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2018年2月21日水曜日

(5)タカ牧師のRR 2018/2/21

RRとは「リコメンディド・リーディング」のことで、「推薦ネット記事」ということです。

今回が3回目となります。

イントロには、2017/3/16の記事をお読みください。
二本目は、2017/7/25の記事でした。

三本目は、英国ガーディアン誌「メンタルヘルス」欄の、
How burnout became a sinister and insidious epidemic「燃え尽き症候群の蔓延がひどくなっている」

グローバリゼーションによる就業・産業構造への影響か、(主に?)働き盛りの世代にこの症状が広がっている。

筆者の周りでも程度の差こそあれ、この記事に登場するサラ・コックスのようにSOS発信寸前だったり、ギリギリで「エクソダス」挙行だったりする方がいる。

そんなわけで内容は一本目と同じく「メンタルヘルス」で、なかなかシリアスなものだ。
ボキャブラリーや中身の濃さからも前2本より難しいと思う。

 ☆総ワード数: 約2600~2700
 ☆英語レベル: 中上(5段階の2) 

読むには「20分くらい」はかかるかもしれないが、時間がある方はチャレンジしてみてはいかがか。

2017年7月25日火曜日

(5)タカ牧師のRR 2017/7/25

今度で2回目なのでまだ「タカ牧師のRR」って何?という方には・・・。

RRとは、Recommended Reading、の略です。

1回目は「中年男性の健康リスク」を話題にしましたが、2回目になる今回の「タカ牧師のRR」はこのブログでも何度か取り上げたことのあるNYT(ニューヨーク・タイムズ)のコラムニスト、
デーヴィッド・ブルックス
「青年教育のチグハグ(Mis-Educating the Young)」(2017年6月25日)
にしました。

内容はと云うと・・・昔と違って現代の青年には「人生やキャリアを段階を踏んで昇って行く」ようなものがない。

現在の社会はそれだけ「従来の構造がバラケて」しまっている。

それだけ「将来に繋がる教育」が見えにくくなっている

というのです。


良かったら皆さんもどうぞ。

総ワード数: 1000以下
英語レベル: 中(5段階の2~3)

2017年5月13日土曜日

今日のツイート 2017/5/13

格言ですね。

2017年3月16日木曜日

(5)タカ牧師のRR 2017/3/16

以前「タカ牧師のセブン」というのをやっていました。
(別にもうやめてしまったというわけではありませんが・・・。)

最近筆者と年齢の近い友人と会食しながらの話題の中で「英語を読む機会が減った」みたいなのがありました。

彼らはビジネス畑の人たちで、英語のものを読まないわけではないのですが、それでもやはり「ビジネス関連」からトピックや記事を探すことが多いみたいです。

というわけで牧師でありながら(かなり激しい)雑食系である筆者が時々「これ面白いよ。読んでみたら」と(高い確率でネットからの)推薦記事をお約束しました。

これって「タカ牧師のセブン」のカスタマイズ版ですね。

それならこの際ブログにも・・・と思った次第。

推薦記事のポイントは:
①英語記事
②ビジネス畑の人へ異視点を提供するような
③(どちらかというと)中年男性が読みたそうな
を規準に選んでみます。

ところで「タカ牧師のRR」のRRとは、Recommended Reading、の略です。

さて最初の記事なのですが、ジャンルから言うと《メンタルヘルス》になりますか・・・。

中年男性の健康リスク問題の第一は

The biggest threat facing middle-age men isn’t smoking or obesity. It’s loneliness.


