2014年12月31日水曜日

2015年元旦礼拝案内

元旦礼拝
2015年1月1日(木) 午前10時30分



朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「平和への召し」
説 教 者 小嶋崇 牧師
この平和にあずからせるために
あなたがたは招かれて
一つの体とされたのです
         コロサイ人への手紙3:15(新共同訳)

※1月4日(日)の主日(日曜日)礼拝はお休みとなります。

2014年12月28日日曜日

(3)「いぶせき」考 2014クリスマス

今年も数日でしめくくり。
先日のクリスマスの礼拝から出た「いぶせき」 にまつわるエピソードをご紹介します。


2014クリスマス礼拝、にお招きした北方奈津子さん。


アルト・リコーダーで『グリーン・スリーブス』を演奏する時に披露してくださったクリスマス・エピソードを少し紹介する。

グリーン・スリーブスの旋律に付けられたクリスマスキャロル、What Child Is This、日本語では「みつかいうたいて」。
その2節の歌詞に「いぶせきうまやに 生まれし君こそ」とあるが、この「いぶせき」とは何だろう。
それで国語の先生に聞いてみた。
そしたら、鼻を押さえながら「臭いような場所のこと」だよ、と教えてくれた。
と言うわけで、クリスマスと言うと綺麗なものが一杯のイメージがあるので、何かそんなものだろうと思っていたら、意外にもそのようなみすぼらしい、不衛生な場所で一人お産をしたマリアのことを思い、ひとりごイエスがそのように身を低くして来られたクリスマスの意義に圧倒された(以上概要)・・・
と言ったようなお話だった。


この話を聞いていたHさん曰く、「この『いぶせき』が気になって、気になって…。」


Hさんは「俳句結社銀化」の同人で「葡萄の会」で作句している。

それでその句会に「いぶせき」を使用した俳句を作った。

そしてその句が(思いがけなく?失礼!)銀化主宰に特選に選ばれたのだった。
(今朝その報を伺ってこの記事を書くことを思い立ったわけ。)

いぶせける厩に生まれクリスマス
※この句は早速「銀化句会速報」の葡萄の会(平成26年12月24日)で発表されています。

特選にした選者、中原道夫氏の評は
いぶせける厩は、キリストの誕生の厩。 また、思い通りにならない誕生のひとこま。
だったそうです。


HさんはNHK.BSの「俳句王国」で中原道夫氏が主宰の時ゲスト出演したことがあるそうです。それが縁で「・・・中原先生が、結社立ち上げのときに参加」したそうです。

Hさん曰く、「銀化の句会は、全国に21ヶ所あり、『葡萄の会』は、本八幡で開かれています。葡萄の会の名称も、教会ブログには良いですよね!」とのことです。

中原氏が縁で・・・と言うことでは、この方もそうなのですね。 


ところで 「いぶせき」もそうですが、賛美歌には文語というか昔のコトバがいろいろ残っています。
最近新しい賛美歌が幾つも出てくるようになりましたが、かなり歌詞が口語表現に直されている感じがします。

ゲストの北方さんとも後で話したのですが、この「理解するのにヤサシイ表現改訂」が必ずしも音楽的ではないのではないか・・・。

賛美歌の歌詞というのは「理解するのにヤサシイ」よりも、歌う時の音感が大事なのではないか・・・と言う見方ですね。
 
また「いぶせき」のように少々ムズカシイ言葉や表現があっても、却ってそれが歌詞の意味を深く考える機会になるかもしれません。・・・とは後から思ったことですが。


2014年12月20日土曜日

明日の礼拝お休みの案内

待降節第四主日

巣鴨聖泉キリスト教会での礼拝はありません

12月24日(水) 夕7時~
キャンドルライト礼拝

が年内最終集会となります。

12月28日の礼拝もお休みとなります。

2015年1月1日の元旦礼拝がスタートとなります。
時間は通常と同じ、10時30分~


以上年末年始礼拝は不規則となりますのでご了承ください。

巣鴨聖泉キリスト教会
牧師 小嶋崇

2014年12月17日水曜日

(3)主に神学ブログ⑧

ちょうど取り上げるのにぴったりのサイトが最近立ち上がった。

鏡を通して

は『聖書、神学、その他の随想』をカバーする、日本語のブログとしては割合はっきりとした専門ブログと言えるだろう。

英語圏では「聖書ブログ」「神学ブログ」などと分類され、その中でもさらに専門領域が細分化したブログが色々あるが、日本ではまだそこまでの専門化は到底望めないので、このような専門ブログが満を持して立ち上がったことは、オメデタイことではないかと思う。

