2016年2月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年2月28日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 ルカの福音書 11:1-4
説 教 題 「祈るときには」
説 教 者 小嶋崇 牧師

いのり(2)

2016年2月23日火曜日

今日のツイート 2016/2/23

「テクノロジーの進化」によって、最近こんなのが増えているのでしょうか・・・。

今日のツイート 2016/2/2は、ガリラヤ湖上歩行の再演でしたが、今度は「天井から病気の人をつり下ろす」エピソード(マルコ福音書2:1-12)の再現です。

(あのホィートン大学チャペルでの一コマ)

2016年2月22日月曜日

(5)現代の英語圏神学者④、ジョン・B・コッブ Jr.

実は「今日の散歩のお供」とでもして紹介しようと思ったのだが・・・。

最近シリーズものを次々始めて中途半端になりつつあるので自粛する。

でも「現代の英語圏神学者」のとするには少し「過去の人」過ぎると思っていたのだが・・・。

これを聞いて「えー、90歳で、こん生トークができるのか」、と驚いたわけである。



このプログラムなのですが、筆者は音声(mp3)ファイルを別な場所(HomebrewedXnty)でDLしてMP3Playerに入れて散歩する間聞いたわけです。(実はその話を聞いた教会のある方からはやめた方がいいですよと言われたのですが・・・。)

MCのトリップ・フラーは最近よく名前を聞くようになった人ですが、要するにポップ(ヒップ?)カルチャーに合わせて「神学」という堅いイメージのものを紹介している人ですね。

しかもかなりヘビー級な神学者も。

ジョン・B・コッブ Jr.のファン応援団長を自称しているくらいですから、ハンパではない思い入れがあるようです。(その辺も聞いていて面白い。)

一応プロセス哲学(A.N.ホワイトヘッド)やら、プロセス神学やらの話題になるわけですが、プログラム・タイトルが『いかにして近代形而上学は「神」を殺したか』となっているように、デカルトから始まる哲学史・神学史のすごーく簡単なストーリーにまとめています。

チャールズ・ダーウィンがデカルトと並んで「エポック・メーキング」な人物としてストーリーが構成されていて、他にヒュームやカントが役をつけられています。

しかしインタヴューの最初は最近刊の、Jesus' Abba: The God Who Has Not Failed
の紹介から始まっています。


途中面白く聞いたエピソードとしては:

(1) El Shaddai を Almighty God と訳した KJV は大変な損害を与えた・・・
(2) (上記の関連で)ジョン・ウェスレーは Almighty Godを使っていない・・・(注、コッブはメソジストノ神学者でもあります。)
(3) イエスの「神性」と「人性」を説明するのにギリシャ語の「ヒュポスタシス(substance)」を使ったのは間違いだった・・・(注、新約聖書学者のラリー・ハータードがほぼ同意のことをこのポッドキャスト で言っています。約3/4過ぎた辺り)

などですが、とにかくリベラル・サイドに整理して余り注意を払ってこなかったので、へー結構「分かること」言うではないですか、と再認識させられました。

トリップ・フラーが紹介の中で「エコ神学者のパイオニア」や「文化多元主義状況での神学を開拓した」とか評価していますが、やはり一目おくべき方なのかなと思わせられました。

2016年2月21日日曜日

(5)ホィートン論争、その3

シリーズ「その3」ということになります。

その1」では・・・
(1) 発端
(2) 大学当局(アドミン)指導部の反応
そして
(3) メディアによる論争の拡散
の序みたいなことを書きました。

その2」 では、(3) メディアによる論争の拡散として
1. マーティン・マーティーが事件を概観する記事
2. 大学当局処分を支持する記事
3. ホーキンス准教授と大学側がもっと意見を付き合わせるよう要請する卒業生の記事
の三つを取り上げました。