ということだそうです。


良かったら皆さんもどうぞ。

総ワード数: 約2500
英語レベル: 中(5段階の2~3)

2016年12月12日月曜日

(3)「イチオシ!」の入れ替え、2016 [追記]

イマイチお奨め(イチオシ)の本の評判を聞かないが、AI(人工知能)については既にお茶の間に浸透していると思う。

まだ皮膚感覚でその影響は感じていないが、近い将来にありそうな予感はかなりの人が感じているのではないか。

そんな中間もなく任期を終える米国オバマ大統領と、MITメディアラボの伊藤穰一氏との対談がWIREDという雑誌に掲載された。



国家のトップとして意外に先端技術に明るい・・・とTLで取りざたされている。

同ツィッターではフォローする東大大学院の伊東乾氏と「AI(人工知能)と倫理問題」について少しツイートを交わしたことがあった。


一読をおすすめ。

2016年8月24日水曜日

今日のツイート 2016/8/24

生活の細部に(も)宿る「美」を垣間見るには・・・。
 一日の仕事を終えて帰宅する。その日、起こった物語を話す。テレビやラジオでさらに物語に耳を傾ける料理をしたり。食卓を整えたり、家族のために何百と行う、単純でしかも深みのある儀式のことである。そして言う。「これが私たちだ。」「(独身であれば)これが私だ。」「ここがまさに私たちが私たちである場所だ」と。そして一輪の花を飾り、家をきれいにする。折々にそのすべての意味を語り合う。(N.T.ライト『クリスチャンであるとは』第4章「美」から)

2016年7月16日土曜日

(3)「イチオシ!」の入れ替え、2016

大体年一回のペースで更新しているイチオシ!です。

 2014年・・・水村美苗『日本語が亡びるとき』
 2015年・・・金鎮虎『市民K、教会を出る』

毎回ジャンルが変わると言われそうですが、今年はこれです!!

エリック・ブリニョルフソン『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(2015年7月)


どこで評判を聞いたかはもう覚えていない。

昨年7月の発刊だからもう1年経つわけである。

毎度のことながら自分で本書を購入して読んだわけではない。

図書館で借りて読んだ。(『日本語が亡びるとき』はその後古本を購入したが。)

予約者が多く確か2ヶ月くらいは待ったと思う。

そして、一回では読み終えられず、その後2回借りた。(その2回とも again 予約待ちだった。)

そして明日返却となった。まだ10-20ページくらい残っている。

でも大体内容は掴めたと思うので、記事にしてもいいだろう。


デジタル技術によって「人間の労働」が肉体労働だけでなく、知能労働もどんどん取って替わられる近未来社会をいろいろな角度から検討している。

まずコンピューターのもたらす「革新」が人類が経験してきたものとしては「産業革命」に続く広範なものであり、そのスピードもある時点を越すとナントカ数的ものになるそうだ。

一昔前コンピューターがチェスの世界チャンピオン破った事件があったが(今年だったかチェスと比較するとはるかに複雑で暫くはまだ人間を負かせないだろうといわれていた囲碁でもついに何勝かしたのが今年だった、かな・・・。)AI(人口知能)の進歩が加速度的に進むだろう、そして労働市場その他の経済の様相を大きく変えそうだ、という予測にかなり焦点を当てている。

個人的にはこのような「技術革新」がもたらす文明的問題については、過去に何冊か興味深く読んだことがある。

大雑把な印象だが、それらの「未来予想」本が現実をどの程度予測したかと言われると(その途上のものが殆どだが)それほど目を見張るようには実現していないような・・・。

だからといって、この『ザ・セカンド・マシン・エイジ』も眉唾で読んだらいいとは思わないのだ。

人間に取って替わる「自動化」技術はデジタルの前からあり、長い歴史の延長線にある技術の問題であり、ただデジタル技術というほぼ無限にコピーすることができる、量的制限を撤廃する技術がもたらす革新的変化の予測がかなり大きいとはいえ見通せないところが難しいポイントのようだ。


教会の牧師として一番関心が向く問題が、「人間の尊厳」である。

以前どこかで書いたかもしれないが、大学は経済学部だったが、原論で「マルクス経済学」の基礎を叩き込まれた。

労働者の「労働」が生んだ商品価値が資本家によって搾取される構造を理論化したのがマルクス経済だ。

つまりそこでは「労働」とは人間の価値を端的に表すものだった。

しかし未来社会では「疎外」は「労働者と商品」ではなく、自動機械が人間の労働機会をどんどん奪っていくという構図なのだ。

人間の価値は、人間の尊厳は「働く」ことにあるとすると、これはやはり大きな危機となりうるわけだ。

その辺の展望や対策についても本書はいろいろ書いているのだが、基本的に経済学畑の人なのだろう、このような問題の「精神性」の側面はそれほど深められていない、と云う印象だ。

