2012年3月31日土曜日

明日の礼拝案内

棕櫚の聖日 主日礼拝

4月1日 午前10時30分

朗読箇所 ルカの福音書 19:28-44
説教箇所 ルカの福音書 19:41-44
説 教 題 「預言者の涙」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《遣わされて③》

2012年3月28日水曜日

How God Became King 読書会まもなく開始

ご案内しています
How God Became King 読書会
facebook.com/groups/288504731222965/


おかげさまでただ今メンバー18名登録しています。

読書会の本格的開始は4月1日を目指していますが、開始後も遠慮なくご入会ください。

原書購読と言うことで、英語に少し自信がない方で、ROM (read only member) でも構わないのか、との声もちらほら聞いています。もちろん歓迎します。


読書会が目標としているのは、メンバーがみな討論に参加してくれることではなく、本著を購入された方が、お互い助け合って読了することです。

一人では途中で挫折してしまうかもしれないが、仲間がいれば読み通せるかもしれない、と考えている方どうぞROMで結構ですので、開始後でもご入会ください。

もう既に読書会のウォールは様々な話題、有用な情報交換で賑わっています。確かに読んでいるだけでも楽しくなったり、ためになったりしますので、ROMメンバーになることは益になるかと思いますのでお奨めします。

なお本著の購入にはアマゾン日本 が便利なようです。
ハードカバーは現在在庫二点、4/1からはペーパーバック(予約可) も出るようです。

現在考慮中の方、ご入会お待ちしています。
HGBK読書会 進行役 タカ牧師 

2012年3月26日月曜日

神学遍歴①

以前「神学入門・・・筆者の場合」と言う記事を書きました。

こんな感じの記事をシリーズで書いてもいいかなと思いつきました。
と言うことで筆者にとっての「重要な神学者・神学書」を時々紹介して行こうと思います。

「神学入門」ではF.F.ブルースの「新約聖書は信頼できるか」について少し書きましたからそれ以降ということになります。
まー記憶は定かではないのですが、その頃は父親の書棚から引っ張り出して読んでいたわけです。

その中で鮮やかな記憶として残っている神学者の名は、熊野義孝です。
本の名前ははっきり覚えていないのですが「キリスト教概論」だったかもしれません。
とにかく『伝統』と言う概念に強烈に惹きつけられた事を覚えています。

その本を手にしたのは多分大学4年生位の時ではなかったかと思います。
なぜかと言うと「献身」を決めていて、大学卒業後留学することにしていたわけですが、本格的に神学の勉強を始める前に、何かしら自分なりに「神学を構築する」備えをしてみたかったのです。

思想的にはまだ乏しいわけですが、自分なりに神学構築のキーワードを模索していて、そんな時読んだ熊野義孝の『伝統』の概念が何かものすごく「土台」的なものに感じられたのでした。


今はもうその本は手元にありません。

(11年前の教会建替えの時、父が殆んどの蔵書を処分したのですが多分その中に熊野のその本も入っていたのではないかと思います。もし残っていたらまた読みたいと思います。今読んだらどんな感慨が持てるのか興味深いです。)

一年間の聖書学校、三年間の神学校教育後は、筆者の神学構築キーワードは変化してしまいましたが、熊野義孝は少なくとも「神学する」とはどんな思索をすることなのかをおぼろげながら感じさせてくれた最初の人物であり、『伝統』と言う概念はその後の神学的思索の通奏低音となった概念ではなかったか、と今思います。

2012年3月24日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

3月25日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 5:1-15
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 5:14-15
説 教 題 「律法を全うする愛」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(78)
ガラテヤ人への手紙(66)
・5:2-15 キリスト者の自由と律法
(C)5:13-15 愛によって全うされる律法

2012年3月23日金曜日

英語圏ブログ紹介⑨

今回紹介するのはれっきとした新約聖書学者だが、少しひねたユーモアの持ち主であるクリス・ティリングのChristendom
少しひねたと言ってもどの程度かは英国人ではないので良く分からない。
今日たまたま彼のブログを見てみたら「ユーモア」の番だった。

彼は最近ではBeyond Old and New Perspectives on Paulと言うこの分野で最近話題となったダグラス・キャンベルのThe Deliverance of God: An Apocalyptic Rereading of Paulの神学会議のセッションの一つの座長を任されている。

そんな若手の研究者の彼であるが、バルトやアリスター・マクグラスの話題を取り上げながら、ブログの目標の一つと紹介しているように、「おふざけ」を時として載せるので、その時は余りふざけた内容でもそれほど真面目にお相手為されるな、肩から力を抜いてくれ、とお断り書きをしている。

