい怒りや憤りの言葉ですら、「流行語大賞」などというお祭り騒ぎの中で消費してしまうことには、違和感を感じざるを得ない。— じこぼう (@kinkuma0327) 2016年12月2日
(社会学者)古市氏のツイートは「死ね」という過激なコトバを誰がどの文脈で使うかによっては「擁護」できる、という趣旨のようだ(と筆者は理解したが)。
これに対して殆どの反論ツイートは「死ね」というコトバの「比喩」使用の無制限濫用の危険性、のような反応の仕方になっている。(「死ね」を比喩的に使うならば許されるのなら、ヘイトスピーチのような形で拡大してしまう・・・みたいな。)
津田氏のツイートは「本来政治の文脈での現状への不満、改善申し立て」に集約される方向で「意見(ツイート)百出」が表現されれば・・・という意見のようである。
筆者もどちらかと言えばそのような「正論」的議論に収まった方がよろしいと思うが、「民主政治が様々な不満を回収して政策に反映する」ことがなかなか出来ない(却って政治不信・諦めが進行する)現状では、この「個別の過激表現」を「流行語」祭りで「通路として」様々な人がそれぞれの「一過的怒りを爆発させる」現象(↓)自体を観察する必要があるのかな・・・という印象である。
「じこぼう」さんのツイートはそのような(メディアによるガス抜き?)現象を「(後期資本主義社会)における消費」の視点で批判的に見るよう示唆している感じだ。
インターネット・メディアが「政治と世論操作」の問題にどう関わっているか・・・はまだそれほど表立って問題になっていない印象だが・・・。
※少し蛇足かもしれないが、これも今朝のツイートなので追加しておこう。
トランプのツイッター・アカウントは1640万人がフォローしている。彼のチームはこのアカウントで次々に重大な発表を行う。重要な発表をホワイトハウスの記者会見場ではなくネット上で行う傾向はオバマ政権でも見られたが、今後はさらに増えるだろう。デジタル化で記者のあり方も変わっていく。— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2016年12月2日
2016年7月14日木曜日
今日のツイート 2016/7/14
なんかいろいろ憶測が流れ出しているが、「象徴天皇制」部分が「平和憲法」部分とどう連絡するのか(しないのか)、今後の改憲論議の行く末とともに興味深い。
天皇の「生前退位論」は、憲法学においては、実はかつて重要な争点であった。 pic.twitter.com/bKQOhDtMNN— 岡口基一 (@okaguchik) 2016年7月13日
2016年3月28日月曜日
今日のツイート 2016/3/28
天安門事件、1989年。
その時学生だった唐路さんは今は中国政府の動向を伝えるジャーナリスト。ツィッターで発信する。
こちらは、唐路さんのインタヴュー記事(2013年3月9日)。
その時学生だった唐路さんは今は中国政府の動向を伝えるジャーナリスト。ツィッターで発信する。
Relatives of at least five Chinese dissidents (3 overseas) were kidnapped or harassed by police in #China lately. https://t.co/WgtLzfEdCT— Rose Tang (唐路) (@rosetangy) 2016年3月27日
「反体制活動家(うち3人は海外)の親族に対する警察のハラスメント・・・。」
こちらは、唐路さんのインタヴュー記事(2013年3月9日)。
中国の動向を観察リポート。 Former Tianamen Square Activist Talks With MPN About Recent Return, "Racist Restaurant"
こちらは、天安門事件当時を語るインタヴュー
2016年1月11日月曜日
今日のツイート 2016/1/11
今日はいわゆる「連ツイ」というのを。
で(最初の以外は)「埋め込み」ではなく引用で。
私は1990年からドイツに住んでいるが、過去25年間に日本で今ほど欧州が注目されたことは、一度もなかった。これらの事件の余韻はまださめておらず、2016年にも長い影を落とす。
で(最初の以外は)「埋め込み」ではなく引用で。
2016年のドイツを展望する
ドイツ、そして欧州は五里霧中の状態にある。その理由は、2015年に第二次世界大戦後に一度もなかった事件が立て続けに起きたことである。
— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2016, 1月 10
私は1990年からドイツに住んでいるが、過去25年間に日本で今ほど欧州が注目されたことは、一度もなかった。これらの事件の余韻はまださめておらず、2016年にも長い影を落とす。
*イスラム・テロとの戦い
最も大きな影は、イスラム過激派の脅威が欧州の街角に到達したことだ。残念だが新春の欧州は、テロと戦争の暗雲に覆われている。
2015年1月には、パリの風刺週刊新聞「シャルリ・エブド」とユダヤ系スーパーマーケットがテロリストに襲われて編集者らが殺害された。過激主義者らの凶弾は、その10か月後にパリのコンサートホール、カフェ、レストランで130人の市民を殺害した。
フランスのオランド大統領はこのテロを「戦争行為」と断定。今年からシリアとイラクでテロ組織イスラム国(IS)に対する空爆を強化する。メルケル政権も
フランスなど有志国連合を電子偵察機や空中給油機によって支援することを決めた。今年から1200人の連邦軍兵士が欧州版対テロ戦争に参加する。
だが対テロ戦争の先行きは不透明だ。テロ組織を空爆だけで壊滅させることは不可能だ。フランスが地上部隊を送るとしたらシリア政府軍、IS,クルド人部隊、ロシア軍、ヒズボラ(神の党)など種々の戦闘部隊が入り乱れて戦う泥沼に足を踏み入れることになる。オランドにはそれだけの覚悟があるのか。
有志国連合は、ISとの戦いで何を達成したら戦争をやめるのかという「出口戦略」を確立するべきだ。出口戦略を持たずに軍事介入を行う国は、アフガニスタ
ンやイラクでの米軍と同じ運命にさらされる。軍事攻撃だけではなく、シリア和平を実現するための、外交工作にも力を入れるべきだ。
*難民危機は終わっていない
シリアの内戦を一刻も早く終結させることは、難民危機を解決する上でも、極めて重要だ。2015年に、ドイツでは約100万人の難民が亡命を申請した。
現在は悪天候のために難民の数が減っているが、春になれば再び地中海やバルカン半島を経て、西欧を目指す難民数が急増する。2015年からの3年間で、EUに流入する難民の数は300万人に達すると予想されている。
英仏など多くのEU加盟国が難民受け入れに難色を示す中、メルケル首相は戦火を逃れてきた難民たちに対して寛容な態度を示した。
彼女の「Wir schaffen das(我々は達成できる)」という言葉は、未知の世界に対して門戸を閉ざさない、新しいドイツの楽観主義を象徴するスローガンになった。
だがドイツの地方自治体や保守派は「難民の受け入れ数の上限(Obergrenze)を設定するべきだ」と主張し、メルケルへの批判を強めた。
メルケルは去年12月14日に行われたキリスト教民主同盟(CDU)の党大会で採択された「カールスルーエ宣言」で「難民数の大幅な削減をめざす」という文言は受け入れたが、上限という言葉の使用を拒否。それにもかかわらず、代議員の99%がこの宣言を承認した。
メルケルは、「難民急増も、グローバル化時代の一側面だ。外国に向けて扉を閉ざして孤立することは、21世紀の解決策にはならない」と力説。メルケルに対して、代議員たちが起立したまま約10分間にわたって拍手を送った。
この出来事は、難民危機というドイツ戦後最大の試練の中で、メルケルに代わる強力な指導者がいないことを示している。2016年の欧州でも、メルケルは大きな存在感を示し続けるだろう。
*ケルン暴動の衝撃
だが大晦日のケルンやハンブルクで、前代未聞の事件が起きた。駅前の広場などに集まっていた群衆に混ざっていた多数の外国人男性が、ドイツ人女性らを取り囲んで身体に触ったり財布や携帯電話を盗んだりしたのだ。中には、強姦された女性もいる。
1月10日までに、警察に被害届を出した女性は、500人を超え、その内半数は性的犯罪に関する被害である。公衆の面前でスカートや下着を脱がされた女性もいた。ケルンの駅前では100人近い警察官たちが警戒に当たっていたが、犯人の数が多かったために、犯行を防ぐことができなかった。
しかも、ほとんどの容疑者は逮捕されていない。犯人の中には、北アフリカやシリアなどからの難民も混ざっていたと見られている。
現場にいた警察官は、ある難民から「おれはメルケルに招待されたのだから、丁寧に対応しろ」と言われたという。
これは、かつてドイツで起きたことのない犯罪である。ハイコ・マース連邦法務大臣は「文明社会が一時的に停止していた」と述べた。
この事件は、ドイツ市民に強い不安を与えており、難民に対する風当たりが強まることは確実だ。
これまで難民に対して好意的な態度を取ってきたメルケル首相も強い不快感を示し、近く法律の改正によって、罪を犯した難民の国外追放措置を容易にする方針
を打ち出している。キリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首は、今年受け入れる難民の数を20万人に制限するよう求めている。
*極右政党の動向は?