広範な(事務・頭脳労働も含む)単純労働者の仕事が取って替わられたり、所得格差が大きくなったりと自動化社会への移行過程でも難しい問題が出てくるし、既に出てきている。


まっ、そういった事柄に関心のある方にお薦めしたい。

2016年5月19日木曜日

(5)レナード・コーエン、モントリオールのユダヤ系移民

ツイッターでフォローしているバーナード・アヴィシャイがザ・ニューヨーカー誌にレナード・コーエンについて書いている。

Leonard Cohen's Montreal 『レナード・コーエンのモントリオール』

コーエンには『ハレルヤ』と云う多くの人にカバーされた名曲があるのだという。



U2のボノはこの曲は世界で最も完璧な曲だといっているとか。

2年前あるカトリック神父が結婚式でこの曲を歌ったのだが、新郎新婦も会衆も事情をよく知らず、余興程度のものと高をくくっていたらしい。

しかし、これがなんとあっと驚く出来栄えで一堂拍手喝采したとか。
(歌詞を結婚式用に替え歌にしたようです。)


『レナード・コーエンのモントリオール』では、アヴィシャイ自身も育ったモントリオールについて(20世紀前半から第二次大戦後、そして1960年代・70年代・・・)移民ブロック(英国、フランス、そしてユダヤ人・・・モントリオールにはかなりの数のユダヤ人移民が暮らしていた)の棲み分けや、教育状況を描写しています。

その中で少し面白いと思ったのは、カトリックとの宗教文化的近似性によってシンパシーと同時にライバル心も感じていたらしいこと。(コーエンの「ハレルヤ」の宗教的背景の一つとしてコメントしています。)
We also intuitively understood congregational routine, authoritative interpretation of sacred literature, the prestige of historical continuity—we understood that messiahs matter in this world, that the divine emerged within the precincts of a discipline, commandments, and the mass, all of which produced decorum before they produced grace. As Cohen writes in “Hallelujah,” you cannot feel so you learn to touch: works, not just faith alone.
なかなかこの辺のニュアンスと云うのは、歴史・文化の中を「内輪」的に経験してみないと理解できない微妙なものだと思います。

この記事読んでも殆ど何も分かりませんが、霧の中にぼーっと輪郭が浮かぶくらいにはキャッチできるものがあるかもしれません。(音楽や歴史に興味ある方はどうぞ。)

2016年5月6日金曜日

今日のツイート 2016/5/6

人生凹むことはしばしば。

ならば凹む度合いも漢字でバリエーションしよう・・・ということですか。

賛成。(非当用漢字)

2016年1月13日水曜日

(3)教養の危機かなー

ここ1-2年、ツイッターのTLを眺めながら通奏低音のように響く問題の一つが「教養の危機」ではないだろうか。

グローバリゼーションが叫ばれ、「国際競争生き残り」が至上命題みたいに印象づけられる中、大学の「一般教養」がどんどん解体され、実学志向が明瞭となり、「哲学いらない」「文学いらない」「人文科学もいらない」風になっているようだ。

人文科学って「ヒューマニティー」ですよ。
人を人たらしめる精神的伝統を軽視するんですか。
といっても西洋ルネサンスの態度を、文化を明治期に輸入しただけ、といやそうなのかも知れませんが・・・。

 

今日はたまたまこの本の書評がツイッターで紹介されていた。

[2016/2/28追記 シノドス・ジャーナルで著者の音楽ジャーナリスト・菅野恵理子が「ハーバード大学は『音楽』で人を育てる――アメリカのトップ大学が取り組むリベラルアーツ教育」と題して短い紹介記事を書いている。]

翻って日本の大学は、実学中心へと方向転換しつつあり、「文学部不要論」まで出る始末だ。けれども、ビジネスや外交の場において信頼や共感を得るにも、教養に裏打ちされた人間的魅力は不可欠だと思う。
評者の松村由利子さんは元新聞記者の歌人だ。

