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2019年5月15日水曜日

(4)レイチェル・ヘルド・エヴァンズ (1981-2019)

久しぶりの更新を「残念」な記事で行わなければならない。

この「大和郷にある教会」ブログで何度も取り上げたことのあるレイチェル・ヘルド・エヴァンズ[*]が5月4日テネシー州ナッシュヴィルの病院で亡くなった。37歳だった。
 *以前「エバンス」と表記していたが他出の表記と出来るだけ統一するため変更した。

この4月にインフルエンザに罹り、(治療のため服用した?)抗生物質に激しいアレルギー反応を起こし、脳に原因不明の発作(シージャー)が続いた。やむなく医療的昏睡状態に置いて様子を見ていたが、適切な処置を見い出す前に容体が悪化して亡くなった。

筆者が知ったのは5月5日の日曜日の朝。ツイッターのTLに「R.I.P. RHE(安らかに眠れ、レイチェル・ヘルド・エヴァンズ)」のようなメッセージが次々と流れてきた。

深刻な状況にあるらしいことはある程度分かっていたが、敢えて彼女のブログに上げられていた(らしい)夫のダンが行っていた続報更新を見ていなかった。

37歳での突然の死の報に、やはり愕然とした。

TLに溢れる「RHE(レイチェル・ヘルド・エヴァンズ)」へのメッセージを読みながら、間もなく自分なりのユーロジーのようなメッセージをツイートした。


……と書いてから10日が過ぎてしまった。

米国(のキリスト教界)ではかなり大きな出来事として受け止められているが、日本においては殆ど話題にすらなっていないようだ。わざわざこのような記事にまとめる意義があるかどうかこころもとないが、ある意味「エポックメーキングな人物」として当ブログに登場していただいたこともあり「追悼」の意も込めてアップする。

1. (北米の)エヴァンジェリカリズムの殻の問題

5月4日のツイート(↑)で指摘したことについて少し書き足す。

バイブル・ベルトで育ったRHEは最初は判で押したような保守的な福音主義信仰の持ち主であったが、父親(大学教員)の影響もあってか、かなりアグレッシブに自己の信仰を問い詰めるようになって行った。
その過程で信仰内容と言うものは「変化していく(evolve)」ものであることを次第に受容していくことになる。
その成長過程を著したのが『モンキー・タウンで進化する(Evolving In Monkey Town)』である。

ブロガーとして著者として多くのフォロワーたちの相談相手となったりするうちに、RHEはネット上で注目度を高め、次第に福音派における若年層のオピニオン・リーダーとなっていく。
しかしその求心力は単に「意見や見方が同じ」とか「親近感」とかに留まらず、上手く自分の意見を言ったり理解してもらえないで孤立感を持っていた若者たちに「自分をオープンにすることができる広場」を提供するオーガナイザー・ファシリテーターとしての役割に負うところが大きかったように思う。
つまりRHEのファロワーとは、RHEの信仰的意見や生き方に共鳴したり同意しているからというよりも、そこ(主にブログ)に「自分を開く場所」「自分を受け入れてもらう場所」を得ているからなのだろうと思う。

そのような役回りを引き受けるにはRHE自身がくぐってきた「信仰進化(evolving faith)」の経験がやはり大きくものを言っているのだと思う。
フォロワーたちはそこに安心感を覚え信頼を寄せるのだろう。

成長期の若者が、正直に信仰その他について自分が抱いた疑問や不満を聞いてもらったり相談したり、また他人と意見交換したりというような環境がはたして「(北米の)エヴァンジェリカリズム」にあっただろうか、という問題が実は大きく横たわっていたように思う。
言ってみればそれら若者たちの心や頭の中でふつふつと湧き上がってくる悩みや疑問を受け止める柔軟性に「(北米の)エヴァンジェリカリズム」は大いに欠けていたきらいがある。
ともすると正統的信仰に対する「挑戦」「不信仰」「不従順」等ネガティブなものとして片付けられてしまう面が多分にあるように思う。
成長期の若者たちの信仰を仮に「新しいぶどう酒」にたとえると、「(北米の)エヴァンジェリカリズム」という「革袋」はやや古く固くなっていて、(彼らの疑問に柔軟に対応するよりも)裂けるのを抑えるのに必死、というような状態なのではないかと思う。

そういう状況でRHEがそのような傷つきやすい(vulnerable)若者たちの感性を受け止めて応対したからこそ、死後にあれほど多くのトリビュート・ツイートが発せられたのだと思う

いずれにしても「(北米の)エヴァンジェリカリズムの殻の問題」を
RHEほど鋭く指摘し追求した人物はいないのかもしれない。 

2.世代間のずれは「意見の違い」なのか「感性のずれ」なのか

以下に参考までに「プログレッシブ福音主義なRHE」に対して「保守的な福音主義」の立場から「見解の相違」として書かれたふたつの記事を紹介したい。
一つはエド・ステッツァーでもう一つはロッド・ドレアーである。

エド・ステッツァー
Reflecting on Rachel: Why She Mattered
(以下の引用箇所にあるようにステッツァーにとってRHEはなかなか手ごわい相手であったようである。)
The problem is, failure to listen can make one tone deaf. Rachel was always trying to break into our echo chambers. I did not always like when and how she did it, but dismissing her in favor of the sounds of our own voices was not always the right choice.

But, Rachel was not satisfied with the evangelicalism of her youth, and our direct messages reflect that divergence. (Perhaps ironically, I started my faith journey in the Episcopal Church and ended up a conservative evangelical. She started as a conservative evangelical and ended up an Episcopalian.)
ロッド・ドレアー
Blaspheming St. Rachel Held Evans
※この記事は「追悼」として書かれたのではなく、クリスチャニティ・トゥデー誌上でエド・ステッツァーの追悼記事の後に掲載され(そして批判を受けてすぐに削除され)た、ジョン・ストンストリートを擁護するとともに彼を非難したRHEシンパたちの「言論封殺」的な結果を憂慮する、といった感じで書かれたもののようである。
タイトルに「聖レイチェル」としているように、RHEの不慮の死後数日で批判めいた意見を含む追悼記事を書いたジョン・ストンストリートはそれほど批判されるべきだろうか、と保守派の論客ロッド・ドレアーの「プログレッシブ福音派」に牽制の意味が込められているようだ。

これらの記事を読んでみて思うのは、やはり福音派の保守(ジョン・ストンストリート)とプログレッシブ(RHEやジョンの追悼記事を非難した盟友のサラ・ベッシーなど)とのあいだには単なる見解の相違では済まない「世代的な感性のずれ」があるだろう。
それは一言でいうと「どちらが正しい意見を持っているか」に関心がある人と、「(どんな意見の人でも)受け入れる」ことに関心を向ける人、との感性の違い、と言うか人としての基本的態度の違いかなと思う。


たとい意見の相違が深刻であっても、それは置いておいて先ず受け入れようとする受容的態度が先行するのか、それとも原理原則に関することで自分と意見が異なる者には譲歩せず批判し拒否することを辞さない、ことを身上とするのか、と言うような違いである。

どうも保守派は往々にして「意見の正しさ」と言うことに対する(若者たちから見ると)過度の潔癖主義・完璧主義のようなものがあるようで、その雰囲気がひしひしと若者たちに伝わり、自分たちの疑問を心の中で押し殺す「(北米のエヴァンジェリカリズムの)殻」となっているのではないか。RHEは果敢にその殻を破ることで若者たちに「息つくスペース」を提供してきたのではないか。

RHEはこの「感性のずれ」が保守派が想像するよりはるかに大きな「福音主義者の文化」の問題であり、それらの総体のようなものが「(北米の)エヴァンジェリカリズムの殻」それも「固い殻」となって若者たちを息苦しくさせ、(殻を破るのをあきらめて)脱出させてきたのではないか、と指摘してきたのではないか。

この指摘を多少なりとも支持してくれそうな記事をランドル・ラウザーが書いている。
Christianity Today and its Ironic Tribute to Rachel Held Evans
Rachel Held Evans didn’t “usher the vulnerable into her doubts”. Rather, she gave them permission to be honest about the doubts they were already having. In a world where Christians like Mr. Stonestreet are ever ready to censure hard questions and honest doubts with the stentorian warning of “grave error”, Rachel Held Evans invited others to learn from her struggles so that they could work through their own.

