2017年3月25日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2017年3月26日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 マタイの福音書 6:5-15
説 教 題 「罪の赦しの宣言」
説 教 者 小嶋崇 牧師

主の祈りと実践(2)

2017年3月18日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2017年3月19日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「キリストの体として集る時」
説 教 者 小嶋崇 牧師


コロサイ(37)/パウロ書簡の学び(154)
 

「キリストにある」生き方⑥
 教えと諭しと賛美と感謝と頌栄  (コロサイ3:15-17)

2017年3月16日木曜日

(5)タカ牧師のRR 2017/3/16

以前「タカ牧師のセブン」というのをやっていました。
(別にもうやめてしまったというわけではありませんが・・・。)

最近筆者と年齢の近い友人と会食しながらの話題の中で「英語を読む機会が減った」みたいなのがありました。

彼らはビジネス畑の人たちで、英語のものを読まないわけではないのですが、それでもやはり「ビジネス関連」からトピックや記事を探すことが多いみたいです。

というわけで牧師でありながら(かなり激しい)雑食系である筆者が時々「これ面白いよ。読んでみたら」と(高い確率でネットからの)推薦記事をお約束しました。

これって「タカ牧師のセブン」のカスタマイズ版ですね。

それならこの際ブログにも・・・と思った次第。

推薦記事のポイントは:
英語記事
②ビジネス畑の人へ異視点を提供するような
(どちらかというと)中年男性が読みたそうな
を規準に選んでみます。

ところで「タカ牧師のRR」のRRとは、Recommended Reading、の略です。

さて最初の記事なのですが、ジャンルから言うと《メンタルヘルス》になりますか・・・。

中年男性の健康リスク問題の第一

The biggest threat facing middle-age men isn’t smoking or obesity. It’s loneliness.


ということだそうです。


良かったら皆さんもどうぞ。

総ワード数: 約2500
英語レベル: 中(5段階の2~3)

2017年3月11日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2017年3月12日(日) 午前10時30分

朗読箇所 エペソ人への手紙 5:6-20
説 教 題 「光の子として歩む」

説 教 者 小嶋崇 牧師

「真理」3


あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――
          (エペソ人への手紙5章8-9節、新共同訳)
 

今日のツイート 2017/3/11

東日本大震災から6年のこの日。

ですが、ツイートは何か反・緊張です。

駅のプラットフォームに「Seven Sisters」という看板が見えます。

シスターたちが何人いたのか知りませんが、看板に合わせて七人でフレームしたのかも分かりません・・・。

いずれにしても「偶然のなせるわざ」なのでしょう。

「Seven Sisters」とは何なのか・・・場所だとするとここではないかと思います。

2017年3月9日木曜日

今日のツイート 2017/3/9

デーヴィッド・コンドン(この記事でも紹介しました)が「ツイッター神学校」というのを始めました。


第一回目は合計50個のツイートです。

テーマは「伝統(tradition)」

主に北米における福音派の神学的動向を幾つかの主要な要素(「聖書無誤論」「文化戦争」)を軸に分析し、プロテスタントの「反・伝統」的な性格が(今や)伝統に傾斜・回帰し始めている「神学的現在地点」を捉えています。

そこで「伝統」とどう対峙するか、という問題提起にルドルフ・ブルトマンの「ケーリュグマ的視点」を参照しています。(ツイートでいうと#41~#50)

非常にコンパクトにまとめられていて参考になります。
※しかし筆者の個人的な印象から言うと、分析と現状把握(#6~#40) は優れていると思いますが、「ブルトマンの扱い方」(#41~#50)に移行するにはまだかなり距離があるように思われます。

いずれにしても、(筆者の勝手なレッテルですが)「ポスト福音主義」の若手神学者の台頭株の一人と目されるコンドンの「神学的問題の捉え方」は傾聴に値すると思います。

2017年3月6日月曜日

(1)あなたは「神学者」ですか?

(警告: これはかる~い読み物です。)

あるいは「あなたも神学してますか?」と言い換えてもいい。

でも誤解を避けるために・・・

 (1)「なぜこうなのか」と物事の由来や因果関係を考える時に「神」ファクターを(ある程度)当たり前のように入れて考える(意識する)

 (2)上記の思考習慣を職業的に専門的に行っている

と整理すると、(2)が「神学者」と呼ばれる人たちで、(1)がその他多くの方々、となるのではないか。

(1)は拡大解釈すれば特に「信仰」や「宗教」を持たない方も、時と場合によっては「神学している」ことになると思う。

(1)のタイプの方々の「神学的思考」は生活の隅々で発生したりもするが、時間をかけて工夫して考える(省察する)までに至らないので未発達・未整理のままということが多々あろう。

これに対して(2)のタイプの方々は様々な方面から浮上してきた「神学的問い」をその方々が属する伝統に蓄積された文書類を参照しながらそれらの問いを深め、関心を持つ方々にその成果を問う・・・ことを生業としていることが多い。
※英語の方の表現で、「神学者は(生きている人よりも)(神学書を残した)死んだ人々と仲良くしている人たちだ。」のような言われ方がある。

これ以外、つまり(1)でも(2)でもない方々は差し詰め「世俗主義」下の温室育ちで、意図的にそうしているのではなく、たまたま「神」ファクターが全く選択肢にない人々、ということになろうか・・・。
※そのような方が実際にいることを電話カウンセリングで知りました。