「教養の危機」に対するささやかな抵抗を込めたコメント、と受け取った。

さらに以前このブログで取り上げた北川東子氏の教養についての文章を再読したが、「教養の危機」はやはり深まったように思う。
私のセンサーがとらえた兆候のどれもが、「二一世紀的教養」とは、国際的な破壊の流れのなかで生き延びていくための人類的な智慧のことであり、あるいは少なくとも、この智慧を可能とする知的戦略であることを暗示している。

昨年「イチオシ」で取り上げた水村美苗『日本語が亡びるとき』も、インターネット・英語連合軍というグローバリゼーションに対する日本語・日本文学という土着教養伝統の危機を警鐘し、防衛戦略を提示するものであった。


段々組織的な抵抗を考えていかないとなー・・・。

2015年8月30日日曜日

今日のツイート 2015/8/30

なんか圧倒されるというか・・・。

あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。

疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
(イザヤ書40章28-31節、新共同訳)

2015年7月14日火曜日

今日のツイート 2015/7/14

任天堂の岩田社長が死去されたニュースは今日ではありませんが・・・。


筆者はゲームの世界のことは分かりません。

やったことも、買ったこともありません。

ただWIIという名前は聞いたことありますし、ゲームというエンターテイメントが及ぼす年代や地域の広がりは凄いのだな、とは思いました。

この追悼漫画はそんなことを思わせました。


一つ気がついたのですが、「死後のいのち」や「天国」をにおわすものがありません。

漫画ながら、安易に「天国で笑っている」みたいな描き方になっていないところが、より「悲しみ」をストレートに伝えているように思います。
(the SADDEST fan art tributeとあるように・・・。)

[追記]
どうも「ファンアート」 の一つだったとは、そういうことだったみたい。

2014年11月9日日曜日

(3)キリスト者の短歌

丸っきり柄でもないことを・・・。

たまたまこのツイートが目に入った。

佐野豊子さんと言う歌人は(当然ながら)存じません。

ググって見ましたらプログをやっておられました。
佐野豊子の短歌

プロフィールにはこうあります。
わたしのルーツは沖縄ですが、台湾でうまれ、東京の府中で育ちました。
祖母、両親の影響がつよく、沖縄舞踊、短歌、クリスチャンと3つの草鞋をはいています。
「汎神的土俗」と「一神教」が混ぜこぜのようですが、すべての背後にあるキリストの愛をみつめています。
「汎神的土俗」と「一神教」が混ぜこぜ・・・と言うところに興味を惹かれました。

過去(アーカイブ)ちょっと見させていただきました。

冒頭の句でシリアスな句を予想してましたが、そう言うのは少なかった。

何となく目に留まったのは以下。

還暦もすぎてようやく折り返す神のまにまに捨て舟の見ゆ

日高屋はおひいとりさまが多すぎておふたりさまのテーブルにざす


今日はネットサーフィング。遊んでみました。

2014年11月3日月曜日

(4)映画「ツリー・オブ・ライフ」 追記

映画「ツリー・オブ・ライフ」について、(よくやることだが)映画を見ないで文章を書いたことがある。(ここ)


先日、たまたまベイラー大学(米国)のベバリー・ガベンタ教授の講演(動画)を観ていたら、この映画のことが取り上げられていた。


彼女が見に行った映画館で、この映画を見に来た客が「こんなひどい映画。入場料を返せ。」とごねていたそうな。

翌週(気になったのか)ガベンタ教授は「ツリー・オブ・ライフ」を見に行った。

ガベンタ教授が集めた「この映画が気に入らない人の評」では、ストーリーがない(あるいは)かなり弱い、ということだ。

しかしガヘンタ教授は(予想の通り)この映画が大変気に入った。

家族のドラマと、創造のドラマが織り成す、引き伸ばされた頌栄(ドクソロジー)だ、と。
※ドクソロジーと言っても、献金後に歌われる賛美ではなく、ベースボールの試合で7回裏に球場全体が合唱するあの歌のこと。