ブログ主は、
山崎ランサム 和彦(Kazuhiko Yamazaki-Ransom)
  • 1970年大阪生まれ。東京大学教養学部卒、同理学系大学院修士課程修了。米国Bethel Seminary (M.A.T.S.)、Trinity Evangelical Divinity School (Ph.D.) 卒業。専門は新約聖書学。現在、リバイバル聖書神学校(愛知県新城市)校長。日本福音主義神学会中部部会理事長。
と博士課程を修められた専門家である。

「満を持して」と書いたが、このブログを立ち上げて、いきなり14回連載の使徒たちは聖書をどう読んだか(14) を次々アップされた。

このシリーズは連載(1)に説明されているように、日本福音主義神学会全国会議で発表された論文に基づくもので、一定の問題意識のもとに書かれたもので、(その意味では)単なる「聖書解釈入門」ではない。

(もちろんそのように読んでもいいのかもしれないが・・・。)

現代の福音主義キリスト教会には標準的な聖書解釈法があります。それは「歴史的・文法的方法」と呼ばれるものです。・・・この解釈方法を今一度見直してみようというのが、私の発表の論旨でした。誤解を恐れずあえて言うなら、このシリーズでは、「歴史的・文法的方法」が唯一の「聖書的」な解釈法なのか?ということを考えてみようと思います。

何はともあれ、充実したコンテントが次々アップされているようなので是非ご覧あれ。

2014年12月13日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第三主日 クリスマス礼拝

2014年12月14日(日) 午前10時30分
 
交読箇所 詩篇 98:1-11

       ルカ福音書 2:8-14
特別音楽 北方奈津子・内藤真奈

       詩篇118(リコーダーソロ):ファン・エイク作曲

       クリスマスのガヤルド(リコーダー):ホルボーン作曲
       グリーン・スリーブス(リコーダー):イギリス古謡
       クリスマス・カメオ(フルート)):クリスマス・キャロルのメドレー
       主よ人の望みの喜びよ(フルート):J.S.バッハ作曲
 

聖書思巡 「あなたがたのためのしるし」  小嶋崇 牧師

2014年12月7日日曜日

2014「ジュリアの会」作品展

このブログでは2012年の作品展報告に続いて2回目となります。

先日、2014年11月29日と30日に持たれた「ジュリアの会」の作品展の様子を少し紹介して、ご報告させていただきます。
 

もうかれこれ5回目くらいになるので、会場を貸す側も、借りる側も大分慣れてきました。

今回は残念ながら、初日の土曜日はあいにくの雨となってしまいました。

気温も低かったのですが、会場とともに多くの方が展覧に来られました。


ご覧のように、今回はクリスマスがテーマなので、蝋燭や天使などの小物がところどころ入ってにぎやかになっています。


外に回ってみると、



と、タテ看板や塀の中央に大きなリース。




(活水)工房の方はリースなど(主に)ドライのものが展示されました。

ある方が作られたリースはアジサイの花びらが使われていたのですが、なかなか思うような「ブルー」が見つからなくて苦労したそうです。

それに見つかったとしてもかなり大量に必要になり、お財布との相談、と言う苦労もあったそうです。

※これらのアレンジメントの中には、教会の前庭に生えている白樺の枝が使われているのもあります。(全部とは行きませんが)花材が直接庭から供給できるのは理想かもしれませんね。

2014年12月6日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第二主日礼拝

2014年12月7日(日) 午前10時30分

 
朗読箇所 ヨハネの福音書 2:1-22

説 教 題 「受肉した御子の栄光」
説 教 者  小嶋崇 牧師

2014年12月2日火曜日

(3)英語圏ブログ紹介⑬

このシリーズ、また前回から間が空いてしまいました。

と言うことで恒例の「これまでのまとめ」。

① Chuck De Groat (The New Exodus)・・・ブログの新アドレスはこちら
② Rachel Held Evans 
③ Tim Gombis (Faith Improvised) 
④ Larry Hurtado 
⑤ Andy Rowell 
⑥ Michael Gorman (Cross Talk)・・・リンク戻りました。 
⑦ Jason Goroncy (Per Crucem ad Lucem)
⑧ Andrew Jones (Tall Skinny Kiwi)・・・ブログの新アドレスはこちら
⑨ Chris Tilling (Chrisendom)
⑩ Nijay Gupta (Crux Sola) 
⑪ Ben Meyers (Faith and Theology)
⑫ James Crossley (Sheffield Biblical Studies)

