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2017年8月6日日曜日

(5)オープン神論サイドノート④

今年はまだ「オープン神論」についてのエントリーがありませんでした。

(5)オープン神論サイドノート①

(5)オープン神論サイドノート②

(5)オープン神論サイドノート③

今回ご紹介するのは「オープン神論」にサイドライトを当てている日本在住宣教師、デイル・W・リトル氏の「現代神学の概観」です。

さいわい日本語訳があるので、「オープン神論」言及箇所二つを引用します(イタリック強調は筆者)。


現代福音主義神学のアイデンティティの探求
おそらく、このような過去の神学に対する批判的な態度や作為的な単純化は、現代神学が今まさに混乱の中にあることを物語っている。現代神学のアイデンティティが危機に直面しているということだ。この混乱は特に福音主義神学の中で明らかである。福音派が現代神学書を読んでも、そのほとんどが福音主義でない立場で書かれた著作だろう。しかしながら、我々福音派としても、現代「福音主義」神学について学ぶ必要はある。福音派陣営は今や伝統的に受け入れられてきた福音派の基準とは異なる神学的見解を持った人々をも抱えている。ミラード・エリクソンによれば、福音主義神学は今や右派と左派に分かれているという。5 もはや「福音主義」という言葉は、同じ福音主義に立つ神学者の間でも、同じ意味で理解されることはなくなってしまったのである。
 ここ3年間、北米の学会である、福音主義神学会(ETS)の年会では、少数の左派の神学者たちの「オープン神論」(open theism)を議論してきた。2001年に、ETSは、そのようなオープン神論から遠ざかるという神学的声明を発表した。2003年には、ETSのメンバーは議論の上で、二人の左派神学者たちのメンバーシップ剥奪には反対する決定を下した。6 ようするに、現代福音主義神学の世界に足を踏み入れることは、混乱の経験をすることに他ならない。能弁で有名な福音主義神学会の少数派が、まだまだ、過渡期であると主張してきたとおりである。

現代神学の重要問題
[現]代神学でも、それらの神学者たちから神論に重点を置く傾向を受け継いでいるが、今日では神の人格的な側面に強調点がある。つまり、現代神学は我々人間が経験するようなある種の限界を神にも設けようとするきらいがある。たとえば、未来に関して言えば、神は人間の自由な選択について、限られた知識しかないとしばしば理解されている(オープン神論)。つまり、神は、時間を超えた存在であるというよりも、時間の中に制約された存在としてみなされているというわけだ。
まあ「オープン神論」自体にそれほど関心持っているわけではないだろうと思います。

宣教の神学(Missionary Theology)にとって「現代の文脈」はどうなっているか概観してみよう・・・ということでの非常に大雑把なものでしょうね。

もちろん「福音主義神学」の立場からの概観ですので、セットアップの仕方が
神学の目的は、教会と深く関わっている。神学はその土台である聖書について教会を教えるものだ。しかし同時に、神学は教会の置かれている幅広い文化や世界を理解するために正しい見地を与えてくれるものであるとも信じる。神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。
となっています。

神学は教会に「聖書」を理解させ、かつその置かれた「文化」に対して正しい見地を与える、とそういう思索的作業をするというわけですね。


以上です。
 
ではまた何か見つけたら報告します。

2016年12月29日木曜日

(5)オープン神論サイドノート③

2016年4月、7月、にそれぞれ①と②をアップしたわけですが、暫く経ちました。

このシリーズ不定期であることは既にお断りしているので、別に暫くぶりでのアップだからといって前置きなど要らないとは思うのですが・・・。


たまたまですが、ブロガーのロジャー・オルソン氏が
An Excellent Arminian Book on Divine Providence
という記事をアップしていて、本の推薦をしているわけです。