今回は最初に、以前「現代の英語圏神学者」 で取り上げたデーヴィッド・ガシーの分析と主張を見てみます。

彼はこの事件に関してずーっと関心もって、かなり批判的な意見を展開してきました。

ガシーはこの記事1で前置きしているように、何度もホィートン大学に講演者として訪れた、いわば「事情通」として意見を述べています。


それはずばり「恐れ」だということです。
It’s about fear.
My theory is that what Professor Hawkins really violated were the implicit but very real political preferences of Wheaton’s constituency, not the school’s explicit theological standards.
Nowhere in that doctrinal statement does it say explicitly that to believe Muslims and Christians “worship the same God” is out of bounds. It is certainly quite possible to argue either side of the issue today, from an explicitly evangelical perspective. Consider evangelical theologian Miroslav Volf, who defended Hawkins in a recent response to the Wheaton controversy and has long argued for the exact point that has her in trouble.

大学の支援者たちの政治的支持傾向がホーキンス准教授の発言に反応したのであって、彼女の発言の神学的内容ではないのだ、と見ています。

政治的支持傾向、とはつまり保守福音派の大半が支持する共和党のことになります。

ホィートン大学の支援者たちは、キリスト教保守派であり、政治的にも保守であるが、他方で一流大学としての立場を維持するため、優秀な教員を主にリベラル大学で博士号を取得した者たちを獲得しなければならない「ねじれ現象」を背景として今回のような事件が現れたのだ、と指摘します。



ガシーのように「政治的背景」で事件を読むのは一つのアプローチだと思います。

次回は「神学的論争」として事件に接近している記事を紹介してみたいと思います。

 

2016年2月20日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年2月21日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 2:1-15
説 教 題 「キリストのうちにこそ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(25)/パウロ書簡の学び(142)

2016年2月15日月曜日

(4)神学遍歴⑭

「マイ・コンプ」の続きをば。

しかし全部はいかに何でもやり過ぎと思うので

(1) マックス・ヴェーバーの歴史的比較宗教学アプローチ、と
(2) American Nationalism, 1880-1945 の文献リスト
を紹介して終わりにします。

(1) マックス・ヴェーバーの歴史的比較宗教学アプローチ
    1. Weber's comparative method has sometimes been accused of being inappropriate for Asian cultural settings. Has Bellah's Tokugawa Religion disproved this assertion?
    2. Has the modern development of religion in Asia since the time of Weber discredited his approach or reaffirmed it?
    3. Using Weber's classic attempt to compare the religions of India, China and that of Protestantism show how these studies illustrate a historical-comparative method. Mention what you find as the strongest point in Weber's analyses and what you find as weakest methodologically.
    4. How useful do you think Weber's "historical-comparative method" is for studies across cultures in the contemporary world? State what you consider to be the major adverse criticisms and positive evaluations of Weber, in each case identifying the view with one or more particular thinkers.
    5. Contrast the method of Jurgen Habermas as a historical-comparative method to explain the rationalization of modern society with that of: 1) Max Weber and 2) Michel Fouchault.
    6. At one point, R. H. Tawney accused Weber of substituting "theological determinism" for "economic determinism." Comment on the meaning of Tawney's charge. Provide a careful discussion of the extent to which you think there is validity to this criticism of Weber.
これらの質問の中から3、6、5、1を選びこの順番で答えていったわけである。

博士課程に入って何(誰)を一番読んだかって言えばマックス・ヴェーバーではないだろうか。べラーにしても、ハーバーマスにしても、ヴェーバーの「合理主義テーゼ(あるいは「問題群」ともいう)」はそれぞれの基本的問題意識として専門(ベラーは社会学、ハーバーマスは哲学)に取り組むときの「大きな射程」となっていたのではないかと思う。