2016年1月20日水曜日

(4)神学遍歴⑬

GTU (Graduate Theological Union) のことについて書くのがこれで4回目だろうか。

もはや時系列で繋ぐのもままならぬほど間隔の空いた投稿となってきた。

いきなりかどうか分からないが、今回はComprehensive Examinations(通称「コンプ」と呼んでいる)という、博士課程での第一関門について書く。(一回では終わらないかもしれないが)

解説は後にして「マイ・コンプ」を掲げてしまおう。 
I. Theories on the Symbolic Dimension of Social Reality: A written examination investigating recent theories on symbols and their relation to society.
II. Max Weber's Historical-Comparative Method: A written examination covering selected writings of his sociology of religion and its applications and critiques by more contemporary authors.

III. American Nationalism, 1880-1945: A major paper focusing the general historical-cultural background of a symbolism of "redeemer nation'' and its role in the period, 1880-1945.

IV. Japanese Nationalism, 1890-1945: A major paper investigating the formation of the political ideology of Tennosei called Kokutai ("national constitution") in relation to the political and intellectual conditions of the period (1890-1945) in which it was being shaped.

V. The Problem of the Modern State: Contemporary Approaches of Protestant Theology and Political Philosophy. A written examination on several major Protestant theologians' and political philosophers' reflections on selected issues of the modern state, especially totalitarianism.

筆者の場合は5つのうち4つが集中領域である「宗教社会学」関連、残る一つが選択領域となった「社会倫理」を試験するわけである。

この段階では博士論文の先行思索として論文の主題となりそうな分野やサブ・トピックを選んで論文試験とするのが普通だ。

I. Theories on the Symbolic Dimension of Social Reality

はプリンストン神学校でギブソン・ウィンター教授から学んできたアプローチである「社会的現実」を象徴解釈から接近するための理論的基礎構築に資するもので、結果的にはかなりエクレクティックな文献選別になったように思う。

試験のやり方は提出した文献リストに従って読み込んで準備しておき、試験日に試験委員会が作成した質問の中から適当なものを選択して解答する。

試験時間はもう忘れてしまったが3-4時間くらいであったと思う。

その場で鉛筆で書いたものを後日タイプして提出する。

それで、「試験委員会」について説明しておくと、自分のコンプ委員会を適切な教授を選んで依頼するわけである。

GTUの場合はPH.Dの場合は通常5人の委員のうち、最低一人はカリフォルニア大バークリー校の教授が入っていなければならない。

筆者の場合は日本の明治期がテーマに入っているので、思想史が専門のアーウィン・シャイナー( Irwin Scheiner)教授にお願いした。

シャイナー教授は多少神経質な感じの方で、あまり親しみやすい方ではなかったが、引き受けることに関しては別に逡巡もなかったと記憶している。

さてどんな質問が出され、どれを選んで解答したかだけ紹介しておこう。
(※質問はGTUの3人が二つずつ提出した
CHOOSE 4 questions to answer from the following:
1. Considering the variety of theoretical positions covered in your bibliography regarding
the symbolic dimension of culture, which two positions are, in your opinion, most
different from one another?  Can they in any way be reconciled?

2. The theoretical significance of praxis is usually traced to the influence of Marx. What
other historical and theoretical roots does it have?

3. Jurgen Habermas distinguishes between systemic and life-world aspects of societies.
How do these differ as symbolic realities? What does the "colonization of the life-world by economic and political administrative system say about the "independent" power of
symbolic resistance in the modern world?

4. Durkheim refers to society as one-vast network of symbols. What did he mean by this?
Contrast his view of collective representations with Weber's understanding of society.

5. Clifford Geertz has written: "a religion is (1) a system of symbols which acts to (2)
establish powerful, persuasive and long-lasting moods and motivations in men by (3)
formulating conceptions of a general order of existence and (4) clothing these
conceptions with such an aura of factuality that (5) the moods and motivations seem
uniquely realistic."
    a. Discuss the understanding of "symbol" Geertz is using and contrast Geertz's
view with that some other thinker.
    b. How, in Geertz's perspective, is religion related to social reality?
    c. Comment critically on the way Geertz relates religion, symbol, and social
reality from 1) a Marxist perspective (Habermas or some other) and 2) from a Christian
perspective (Niebuhr or Tillich).

6. Write brife essay on the contributions of the thought of Alfred Schutz to the Jurgen
Habermas of The Theory of Communicative Action.
筆者が選んだのは、1,2,3,5だった。

(答案は全ワード数3000弱程度。なかなかタフな試験だったと記憶している。)

(続く)

2015年5月6日水曜日

(4)神学遍歴⑫

さてさて、最近このブログの更新ペースが急進しているが、あくまでたまたまです。

すぐペースダウンするでしょう。


前回神学遍歴の記事を書いたのは、1年以上も前のこと。大分時が経ってしまいました。

Graduate Theological Union 時代のこれが3回目の記事になるようです。


(1)宗教社会学

 既に『神学遍歴⑩』でも書いたが、筆者が入ったのは「第IV領域」と呼ばれる、《社会倫理》と《社会理論》を専門とする分野だった。

 前回は「社会倫理」部門のコアコースである「西方教会社会倫理教説史」を紹介した。

 もう一つの部門「社会理論」は、主に「宗教社会学」入門のような形で入って行くものだった。

 現在は宗教社会学というと、社会学の“一分野”とみなされることが殆どだと思う。

 しかし社会学の祖として挙げられる3人、カール・マルクス、エミール・デュルケーム、そしてマックス・ヴェーバーは(マルクスを除いて)いずれも「社会の中心に宗教をおいて」社会の近代化を分析した。

 つまりデュルケームやヴェーバーにとっては、宗教社会学が社会理論の中核にあった、といえる。


 1980年代前半当時、神学校で「宗教社会学入門」コースに使われたテキストを紹介しておこう。

 教授はイエズス会士で、加大バークリー校のべラー教授の下で博士をやった人であった。

 記憶に残っているテキストは、
  ・Gregory Baum, Religion and Alienation: A Theological Reading of Sociology.
  ・David Martin, A General Theory of Secularization
  ・Andrew Greeley, Unsecular Man: The Persistence of Religion.