以上がこの日の「ロマ書」に関する講演のイントロに使われたのだった。


ガベンタのロマ書講演についてのニジェイ・グプタ(動画リンクがあるブログ主)の感想、批評も合わせて読むことを勧める。

ついでと言っては何だが、このロマ書講演の感想記事の次に、女性(新約)聖書学者(特に福音書と使徒の働き)の文献表をリストアップして紹介している。こちらもお勧め。

なかでも筆者の一押しは、ユダヤ人のエイミー‐ジル・レヴァイン教授。


明瞭な物言い。
的確な指摘。
なかなか聞いていて分かりやすい。

SBL(北米聖書学会)と言う「世界で最も大きく(権威ある)聖書学会(ちゃんと調べていないが)」が最近スポンサーとなって無料で提供している聖書研究のための情報サイトに、バイブル・オデッセーがあるが、ここで動画で提供されている「解説記事」の中でも、レヴァイン教授のものはぴか一だと思う。

たとえば、これ。
Jesus' Bible and Language

2014年9月20日土曜日

(3)加藤周一記念講演会

加藤周一記念講演会なるものに行って来た。
(フランス文化講演シリーズ第280回)
第5回加藤周一記念講演会
「私の知っていた加藤周一さん」
水村美苗(作家)
日時:2014年09月19日(金曜) 18:00
会場:日仏会館ホール - 渋谷区恵比寿3丁目
 
開始30分前には会場に着いたが、もう20-30人くらいの人がホールで待っていた。
事前予約だが、なんでも「120名」定員のところ応募が多く180名くらいを見込んでいるとの係りの人の言。
 
日仏会館は初めてだったが、近づいていくと何やら少し変な建物のように感じられた。
 
それはどうでもいいとして、会場となる1階のホールは別に何の変哲もないが却ってそれが良かった。割合くつろげる感じ。(建物の外観は余り感心しないが、内側はいい感じだ。)
 
予想通り中高年が多かった。
定員オーバーなのは加藤周一のこともあるが、講演者の水村さんが割合知名度が高いこともあるのと、女性と言うこともあるかもしれない。
 
事前に朝日新聞で最近(8/11~)連載された『人生の贈りもの』のプリントコピーがイントロ代わりに配られた。
 
講演者の水村さんも「私の知っていた加藤周一」を余りまとまりなく、断片を寄せ集めて綴るような話だったが、この報告もそれに準じる。
 
 
加藤周一の人となり
 
1. やはり第一に言及されるのは加藤の「知性」。
2. ユーモア
3. 品性
 
確かもう一つあったが、とにかく加藤が人間として第一級、上等な人間であった、と言うことをエピソードを色々交えとつとつと語った。

水村さんが親しくなったのが加藤であったため、日本の知識人を測る標準を加藤にして、その後日本に帰国してから知った日本の知識人、文士たちとの落差にえらく戸惑ったとのこと。
 
水村さんを挟んだ加藤との人的交流では、水村の夫岩井克人、矢島翠、丸山真男、辻邦夫、磯崎新、らの名前があがった。
 
講演は50分ほどで終わり、フロアーからの質問となった。
 
質問は割合活発だったが、その中で信仰・宗教・キリスト教に絡むものをメモしておく。(質問は加藤だけでなく、講演者についてもオーケーとのことだったので、ほぼ半々くらいの割合になった。)
 
①加藤の死直前のカトリック洗礼
 質問者が自分の周りの人たち多くが「えっ」と思い不可解に思ったので加藤と親しかった水村さんが何か事情を知っているか聞いてみたかったとのこと。
 
 水村さんも驚いたと言うし、(初耳だったが加藤の知人らしい)石黒ひでも驚いたと言う。つまり多くの加藤を知る人が驚いたと言う。
 葬式はごく内輪の者達でなされたと言うが、知人たちはこのことをマスコミには伏せておいた方が懸命ではないか、と取り沙汰したらしい。
 