で最新記事で取り上げられたのが「牧師の究極の戦い」と言うペンテコステ系らしい癒しの集会で「御霊の剣」で集まった人たちを“滅多切り”にする牧師のビデオ・クリップである。
Finish Him(上のChristendomのブログリンクをクリックすると出てくる)と言うタイトルが付いているが、内容からすると「やっつけてしまえ」と言う感じか・・・。

要するにパロディーと言うかおちゃらけである。
ビデオクリップ自体はその手の集会なのだろうが、お聞きになってお分かりになるように音声がかぶせてあって、それが何と日本語なのである。
異言で語っている、と言うジョークなのかもしれない。

この若い牧師もペンテコステ系の“大伝道者”ベニー・ヒンからのパクリかもしれないから、二重におふざけ的に見える。

既にベニー・ヒンのスター・ウォーズのダース・ヴェイダー版パロディーがある。



「大和郷にある教会」ブログ読者諸氏にあっては、このようなテイストが筆者のテイストと近いと誤解なさらぬように。
あくまで「英語圏ブログ紹介」の一環と思ってお許しいただきたい。

2012年3月21日水曜日

カトリックの退潮傾向の要因は?

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログに先日投稿した『中身のあるクリスチャン』にコメントを寄せてくださった方がありました。

初コメントです。

記事の中の標題のような部分に疑問を投げかけてくださいましたので、コメント欄ではなく、記事として取り上げさせていただきました。

題して、『疑問に答えて』。

とタイトルはつまらないですが、よろしければご一読ください。

2012年3月19日月曜日

中身のあるクリスチャンとは

KJG(「キング・ジーザス・ゴスペル」)ブログに新規投稿しました。

中身のあるクリスチャン
です。

「キング・ジーザス・ゴスペル」の第二章を簡単に紹介しています。キーワードは「福音の文化」と「救いの文化」の差について。
ポイントは「弟子となる」ということ。

「救いの文化」クリスチャンに欠けているのは「弟子」となる過程が「救いの体験」の後連続していないこと、と指摘しています。

ご一読を。

2012年3月17日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

3月18日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 5:1-15
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 5:13
説 教 題 「自由の行使」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(77)
ガラテヤ人への手紙(65)
・5:2-15 キリスト者の自由と律法
(C)5:13-15 愛によって全うされる律法

2012年3月15日木曜日

パイパー牧師と福音

KJG(「キング・ジーザス・ゴスペル」)ブログに新規投稿しました。

福音とは何か
です。

スコット・マクナイト教授の「キング・ジーザス・ゴスペル」は「福音とは何か」について根本的問いかけをします。
北米カルヴィニズム復興運動の指導的存在であるジョン・パイパー牧師(ここここを参照)の福音の捉え方(福音=信仰義認)を例に出しながら「福音とは何か」を改めて考えてみよう、と提案しています。
ご一読を。

2012年3月14日水曜日

NPP続報

NPPでピンと来ない方が殆んどだと思うので改めて。
the New Perspective on Paul
の頭文字を取った略称。
要するに「パウロ研究の新しい視点」と言うことだが、既にこのブログでも関連する記事を二本書いたので、初耳の方は先ずそちらを読まれると良い。
ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ
日本人によるパウロ研究

NPPに関する議論は1970年代後半から始まり、1990年代には一応の落ち着きを見せた、と言われている。
それは学者間での話で一般信者にとっては「何それ」と言う段階であろう。
日本に至っては牧師であっても依然としてそんな論議があったことも知らず旧態然とした「信仰義認」に関する説教をローマ書やガラテヤ書からやっているのではなかろうか。

筆者も小さな教会で牧会しながら、最前線の学術的成果を如何に信徒に分かる説教に翻訳するか苦心を重ねてきた。
いや実際に多大な忍耐のパートを担ったのは小難しい説教をする牧師に我慢強く耳を傾けてきた信徒の方々であるが・・・。

今日紹介するのは学者間の議論が落ち着いて、一般信徒レベルでNPPが話題にされつつある状況での「NPP入門」ブログ記事である。

プレストン・スピンクルが
Eternity Bible College's Faculty Blog: THEOLOGY FOR REAL LIFE 
で四本書いている。
What is the New Perspective on Paul?
What is the New Perspective? Part Two
What is the New Perspective? Part Three
What is the New Perspective? Part Four
The End of the New Perspective

まだ一本目を読んだだけだが、枝葉末節をなるべく避け、NPPの主要論議や人物を概観できるような親切な入門記事になっている。
もちろん全くの初心者にはちんぷんかんぷんかもしれないがある程度かじった人には消化しやすい内容だ。
最近のパウロ研究を大いに賑わしてきたNPPを整理するにも格好の記事ではないかと思う。

2012年3月13日火曜日

ハウ・トゥー・ドゥー・チャーチ

あるブログで教会運営と言うのか、どのように教会に人々を招きいれるのか、ということの「宣教学」的アプローチを紹介していた。
Bounded Sets, Centered Sets
①バウンデッド・セット(bounded sets)
②センタード・セット(centered sets)