気になるのは、欧州での右派ポピュリズムの拡大だ。去年12月に行われたフランス地方選挙の第1回投票では、右派ポピュリスト政党「国民戦線(FN)」が社会党や国民運動連合(UMP)を上回る得票率を記録し、第一党になった。
第2回投票では既存政党が団結して戦ったため、FNは敗北したものの、第1回投票の結果はフランスだけでなく、欧州全体に強い衝撃を与えた。この背景には難民急増やEUの権力拡大に対する庶民の強い不満がある。フランス以外の国でも、極右勢力が伸長する傾向が見られる。
今年ドイツではバーデン・ヴュルテンベルク州など4ヶ所で州議会選挙が行われるほか、来年には連邦議会選挙と3つの州議会選挙が行われる。これらの選挙で、有権者はCDUなど伝統的な政党にどのような評価を下すだろうか。
(「*VWにとって正念場の年」以下は省略)
ヨーロッパを取り巻く「文明史的情況」を思わされる。
2015年11月3日火曜日
(5)追悼: シェルドン・S・ウォリン (1922-2015)
※表記を「ウォーリン」としていたのを「ウォリン」と直しました。(2016年1月29日)
まだネットでは(日本語での)追悼記事も多少詳しい訃報も見当たらないので・・・。
まあ追悼と言っても一種のミーハー的レベルでのことですが・・・。
名誉教授として引退したプリンストン大学に訃報・追悼記事がありますので、一部要約して紹介しておきます。
Political theorist Sheldon Wolin dies at 93
民主主義が権力と国家にどう絡むかについて思索した政治理論家シェルドン・ウォリンがオレゴン州セーラムで亡くなった。享年93歳。
プリンストン大学で政治学の名誉教授だったウォリンは、1960年に出された『政治とヴィジョン』 で政治理論研究の大切さを再認識させ、その後の著作でより広範な人々に政治理論への関心を広げた。1972年からプリンストン大学となり、1987年から名誉教授となった。
(ウォリンのもとで薫陶を受けたコーネル・ウェストのことば)
1922年シカゴに生まれたウォリンはオバーリン大学で学士を、ハーヴァード大学で博士号を受けた。プリンストン大学以外でも、オバーリン大、カリフォルニア大バークレー校、同サンタクルツ校、同ロスアンゼルス校、コーネル大、及びオックスフォード大でも教える。
ウォリンの研究関心の対象は主に合衆国の民主主義、特に国家の政治機構や制度とは区別したもの。
(中略)
1985年に『政治とヴィジョン』で「ベンジャミン・E・リピンコットアメリカ政治学会協会賞」受賞。
『政治とヴィジョン』は、デイナ・ヴィラ、ノートルダム大政治学教授によれば、第二次大戦後の「イデオロギーの終焉」が学界の基準になり、政治理論がほぼ死滅したと広く思われていたときに出版された。
ウォリンはこの本で当時の常識を打ち破り、西洋政治思想正典と看做されるものの幅を再解釈して広げ、歴史に対し鋭い関心を有したアイゼア・バーリンやハンナ・アーレントなどと並び称せられるようになった。
(以下略)
ところで、この記事のために少し検索していたら、既に「英語圏神学者」で最初に紹介したスタンレー・ハウアーワスの
『大学のあり方──諸学の知と神の知』(アマゾン日本)の第10章で
「民主主義の時代──ヨーダーとウォリンから学んだ教え」
となっているそうである。(紹介はこちら)
なるほど細かい年代までは調べていないが、ハウアーワスがプリンストン時代ラムゼー教授のもとで勉学していたときにウォリン教授からも学んでいたのかもしれない。(一つの発見。得した。)
※ウォリンについては「米国留学時代」の思い出として個人的な観察・印象をこことそして加藤周一と合わせてここにも少し書いておきました。参考まで。
[追記]
※その後(たまたま今日、2016年1月29日)、朝日新聞にICUの千葉眞氏の追悼記事が掲載されているのを発見した。
まだネットでは(日本語での)追悼記事も多少詳しい訃報も見当たらないので・・・。
まあ追悼と言っても一種のミーハー的レベルでのことですが・・・。
名誉教授として引退したプリンストン大学に訃報・追悼記事がありますので、一部要約して紹介しておきます。
Political theorist Sheldon Wolin dies at 93
民主主義が権力と国家にどう絡むかについて思索した政治理論家シェルドン・ウォリンがオレゴン州セーラムで亡くなった。享年93歳。
プリンストン大学で政治学の名誉教授だったウォリンは、1960年に出された『政治とヴィジョン』 で政治理論研究の大切さを再認識させ、その後の著作でより広範な人々に政治理論への関心を広げた。1972年からプリンストン大学となり、1987年から名誉教授となった。
(ウォリンのもとで薫陶を受けたコーネル・ウェストのことば)
"Sheldon Wolin was the greatest political theorist of democracy of our time. His scholarship was impeccable, and his golden heart was undeniable. I was blessed to have him as my thesis adviser, my mentor, my colleague and my democratic comrade in arms."