あたりかな。

(2) 学術会議(アカデミック)的なこと

 博士課程の学生は学業だけやっていればいい、だけではないことを間もなく知った。

 前回も、「第IV領域」のコア文献確定作業について書いた。

 教授も学生も一緒になって、「自分たちの専門領域の性格と範囲」を、「誰の」「どの文献」を重要とするかを検討しながら、形作る作業をしていたわけだ。

 その他の事案としてよく覚えているのは、博士課程の入学志願者選定作業だ。

 それは教授の専権事項、と思いきや、志願者の履歴・実績・希望等を、学生も教授たちと一緒に討論するのだ。

 もちろん最終選定には学生は関与しないが、色々意見は求められた。

 たまたまその年(筆者が入学してから2年目か3年目)は、候補者の中に日本人学生が入っていたが、TOEFLのスコアが少し低く、学業が成り立つかどうか、意見を求められた。

 一人の人の将来に関わることなので、緊張して意見を述べたことを思い出す。(その後日本人の学生はなかったので、もしかしたらだめだったのかもしれない。)


宗教社会学関連、という事で思い出したことを書いておこう。

鹿児島ナザレン教会の久保木牧師が

ジョン・ポール・レデラック著『敵対から共生へ』を読んで、紛争に向き合う勇気をいただきました..
という記事で以下のようなことを書いていた。
conflict(紛争、対立)がギフトであり、平和へのプロセスとして扱っている
良書です。

訳文がわかりにくい、ということを書いたのですが、
具体的にいうと、こんな文章です。
現状把握への記述的(descriptive)営みの中で、変革に気づ かせてくれるのは、私たち個々人は悪い意味でも良い意味でも、衝突によって影響を受けるということです。衝突は、私たちの肉体的な健康、自己の尊厳、感情 の安定、正しい洞察、全人的霊性の統合に影響を与えるのです。

処方的(prescriptive)視点で捉えるなら、変革とは、慎重に計画された干渉であり、それによって社会的紛争の破壊的な影響は最小限に抑えられ、個人の肉体、感情、霊的レベルで、成長する可能性が最大限に広げられます。
(ジョン・ポール・レデラック著「敵対から共生へ」23頁)
というものです。

以前この記事を読んだ時、記憶に残って、そのうち何か書こうかな・・・と思ったのは「記述的(descriptive)」と「処方的(prescriptive)」との違いと関連についてでした。

おおよそのことは類推がつきましたが、だからと言って言葉/概念の説明だけではイマイチ分からないだろーな、と思ったのでした。

今回「宗教社会学」について書いたことで、この「記述的(descriptive)」と「処方的(prescriptive)」のことを改めて思い出しました。

それは社会学(宗教社会学も含む)と言うものが辿った歴史と関連付けて、少し比喩的にですが、説明できるものではないかと・・・。

経済学もそうですが、社会学は道徳哲学から分岐独立した学問です。
※プラトンの『国家』やアリストテレスの『ニコマコス倫理学』 が社会学の(古典)テキストとして読まれているかどうかで、その社会学の「被写界深度」も測れよう、というもんです。

その後自然科学との対比で、「科学」としての自立性・自律性を獲得するために、《記述的性格》と《予測可能性》と言う科学と呼ばれるに相応しい二つの性格を追求します。

まあここで話題にした《記述的》と言うことが出てくるわけですが・・・。

科学的なステータスを獲得するには「客観性」を証明しなければならない。

そのために「(主観的とされる)価値判断を入り込ませない」と言う原則を方法論的に確立しなければならない。

そのようにして、社会学的事象を「(因果関係で説明できる)法則的な関連」で叙述することを目指したわけですね。

言わば自然科学に似せて、社会学の観察対象を客観的に「記述」できる事象とみなしたわけです。


ここまで書いて、かなり「脱線」したように思います。
(風呂敷を広げすぎたので中断。 )

要するに「記述的(descriptive)」と「処方的(prescriptive)」と言う違いは、ある事象・対象への「対応の2モード」だ、と言うことを社会学を例にして説明しようと思ったのです。

「記述的」・・・とは「観察モード」であり、観察した事象を(できるだけ客観的に、あるがままに)記述する方の対応の仕方です。

「処方的」・・・とは「介入モード」であり、観察した事象を一定方向に「変化させる」ための助言・指示をする時の対応の仕方です。

社会学では「処方的」の代わりに「規範的(normative)」とよく言いますが、健全な社会のあり方を「基準」として持っていることによって、社会を観察し、様々な社会問題を「症例」に分類・整理して「診断」し、それへの対応策を「処方」する・・・とかなり強引に「病理学的」社会学の機能をたとえると、そう言うイメージになります。


さて、レデラックの本ですが、筆者はこの本読んでもいないし、持ってもいないので、それ以上のことを言うにはちょっと憚られると思ったので、ネットで見てみたら、本の要約を掲げたサイトが見つかりました。

一通り目を通してみたのですが、どうも「関係対立診断及び処方(conflict management)」とも言うべき、「知識とスキル」が「対立」と言う実際局面に集中して寄せ集められた「現代的専門家」然としていますね。

レデラックはさらに、そのようなまだ発展途上の「知識とスキル」の集合体に、メノナイトの「平和の神学と実践」を繋げて、独自に理論展開しているようです。

このサイトに要約されていることは、殆ど「概念的な理論構築」に終始しています。

その真価は「個別具体ケース」に適用されて判断され、さらに理論にフィードバックされて精度向上を増すべきものと見えます。

先ほどの久保木牧師の引用の原文は
From a descriptive perspective, transformation suggests that individuals are affected by conflict in both negative and positive ways.
For example, conflict affects our physical well-being, self-esteem, emotional stability, capacity to perceive accurately, and spiritual integrity.

Prescriptively, (i.e., relating to what one should do) transformation represents deliberate intervention to minimize the destructive effects of social conflict and maximize its potential for individual growth at physical, emotional, and spiritual levels.
となっていますが、これは「対立」が関わる「状況」の『パーソナル』な側面についての説明で、以下『関係的』『構造的』『文化的』側面が挙げられ、それらの側面について一つ一つ、「記述的(descriptive)」と「処方的(prescriptive)」の両方からコメントされています。

「対立」 を単に「管理する(マネージメント)」のではなく、「変革する(トランスフォーム)」視点から捉えるのは、メノナイトの平和構築神学からは真っ当なものだとは思うのです。

このサイトでは「聖書的」「神学的」洞察からくるものは殆ど明示されていないようです。

もし(例えば)牧師が「変革的なヴィジョン」としてこのような「実践的な理論」を援用するのであれば、やはりキリスト教的、神学的「人間論」そして「教会論」としっかり繋いで行く必要はあるように思います。

そうしないと、何が「ミニマイズ」すべき「社会的対立から来る破壊的影響」なのか、あるいは何が「マキシマイズ」すべき「個人的成長への潜在的要素」なのか、判断が明瞭にならないのではないでしょうか。
次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。

まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。

あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。

それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。
(以上、新約聖書・コリント人への手紙第一、11章17節~20節、新共同訳。強調は筆者。)


2015年4月6日月曜日

(5)現代の英語圏神学者①、スタンレー・ハウアーワス余録

このシリーズのトップバッターに「スタンレー・ハウアーワス」を選んだら、MH氏から以下のようなコメントとリクエストをいただいた。
ハウアーワス教授とペアで語られることが多いヨーダー先生、また、ハウアーワス教授・ヨーダー・ブルッゲマンの3しゃにかんするTaka牧師の整理が聞きたかったりして。

と言うことでどこまでできるかやってみましょう。

先ずは情報の少ない「ウォルター・ブルッゲマン(あるいはブリュッゲマン)」から・・・。


「ウォルター・ブルッゲマン」で記憶の糸を辿ると、アズベリー神学校時代のレイマン(Fred. D. Layman)教授の「聖書神学」クラス付近の記憶領域に入る。

神学遍歴⑤で『中間時代の神学』クラスについて書いたが、教授の名前は書いていなかった。
恐らくその時点でも忘れていたのだろう。

今回この件で名前を思い出そうとして一苦労した。レイマンを最初Lehmanで検索したのだが辿りつかなかった。

しょうがないので「こう言う機会だから、旧い講義ノートでも探してみてみよう」とあっちこっちひっくり返したら、何とか見つかりました。

『中間時代の神学』で書いたように、その頃の記憶では何と言っても「James Muilenburg」の印象が強かったようです。

(と、この時点ではまだ繋がっていないのですが、実はJames Muilenburgはウォルター・ブルッゲマンの師匠なのです。後ほど紹介。)

BT605: OT Theologyクラスでは、レイマン教授が指定した専門雑誌等論文から選んで、「梗概(シノプシス)」を書く、と言う課題があり筆者が選んだ中に、ブルッゲマンもマイレンバーグも見つかりました。
Walter Brueggemann, "The Kerygma of Deuteronomic Historian." Interpretation, vol. 22, no. 4, pp.387-402.
James Muilenberg, "Imago Dei." The Review of Religion, vol. 2, no. 4, pp.392-406.


