「メディアによる拡散」という場合筆者の念頭には二つあって、一つは公的メディアである新聞等のジャーリズム、そして私的メディアとしてのブロガーたちである。
この場合メディアを公的と私的と分けたとしても、ネットという「公器」上では、かなり相互浸透があったりして、読者側から見るとその境界はそれほど意識されない面があるかもしれない。
筆者の読んだ範囲では、ニュース・ソースに近かったり、当事者意識の高いブロガーたちの書いたものは時に「中立」的報道より勘所を押さえていたりする。
またネット・ジャーナリズムも、専門的な分析や意見を識者に依頼して寄稿してもらうわけで、全文掲載した記事であったり、「その人の視点」から書かれた分量が記事の大半を占めたり・・・という状況が出てくる。
そんなことを前置きした上で、公的・私的を区別しないで、ランダムに「ホィートン論争」を取り上げて論じた記事を紹介していこう。
(1) アメリカのプロテスタント史及びキリスト教史の重鎮、マーティン・マーティー(シカゴ大)
She thus waded or splashed into one of the muddiest issues of theology, dogma, doctrine, piety, and practice in Christianity. The Second Vatican Council (in the document Nostra Aetate 3) can be read as being on the professor’s side. Hawkins also can cite Protestant theologians like Yale’s Miroslav Volf, and many more.キリスト教諸派が他との違いをアイデンティティーとしてきた「泥海の諸要素」に飛び込んで(掻き回した)ほどの騒ぎを起こした・・・といった描写をしています。
(2) Wheaton Is Right: the Christian and Muslim Gods Are Different.
読んで字の如し。ホーキンス准教授の軽率な神学的発言は大学当局が取った処分に値する、と処分を支持しています。
(3) 福音主義のアイデンティテイーに触れる論争
ホィートンの卒業生ジョン・シュマルツバウアー
が、「北米福音主義は『境界に揺れる』アイデンテイテイー形成の歴史である」、という視点からホィートン大学の歴史を遡り(反ユダヤ主義のエピソードなどを含む)、今度の論争の位置づけを試みている。
As a Wheaton alumnus, I hope they can come to a meeting of the minds. Though I’m no theologian, I’m certain that Dr. Hawkins is well within the boundaries of American evangelicalism.
※さらに続く
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