1922年シカゴに生まれたウォリンはオバーリン大学で学士を、ハーヴァード大学で博士号を受けた。プリンストン大学以外でも、オバーリン大、カリフォルニア大バークレー校、同サンタクルツ校、同ロスアンゼルス校、コーネル大、及びオックスフォード大でも教える。
ウォリンの研究関心の対象は主に合衆国の民主主義、特に国家の政治機構や制度とは区別したもの。
(中略)
1985年に『政治とヴィジョン』で「ベンジャミン・E・リピンコットアメリカ政治学会協会賞」受賞。
『政治とヴィジョン』は、デイナ・ヴィラ、ノートルダム大政治学教授によれば、第二次大戦後の「イデオロギーの終焉」が学界の基準になり、政治理論がほぼ死滅したと広く思われていたときに出版された。
ウォリンはこの本で当時の常識を打ち破り、西洋政治思想正典と看做されるものの幅を再解釈して広げ、歴史に対し鋭い関心を有したアイゼア・バーリンやハンナ・アーレントなどと並び称せられるようになった。
(以下略)
ところで、この記事のために少し検索していたら、既に「英語圏神学者」で最初に紹介したスタンレー・ハウアーワスの
『大学のあり方──諸学の知と神の知』(アマゾン日本)の第10章で
「民主主義の時代──ヨーダーとウォリンから学んだ教え」
となっているそうである。(紹介はこちら)
なるほど細かい年代までは調べていないが、ハウアーワスがプリンストン時代ラムゼー教授のもとで勉学していたときにウォリン教授からも学んでいたのかもしれない。(一つの発見。得した。)
※ウォリンについては「米国留学時代」の思い出として個人的な観察・印象をこことそして加藤周一と合わせてここにも少し書いておきました。参考まで。
[追記]
※その後(たまたま今日、2016年1月29日)、朝日新聞にICUの千葉眞氏の追悼記事が掲載されているのを発見した。
2015年9月5日土曜日
今日のツイート 2015/9/5
岸に打ち上げられたシリア人の5歳の男の子の写真が世界中を駆け巡り、中東からヨーロッパを目指すナンミンに注目が集まっている。
世界はこのことをなぜ今まで放置していたのか、と非難の声が高まっている。
関連ツイートを「お気に入り」から選び出して並べてみる。
世界はこのことをなぜ今まで放置していたのか、と非難の声が高まっている。
関連ツイートを「お気に入り」から選び出して並べてみる。
ある意味諸悪の根源は、最初の段階ではイラク戦争。次の段階ではシリア内戦で非人道的な国民弾圧を続けるアサド政権。そしてそれを放置した国際社会。当然、その周囲で生き血を吸う軍事産業。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2015, 7月 26
EUで亡命を申請する外国人の40%がドイツで亡命を申請しています。今年ドイツでは約80万人の難民が亡命申請すると予想されています。ハフ・ポストに記事をアップしました。
http://t.co/7UeMGZLtzK
— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2015, 8月 20
欧州の難民問題は連日エスカレート。ハンガリーはセルビアとの国境に壁を築き始めた。スロバキアはイスラム教徒の難民の入国を拒む方針。ドイツの難民収容施設でも小競り合いでけが人が出た。市町村は悲鳴を上げている。目立つのは、EU政府である欧州委員会の沈黙。
— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2015, 8月 21
ドイツでは、今年に入って亡命申請者の収容施設に対する放火事件が約200件発生している。旧東ドイツだけではなく、西側でも起きている。これは、ドイツの恥だ。
— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2015, 8月 29
1 000 réfugiés syriens en France, 70 000 en Allemagne, 1 million au Liban, 2 millions en Turquie. #LaGrandeClasse pic.twitter.com/5riumaR9M0
— Marc Uhry (@marcuhry) 2015, 8月 29
シリア難民の大量流入で、ヨルダンやレバノンが悲鳴をあげていた頃、真剣に聞いていなかった欧州南部が大変な事態になり、影響は徐々に北へ。近隣だけで引き受けることじゃないという意見、発言力ある国も真剣に主張し始めたら、世界中どこも対岸の火事ではいられなくなる。
— Hadzuki (@Hadzuki_desert) 2015, 8月 30
I don't think I need to describe this.. pic.twitter.com/seREzRYGNX
— Sakir Khader (@sakirkhader) 2015, 8月 30
2015年7月23日木曜日
今日のツイート 2015/7/23
集団的自衛権を分かりやすく説明するのは難しいですね。
日米同盟の結束の強さを説明する(アソウさんがチンピラに絡まれた)たとえ話があったりとか・・・。
これなんてそうかな?
うん?
あっ、勘違いかな?
日米同盟の結束の強さを説明する(アソウさんがチンピラに絡まれた)たとえ話があったりとか・・・。
これなんてそうかな?
あたしは聖子ちゃんのことも大好きだけど、とにかく明菜ちゃんのことが大好きで大好きで、小学生の時から明菜ちゃんのことが死ぬほど好きで、好き過ぎて熱が出て寝込んで学校を休むほど好きだったから、明菜ちゃんに関して変な攻撃をするアホがいた場合、あたしはマジで徹底的に潰すよ。
— きっこ (@kikko_no_blog) 2015, 7月 22
うん?
あっ、勘違いかな?
2015年7月10日金曜日
今日のツイート 2015/7/10
今日はこれ。
どうも新国立競技場現行案での建設の雲行きが怪しくなって来ているみたい。
当方「まだ間に合う、見直し」派なので結構なのだが・・・。
こちらは、最近テレビに引っ張りだこの建築アナリストの方が勉強会で新国立競技場の問題点をかなり詳しく解説している動画。
なかなか勉強になります。
さてどうなりますか。
しばらくは動静を見て行きたいと思います。
どうも新国立競技場現行案での建設の雲行きが怪しくなって来ているみたい。
当方「まだ間に合う、見直し」派なので結構なのだが・・・。
ハァ 予算もねぇ工期もねぇサブトラックも走ってねぇ
屋根もねぇ座席もねぇ大臣毎日ぐーるぐる
コンペしで審査しで二ヶ月ちょっとで結果出し
説明ねぇ見直しねぇザハは来日一度きり
俺らこんな新国立競技場いやだ
東京で出さすだ東京都へ来たなら銭っこ集めて東京で金出さすだ
— 建築エコノミスト森山 (@mori_arch_econo) 2015, 7月 5
こちらは、最近テレビに引っ張りだこの建築アナリストの方が勉強会で新国立競技場の問題点をかなり詳しく解説している動画。
なかなか勉強になります。
さてどうなりますか。
しばらくは動静を見て行きたいと思います。
2015年6月16日火曜日
(3)集団的自衛権と日米安保
安倍政権が進める様々な「事態」に対しての法整備が国会で議論されている。
焦点はそれらの「集団的自衛権」に基づく「法制」が合憲か違憲か、にある・・・とされている。
最近では憲法学者が引っ張り出されて「憲法の法解釈」でどれだけ政府の解釈に妥当性があるか、で論議がなされている。
それによると「違憲」の意見が圧倒的である。(6月15日の朝日の報道ステーション)