 どうやら経緯から言うと、晩年加藤がかなり意思表示が難しくなったような段階で加藤の家族の者達の意向が主導的となってカトリック洗礼へと物事が進んだらしい。
 
 その辺を反省した矢島翠が、暫く後、加藤の遺骨をあるお寺に分骨したとのこと。
 
②水村自身のキリスト教との接点
 (水村は12歳までは日本、その後海外に住んだ。)小さい頃は学校がミッションスクールだったり、教会学校に通ったりして、それなりに聖書の教えやキリスト教に親しんでいた。
 
 しかしその後青年期で出会ったり、触れたキリスト教は作家仲間たちの殆どがユダヤ人であったりもしたせいで、かなり日本の人たちが知っているキリスト教とは異なるものであった。(説明しにくいみたい。)
 
 
 散会のあと持参した「日本語が亡びるとき」にサインをしてもらった。 
 

 

2014年6月21日土曜日

(2)「トイレの神様」を神学する

いやー土曜日の夜なので・・・。

やっとこ明日の週報を作成したところで、頭を幾分柔らかくしようと思って・・・。

ただ「神様」だけで思いついたので・・・。


はい、歌のタイトルは知っていました。
でも聞いたことなかった。


何かほんわかした歌だね。
かなり単調なメロディー。

やはり実話に基づいたストーリーだからかな、すんなり聞けるのは。

「喪失」と「帰還」がモチーフかな。

なんでおばあちゃんなのだろう。
そして両親が不在。

誰でもが成長と共に家族から離れて行く時がある、それが喪失の原風景。

東京に行って離れて、おばあちゃんが具合悪くなって帰るとすぐ亡くなる。

これは大きな喪失だったけど、おばあちゃんの記憶をより強く呼び戻す。


で、「神学する」だけど

別に「神様」が出てくるから「神学している」ことにはならないと思うけど
「トイレの神様」はおばあちゃんがこさえたストーリー神学なのかな

ちょっと引用しようかと思ったら、歌詞が表示されているサイトから歌詞をコピーしようと思っても出来ないや・・・。

トイレ掃除が苦手なので
おばあちゃんは
トイレ掃除をやる気にさせるために
編み出したんだろうな

だからおばあちゃんが女神様を作っちゃったんだ
でも女神様は別にトイレにいるだけで
特に何かをするわけではないね

要するにトイレれを磨くと自分も磨かれるよ
べっぴんさんになるよ
ということなのだね

人は「意味ない行為」はしたくない
というかあまりやりたくない

でもその行為に「意味がある」とやりやすい

でもトイレ掃除をしたら100円あげる
では余り面白くないよね

自分が変わるストーリー
を生きるのは楽しいよね

女神様はそのストーリーを引き出す
あるいは動かす仕掛けだ・・・
って別にたねあかしみたいなことをしても面白くないよね

きっとその気になってやったんだね
そしてできるようになって
良かったと思っているんだね

お嫁さんになった(結婚なさったそうです、その後)
今では孝行の意味でトイレ掃除がんばっているのかな


と、遊んでいたらもうお風呂に入る時間になりました
お風呂にはどんな神様おるんやろ


※この記事に対するキリスト教神学的批判その他は受け付けておりません。あしからず。

2014年4月25日金曜日

(5)映画と神学2 : レイルウェイ 運命の旅路

「ゼロ・グラビティ」から大分経ってしまった。

連載が1で頓挫してしまったか、とご心配かけた読者にはお詫び。

実は「見てから」と思ったが、けちな性分で新聞に載っていたこの映画の試写会に応募していたのだ。
が、(当然の如く)当たらなかった。

で、またも見ずして紹介することになりました。
「見ずして紹介する者は幸いなり」とは聖書のどこにも書いてありません。あしからず。


映画製作に至る経緯も紹介されている映画オフィシャルサイト へどうぞ。

しかしこの実話を基にしたと言う映画、またしても戦争の『傷跡』というものの執拗さを思う。

第二次世界大戦は1945年に終わった。
しかしその『傷跡』は至る所、ばら撒かれ、尾を引き、

もちろん忘れようとする力もあり、また忘れまいとする力もあり、拮抗している中で『普通の時間』は経過して行き、今2014年はある。

この映画は「赦しと和解」というキリスト教神学のテーマを持っている、と言うことで、Center For Public Christianity (音声ファイル)で映画評がなされている。