さて、アズベリー時代に筆者はウォルター・ブルッゲマンをどう評価していたのか・・・。

簡単ですが、「まだレーダーの外の方」だったように思います。

かと言って無視していたわけではありません。
恐らくこの時期にThe Prophetic Imagination (1978年のペーパーバック初版)を購入していますから、それなりにその後の活躍を予感していたのかもしれません。

ヨーダーのThe Politics of Jesus (1979年のペーパーバック第6版)もこの頃買ったと思われますが、ヨーダーの方が「どう整理していいのか困る」と言う点では一枚上手だったと思います。



※せっかくですので、お世話になったレイマン教授のネットから入手可能な論文を紹介しておきます。


ウォルター・ブルッゲマンはNYのユニオン神学校で神学博士を修めますが、その指導にあたったのがジェームズ・マイレンバーグ教授でした。

なかなかの名物教授だったようで、アメリカの最も著名なキリスト者著作家の一人、フレデリック・ビークナー(Frederick Buechner)が「満杯の教室でまるで旧約聖書の世界がそこに出現したかのように“演じる”マイレンバーグ教授がいた」頃のことを回想しています。


※(興味のある方に)ブルッゲマンがビークナーをインタヴューしている動画


どうやらヨーダーのことを続けて書くには長い記事になってしまいましたので、「続編」で取り上げることにいたします。

2014年6月16日月曜日

(5)ジョージ・スタイナーと由良君美

 先日、粉河哲夫について投稿した。

 その時「検索していて」出遭ったのが、文学批評を専門にしているらしいqfwfqの水に流してというブログ。

 そのブログのスタイナーの続き、あるいは由良君美と山口昌男(2012年6月23日)と言う記事に粉河がコメントを寄せている。
・・・スタイナーの加藤批判は、ある意味で岩波・朝日文化人の硬直さを鋭く指摘しており、論争を仕掛けることになった由良さんは、このときばかりは、してやったりという顔そしていました。・・・
これに対してブログ主(服部と言う方なのか)はこう切り返す。
・・・やっぱりね、由良君美も人がわるい。スタイナーこそ、いい迷惑でしたね。・・・
筆者がR大学で「ひたすら勉強しない」努力を傾けていた時、後に彼方米国遊学中に勉学・研究のため関心を持つことになる加藤周一等「日本の現代知識人」の思想状況を垣間見せる、「スタイナーと加藤周一の口論」構図は以下のように描写されている。
 ときは1974年、パリ五月革命後の急速に沈滞してゆく西欧の反体制運動の気運のなかで、コミュニスムの理想はいかに実現可能かをめぐって、ふたりは鋭く対立した。スタイナーのペシミスムにたいする加藤周一のオプティミスム。むろん、加藤周一のオプティミスムは、「英知においてはペシミスト、だが、意志においてはオプティミストたれ」とグラムシのいう「意志としてのオプティミスム」である。
先のコメントによると、どうやらこの「口論」を演出したらしい由良君美なる人物に関心をそそられた。

 ネット検索して見ると、粉河哲夫ほどではないが、 由良君美も至って「マイナー」な存在に見える。しかしやはり「加藤・スタイナー」が日本で公開討論するのを仕掛けた人物としてもっと知りたい。

 と言うことで昨日図書館から借りてきたのが、四方田犬彦「先生とわたし」 だ。先生とはもちろん四方田にとっての先生であった由良君美のこと。

 いやー、なかなか面白い。筆者が不勉強を通しているほぼ同時期に、非常な知的興奮を覚えていた人たちがいたのだ。

 しかしそれは「東大」であったからではなく、多分にこの東大にあっては異色の「教養人」、由良君美に負っているのが読んでいて伝わってくる。

 四方田が研究の進路を「宗教学」(その頃東大では柳川啓一教授が面白かったらしい)の方に取ろうとしていたのを由良は推したのだと言う。

 また由良は四方田たち学生にエリアーデを読ませていたらしいし、四方田には個人的に北畠親房の「神皇正統記」を「隠れた」比較神話学のテキストとして紹介したとのこと。


 と、ここまで書いてきてタイトルに挙げた「ジョージ・スタイナー」についてはまだ何も書いていないのに気付いた。

 スタイナーを最初に耳にしたのは何時だったか。すくなくとも「ちゃんと知った」のは、プリンストン神学校でのダニエル・ジェンキンス教授の「神学と言語」みたいなタイトルの講座だった記憶している。

 その講座ではテキストの一つに使われたのが、Gerhard Ebeling, Introduction to a Theological Theory of Language、だったが、副読本に挙げられていたのがGerge Steiner, After Babel: Aspects of Language and Translation、だった。

 ジェンキンス教授は英国の親バルト神学者で、この時は客員で教えていたのだ。(ベン・マイヤースのこの記事が少し参考になるか・・・。)

 何はともあれ、ペーパーバックの大著に見えたスタイナーの『アフター・バベル』にはかなり気圧された感じで、結局手をつけていない。


 しかし「先生とわたし」と入れ替えに返却した『知の○○○○○○○』(ヒント、○はすべてカタカナ)は期待とは逆につまらなかった。

 日本の人文系の若手たちが思想史から中世・ルネサンス期を見直す論文を書いているのだが、「パトスがない」、というか一様に「のっぺり」していて気味が悪い感じがした。仕掛け人(らしくある)のH・Hは一体何をどうしたいのだろう・・・と思ったのだった。

[追記]
Daniel Thomas Jenkins (1914–2002)については、Oxford Dictionary of National Biographyの項を参照。 上記「客員」と書いたが正確には「3年間契約」での教授職だったらしい。

2014年5月11日日曜日

(5)トマス・C・レーマー教授講演会・補遺

先日の記事「トマス・C・レーマー教授講演会」を途中退席して何をしたのか・・・。

早い話がもうお昼だったので昼食です。

が、ICUの千葉眞教授と一緒。

千葉さんとはプリンストン神学校で一年一緒だった。

今回はついでではないのだが「久しぶりの再会」 とあいなった。

かつて千葉さんからはジョージ・B・ケアード「新約聖書神学」(ここ参照)を贈られて痛く開眼したのだが、久しぶりに会うのを良い機会に、「なぜこの本をくれたのか」聞きたかったのだ。

「いやー、ケアードは僕がオックスフォードいた時のメンターだったんだよ。ゼミや祈り会や色々お世話になって・・・」
「えー、そうだったの!」

故ケアード教授はN.T.ライト教授の博士論文指導教官(途中で亡くなったのだが)、そのライトは千葉さんと年もそう違わないのでもしやと思って聞いてみたが、ライトとはぜんぜんクロスしなかったそうだ。