①は教理や、その他色々なルールで、教会「内」の人と、「外」の人とを区別する教会のやり方(ドゥー・チャーチ)
②はどんな人でも区別せずに受け入れるやり方

どっちが皆さんの考える「良い教会運営(do church)」の仕方か、と問いかける記事だった。
投稿したブロガーは、②のセンタード・セットのやり方が将来の教会の姿ではないか、と訴えていた。

しかし、コメント欄では①のバウンデッド・セットのあり方が聖書的であることを強硬に主張し、譲らずコメントの応酬が緊迫した。(英語圏のブログではたまにある。)
しまいにはコメンターをブロックするのしないのの議論になった。

それで一旦ヒートアップした空気を冷やすために、このブロガーがバウンデッド・セットの教会を描写するユーモアとしてミスター・ビーンの動画を貼り付けた。
「これだ。1 2 3
ここをクリック

まっ宣教論云々はともかく、笑えます。

2012年3月12日月曜日

ネット空間

最近、前ブログ記事でご案内したように、フェイスブック上の読書会を立ち上げたおかげで、ブログの方が手薄になっている。

筆者がパソコンをやるようになって間もなくウィンドーズ95が発売された。
それにつれてインターネット環境が素人がアクセスするにも整備されてきたおかげで、多くの人がネットを使うようになった。

間もなくホームページと言うものを多くの人が持つようになった。
筆者の場合教会のHPを立ち上げたのは1997年だった。

それからまもなくブログという簡易な情報発信プラットフォームが使われるようになったのだが、筆者がブログを始めるようになったのは大分遅くて2010年。ツィッターを始めるのでついでに、と言う感じであった。

暫くはこのブログとツィッターと従来のHPで手一杯であった。
しかし昨年5月にフェイスブックを始めた。

当初はどうやって使うのか戸惑っていたがようやく最近になって面白く使えるようになってきた。

あることで「フェイスブック・グループ」を作ることになった。
プライバシーの設定で「公開」「非公開」「秘密」と三段階に設定できる。

「公開グループ」には昨年の大震災以来二つその関連のグループメンバーになっている。

そしてこの一月にはあるプロジェクトのために「秘密のグループ」のメンバーに入れられた。

そして今度は案内したようにN.T.ライトの「How God Became King 読書会」を「非公開グループ」として立ち上げた。
筆者はその管理人なのである。

フェイスブックを始めて一年経たない内にここまでやるとは思わなかった。
とにかくグループの管理人として結構時間を使っている関係でブログになかなか手が回らないのである。

フェイスブックというのは自分の書き込んだことに瞬時に応答が来たり、情報が自分の入っているグループ(大きいのではない)や「友達」の書き込みがあるとそれを知らせるマークが数字で表示されるのである。
そんなのを見張っていると時間が結構すぎて行ってしまうのだ。
結果落ち着いてブログ記事を書く、という作業は後回しになりがちなのである。

それにしても現在のネット空間は情報の飛び交う忙しい世界になったもんだ。

ちなみに、先週水曜日に立ち上げた「How God Became King 読書会」の参加メンバーは少しずつ増え、現在12名までになった。新メンバーが加わるとそれなりに楽しいものである。新しい出会いがある。

How God Became King 読書会

本の出版は明日あたりです。読書会の本格的スタートは4月1日です。ご関心のある方はこの機会に是非どうぞ。ROM (Read Only Member)でも構いませんよ。ライトのこの著作にご関心あれば是非。

2012年3月10日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

3月11日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 28:16-20
説 教 題 「主から遣わされて」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※昼食会があります。

2012年3月7日水曜日

How God Became King 読書会へのご案内

この度英国の著名な新約聖書学者で、セント・アンドリュース大学「新約聖書と初期キリスト教」の教授である、N.T.ライト(トム・ライト)師の最新刊(出版予定日、3月12日)、

How God Became King: The Forgotten Story of the Gospels
(本の中身をプリヴュー

の出版に合わせ、この著書を一緒に読み進めていく「フェイスブック上のグループ」を開始したいと思います。

ライト師の邦訳書は目下一冊だけで、また彼の本を読み進めるのは一人ではなかなか困難なことがあります。
一緒に少しずつ読み進めながら《感想》、《感銘を受けた箇所》、《疑問》等を分かち合うことで理解を深め、ライト師が提示する「福音書のストーリー」の新しい視点からの読み解き方に迫って行きたいと思います。

当読書会は「非公開」グループです。
投稿は入会されたメンバーだけが読むことが出来ます。
安心してご自分の感想や疑問を分かち合うことが出来ます。

開始予定時期:メンバーの方が本書を入手される時期を見計らって開始しますが、既にPreface(や各章の冒頭プリヴュー)は出版社のサイトで無料で読むことが出来ますので、4月1日からとしたいと思います。
※http://www.harpercollins.com/browseinside/index.aspx?isbn13=9780061730573