余談だが、この段階では名前が出てこないが、当時もしチャールズ・テイラーの「世俗化テーゼ(問題群)」が出ていたら、きっと中心に取り上げたのではないかと思う。

(2) American Nationalism, 1880-1945 の文献リスト
   Alexander, Charles C. Nationalism in American Thought, 1930-1945. Chicago: Rand McNally, 1969.
   Arieli, Yehoshua. Individualism and Nationalism in American Ideology. Cambridge, Mass.; Harvard University Press, 1964.
   Burns, Edward McNall. The American Idea of Mission. New Brunswick, New Jersey: Rutgers University Press, 1957.
   Eastman, Fred. "Your Flag and My Flag, A Responsive Reading for National Holidays." Christian Century 48 (May 13, 1931): 651-2.
   Gabriel, Ralph Henry. The Course of American Democratic Thought. New York: Ronald Press, 1940.
   Handlin, Oscar. Race and Nationality in American Life. Boston: Little, Brown, 1957; reprint ed. Garden City, New York: Doubleday, Anchor Books, 1957.
   Hayes, Carlton J. H. Essays on Nationalism. New York: The Macmillan Co., 1926.
   Higham, John. Strangers in the Land. New Brunswick, New Jersey: Rutgers University Press, 1955; reprint ed. New York: Atheneum, 1969.
   Kohn, Hans. American Nationalism. New York: Collier Books, 1961.
   Manwaring, David Roger. Render Unto Caesar. Chicago: University of Chicago Press, 1962.
   May, Henry F. The End of American Innocence. New York: Alfred A. Knopf, 1959; reprint ed. Chicago: Quadrangle Books, Inc., 1964.
   Merk, Frederick. Manifest Destiny and Mission in American History. New York: Vintage Books, 1963.
   Niebuhr, H. Richard. The Kingdom of God in America. New York: Harper & Row, 1937.
   Noble, David W. Historians Against History. Minneapolis: University of Minesota Press, 1965.
   Nye, Russel B. This Almost Chosen People. East Lansing, Michigan: Michigan State University Press, 1966.
   Schlesinger, Arthur M. A Critical Period in American Religion, 1875-1900. Philadelphia: Fortress Press, 1967.
   Stokes, Aronson Phelps, and Pfeffer, Leo., eds. Church and State in the United States. New York: Harper & Row, 1964. PP.120-1 and 124-5.
   Takaki, Ronald T. Iron Cages. New York: Alfred A. Knopf, 1979.
   Tuveson, Ernest Lee. Redeemer Nation. Chicago: University of Chicago Press, 1968.
   Weinberg, Albert K. Manifest Destiny. Gloucester, Mass.: Peter Smith, 1958.
このペーパーは実際には「アメリカのナショナリズム」についての歴史的研究ではなく、ナショナリズムが全体主義国家を形成する兆候を見定めようとした試論的なものであった。

この段階では近現代アメリカ史の知識が少なすぎて、文献リストを見ても一貫性がないというか、絞れてないなーという印象を受けると思う。

米国ではちょうど大統領候補指名予備選の最中で、移民問題がクローズアップしているが、異なる時代に異なる人種や宗教をもとにした排斥運動が繰り返されてきた歴史があるので、この文献リストの中の John Higham のものなどはまだ現役で読めるものだと思う。

2016年2月13日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2016年2月14日(日) 午前10時30分

朗読箇所 創世記 4:1-16
説 教 題 「こころを治める」
説 教 者 小嶋崇 牧師

こころ(2)

2016年2月11日木曜日

(5)ホィートン論争、その2

(3)メディアによる論争の拡散

 「メディアによる拡散」という場合筆者の念頭には二つあって、一つは公的メディアである新聞等のジャーリズム、そして私的メディアとしてのブロガーたちである。

 この場合メディアを公的と私的と分けたとしても、ネットという「公器」上では、かなり相互浸透があったりして、読者側から見るとその境界はそれほど意識されない面があるかもしれない。

 筆者の読んだ範囲では、ニュース・ソースに近かったり、当事者意識の高いブロガーたちの書いたものは時に「中立」的報道より勘所を押さえていたりする。

 またネット・ジャーナリズムも、専門的な分析や意見を識者に依頼して寄稿してもらうわけで、全文掲載した記事であったり、「その人の視点」から書かれた分量が記事の大半を占めたり・・・という状況が出てくる。