多分数年開きがあったのだろう。


許された時間は約90分。瞬く間に過ぎた。

最後はオフィスへ。

しばらくぶりに見るオフィスは「本の山」。

早速レッドカードを出させていただいた。

帰りはお土産の本や最近千葉さんが書いた論文のコピーなど沢山いただいた。


下の本「未完の革命としての平和憲法」は会う前に地慣らしということで図書館で借りた本です。

ルカによる福音書」はオックスフォード時代からの千葉さんの親友、故藤崎修氏翻訳になるもの(教文館、2001年)。

二十一世紀と福音信仰」は論文集。千葉さんの「救いの証」から始まる主に神学的な著作。

暫く会わない間に色々あったらしいが、そこはお互い様。

今後はもっと会う機会を増やそう。

2014年2月11日火曜日

(3)神学遍歴⑪

さてGTU時代のことを話し始めたのだ。

ところでGTUと言う余り名前を聞かない学校のことを紹介しているブログがあったので紹介しておこう。
アメリカ神学校留学ガイドブログ・GTU編

筆者の指導教官となった方を敢えて名前を出さずに書き進めよう。
(別に恨みはないのだが、多少不満は感じていたし、今でも余り良い思い出とは言えない。)

彼はカリフォルニア大学バークリー校の社会学で、(多分ロバート・ベラーの指導で)博士を取った。
インド地域研究と「宗教と暴力」をテーマに業績を上げて今はかなり有名になっている。
9.11以降、メディアでコメンテーターとしてもよく出てくる人だ。

今ははっきり覚えていないのだが、その頃(1982年)はGTUのオフィスはまだ小さな建物の中にあり、彼のオフィスはその屋根裏のような階にあったように思う。

とにかく忙しい人で、盛んに動き回っていた。
GTUの先生と言うより、バークリー校で教えている方が多かったかもしれない。
何しろリベラルな大学だから、彼はなかなか生徒たちに人気があった。

そんなことでこちらはなかなか遠慮してコースワークへの指導や相談などを持ち出すのが段々億劫になった。

彼がGTUで教えていたコースで記憶に残るのは、「比較宗教倫理学」と「ガンジー」のクラスだった。
前者は教科書はプリントアウトで、今は手元に残っていない。

後者のクラスで使った教科書(しかしちゃんと読めなかった)で、ジョアン・ボンデュラントのガンジーの政治哲学(権力との対立に関する実践理論)を扱った、Conquest of Violence: The Gandhian Philosophy of Conflict がある。

邦訳はされていないようだが、所謂ガンジーの取った「非暴力抵抗」をサッチャグラハ(真理把握)の視点から分析したものである。

その中で「犠牲の要素」がサチャグラハの実践として指摘されている。
理性的な議論では相手に通じない時、コンフロンテーションにおいて受苦を選択することになる。
それ(一種のショック)によって相手の視点を変え、抗議する側の道義に気づかせる役割を果たす、と分析されている。

昨年国会議事堂周辺を「特定秘密保護法」成立反対をするデモ隊を「テロリスト」呼ばわりした方がいるが、この辺の「抗議活動」における「暴力」あるいは「犠牲」の解釈は結構近いものがあるのかもしれない。

もちろん物理的な暴力を行使するのは主に権力側だが、自爆テロのようなケースや、チベット僧侶の焼死自殺による抗議は、犠牲と(自分の肉体への)暴力との二面があるのではないかと思う。

都知事選が低投票率に終わり、議会制民主主義の停滞を感ずる中、ガンジーのような非暴力抵抗によるコンフロンテーションによって「真理」を把握する、と言う実践は示唆があるだろうか、少し思いを寄せる機会になった。


2014年1月23日木曜日

(4)神学遍歴⑩

たまに書いている「神学遍歴」であるが、暫く更新していないので、どこまで書いたやら・・・と繋ぐのに一苦労。

どうやらプリンストン神学校時代が終わって、GTUに入るところだ。

簡単な経緯は
先生の横顔(4)
先生の横顔(5)
で書いたが、いささか簡単すぎたようだ。

そもそも日本においてはGraduate Theological Unionと言っても知名度がないのでお話にならないかもしれないが、何と言ってもその魅力は同地域にある(当時)9の神学校(しかもカトリックもプロテスタントも合わせた)の集合体(コンソーシアム)というものだ。

それにプラス、Ph.Dはカリフォルニア大学バークリー校との提携によるプログラムとして運営されていたことだ。

GTU博士課程の学生は、一応所属校を決めることになっていたので、筆者はPacific School of Religionに籍を置いた。

今では大分こじんまりとしてしまったが、当時はまだ活躍していた(名の売れた)教授が複数いたのだが・・・。

ところで当時博士課程は8つの領域に分かれていて、それぞれの分野でPh.Dを出していたのだが、筆者はそのうちArea IVと呼ばれる、社会理論(と言っても内容的には宗教社会学が中心だが)と社会倫理の部門に入った。

マスターとの違いは、ドクターの学生は、半分は学生の身分だが、もう半分は部門のアカデミックな内容に積極的に関わることが求められていたことだった。

例えば、その頃の重大関心事は、Area IVの学問を束ねるような重要文献を確定する作業をしていた。
所謂何が古典的学術書で、何が必読書なのかを検討するわけだ。

筆者が入学した頃はこの重要文献確定作業の半ばのような状態だった。

その作業と関わるのが、コア・コースと呼ばれる「社会倫理」のセミナーだ。
キリスト教社会倫理(倫理学教説とも呼べるし、広くキリスト教社会・政治思想史とも呼べる内容)を歴史的に概観し、重要人物の著作を重点的に読破する、そう言う様なコースだ。

教員は二人いて、前期と後期と合わせて1年(だったか2年だったか)みっちりやるわけだ。

一人はDr. Drew Christiansen, S.J.
Jesuit School of Theology at Berkely (JSTB) であったが、現在はサンタクララ大学
と合併したようだ。

当時は助教くらいだったか、確かイェールで博士をやった人だったように記憶している。

もう一人は、こっちはちゃんと名前を覚えている、マーサ・ストーツ。確かまだシカゴ大学の博士課程で論文を書いているくらいではなかったか。

このコースは古典をみっちり読まされるので、留学生にはちときつかった。
アウグスチヌス、アクィナス、ダンテ、その前にはプラトンやアリストテレスも読んだろうか。

現在は二人とも大分出世したようだ。

ドルー・クリスチャンセンは、国際的な活躍もし、2014年にはジョージタウン大学に迎えられるようだ。
クリスチャンセン近況1
クリスチャンセン近況2
マーサ・ストーツ近況 


2013年9月8日日曜日

(4)神学遍歴⑨

プリンストン神学校時代で忘れてならないのは、神学校の方だけではなく、プリンストン大学での聴講だった。


(上の文章は神学遍歴⑧のイントロと同じもの。)


前回は
もう一人のプリンストン大学の名教授の一人、ポール・ラムゼイ教授のことは次回に回します。
(て言うか、正直言うと、一度に名教授二人について書くのは大変だからです。笑)
で終わったので、その ポール・ラムゼイ教授について。

彼についてググッても、「現代的実存と倫理 (1970年)と言う邦訳書がヒットするだけで、ウィキ記事もないようだ。

では何か書くことに意義もありそうだ。






Paul Ramsey (December 10, 1913 – February 29, 1988)は著名なキリスト教倫理学者であり、H・リチャード・ニーバーの弟子の一人でもある。

筆者がプリンストン神学校に在籍したのは、1981-2年なので、彼のクラスを聴講した時はもう引退間近の頃であったかもしれない。

クラスの名前は忘れたが、かなり大教室のような記憶がある。
多分アンダー・グラジュエートだったのだろう。

探せば当時の講義録がどこかに残っているはずだが、面倒くさいので、記憶に残っていることだけを書く。

多分プリンストンに来る前から、彼の名前は知っていたはずだ。
ただどのようにして彼のクラスの聴講許可を取ったのかは覚えていない。
チャールズ・ウェスト教授(この記事参照)のTA(ティーチング・アシスタント)の一人が仲介してくれたのかもしれない。