ではご関心ある方はどうぞご参加ください。

How God Became King 読書会
facebook.com/groups/288504731222965/

進行役:小嶋崇(巣鴨聖泉キリスト教会牧師、「N.T.ライト読書会」主宰)が務めます。
賛同・呼びかけ人:
川向肇(「一キリスト者からのメッセージ」ブログ主)
中村佐知(「ミルトスの木かげで」ブログ主)

「救いの文化(サルベーション・カルチャー)」

KJG(「キング・ジーザス・ゴスペル」)ブログに新規投稿しました。

救いの文化(サルベーション・カルチャー) 

です。
「キング・ジーザス・ゴスペル」のキーワードの一つ「救いの文化」について。
漫画(線が細く少し見にくいかも知れません。)を使って簡単に説明しています。
ご一読を。
 

2012年3月3日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

3月4日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「時を悟って」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2012年3月2日金曜日

対談ー日本の将来

このブログを暫く読み続けてきた読者は既にお気づきになったことと思うが、牧師である筆者が教会やその他のことを書く時にその知的根拠が殆んど(聖書は除いて)英語圏の知的産物に依拠しているのではないか、と言う疑念をお持ちではないか。
自分でもそのことは自覚しているつもりなのだが、キリスト教、特にプロテスタントが欧米の宣教の結果であり、その中でも北米や英国など英語圏の影響下にあることは否めないことは同意してくれるだろうと思う。

プロテスタントの牧師が訓練される場である神学校でも、日本でもあるいは留学でも、殆んど英語で書かれたテキストを基にして学んできたわけで、牧師になった後の学び(しばしば独学)でも英語の著書あるいはその邦訳書のお世話になっていることも今までのところ致し方ないところではなかろうか。

しかし、である。
このままでいいのか。

特に筆者のように買って読む本が洋書偏重と言うのは、伝道牧会の現場である「日本」に適用するには何とも足りないところがある、と感じている。
だからと言って新聞をよく読めといわれても最近の記事はなかなかすーっと目を通すだけで、じっくり読むまでには至らない。

そんな中ネットに接しブログをやっているおかげで、ネット上の「言論メディア」には少しずつ目を配るようになってきた。
洋書偏重の学びをいくらかでも補完してくれるのではないか、と淡い期待を持ち始めている。

今日たまたまある人のツイートで紹介されて読んだのが
平日開店ミシマガジン

平川克美と中島岳志の対談
「小商いの時代がやってきた」前編 
「小商いの時代がやってきた」後編
だ。

前編と後編に分かれているが、何やらあまり肩肘はらない、時にブレインストーミング的で、殆んど予定調和的な結論に落ち着かない(ここがいい)自由闊達なおしゃべりを繰り広げている。
滑り出しはちょっと「枠」を気にしている風だが、滑り出したあとはどこかカフェでの(周りで聞いている人に気兼ねなく)二人の談論風発調で面白く読めた。

ここに談論の内容はまとめないが、二人が日本の今の現実(人口減少、高齢化社会の政治経済の問題)をどのようにイメージし、将来に向けてどのようにこれと取り組んだらいいのか、リニアで近代合理的ではない、それでもある種の「モデル」を提示しようとしている、その様子が面白いと思った。


最近の記事で、カトリック教会の英神父や晴佐久神父の講演のビデオ・クリップから「色々学ばされた」ことを書いたが、キリスト教界人とはやはり大分違う言論姿勢が印象に残った。
言ってみればより「複雑系の思考」を大事にしている、肩から力が抜けた知的アウトプット、見たいな感じとでも表現しようか。

平川氏は内田樹氏とも大分対論しているらしいが、二人に共通しているのは日本語を何段レベルかで操る能力、と見た。
アカデミックな言語だけ使えるのではなく、もっと柔らかな言葉遣い、複雑系のことを平易な表現で伝達する能力とでも言おうか・・・。

まっ、何にせよ、ネット上でも有益な情報や言論に接することができるのはあり難い事だ。

2012年3月1日木曜日

KJG関連

先日も「キング・ジーザス」でご紹介しましたが、共同で運営するサイトキング・ジーザス・ゴスペルに投稿を始めました。
それで投稿のあった時にはなるべくこのブログでもそれを紹介するようにしたいと思います。

「KJG」とは 「キング・ジーザス・ゴスペル」を原著名、The King Jesus Gospel、に従って省略形にしたものです。
詳しくは最新記事「KJGを一分で紹介するとしたら・・・」をお読みください。

では今後とも「キング・ジーザス・ゴスペル」サイトをよろしく。