※(ウェスレアン)アルミニアンという神学的立場をご存じない方はこちらの記事を参照していただくとして
推薦されたのは・・・Bruce ReichenbachのDivine Providence:God's Love and Human Freedom、という本です。
※この記事を書こうと思い立ったのは、何のことはない、この本がキンドル版で「$8.71」となっていて「安いかな、オススメかな」と思ったからです。
で、オルソンの「オススメ」口上ですが以下のようになっています。
If you are a person who wants a thorough, comprehensive, coherent, sophisticated but readable one volume treatment of divine providence in all its aspects that is also evangelical in ethos and completely consistent with classical Arminianism, here it is: Divine Providence: God’s Love and Human Freedom by Bruce R. Reichenbach (Cascade Books, 2016).
著者が、そしてこの本が「アルミニアン」かどうか、については以下のように断っています。
Now, ironically the words “Arminian” and “Arminianism” and the name “Arminius” appears nowhere in the book. I am not claiming that Reichenbach is an Arminian; I am only saying that this book is thoroughly consistent with classical Arminianism—which is not to claim either that every Arminian will agree with it in every detail.
また「オープン神論」との関わりでは次のように言っています。
His chapters on the “problem of evil” are simply outstanding. I found very little with which to disagree in the book. I will only say that I am not convinced that his critical (but generous) treatment of open theism really answers the questions it raises about the traditional view of God’s foreknowledge. (But his answers are the best I could come up with, too, without adopting open theism.)
関心のある方は購入を考えてみてはいかがでしょう。


※蛇足ながら「摂理」に関しては筆者も過去にこんなことや、こんなことを書いていました。




2016年7月19日火曜日

(5)オープン神論サイドノート②

①をアップした後は泣かず飛ばずの「オープン神論」サイドノートになっています。

理由は幾つか考えられますが、大きな方の理由の一つは内容の低調さ・・・もあるかも知れません。

筆者はどちらかというとオープン神論の方に共感を覚える、くらいな程度ですから、ことさらに肩を持つわけではありません。

そもそもが「神論」を論ずる「プローズ(prose)」の面で「オープン」に反対する(異端呼ばわりする)側のことばに「リジディティー(rigidity)」を感じてしまうのです。

それはもちろん(リフォームドの)神学的システムから派生してくるものだと思うのですが、しかしそれでももう少し言い方があるだろうに、と思ったりするのです。

と云うわけで今後もこのシリーズを継続するだけの「関心度」が維持できるかどうかは分かりませんが・・・。

今回紹介する動画は、ダラス・バイブル・チャーチの トム・スティガル牧師のものです。(たまたまです。別に特別いいとかそう言うわけでもありません。)



・「オープン神論者」が福音主義者の中に「侵入して来た」だけでなく、大勢を占めつつある・・・みたいな言い方をしています。(福音主義神学会での2004年、ピノックたちが締め出されそうになった経緯からの変化を見て。20分前後くらいのところ)

・「内輪もめ」の雰囲気が強く感じられるのですが・・・。やはり「オープン神論」の影響力を阻止しよう、と云う目的での「「オープン神論」についての学習ビデオになっています。

・その面では割合良くできているのではないでしょうか。講師自体はそれほど頭に血が上っているわけでもなく、落ち着いて「オープン神論」の(反対者から見ての)間違いを指摘しています。



(次回もあれば、続く)

2016年4月13日水曜日

(5)オープン神論サイドノート①

最近更新のペースが落ちています。

が、調子が悪いわけではありません。

一応書きかけ記事が15くらいありまして、手を入れず放置したままにしてしまっている次第。


主に神学ブログ⑧で紹介した、山崎ランサム和彦先生が、オープン神論とは何かの連載記事を開始されました。

それに触発されて、引き出しに入れっぱなしになっていた書きかけの「オープン神論」記事を出してみました。

しかし大したことは書けないので、今後進展するであろう山崎先生の連載記事の「サイドノート」にでもなればよろしいかと・・・。


個人的には筆者は余り「オープン神論」論争には関心が深いわけではなく、ただこれから紹介するように「オープン神論」論者が筆者の神学的背景である「ウェスレヤン・アルミニアン」神学の伝統を支持基盤とするだけ、ある意味「親和性」が高い・・・ということで何かしらシンパシーは感じている、というほどの関わりです。

「オープン神論」論者で最初に紹介するのは山崎先生が紹介している「グレグ・ボイド」の次くらいに名前が挙がる「クラーク・ピノック(Clark Pinnock CT追悼記事 1937-2010)」です。

「説教学」 という雑誌でピノックが「インタヴュー」を受けた記事です。

その中から一部、ETS (アメリカ福音主義神学会)での「論争」の経緯や背景について語っているところです。

HOMILETICS: You weren’t always an open theist. How did this change in direction come about for you?