ラムゼイはキリスト教倫理学の教科書としてもよく使われる、Basic Christian Ethics、「義戦論」や「生命倫理」、などで有名だが、なぜかこのクラスの熱っぽく語っていたのは、ジョナサン・エドワーズだった。


The Nature of True Virtue
Love, the Sum of All Virtue

辺りから講義をしていたのであろう。

とにかくエドワーズを絶賛していたように思う。

残念ながら当時の筆者には「ジョナサン・エドワーズ? 誰それ?」、と言う感じで、余り印象には残らなかったのだが・・・。

そんなことも合わせてこの追悼記事が参考になるだろう。

デューク大学に寄贈された「ポール・ラムゼイ・コレクション」の書簡の中には、
Roland Herbert Bainton,
Emil Brunner,
Daniel Callahan,
James M. Gustafson,
Richard A. McCormick,
Rollo May,
H. Richard Niebuhr,
Reinhold Niebuhr,
等の他に
Richard M. Nixon,
Eunice Kennedy Shriver,
Sargent Shriver
等の名前もある。(リンク) 

2013年8月1日木曜日

ロバート・N・ベラー(1927-2013)

突然だが、ベラーさんがご逝去されたと言う報がツィッターTLから入り込んだ。

ロバート・N・ベラーは、筆者がGraduate Theological Union (Berkeley, CA)時代に少しお世話になったカリフォルニア大学バークレー校の社会学教授で、アメリカを代表する社会学者と言ってもいい人だろう。

とにかく今は纏まったことを書くことは出来ない。
突然の報に少し驚いている。

一応先ずはそのツイッターがリンクしているこの記事から読んでいただければよろしいかと。

筆者はGTUでは「社会倫理/宗教社会学」領域で博士課程の学びをした。

博士論文(完成しなかった)はベラーの『市民宗教』概念を用いた日本の天皇制分析、また『アメリカ市民宗教』との比較研究になるはずのものだった。
それでベラー教授に博士論文コミッティーに入っていただいた経緯がある。


このビデオでも女性のインタヴュアーが『大統領のレトリック』と言って質問している概念(12分過ぎ辺り)が『市民宗教(civil religion)』のことだが、それにベラーが懐かしそうに答えている。

後はThe Immanent Frameのこのページが参考になるだろう。

ネットで読めるベラーの論文が集められているのがこのサイトだ。

今はこんなところだ。

R.I.P. Dr. Bellah!

2013年6月20日木曜日

神学遍歴⑧

プリンストン神学校時代で忘れてならないのは、神学校の方だけではなく、プリンストン大学での聴講だった。

当時博士課程にいたC・Sさん(現在は某キリスト教系大学の教授であり、政治思想・政治学の方面では著名な方になった)から奨められて、Sheldon Wolin教授の大学院ゼミに入れていただいた。



シェルドン・ウォリン教授には、 Politics and Vision(邦訳書は『政治とヴィジョン』福村出版、 2007年)と言う名著があるが、本の中でプラトン、マキャベリ、ホッブスらが独立して1章が与えられている。

全10章のうち、それら3人以外にもう2人取り上げられているが、それは誰だと思いますか。

何とマルチン・ルターとジョン・カルヴィンです。

普通の政治思想史とは結構趣を異にすると思いませんか。(専門ではないので個人的な感想ですが。)

ウォリンについて忘れてならないのは、彼が米国にフランクフルト学派の思想を紹介した主要人物の一人であることでしょう。

ちょっと今名前は思い出せないのですが、ウォリンが編集していたか、主要寄稿者の一人だったかなりリベラルな雑誌があり、そこでハバーマスを紹介したり、論評していた記憶があります。
1980年代の話ですが。

イントロが長くなりましたが、とにかく彼の大学院ゼミを取ったわけですが、その年は「ジョン・ロック」がテーマでした。

副読本が何冊かありましたが、もちろんロックの本も何冊か入っていましたが、研究書として、John Dunn, The Political Thought of John Lockがありました。
260ページほどの本ですが$34.95もしました。

当時の筆者にとっては目玉が飛び出るような値段です。
本格的な研究書というのはそういう値段するんだー、となんかびっくりしたり感心したり。でも渋々買ったのを覚えています。

学院生が10人未満の小さなゼミで、政治思想初心者の筆者にはとても難しかった。

ただ凄かったのはウォリンのレクチャーと言うか語りと言うか、90分殆んどノートも見ずに、滔滔と水の流れる如く淀みなく議論が展開されるのです。

不思議なのは本来初心者には難しくてついて行けないはずなのですが、その思考の明晰さと入念に積み重ねられた議論の緻密さの故に、頭にスムースに入ってくるのです。(ノートも結構取れました。)

もちろん今ではその内容は忘れてしまいましたが、何でこんなに聴きやすいのだろうと驚いた記憶があります。

でもさすがにレベルが高すぎて何ヶ月か聴講した後に、もうこれ以上ついていくのは無理ですと、丁重にウォリン教授にお礼を言って聴講をやめました。

でもウォリンの存在感と言うのはプリンストン時代の貴重な体験の一つです。

なんかここまででもう1回分になってしまいましたので、もう一人のプリンストン大学の名教授の一人、ポール・ラムゼイ教授のことは次回に回します。

(て言うか、正直言うと、一度に名教授二人について書くのは大変だからです。笑)

2013年4月21日日曜日

神学遍歴⑦

前回まで「アズベリー神学校時代」のことを何度か書いた。
今回はいよいよアズベリーを卒業して「プリンストン神学校」時代のことに移ろう。

アズベリー卒業時点で滞米4年が経過していた。
牧師となるのであればそのまま帰国するのが普通だろうが、周りの意見などもあり勉学を続けることになった。

と言うことは「博士課程」と言うことになるが、ハーバードPh.Dのクーン教授に(まあ言ってみれば)師事していたこともあり、言われるままに4校に入学申請した。

キリスト教倫理の領域と言うことで4校に絞ったのであるが、クーン教授から提案されたのは、
① Harvard Divinity School
② Princeton Theological Seminary
③ Candler School of Theology (Emory University)
④ The University of Iowa (the Department of Religious Studies)
であった。

筆者的には①と②は鼻から無理と思っていたが、クーン教授は「とにかくアプライするだけやった方が良い」と言うことで譲らなかった。要するに両校とも神学教育と言うことで北米一二を争うのだから、トライして損はない、と言うことだった。

③はメソジスト系の大学
④は、当時George Forellが健在であった。

結局入学許可を受けたのは、③と④であった。

③と④どちらかに行くと言う選択肢もあったが、確かクーン教授の方がもう一年待ってプリンストンにアプライしたらどうか、と言うことになった。
それで待っている間、プリンストンのMaster of Theology (Th.M)に入ることにした。

その頃プリンストンのTh.Mは一年間で修士論文も必要なく、ちょっと「はく」をつけるために重宝されていたし、留学生が多かった。

プリンストンで筆者の指導的役割を果たしてくれたのが、社会倫理学を教えていたギブソン・ウィンター教授だった。
彼については既に2度投稿しているので今回は省略する。(ここここ

その他に印象に残っているのは、チャールズ・C・ウェスト教授。キリスト教倫理の専門で、著書としては
Communism and the Theologians: Study of an Encounter (with major analyses of Barth, Berdyaev, Brunner, Hromdka, Niebuhr, Tillich)
が目立つ位だが。(ここにスキャンしたページが読めるリンクがある。)