 そんなことを前置きした上で、公的・私的を区別しないで、ランダムに「ホィートン論争」を取り上げて論じた記事を紹介していこう。

(1) アメリカのプロテスタント史及びキリスト教史の重鎮、マーティン・マーティー(シカゴ大)
 She thus waded or splashed into one of the muddiest issues of theology, dogma, doctrine, piety, and practice in Christianity. The Second Vatican Council (in the document Nostra Aetate 3) can be read as being on the professor’s side. Hawkins also can cite Protestant theologians like Yale’s Miroslav Volf, and many more.
 キリスト教諸派が他との違いをアイデンティティーとしてきた「泥海の諸要素」に飛び込んで(掻き回した)ほどの騒ぎを起こした・・・といった描写をしています。

(2) Wheaton Is Right: the Christian and Muslim Gods Are Different.

 読んで字の如し。ホーキンス准教授の軽率な神学的発言は大学当局が取った処分に値する、と処分を支持しています。

(3) 福音主義のアイデンティテイーに触れる論争

 ホィートンの卒業生ジョン・シュマルツバウアー
が、「北米福音主義は『境界に揺れる』アイデンテイテイー形成の歴史である」、という視点からホィートン大学の歴史を遡り(反ユダヤ主義のエピソードなどを含む)、今度の論争の位置づけを試みている。

As a Wheaton alumnus, I hope they can come to a meeting of the minds. Though I’m no theologian, I’m certain that Dr. Hawkins is well within the boundaries of American evangelicalism.

※さらに続く

2016年2月9日火曜日

(5)ロバート・オルターと聖書翻訳 or バークリーとユダヤ教コミュニティー

※フェイスブックに「カリフォルニアとヘブル語聖書」と題して投稿した記事を加筆して転載

米国遊学で最後に滞在した加州バークリー。

中西部から、東海岸を経てたどり着いた西海岸は「夢のカリフォルニア」とまでは行かなかったが、東海岸の「エスタブリッシュメント」の空気が気に入らなかった私には気持ちのいい場所だった。

それから遡ること17年、バークリーでは『レビ記』註解(アンカー)のジェイコブ・ミルグロム/Jacob Milgrom夫妻(奥さんの方はGTU)を中心にユダヤ教文化センター建設が始まっていた。



ロバート・オルター(Robert Alter)はその2年後、東海岸からバークリーにやってきて彼の「新しい」歴史のページが始まった。


英文学専攻のオルターにとって師となるミルグロム(名前は伏せて少し皮肉っている)のセミナーでの印象や、その後オルター自身が聖書翻と取り組むようになった経緯を綴っている
なかなか興味深い。

※ミルグロムの訃報・追悼記事と合わせて読むとバークリーとユダヤ教コミュニティーの背景がより分かる。
※ミルグロム教授の講義を受講したシェルドン・グリーヴズの回想記事を紹介しているブログ記事
このアラン・ジェイコブスの記事(First Tings、2005年8月号)では、聖書翻訳において「意味を置き換える様な翻訳が結果的に“説明的”になってしまう」翻訳の勘違いを紹介している。 
In criticizing the various “dynamic equivalence” models of translation, I lament what Robert Alter calls “the heresy of explanation””“the use of translation as a vehicle for explaining the Bible rather than representing it in another language, [which] in the most egregious instances . . . amounts to explaining away the Bible.”
このオルターへのインタヴュー記事
では、(旧約)聖書の英語翻訳で「プロテスタント神学概念」で“上塗りされた”テキストの意味を、よりユダヤ的(個物的、詩的等々)な表現を回復することを目指した、と述べている。
But I guess I am, as a translator, what in constitutional law would be called an “originalist.” That is, I want to try to convey in English what I think were the actual values and mind-sets of the ancient Hebrew writers, which is also, in the poetry, inseparable from the concreteness of their language and the compactness and rhythmic force of the poetry they wrote.