一介の牧師としては、重要法案であることは認識しているのだが、「一連の法整備」に関し、それなりの流れがあるのに、その政治的文脈が示されていない議論になっているように思われ、違和感と煮え切らなさとを覚えている。
以下は、「国際政治文脈」を読み込むために少しネット検索した初期報告です。
だがそれは一方的なものだけだろうか。
日本側にもそれなりに日米同盟強化の理由があるのではないだろうか。
特に安倍氏個人に何らかの強い動機付けがあるのではないか・・・。
その辺りの疑問にある程度ヒントを与えている本を最近読んでいるので、以下ご紹介。
春原(すのはら)剛『日本版NSCとは何か』は、安倍氏が小泉政権時代の官房長官時代、アーミテージやシーファーらが、日米同盟体制が十二分に機能するためには「日米同盟の機関化(institutionalization)」が必要だとの認識を示したのを強く受け止めていただろう、としている。
そしてこの機関化を実現するものとして「NSC(安全保障会議)」の設置をアーミテージらが進言していたのだとする。
安倍官房長官が「NSC(安全保障会議)」の必要を「痛切に感じたであろう事件が発生したのは、官房長官の職にあったときです。2006年7月、北朝鮮は二箇所の発射場から日本海に向けてテポドンなどを発射し、日本に底知れぬ恐怖を与えました。この際、首相官邸で官房長官として日本の危機対応の実質的なコントロール・タワーとなったのが安倍氏でした。」と
春原氏は指摘しています。(以上は41ページ)
さてどうなんでしょう。
「政治的文脈」を素人が読み込むにはある程度の輪郭は掴めますが、輪郭線の太い細いや、濃淡など、詳細については殆ど分かりませんので、今のところは「うっすら感」で次の視角(パースペクティブ)を探してみることにいたしましょう。
焦点はそれらの「集団的自衛権」に基づく「法制」が合憲か違憲か、にある・・・とされている。
最近では憲法学者が引っ張り出されて「憲法の法解釈」でどれだけ政府の解釈に妥当性があるか、で論議がなされている。
それによると「違憲」の意見が圧倒的である。(6月15日の朝日の報道ステーション)
一介の牧師としては、重要法案であることは認識しているのだが、「一連の法整備」に関し、それなりの流れがあるのに、その政治的文脈が示されていない議論になっているように思われ、違和感と煮え切らなさとを覚えている。
以下は、「国際政治文脈」を読み込むために少しネット検索した初期報告です。
「アーミテージ報告」から読み解く日米同盟の今後(藤重博美)
と言う文書が日本国際研究所(外務省の外郭らしき、また財界とのコネも強そうなシンクタンク)から出ている。
同文書によれば、アーミテージ報告には、報告1(2000年版)と報告2(2007年版)があって、
報告1は
これに関し「集団的自衛権問題は、憲法改正にも関わる政治的に極めてデリケートな問題」なので日本側にそれなりの反発があった・・・と文書は続けている。
この報告を書いた藤重氏は、これに関し次のように脚注(1)で説明している。
一読すると、集団的自衛権と憲法との解釈上の関係が分かりやすく叙述されていると思う。
特に「自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」・・・つまり集団的自衛権は、自衛権と言う「権利の枠組み」の中に置かれているが、法的に上である憲法に照らせば「必要最小の自衛」と言う制限に触れてしまう、ということですね。
と言う文書が日本国際研究所(外務省の外郭らしき、また財界とのコネも強そうなシンクタンク)から出ている。
同文書によれば、アーミテージ報告には、報告1(2000年版)と報告2(2007年版)があって、
報告1は
・・・日米同盟の強化を一層推し進めなければならないという信念と停滞する現実の落差に対する危機感を前面に出し、日米同盟の強化は未だその道半ばであることを強く訴えかけた。執筆者たちは、米国にとってのアジア地域と日米同盟の重要性を改めて強調するとともに、沖縄の基地問題や日本側の集団的自衛権に関する制約を同盟関係の阻害要因として指摘し、これらの解決に向けて一層の努力をするよう、強く求めたのである。・・・のだそうだ。(日米同盟関係を強化するには、日本側の(憲法にある?)集団的自衛権を制約する要素を何とか排除する工夫をして欲しい、ということになるのだろう。)
これに関し「集団的自衛権問題は、憲法改正にも関わる政治的に極めてデリケートな問題」なので日本側にそれなりの反発があった・・・と文書は続けている。
この報告を書いた藤重氏は、これに関し次のように脚注(1)で説明している。
集団的自衛権の行使禁止は憲法に明示されているものではなく、1956年、政府が国会答弁の中で示した解釈によるものである。それによると、わが国は集団的自衛権、つまりとなっている。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を保持しているにも関わらず、その行使は必要最小限の自衛の範囲を超えるものであり、憲法上許されていないとされた。
この解釈は今日にいたるまで維持されているが、明確な憲法による禁止ではない以上、手続き的には、政府がこの解釈を変更すれば日本は集団的自衛権を行使することは不可能ではない。しかし、集団的自衛権を行使できるようにするためには憲法改正が必要との意見も根強いため、現在までのところ政府は1956年当時の解釈を変更していない。
しかし、安倍首相が、 就任後、集団的自衛権に関する個別事例研究を開始したことで、解釈が変更される可能性が高まっている。」
一読すると、集団的自衛権と憲法との解釈上の関係が分かりやすく叙述されていると思う。
特に「自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」・・・つまり集団的自衛権は、自衛権と言う「権利の枠組み」の中に置かれているが、法的に上である憲法に照らせば「必要最小の自衛」と言う制限に触れてしまう、ということですね。
ではなぜ安倍総理が憲法の自衛権制限を越えるかもしれないのに、集団的自衛権行使にこだわるのか、と言えば、やはりアーミテージ氏らが要求する日米同盟強化の要請が強いのであろう、とその「政治的文脈」を読み込まざるを得ない。
だがそれは一方的なものだけだろうか。
日本側にもそれなりに日米同盟強化の理由があるのではないだろうか。
特に安倍氏個人に何らかの強い動機付けがあるのではないか・・・。
その辺りの疑問にある程度ヒントを与えている本を最近読んでいるので、以下ご紹介。
春原(すのはら)剛『日本版NSCとは何か』は、安倍氏が小泉政権時代の官房長官時代、アーミテージやシーファーらが、日米同盟体制が十二分に機能するためには「日米同盟の機関化(institutionalization)」が必要だとの認識を示したのを強く受け止めていただろう、としている。
そしてこの機関化を実現するものとして「NSC(安全保障会議)」の設置をアーミテージらが進言していたのだとする。
安倍官房長官が「NSC(安全保障会議)」の必要を「痛切に感じたであろう事件が発生したのは、官房長官の職にあったときです。2006年7月、北朝鮮は二箇所の発射場から日本海に向けてテポドンなどを発射し、日本に底知れぬ恐怖を与えました。この際、首相官邸で官房長官として日本の危機対応の実質的なコントロール・タワーとなったのが安倍氏でした。」と
春原氏は指摘しています。(以上は41ページ)
さてどうなんでしょう。
「政治的文脈」を素人が読み込むにはある程度の輪郭は掴めますが、輪郭線の太い細いや、濃淡など、詳細については殆ど分かりませんので、今のところは「うっすら感」で次の視角(パースペクティブ)を探してみることにいたしましょう。
2015年5月21日木曜日
(5)中野晃一教授講演会