「ディートリッヒ・ボンヘッファー」のクラスを取ったが、初めて「チューター」式授業を経験した。
チューターというのはウェスト教授についている博士課程の学生が小グループで課題図書を読み、ディスカッションするのをリードする仕組である。
これだとウェスト教授の講義で咀嚼できない部分も補完したり、クラスに意欲的に取り組む動機付けとなる。

ボンヘッファーの名前は聞いていたが実際に読むのはその時が初めてだった。 
Life TogetherやThe Cost of Discipleshipも良かったが、一番身を入れて読んだのはEthicsだった。
課題論文ではMandatesを中心に書いたように記憶している。 

また続きを書くことにして、ちょっと最後に興味深いエピソードを一つ加えておこう。
筆者がいた頃のプリンストンTh.Mには沢山の留学生がいたが、その中にスイスから来ている男子学生がいた。彼のガール・フレンドがカール・バルトの孫とかいう話で騒いでいたっけ。
 

2012年12月6日木曜日

神学遍歴⑥

依然としてアズベリー・神学校時代のこと。

三年生の冬、主任教官のクーン博士のクラスのことを話してみよう。

主任教官というのは勝手な命名だが、アズベリーでは前二年にある程度の成績を取った者には三年目の履修クラスをその生徒の希望する分野に集中できる特典を与えていた。

筆者は留学生の先輩に是非そのような成績を取って自分の専門領域を開拓する勉強をした方がいいよと勧められていた。
暢気な性格で余り欲も深くないのだが、この先輩の発破のおかげで一念発起学業を頑張り、何とかそのような成績を取ることができた。

それでキリスト教倫理をある程度自分の専門と考え、クーン博士 (the late Dr. Harold B. Kuhn) のクラスを多く取るようになったのであった。

三年生の秋学期、クーン博士のクラスはキリスト教社会倫理だった。
戦争や貧困など幾つかの問題群の中から一つを選んで課題論文を書くクラスだった。

筆者が選んだのは遺伝子操作技術(リコンビナントDNA)。
科学にはめっぽう弱いのになぜこれを選んだのか、残念ながら殆んど覚えていない。
もしかしたらクーン博士の方から「やってみないか」のような促しがあったのかもしれない。

ところでこの問題を取り上げたことで筆者が知るようになったキリスト教思想家(倫理学者)がジャック・エリュール(ウィキ記事)である。
特に「技術社会」から学ぶことが多かった。

何を学んだか一言で言うのも難しいが、「技術」と言うものをニュートラルなものとしてではなく、自律的で、特に現代にあってはデモニックなまでに人間存在を規定する勢力、として描出しようとしていたように記憶する。

その後はエリュールの著作を色々購入した。
「都市の意味」や「暴力」「プロパカ゜ンダ」などなど。
全部読んだわけではないが一時期「はまっていた」と言えるだろう。

アズベリーのような保守的な学校ではエリュールは前衛的な思想家だといえる。
もちろん当時はそんな思想的背景など分かって読んでいたわけではないが。
とにかく当時の筆者にとってはエリュールは非常に刺激的な思想家だった。

ところで課題論文を仕上げるのに、友達の家でタイプライターを借りながら奮闘していた。
1980年12月8日夜、たまたまテレビを目にしていた時に「ジョン・レノン逝く」のニュースが流れた。
今でもその時の記憶はかなり鮮明に残っている。

2012年9月13日木曜日

神学遍歴⑤

久し振りとなる「神学遍歴」シリーズである。

今のところアズベリー神学校時代のことを書いているが、今回も。
前回は神学者、H. Richard Niebuhrについて書いたが、今回はアズベリー神学校で受講した中でやや異色で、個人的に興味深かったクラスを三つほど紹介しておこうと思う。

①中間時代の神学
今では「第二神殿期ユダヤ教」等と言われるが、旧約聖書と新約聖書の「間」の(諸説はあるだろうが)約400年間の間のユダヤ教文学についての学びである。

教授は「聖書神学」と言って、その頃はまだ神学校の受講科目ではメジャーになっていなかった部門を担当していた。
と言うことで(確か)先ず紹介されたのは、クリスター・ステンダールの「聖書神学」と言う論文(The Interpreter's Dictionary of the Bible所収)だったかと思う。

クラスは講義の他に課題として聖書学関係の専門雑誌から教授が指定した論文の中から幾つか選び出して、そのアブストラクト(要約)を書く、というものだった。
多分4つ5つ読んだと思う。

記憶が確かなら、James Muilenburgを知るようになったのもこの課題の故だった。

講義で紹介された学者の名前は、
D・S・ラッセル(八田正光訳『聖書の中間時代:後期ユダヤ教の歴史・文学・思想』ヨルダン社、一九六八年。)
Joseph Bonsirven
などであった。

②Supervised Ministry
意訳すると「臨床神学入門」とでも言えばいいか、教授がスーパーバイザーとなって学生たちの小グループを指導するのだが、 神学的作業(リフレクション)は神学書を読むことから始まるのではなく、様々な「ミニストリーの現場」から得た経験を元に行なうものであった。

筆者が行った「ミニストリーの現場」は、総合病院、ミニマム・セキュリティー刑務所でのチャプレン見習いのようなものや、大学キャンパスでの個人伝道のようなものであった。

例えば病室で死期の近い患者さんと何とか会話をして、それから帰ってきて、それを一つの「ケース・スタディー」としてまとめるのだが、状況描写と、会話の中から「神学的テーマ」を見つけ出して、ミニストリーの体験を振り返る、というような神学作業を行なう。
グループの学生たちが一堂に会して、それぞれのケース・スタディーをもとにディスカッションする、そして教授が気付いたことを提案したりする、と言うのが Supervised Ministryの一連の作業であった。

実地を通して神学する、と言うプロセスを教えるものであった。

③説教学上級クラス
上級と言っても説教そのものの学びではなく、説教の中で取り扱われるテーマを如何に現代や社会や等広い視野で掘り下げるか、と言うクラスであった。

このクラスを通して筆者は初めて「ホロコースト」に触れることになった。
ノーベル平和を受賞した、エリー・ウィーゼルのアウシュビッツの体験を下にした自伝的小説「夜」を読んだ衝撃は大きかった。

その他にもこのクラスでは、「普通の説教」ではカバーしない事柄をクリスチャン、説教者としてどう捉えていくかを考えさせてくれた。
 

2012年6月19日火曜日

神学遍歴④

前回アズベリー神学校での最初の「神学的思索」として「受肉と贖罪」に関する小論文について書いた。

ところで話は逸れるが、神学校を大学院レベルであることを指摘したいのか「神学大学院」とする方もいる。訳としてはそれでもいいのかもしれないが何か筆者には神学校の方がしっくり来る。

大学院レベルでの神学教育も幾つかあって、セミナリーのように大学から独立している場合と、大学に属している場合がある。前者では福音派ではフラー、老舗ではプリンストンなどがある。
後者は有名どころではハーバード大学やデューク大、シカゴ大学などはDivinity Schoolと呼んでいる。あるいはボストン大学やエモリー大学のようにSchool of Theologyと呼ぶところもある。

さて話を神学教育制度から「神学者」に移そう。

ある程度神学校での学びも進んで行くと、単にクラスで選ばれたテキストとして読む本ではなく、自分がこれぞと思って読む神学者の本が登場する。

筆者の場合そんな神学者の中でも初期の頃から心に留まったのは、H. Richard Niebuhrだった。
お兄さんがラインホルド・ニーバーでアメリカの20世紀政治思想にも一定の影響与えた神学者として有名である。
弟のリチャードは著名度の高さでは兄に譲るが、神学者の神学者として玄人好みの人であった。
一群の弟子を輩出した点でもその影響力の強さがうかがい知れる。