主人公が「戦争捕虜尋問」で通訳をした永瀬氏を追跡し、ついに面会して「あの時起こったこと」のあるがままの意味、戦争捕虜に対する強制労働という『殺人』を認めさせる。

二人は後に友人となり、死ぬまで交信を続けたと言う。

ナンキン・アウシュヴィッツ・ヒロシマ・オキナワ・シベリヤ・レイテ・アッツ・ツールレーキ

世界中に散らばる戦争の『傷跡』を物語るストーリーは、非人道的戦争を潜り抜けて、非人間化された人間が再生するために、今も執拗にその『傷跡』の存在の承認を求めて追いかけてくる。

そして何度でもそれに対峙して、認識して、可能な限りの和解をして、私たちは前へ向かって生き延びていくのだろう。

2014年4月6日日曜日

(1)お金以外に何か意味あるもの・・・


Money or Meaning
人生の報酬は何か

"One-quarter of Yale graduates entering the job market were going into finance or consulting, and Keegan saw this as a surrender of youthful talents and dreams to the altar of practicality."
マリーナ・キーガンは優秀な成績を収め、イェール大を卒業してニュー・ヨーカーで著作業の道に入る夢を見ていた。

彼女が大学に入学した時には、誰も金融やコンサルティングをキャリアーに考えている同級生は見当たらなかった。

だが4年後その1/4は実利を求めて就職する。

そんな同級生たちを見ながら「人生の意味」を問うた本の原稿(彼女のノートパソコンに入っていた)が出版された。

それは彼女のボーイフレンドが運転する自動車が事故に遭い、彼女が死亡した後だった。
そのノートパソコンは壊れたが、ハードディスクが無事回収されて出版に至った。
Marina Keegan, The Opposite of Loneliness

※著名なニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフの記事から。

Her First, and Last, Book

2010年7月20日火曜日

結婚式と納骨式

昨日結婚式に出席してきました。今度の日曜日の午後は納骨式を司式します。

梅雨が明けて暑い日となった岡山。小さな教会でキャパシティーの倍くらいの列席者があると聞かされていました。さらに「岡山は暑い」と散々聞かされていました。それで「平服でご出席ください」の言葉に甘えて半袖シャツで出席することに。さらに扇子を用意し、お絞りも持参で・・・と準備万端のつもりでしたが・・・。

さすがに迎える側の教会もその辺の対策は十分に取っていました。冷房ガンガン、扇風機からの風が四方から。おかげで扇子の出る幕などなく、むしろ寒いくらい。想定外!

司式した牧師の式辞は「カナの婚宴」から三つの想定外。(内容省略)

食事会も含め外の暑さと建物の中の冷房に翻弄された結婚式でした。

まっ、それは別にして新郎新婦の前途の上に先ほどの式辞にもありましたが、「人生想定外をどう乗り越えていくか」二人三脚で取り組んで行って頂きたいと思いました。

そして今度は叔母の納骨式。既に前夜式と告別式を執り行いましたが、「土から出たものを土に返す」一連の葬儀を閉め括る式です。一週間のうちに人生の節目となる二つの式に列席・司式する筆者としては特段の人生の感慨など沸いてくるわけではありません。何しろ今は「暑さ」が意識の大半を占めていますから。

今心に思い浮かんでいるのは、結婚式で歌われた、2ファミリーによるゴスペルアレンジの「アメージング・グレース」 。特にその2節と3節の歌詞。(披露されたのは1節の歌詞でしたが。)

T'was Grace that taught my heart to fear.
And Grace, my fears relieved.
How precious did that Grace appear
The hour I first believed.



Through many dangers, toils and snares
I have already come;
'Tis Grace that brought me safe thus far
and Grace will lead me home.

作者ジョン・ニュートンの個人的体験が重ね合わされた歌詞です。
彼の回心まで、回心、そして人生を締めくくるその時まで、絶えず「恵み」が導いてきたこと、導いていることを証ししています。

旅を始める夫婦と、旅を終えた叔母。
彼らの人生に「恵み」があることを、あったことを、憶えます。