こう言うタイプのものは、どんどん記憶から失われるので、早いとこアップしなきゃと思って・・・。
そう言うわけで内容については「旬」がいのちと思ってください。
中野晃一教授は現在上智大学に所属。
専門は政治で、現在は日本に集中しているようだ。
東大での公開講演会は英語で行われたもので、多分40人くらいはいたと思う。
New Right Japan: The Neoliberal Path to Illiberal Politics
『日本のニュー・ライト新自由主義から非自由な政治へ』
と訳してみたが専門用語は知らないのであくまでいい加減。
大体が二つの理由でこの講演に行ってみることにしたのだ。
一つは、英語でなされる講演ということで、日本人の教授がどの程度の英語を操るのか興味があった。
二つ目に、聴衆はほぼネイティブだろうと予測して、よりフランクな内容を期待できると思った。
以上の二つの期待とも満たされた。
(1)戦後レジーム(1955年体制)の崩壊過程を3段階に分けて現在の「ニューライト」まで辿る『大きなピクチャー』を提示し、キーワードを使って大づかみな分析。
(2)詳細をQ&Aで補う。
と言う形式で、ほぼ1時間半近くを費やした。
短時間だが実入りのいい講演会だった。
中野教授の英語は専門用語だけでなく、普通の表現もレベルの高いものを苦もなく操っていて、十分ニュアンスを出していた。
分析内容においては、専門家からは「データ分析に基づくトレンド分析が足りないのではないか」的なことを言われていたが、やはり大きなピクチャーを軸に現在の政治動向(右傾化とその性格)を指摘していただく方が、素人には分かりやすかった。
講演のアウトラインは専門用語も含むので簡単に書いても間違うだろうから省略する。
Q&Aの部分も含め、素人なりに拾えたポイントを幾つか挙げてみると:
・「インタレスト・ポリティックス」から「アイデンティテイー・ポリティックス」へのシフト
・1955年体制以降の政治分析で重用されてきた(加州大バークリー校だと思う)チャルマーズ・ジョンソンが最早効かなくなってきた、みたいなこと。
・日本会議がスタートした1997年は重要
・二大政党制の失敗や総評、日教組などの無力化、政治家の世襲化、などが合わさって政治が寡頭政化し、権力のチェックが出来ない危ない状況が出来つつある。
・戦争できる体制作りは、憲法を骨抜きにするいわばクーデター的に出来つつある。
・ライバル政党のいない状況で、メディアは長期政権を批判しにくい、官僚は法案を通す千載一遇のチャンス・・・と協同的な態勢が出来てしまう状況。
この他、「特定ヒミツ保護法」や「慰安婦」「ヘイトスピーチ・嫌中国・嫌韓書籍が公然と並べられる書店」など、現在の右傾化の状況についてコメントがなされた。
いやー、あっという間の1時間半だった。
《追記》
思い出した。せっかくだから書き足しておこう。
「ネットウヨ/ヘイトスピーチ」関連の質問への回答で。
質問は「年齢層」に関してのものだったが、社会科学的な統計に基づくリサーチが足りない現状を指摘していた。
「民主党の失敗」
がもたらした二大政党制と言う「実験」へのダメージを、何度か「トラウマ」と言う表現を使って指摘していた。官僚に与えた影響の大きさ。
「慰安婦問題」
質問の細かなニュアンスは忘れたが、2014衆院選時の自民党のマニフェストに記載されている文言が「クマラスワミ報告」を受けてのものであるだろうことを指摘していた。
今朝になってそのことを思い出し、検索してみたがこれのことのようである。
そう言うわけで内容については「旬」がいのちと思ってください。
中野晃一教授は現在上智大学に所属。
専門は政治で、現在は日本に集中しているようだ。
東大での公開講演会は英語で行われたもので、多分40人くらいはいたと思う。
New Right Japan: The Neoliberal Path to Illiberal Politics
『日本のニュー・ライト新自由主義から非自由な政治へ』
と訳してみたが専門用語は知らないのであくまでいい加減。
大体が二つの理由でこの講演に行ってみることにしたのだ。
一つは、英語でなされる講演ということで、日本人の教授がどの程度の英語を操るのか興味があった。
二つ目に、聴衆はほぼネイティブだろうと予測して、よりフランクな内容を期待できると思った。
以上の二つの期待とも満たされた。
(1)戦後レジーム(1955年体制)の崩壊過程を3段階に分けて現在の「ニューライト」まで辿る『大きなピクチャー』を提示し、キーワードを使って大づかみな分析。
(2)詳細をQ&Aで補う。
と言う形式で、ほぼ1時間半近くを費やした。
短時間だが実入りのいい講演会だった。
中野教授の英語は専門用語だけでなく、普通の表現もレベルの高いものを苦もなく操っていて、十分ニュアンスを出していた。
分析内容においては、専門家からは「データ分析に基づくトレンド分析が足りないのではないか」的なことを言われていたが、やはり大きなピクチャーを軸に現在の政治動向(右傾化とその性格)を指摘していただく方が、素人には分かりやすかった。
講演のアウトラインは専門用語も含むので簡単に書いても間違うだろうから省略する。
Q&Aの部分も含め、素人なりに拾えたポイントを幾つか挙げてみると:
・「インタレスト・ポリティックス」から「アイデンティテイー・ポリティックス」へのシフト
・1955年体制以降の政治分析で重用されてきた(加州大バークリー校だと思う)チャルマーズ・ジョンソンが最早効かなくなってきた、みたいなこと。
・日本会議がスタートした1997年は重要
・二大政党制の失敗や総評、日教組などの無力化、政治家の世襲化、などが合わさって政治が寡頭政化し、権力のチェックが出来ない危ない状況が出来つつある。
・戦争できる体制作りは、憲法を骨抜きにするいわばクーデター的に出来つつある。
・ライバル政党のいない状況で、メディアは長期政権を批判しにくい、官僚は法案を通す千載一遇のチャンス・・・と協同的な態勢が出来てしまう状況。
この他、「特定ヒミツ保護法」や「慰安婦」「ヘイトスピーチ・嫌中国・嫌韓書籍が公然と並べられる書店」など、現在の右傾化の状況についてコメントがなされた。
いやー、あっという間の1時間半だった。
《追記》
思い出した。せっかくだから書き足しておこう。
「ネットウヨ/ヘイトスピーチ」関連の質問への回答で。
質問は「年齢層」に関してのものだったが、社会科学的な統計に基づくリサーチが足りない現状を指摘していた。
「民主党の失敗」
がもたらした二大政党制と言う「実験」へのダメージを、何度か「トラウマ」と言う表現を使って指摘していた。官僚に与えた影響の大きさ。
「慰安婦問題」
質問の細かなニュアンスは忘れたが、2014衆院選時の自民党のマニフェストに記載されている文言が「クマラスワミ報告」を受けてのものであるだろうことを指摘していた。
今朝になってそのことを思い出し、検索してみたがこれのことのようである。
虚偽に基づくいわれなき非難に対しては断固として反論し、国際社会への対外発信等を通じて、日本の名誉・国益を回復するために行動します。へー、自民党のウェブサイトはこうなっているのか・・・というのが感想。
2015年3月30日月曜日
(4)「若手論客」とか「新世代」について②
①で予告していたが、そのままになっていた。
『坂口恭平』とはどういう人物か、とは余り良い質問ではない。
『坂口恭平』はちょっとしたフェノメノン、と言う感じなのだ。私見では。
だから多分に評価は情況的だし、過度的だ。
『坂口恭平』が最初に筆者の視界に入ったのは1年以上前ではなかったか。
『坂口恭平躁鬱日記』が出て、その本の評判が筆者のツイッターTLにたまたま出たのを目にして、