Jews as well as Christians have imposed very postbiblical theologies and concepts on the Bible, but these have often been articulated in commentary far more often than in translation, because through the centuries most (not all) communities of Jews were not dependent on translations of the Hebrew. In the English-speaking world, the versions of the Bible we have had have certainly been suffused with Protestant theology, and, as an originalist, I have tried to scrape all that away.
 
この動画はオマケということで・・・。余裕あったらどうぞ。



2016年2月8日月曜日

(5)ホィートン論争、その1

「ホィートン論争」といってもジャーナリスティックな見出しでそう言う風に言われているわけで・・・、筆者が論争っぽく書こうとしているわけではありません。


(1)発端
 遡ること昨年の12月、サンバーナディーノ銃乱射事件の影響で、北米でのイスラモフォビアが大統領候補指名選挙での度重なる過激な移民排除発言などにも煽られて過熱気味になっていた。

 そんなとき、待降節を迎えて何かそんな刺々しい状況に融和と和解のメッセージと行動を示そうとした一人の大学教師がいた。

 福音派のハーバードと呼ばれる、イリノイ州にあるホィートン大学の黒人で女性という二重にマイノリティーの背景を持つ、ラリシア・ホーキンス政治学准教授がその人だった。

 彼女はイスラムとのソリダリティー(連帯)を示すため、頭にヒジャーブ(スカーフ)を被り、教皇フランシスの発言も引用しながら、「クリスチャンとイスラム教信者とは同じ神を礼拝している」と自分のフェイスブックにメッセージを書いた。

(2)大学当局(アドミン)指導部の反応
 ラリシアのメッセージは大学指導部にたちまち危険信号となって伝わり、彼女は有給停職処分を受け、彼女の発言が大学の「信仰的立場」に抵触しないか審査する手続きに入る、という指導を受けた。

 しかしラリシアはテニュアー(かなり有利な雇用)待遇の身であったことから、彼女の行動や発言の是非とともに、このような大学側の一方的な指導に対する批判も各方面から沸きあがった。

※以上の経過を、神学的な問題へのコメントも合わせて掲載した初期の記事の中で、NPR (National Public Radio)の、
 Do Christians and Muslims Worship the Same God?
を挙げておく。

日本での報道は殆どなく、業界ニュースである<CJC通信>の、2016年1月12日付け記事「アラーとイエスは同じ神か?米大学で論議」が見つかるくらいである。
(3)メディアによる論争の拡散

 メディアでの論争の拡散について書く前に、筆者が最初にこの“事件”をやや自覚的に認識したのは、ツイッターでフォローしているTobin Grantが書いた記事(2015年12月16日)であったことを紹介しておく。

 トビンはホィートンの卒業生であり、政治学分野で活動している業界人として、この“事件”の動向の如何に格別神経を尖らせていた人物で、その後意を同じくする政治学業界の同窓生らを取りまとめて、ホィートン大学当局に「処分の見直しと和解を勧める」公開書簡(2016年2月2日)をウェブ掲載した。

 さてこの辺で「続き」とするが、この事件は残念ながらラリシア・ホーキンス准教授がホィートン大学を退職する方向で収束したものと報道されている。

2016年2月6日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年2月7日(日) 午前10時30分


朗読箇所 ローマ 8:31-39
説 教 題 「キリストの愛、神の愛」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

今日のツイート 2016/2/6

ツイート上ではこんな「ギリシャ語解読談義」もあります。

セフォリスとはガリラヤ地方の交易の中心として、またナザレにも近く(5-6キロ)、イエスにも大いに関わりのあったところと想像されている。

ギリシャ語のできる人は論議に参加してみてはいかが。

2016年2月2日火曜日

今日のツイート 2016/2/2

久しぶりの「今日のツイート」です。

がんばりましたね!