PINNOCK: Well, I used to be a five-point Calvinist in the late ’60s and then I came to read Hebrews and noticed how it appears our relationship to God is conditional upon faith, so I was intrigued by the idea that God is conditioned by some of the things that creatures do.
The old view is that God is not conditioned by anything his creatures do because he has determined what they do. But if, in fact, God’s will is affected by what his creatures decide, then that calls for a personal theism, relational theism, open theism.
So in a way open theism goes right back to the early ’70s when I realized the weakness of deterministic thinking. And then over the years I wrote different things on the subject. Then John Sanders talked to me and we decided that since this is a view that some people know about, but not all, let’s present it in a clear way just for evangelicals so that they can see what we think.

(※ここではピノックが最初は「5論点カルヴィニズム」からスタートして、ヘブル書を読んで神観が変化したことを述べています。その後ジョン・サンダースと協力してより「リレーショナルな神観」が福音主義に可能なことを示そうと動き始めた、と述べています。)

HOMILETICS: Has this made a ripple on the mainline side, or is this a problem primarily for evangelicals?

PINNOCK: The Evangelical Theological Society is a peculiar group of very conservative evangelicals. But there are many who consider themselves evangelicals who don’t go to it who you would find in different sections of the American Academy of Religion and the Society of Biblical Literature and who are positioned in the Wesleyan faith. So they see it correctly, namely, as a variant of their own position and worthy of consideration — which is all we want them to do. Like Randy Maddox [Professor of Wesleyan Theology, Seattle Pacific University], for example, a major interpreter of Wesley, who wrote a great book. He says that [John] Wesley might well have considered openness in full agreement with what he was getting at.
So there are evangelicals who are not ETS evangelicals. You almost need a new term. There are the ETS types who would go after me like that, but normal evangelicals who are outside that, they regard it just for what it is — a variant of Wesleyan-Arminian thinking. [Roger] Nicole, a five-point Calvinist, wants to emphasize how different our view is so they can isolate it as a heresy, because they don’t want to criticize all Wesleyan-Arminians although they don’t like their views.
最初の部分で「福音主義者」について興味深い定義をしています。
(北米)福音主義神学会は、かなり保守的な福音主義者たちの集まりという点で特有です。他の多くの福音主義者たちの中で「アメリカ宗教学会」や「北米聖書学会」の諸部門に顔を出すような人たちがこの学会(ETS)には出席しません。彼らは「ウェスレヤンの立場」の方々です。
と、「オープン神論」の立場が、「ウェスレアン神学」と親和性が高く(ピノックは「ウェスレアン的神観」に属するとしています。)、「ETS福音主義者ではない福音主義者たち」としています。

とここからがかなり表現がささくれ立ってきますが、(「オープン神論」論争において)ロジャー・ニコールが取った戦術を非難しています。

すなわち、「ノーマルな福音主義(であるウェスレヤン・アルミニアン主義)者たち」からピノックら「オープン神論」論者たちを区別・分離して「異端」視した、と。

その先導をしたのが「5論点カルヴィニズム」を奉ずる「ロジャー・ニコール」(1915-2010)であり、実は「ウェスレヤン・アルミニアン主義者」たちも好きではなかったが、一応「福音主義者」陣営にいるために「オープン神論」論者を彼らから隔離する必要があったのだ、と考えています。

英語ではこう言う述懐を「ビター(苦い)記憶」といいますが、やはり「正統派」から「異端」のように突っつかれたことが癒えない傷となっていたのでしょうね・・・。

※引用文中にあるRandy Maddoxは現在デューク大神学部で、「ウェスレヤン・メソジスト研究」の教授をしています。