最初の印象は、「がんばってんなー、この人」くらいなものであった。
気にはなっていたが別にそれ以上の関心は持たなかったが、つい最近になって『モバイルハウスの作り方』(0yenhouseウェブサイト参照)を読んで俄然面白く思った。
彼はやはり一種の「天才」なのだと思う。
でも躁鬱を抱えてちょっとアブナカしい、綱渡り的人生を送っている。
発言のあちこちにそのことは出てくる。
先日ジャーマンウィングス機の事故があったが、副操縦士の自殺の巻き添えにされたと言うことらしい。
言わばその逆をこの人は果敢にやろうとしているように映る。
革命だの、いのちの電話だの、総理大臣だの、・・・普通の人がやるとちょっと過激すぎることも、この人がやると何か分かるような気がする。
個人的にはこの人の「ラディカル」さが面白い。
思想がラジカルとか、そう言う話ではない。
もっと原始的な感性みたいなものだ。
例えば「土」に対する近さとか(「ダンゴ虫」に対するシンパシー)・・・
視野とか(建築家のパースペクティブを越えて、アボリジニの脳を想像させるような)・・・
いわゆる常識で納まらない思考と言うか、行動的知の探求というか・・・
まっそんなところです。
だから「論客」みたいなメディアに好都合な枠に入れてない方がいいと思います。
『坂口恭平』とはどういう人物か、とは余り良い質問ではない。
『坂口恭平』はちょっとしたフェノメノン、と言う感じなのだ。私見では。
だから多分に評価は情況的だし、過度的だ。
『坂口恭平』が最初に筆者の視界に入ったのは1年以上前ではなかったか。
『坂口恭平躁鬱日記』が出て、その本の評判が筆者のツイッターTLにたまたま出たのを目にして、
最初の印象は、「がんばってんなー、この人」くらいなものであった。
気にはなっていたが別にそれ以上の関心は持たなかったが、つい最近になって『モバイルハウスの作り方』(0yenhouseウェブサイト参照)を読んで俄然面白く思った。
彼はやはり一種の「天才」なのだと思う。
でも躁鬱を抱えてちょっとアブナカしい、綱渡り的人生を送っている。
発言のあちこちにそのことは出てくる。
先日ジャーマンウィングス機の事故があったが、副操縦士の自殺の巻き添えにされたと言うことらしい。
言わばその逆をこの人は果敢にやろうとしているように映る。
革命だの、いのちの電話だの、総理大臣だの、・・・普通の人がやるとちょっと過激すぎることも、この人がやると何か分かるような気がする。
個人的にはこの人の「ラディカル」さが面白い。
思想がラジカルとか、そう言う話ではない。
もっと原始的な感性みたいなものだ。
例えば「土」に対する近さとか(「ダンゴ虫」に対するシンパシー)・・・
視野とか(建築家のパースペクティブを越えて、アボリジニの脳を想像させるような)・・・
いわゆる常識で納まらない思考と言うか、行動的知の探求というか・・・
まっそんなところです。
だから「論客」みたいなメディアに好都合な枠に入れてない方がいいと思います。
2015年3月11日水曜日
(4)「若手論客」とか「新世代」について①
「20人」の中の一人である「坂口恭平」に興味があったわけだが・・・。
実はこの後書くことは2014年の年頭に『新春放談』として準備していた記事だったのだが、まとまらないうちに時機を逸してお蔵入りになっていた。
その記事はNHKが元旦放送予定の
新世代が解く!ニッポンのジレンマ 僕らが描くこの国のカタチ2014
の(後から分かったことだが)番組録画後に出演者にインタヴューしたものを読んでの感想だった。
そのお蔵入りにしていた記事の冒頭はこんな風に始まる。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。最近更新が滞っています。今一つ書くことが見つかりません。
って言うかまたまた波なのでしょう、集中力が湧きません。
そんな中、ツイッターでは結構呟いているのですが、たまたまこれが筆者のツイートとしては珍しく沢山(と言っても数字は一桁ですが)RTや「お気に入り」に登録されました。
ヤフーみんなの政治、新世代が描く「この国のカタチ」 與那覇潤、先崎彰容、白井聡、家入一真、はあちゅう(伊藤春香)、江口晋太朗、仲暁子、施光恒、藤村龍至、ハリス鈴木絵美。1970年以降生まれ、が語る・・・と言うのを読んでみた。 http://t.co/HV1FR6HSrU
— Takashi Kojima/小嶋崇 (@SugamoSeisen) 2013, 12月 30
なぜでしょう。
勿論10人の論者のうち何人かが自分の名前を見つけてRTするのは分かるのですが、筆者は単にヤフー記事を殆んど加工もせずにツイートしただけなのです。
今読んでも当時の(何とか記事にしようとしている)カッタルサが伝わってくる。
その記事はその後こう続く。
と言うわけで、少しこの記事を改めて読みながら「放談」することで、2014年最初の投稿にしたいと思います。この時の筆者の反応は、
この国のカタチと言うとすぐ連想するのは、(筆者は読んでませんけど)司馬遼太郎の「この国のかたち」でしょうね。
1970年以降生まれの10人の『論客』が、「日本の新たな未来地図」を描く・・・と言う触れ込みだったので少し期待して読んだのですが・・・。
今再見すると、
※このページで紹介した論客が討論する「僕らが描く この国のカタチ2014」は、NHK Eテレで2014年1月1日(水)夜11時~(150分)放送。となっているので、ヤフーの方に掲載された文章は、この番組のための前宣伝だったのでしょうね。
だとすればこの文章だけで論評するのも野暮と言うものかもしれません。
とにかく数日前読んだ時には余りぴんと来るものがなかった。
さて再読して気がつきました。
この短い文章群は番組収録後の「インタヴュー」に答えたものなのですね。
宴の後の・・・と言うことでしたか。
うっかりしてました。
読み直して感じるのは(NHK番組と分かったからの偏見なのでしょうが)、問題設定がお行儀がよろしい。
また『論客』たちもお行儀がよろしい。
と言うことでしょうか。
若手に、
マジメに、
「天下国家」を
論じさせるメディアのお膳立て
に対する居心地の悪さ、とでも言いましょうか。
また、先ほどの「インタヴュー」での
「ホンネ」にしては
中途半端で
生煮え、
歯切れの悪さを感じさせる内容
だったのではないかと思います。
さてこのNHKの番組では「10人の論客」だったのですが、冒頭に挙げた日本を変える若手論客20の提言と何人か名前が重なっていました。(家入一真、白井聡、與那覇潤、それにMCを務めた古市憲寿)
で、「20人」の方は
本書は『潮』2012年5月号から2013年12月号まで20回連載された「若手論客に問う『日本のカタチ』」を再構成のうえ加筆・修正したものです。とある。
あれーこれってNHKが殆どアイデアを真似しているのでは・・・。
と、やっとここで「20人」の方に話題を移すのだが、はっきり言って面白かったのは「坂口恭平」だけであった。
もちろん何が面白いかは人それぞれなので、その面白さを語るまでは単なる独断に過ぎないが、次回まで待っていただくとして、その他から一つ拾ってみた。
提言13 外交下手のツケを「九条」に回すな 木村草太
主に質問する田原総一朗と「憲法との衝撃的な出会いの思い出」「『押し付け憲法論』をどう見るか?」について話してきた後、「憲法九条改正の波にどう抗うか?」に話題が移る。
田原は「憲法九条」を絶対に変えてはいけない、と自らの戦争体験から語るのだが、それは九条によって日本が戦争に踏み出すのを阻止できる、と考えているからだ。
しかし、木村は田原の勢いを削ぐように、九条は別に日本の武装を制限するわけではない、と主張する。