で、筆者はこの頃からこれだと思った人の本を重点的に買い集める(出来ればそれらを読む)傾向があった。

リチャード・ニーバーの著作と言えば幾つかすぐ名前を挙げられるが、自分が読んだ本に限って言えば、
  • The Social Sources of Denominationalism (1929)
  • The Kingdom of God in America (1937)
  • The Meaning of Revelation (1941)
  • Christ and Culture (1951)
  • The Purpose of the Church and Its Ministry (1956)
  • Radical Monotheism and Western Culture (1960)
  • The Responsible Self (1962)
あたりだろう。

この中でその後の自分の神学形成に一定の影響を及ぼしたものとしては「キリストと文化」だと思う。

リチャードの神学的思索には純然たる神学と言うより「社会学」と「倫理学」的な思索が加わっている著作が多い。
その後筆者が「社会倫理」や「宗教社会学」の方向に進んだのも、もしかしたらリチャードの神学思考的傾向が影響しているのかもしれない。

リチャードの本は割合短いのが多い。文章は練られていて余分なことは言わない。
その分よく読みこまないと理解できない。

上記に挙げた著作の中で最も衝撃的出会いだったのは「啓示の意味」だろう。
小さな本だがアンダーラインやマーカーの跡が沢山残っている。
余白に残したメモも多い。

そのころは集中して読めた時期だったのだろう。
何と言っても「神学」と言うものにまだ慣れていなくて、読むのに一生懸命だったのだろう。
今じゃその頃のような「吸収力」はない。

とにかく「啓示の意味」には勉強させてもらった良い思い出がある。
具体的にどこまで自分の中に消化されたのかは分からないが・・・。

2012年5月9日水曜日

神学遍歴③

神学遍歴②を書いてから1ヶ月近く経ってしまった。

前回は米国留学二番目の学校、ケンタッキー州にある聖書学校でのことを書いた。

もともと日本で大学卒業後は、米国のやはりケンタッキー州にあるAsbury Theological Seminaryに学ぶべく準備していたのだが、「留学生奨学金」の選考に漏れ、英語もまだ十分ではない、と言うことでその聖書学校で一年間学ぶことになったわけである。

さて一年後首尾よくその奨学金を戴けることになり、夏の間にアズベリー神学校のキャンパスに移ったのであるが、入学前に聖書全巻を読んで一巻ごとのアウトラインをまとめておくこと、と言う宿題を頂いた。それと言うのも既に当時からキリスト教系大学外から神学校に入学する生徒が増えてきていて、基本的な聖書知識もない、と言う事があったからだ。

それまで聖書通読は何度かしていたが、アウトラインにまとめるほどちゃんと読んではいなかった。旧新約聖書をこのように読み通すことは当時の筆者にはなかなか苦行であった。先が思いやられる感じもした。

さて正式入学後最初に取った「基礎教理」みたいなクラスであったが、そのクラスでの最初の課題が『受肉と贖罪』についての小論を書くことだった。つまり今までは多少なりとも神学書みたいなものは読んだことがあったわけだが、ここで初めて「神学する」「神学的思索をしてそれを書き表す」と言う仕事を課せられたわけであった。

ダブルスペースで8-10枚位書いた(当時はタイプライター)だろうか、手元に残っていないので記憶を頼りにするだけだが。どうやって書いたかというと、聖書の関連する箇所さえ十分には分からないので「神学辞典」を頼りにした。該当項目を先ず丹念に読んで、一体何についてのことか、どういう主題なのかを把握することから始めた。次に参照されたりしている聖書箇所を実際に読みながら思索を深めて行った。最も困難なのは「受肉」と「贖罪」を関連付けることで、思索的なこととは主にこの作業であった。

大したことを書けたわけではなかったが、何か初めて神学に触れた感じがした。という訳でこの時点での神学遍歴はまだ「だれそれの神学者」と言う事ではなく、神学書の入門としての「神学辞典」だった。今となっては神学辞典を参照するということは余りなくなったが、一般信徒も含めて良い神学辞典を持っていることは助けになると思う。

2012年4月13日金曜日

神学遍歴②

シリーズ二回目の今日は、米国留(遊)学後のことになる。

以前、先生の横顔(1)でも書いた、ケンタッキー州にある聖書学校でのことだ。
お二人の先生のことを書いたが、聖書学校と言うことでアカデミックな環境とはとても言えないが、それなりに神学の勉強の準備をしてくれたと思う。

教会史を教えてくれたB夫人先生の印象が強すぎて、実は教科書の方は余り記憶に残っていない。
聖書学校で使うテキストだからそんなに難しいものではなかったはずだ。
何はともあれ「教会史」の勉強は面白い、ということは十分教えて頂いた。

確か「教会史」の面白さを知って、学校の図書館にあった
フィリップ・シャフの「教会史」8巻ものにも手を伸ばしたような記憶がある。
手を伸ばしただけで、とても内容云々というものではなかったが。

もう一人のD先生の授業で印象に残っているのは「ロジック」のクラスだった。

残念ながらこれもテキストをはっきり思い出せない。
書棚のどこかには取ってあると思うが、昔使った教科書というものは書棚の奥の方に埋もれてしまう運命だから、今確認しようと思ってもとてもどこにあるかさえ思い出せないのである。情けないが。

とにかくそのテキストは基礎的、入門的なもので、まさに論理的思考のイロハを扱ったものに過ぎない。
しかし日本でそんな授業を取ったことのない者にとっては、非常に新鮮で面白かったことを覚えている。

2012年3月26日月曜日

神学遍歴①

以前「神学入門・・・筆者の場合」と言う記事を書きました。

こんな感じの記事をシリーズで書いてもいいかなと思いつきました。
と言うことで筆者にとっての「重要な神学者・神学書」を時々紹介して行こうと思います。

「神学入門」ではF.F.ブルースの「新約聖書は信頼できるか」について少し書きましたからそれ以降ということになります。
まー記憶は定かではないのですが、その頃は父親の書棚から引っ張り出して読んでいたわけです。

その中で鮮やかな記憶として残っている神学者の名は、熊野義孝です。
本の名前ははっきり覚えていないのですが「キリスト教概論」だったかもしれません。
とにかく『伝統』と言う概念に強烈に惹きつけられた事を覚えています。

その本を手にしたのは多分大学4年生位の時ではなかったかと思います。
なぜかと言うと「献身」を決めていて、大学卒業後留学することにしていたわけですが、本格的に神学の勉強を始める前に、何かしら自分なりに「神学を構築する」備えをしてみたかったのです。

思想的にはまだ乏しいわけですが、自分なりに神学構築のキーワードを模索していて、そんな時読んだ熊野義孝の『伝統』の概念が何かものすごく「土台」的なものに感じられたのでした。


今はもうその本は手元にありません。

(11年前の教会建替えの時、父が殆んどの蔵書を処分したのですが多分その中に熊野のその本も入っていたのではないかと思います。もし残っていたらまた読みたいと思います。今読んだらどんな感慨が持てるのか興味深いです。)

一年間の聖書学校、三年間の神学校教育後は、筆者の神学構築キーワードは変化してしまいましたが、熊野義孝は少なくとも「神学する」とはどんな思索をすることなのかをおぼろげながら感じさせてくれた最初の人物であり、『伝統』と言う概念はその後の神学的思索の通奏低音となった概念ではなかったか、と今思います。