木村 たしかに憲法上、日本に許されているのは専守防衛のみで、自衛のための必要最小限度を越えると考えられる武器は持っていません。しかし、「自衛のための必要最小限度」というのはあいまいな概念です。「これからの日本は、核武装をしなければ自衛はできない」という説明がもし国民に支持されて通ってしまえば、憲法九条を持ったままでも核兵器保有は可能なのです。ただ、核不拡散条約に違反するので、国際法では禁じられますが。とまあこんな調子の対談であった。
田原さんがおっしゃっているのは、九条の法技術的側面ではなく、「外交宣言」としての側面だと思います。九条は、「日本は非核三原則などの諸原則を、これからも守りますよ」という宣言として機能していて、おそらく田原さんはそちらの機能に注目されているのでしょう。
田原 まあ、そう言ってもいいですね。安倍首相にインタヴューしたときに、安倍さんは国連軍に参加したいと言う意向を明言していました。時間がなくて「集団的自衛権」(他国が武力攻撃を受けたとき、第三国が共同で防衛を行う国際法上の権利)のことまで聞けなかったのですが、たぶん自民党は集団的自衛権を行使可能にする方向で改憲するつもりですよ。具体的に言うと、北朝鮮がアメリカに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊がそれを撃ち落すべきだという話になる。それを可能にする九条改正を狙っている。
木村 まさにそういう行為を禁じているのが九条一項です。 (162ページ)
若い木村が老獪な(?)田原相手に憲法学者としての条文の厳密な解釈とその適用を解説していて面白く感じた。
この部分だけで何か言うのもなんだが、木村の意見には「(憲法の)コトバと政治的現実とがどのように折衝するのか」ということに関する冷静な態度が垣間見られるように思われた。より柔軟な現実への対処ができそうな感覚というか・・・。
あと二三面白いな、と思われる意見や見方はあったが、総じて「論客」としてコトバを使って対論者との「間を測り」「太刀を斬り交わす」丁々発止の面白さを見せてくれるようなものは少なかったように思う。
余談だが、米国遊学時三大テレビ局の一つABCのテッド・コッペル「ナイトライン」を良く観ていたので、ウィットやユーモアを交えながら、遠慮なく相手を追い詰める質問のコトバの鋭さを懐かしく思うとともに、日本の政治家や責任ある立場の者たちの「応答責任」を引き出すような言論追及を観たいものだと思うのである。
では次回は「坂口恭平」についてになると思う。
2014年6月4日水曜日
(5)粉河哲夫とFUKUSHIMA-DAIICHI
今日、たまたま、「粉河哲夫」の名前を思い出した。
何でか分からない。ただふっと思い出した。
夕食後にネット検索でもするか、と思っていた。
(これから書くことはまだネット検索前のこと。)
大学生の頃だったか(1970年代後半)、それとも遊学終わって帰国直後の頃だったか(1990年辺り)、 その位はっきりしない記憶。
ただ本を1-2冊買って読んだことは覚えているような。
少し左翼がかった思想から「メディア」の問題を捉えていたような、そんな前衛的言論人だった。
(ここからはネット検索後。)
何と!
あれほど一時期にせよメディアに持ち上げられた(と自分には少なくとも見えていた)論客が・・・。
検索で引っかかったのは僅か2ページ、10件余りに過ぎない。
文京区の図書館にも、豊島区の図書館にも、蔵書されていない。
一体どうなってるのか。
(陰謀論の誘惑を断ち切って、そのことについては何も書かない。)
とにかく、一つだけ
粉河哲夫の「シネマトーク」
だけは存続している。
どちらにしても「ネットに何かあった」のを発見して、不思議なような懐かしいような、ちょっと言いにくい。
映画評が主のウェッブサイトなのだろうが、こちらは余り関心がないので、最近タイトルだけは何とか気になったくらいのハンガーゲームの映画評を読む。
それからトップページを見渡して気になった
福島原発事故関連
を読む。
3.11以前の1本も含め、3.11からほぼ毎日更新されたブログ記事だ。
3月31日まで更新された後中断された。
改めて事故を時系列的に読むとマスメディア情報ダダ漏れに抗して独自な視点や批判を展開しているのを面白く読んだ。
昔読んだ「粉河哲夫」がまだいるのだな、と感じた。
それに暫く時間がかかったが、もう一本映画評を読んでみようと思った。
で、ハンナ・アーレントにした。
なるほどそこまで評するか、という薀蓄も垣間見ることが出来たので収穫だ。
日中ふと思い出した人物について、こんなに時間をかけてネットで調べてていのか・・・。
時間の無駄!、と思わないこともないが、でも一応調べてみて「余りにも無い」ことを知ることが出来、何かしら理由があるのだろうな、と推理したりする遊び時間が持てて、良かったことにしよう。
※図書館でハンナ・アーレント関連本を予約した。
何でか分からない。ただふっと思い出した。
夕食後にネット検索でもするか、と思っていた。
(これから書くことはまだネット検索前のこと。)
大学生の頃だったか(1970年代後半)、それとも遊学終わって帰国直後の頃だったか(1990年辺り)、 その位はっきりしない記憶。
ただ本を1-2冊買って読んだことは覚えているような。
少し左翼がかった思想から「メディア」の問題を捉えていたような、そんな前衛的言論人だった。
(ここからはネット検索後。)
何と!
あれほど一時期にせよメディアに持ち上げられた(と自分には少なくとも見えていた)論客が・・・。
検索で引っかかったのは僅か2ページ、10件余りに過ぎない。
文京区の図書館にも、豊島区の図書館にも、蔵書されていない。
一体どうなってるのか。
(陰謀論の誘惑を断ち切って、そのことについては何も書かない。)
とにかく、一つだけ
粉河哲夫の「シネマトーク」
だけは存続している。
どちらにしても「ネットに何かあった」のを発見して、不思議なような懐かしいような、ちょっと言いにくい。
映画評が主のウェッブサイトなのだろうが、こちらは余り関心がないので、最近タイトルだけは何とか気になったくらいのハンガーゲームの映画評を読む。
それからトップページを見渡して気になった
福島原発事故関連
を読む。
3.11以前の1本も含め、3.11からほぼ毎日更新されたブログ記事だ。
3月31日まで更新された後中断された。
改めて事故を時系列的に読むとマスメディア情報ダダ漏れに抗して独自な視点や批判を展開しているのを面白く読んだ。
昔読んだ「粉河哲夫」がまだいるのだな、と感じた。
それに暫く時間がかかったが、もう一本映画評を読んでみようと思った。
で、ハンナ・アーレントにした。
なるほどそこまで評するか、という薀蓄も垣間見ることが出来たので収穫だ。
日中ふと思い出した人物について、こんなに時間をかけてネットで調べてていのか・・・。
時間の無駄!、と思わないこともないが、でも一応調べてみて「余りにも無い」ことを知ることが出来、何かしら理由があるのだろうな、と推理したりする遊び時間が持てて、良かったことにしよう。
※図書館でハンナ・アーレント関連本を予約した。
2014年5月27日火曜日
(3)ことば/コトバ考:聖書と文学 3
今回3回目となります。
ご案内してきた「ヨナ書の表現よみ」と言う催しが、間近になりました。
※まだお席あります。今すぐ、予約どうぞ!!!(詳細は上のリンクをクリック!!!)
(3)渡辺さんは作品を声に出して「表現」することを「表現よみ」と呼ばれていると思うのですが、その際「解釈」が様々な形で反映されると思います。
ご案内してきた「ヨナ書の表現よみ」と言う催しが、間近になりました。
※まだお席あります。今すぐ、予約どうぞ!!!(詳細は上のリンクをクリック!!!)
2014年5月30日(金)、午後2~3時半今回は「表現よみ」をしてくださる、ゲストの渡辺知明さんへのインタヴュー記事です。
巣鴨聖泉キリスト教会
* * * * * * * *
(1)渡辺さんがよく「表現よみ」している文学作品と比較して、『ヨナ物語り』は何か共通しているものがありますか。
(2)あるいは「違和感」はありましたか。あったとしたらどんなところでしょう。
(2)あるいは「違和感」はありましたか。あったとしたらどんなところでしょう。
――もちろん文学としての共通性はありますが、表現よみはおもに小説を読みます。ヨナの物語は、物語ですので寓話のような傾向があります。違和感というよりも、このあたりが基本的なちがいでしょう。
(3)渡辺さんは作品を声に出して「表現」することを「表現よみ」と呼ばれていると思うのですが、その際「解釈」が様々な形で反映されると思います。
「ヨナ物語り」を「表現よみ」するに当たって特に工夫した箇所などありましたか。
――物語の場合には、小説とは違って、人物の「内言(内面の言葉)」の表現があまりありません。ですからリアルに読むためには、人物の感情に「はいる→なりきる→のりうつる」という表現の工夫が必要だと思います。
(4)ヨナ書では、ヨナの預言と呼べるようなものは3章4節の「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」くらいで殆どありません。
だからヨナ物語り、などとよく呼ばれるのだと思いますが、現代社会で「預言」と言ってもぴんと来ませんね。
むしろ大川隆法のような怪しげなものになってしまいます。
現代では人々が「はっ」と我に帰って生き方の方向を大きく変えるような警句とはどんな形で「来る」のでしょうか。
私が昔好んで聞いたサイモンとガーファンクルの歌に「預言者のことばは地下鉄(駅)の壁に書いてある(サウンド・オブ・サイレンス)」と言う歌詞がありましたが・・・。
――キリスト教においては「預言」が神からの指令のような意味を持つのでしょうか? 現代においては自らの意思による自主的な行動になるような気がします。そのための前提になるのが、真実の認識と情報の開示なのでしょうが、マスコミによる秘密がそれを妨げているような気がします。
(5)「表現よみ」はパブリックな場でのスピーチやシュプレヒコールのようなものにはどんな意見を持つでしょうか。
「特定秘密法案反対」と賛成できるものであっても大抵一本調子で絶叫タイプで、「表現」としてかなり稚拙、非洗練ではないかと思うのですが。
またヘイトスピーチも、そして政治の場での「発言」も、しばしば絶叫・罵声・罵倒・怒声になってしまうのはどう思われますか。
政治の場、パブリックな場での「表現よみ」の適用は何かありますか。
――表現よみの基本は「オーラルインタープリテーション」だと考えています。つまり、ことばを理解するための自分にとっての表現です。表現を目指すことによって理解が深まるという考え方です。
ですから、他者に向けた言葉の表現においても、自らの認識やモラルが問われるのだと思います。
(6)今回「文語訳」で「表現よみ」なさることにしたのはどんな意図でしょうか。現代語訳では不足があると思われますか。
――「文体そのものがは思想のかたちである」という考えが前提です。現代語訳と文語訳では、厳密に言うと思想がちがのだと考えています。それは情報伝達のレベルではなく文学思想の微妙なところです。
(7)文学作品を「表現よみ」なさる場合もそうだと思うのですが、その作品がどのような視点(誰の視点、主人公の視点、第三者の視点、一人称、三人称、などなど)で語られているか、と言うのを意識することが大事だと思うのですが、ヨナ物語りはどうだったでしょう。
――聖書というものの語り手の立場を考えました。ある意味で「説教」ということになります。日本の文学で言うなら、芥川龍之介「蜘蛛の糸」などは典型的なものです。次に問題になるのが、作品構成における聞き手の設定です。だれがだれに向かって語るのかということが、いわゆる「視点」の立体化になると思います。
(8)今まで「表現よみ」なさった作品の中には、ヨナ物語りのように「一定のメッセージ、教訓、道徳訓」のようなものを内包するものがありましたか。
――作品の教訓というよりも、関連する作品をいくつか思い浮かべました。
太宰治「人魚の海(新釈諸国噺)」での船が荒れる場面。
丸山健二『白鯨物語』(2013眞人堂)にヨナの物語の引用があります。もともと「白鯨」に書かれているものでしょう。
また、中島敦「文字禍」は、アッシリアやニネベを舞台にした話です。
* * * * * * * *
④で、「キリスト教においては「預言」が神からの指令のような意味を持つのでしょうか?」、とありましたので簡単ながら・・・。
「預言」はどちらかと言うと旧約聖書で主要なものです。新約聖書(キリスト教)はその「預言」が成就した、と言うところにポイントがあります。「預言」は、予言のこともありますし、指令のようなこともありますが、そのような具体的内容に関わらず、起源が神の言葉である、と言うことがポイントだと思います。ですので「預言」、つまり「神の言葉」を預けられた預言者は、自分の好きなようにその言葉を改変することが出来ませんし、また都合が悪いので言わないでおくと言う選択肢もありません。彼は「預言」せざるを得ないのです。たとえその内容が聞く民に怒りを引き起こし、預言者を殺そうとするような厳しい警告のような性格のものであっても。
丸山健二『白鯨物語』(2013眞人堂)・・・と言うご指摘は日本現代文学に全く疎い筆者にはありがたいものです。
当初「ヨナ書」を題材にした日本現代文学は、丸谷才一の『エホバの顔を避けて』しか見当たりませんでした。(一応読みました。)
確かにメルヴィル『白鯨』はヨナ物語の引用どころか、重要なモチーフになっています。
それもこれもヨナを飲み込んだ魚が鯨と想定されているからですが。
メルヴィルは北米東部地方の捕鯨船の船乗りたちの逸話などを集めて物語を作ったようですが、その中には、
「鯨の胃液でヨナは生き延びれなかったはずだ。」「地中海で鯨に飲み込まれたとして、イラク付近で吐き出されるまでには三日以上かかったはずだ。」「鯨の回遊路としては喜望峰を回ってインド洋に入る方が自然だ。 (その場合さらに日数がかかったはずだ。)」
と言ったようなヨナ書を史実に基づいた物語として読んだ場合の難点が物語の中で議論されているのだそうです。
また船に乗り込んだマップル神父がヨナ物語りを聴衆に回想させながら、ヨナが鯨に飲み込まれる前の様子を、詩篇18篇を引用して描写しているくだりがあるそうです。
また船に乗り込んだマップル神父がヨナ物語りを聴衆に回想させながら、ヨナが鯨に飲み込まれる前の様子を、詩篇18篇を引用して描写しているくだりがあるそうです。
ほむべき方、主をわたしは呼び求め/敵から救われる。
死の縄がからみつき/奈落の激流がわたしをおののかせ
陰府の縄がめぐり/死の網が仕掛けられている。
苦難の中から主を呼び求め/わたしの神に向かって叫ぶと/その声は神殿に響き/叫びは御前に至り、御耳に届く。(詩篇18篇4-7節、新共同訳)
※以上は、Moby-Dick Summaryウェブサイトの「各章要約」を参照。
以上、渡辺さん、『インタヴュー質問』への回答ご協力ありがとうございました。
当日の「表現よみ」と対論のお相手もよろしくお願いします。
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