と、ここまで来ています。

ところで、12番目に紹介したジェームズ・クロスリーは、現在クリス・キースとアンソニー・ル・ダンが始めた、The Jesus Blog、に加わっています。

最近は、このように、複数のブロガーで運営するサイトがかなり増えています。
日本ではこの傾向は殆どありませんが。

さて、今回紹介するホィートン大学のマーク・コーテズは2013年にウェスタン神学校から移ってきた方で、筆者がブロガーとして知っているのは殆どウェスタン時代です。

どちらかと言うと「軽い話題」の多い「神学ブログ」と言う印象でした。

ホィートン大学と言えば「ホィートン神学会議」 と言うのがあり、2010年にはN.T.ライト(当時はダラム大聖堂主教)一人をテーマにした異例の会議がもたれました。

今年、2014年は「聖霊」をテーマにした会議で、コーテズ教授にとっては地元開催の余裕もあってか、5本の記事に纏めてレポートしています。

聖霊についてのホィートン神学会義2014
 WTC14 Spirit 1
 WTC14 Spirit 2
 WTC14 Spirit 3
 WTC14 Spirit 4
 WTC14 Spirit 5

ちょっと斜め読みですが、1番目のサンドラ・リクター(現在はホィートン大学ですが、以前アズベリー神学校でも教えていました)の「聖霊についての聖書神学」は事前になってピンチ・ヒッターでこしらえた講演だったようですが、幾つかのインサイトがあるようです。

(2番目と3番目はスキップして)4番目の「ペンテコステ派」についての講演レポートは結構分量が多く、コーテズさんも関心が高いものだったようです。

ペンテコステ派の由来や、歴史、世界大への広がり、などが講演では語られたようです。

5番目は「聖書解釈における聖霊の働き、照明」と言うことで、ケヴィン・ヴァンフーザー教授。
これも結構面白そうだったようです。


以上講演レポートの内容まではとてもご紹介できませんでしたが、(最近は余り訪れていないながら)英語圏ブログの紹介でした。

2014年11月29日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第一主日礼拝

2014年11月30日(日) 午前10時30分


朗読箇所 第二コリント人への手紙 2:14-17

説 教 題 「キリストのかおり」
説 教 者  小嶋崇 牧師

2014年11月26日水曜日

(少し拡大版)近所をグルメ探検

※こちらのブログでは取り上げていませんが、巣鴨一丁目の蛇の目寿司に関してはこちらをご覧ください。

さて巣鴨周辺だけでは限りがあるので、少し足を伸ばしてみます。

巣鴨と言えば「おばあちゃんの原宿」地蔵通りにある、手打ちそば菊谷からご紹介しましょうか。


注文して待つ間、雑誌に紹介されていたこのお店の写真とおそばをパラパラ眺める。



最初に出てきたのは普通のもりそば(大盛り)。薬味のねぎやおろしが丁寧。


次のまでちょっと休憩。お店は結構小さいです。


鴨肉つくねときのこのおそば。つやはやや甘め。


日本蕎麦の次はラーメンとなります。
どっちにしても麺類ですが。

巣鴨と言うか、大和郷には千石自慢ラーメンという結構有名な店がありますが、最近(山手線)お隣の駒込に足を伸ばして探検しています。

昔何度も足を運んだ(テレビにも何度も登場した、かの有名な)東池袋「大勝軒」で修行して独立したと言う「ごとう」が池袋西口の店を閉めて、駒込に移転したと聞き食べに行きました。(西池袋時代はついぞ行く機会がなかった。)


(画像はスマホで撮ったが消えてしまった。うまく保存できなかったみたい。)

これはつけ麺系一般に共通するかもしれないが、とにかく麺が太くぼそぼそになる傾向がある。
大勝軒の麺は中細でつるつるしていたのだが・・・。(一応参考までにごとう タベログ

駒込にもう一軒行こうと思っていた店があった。
アザレア通りにある麺や あかつきに先日行ってきた。


こちらも太麺でぼそぼそなのだが、つけ麺ではないので幾らか食べやすかった。

野菜、にんにく、脂の量は注文した後個別に聞いてくるので、今回は野菜とにんにくを「普通」で頼んだらご覧の量になった。(コチラの店はまた行く気になるかもしれない。)


最近の東京ラーメンについては不満なことが多いのだが、それは今回は言わないことにしておこう。

2014年11月22日土曜日

明日の礼拝案内

収穫感謝 主日礼拝

2014年11月23日(日) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 14:8-18

説 教 題 「正しい礼拝と感謝」
説 教 者  小嶋崇 牧師


2014年11月21日金曜日

(2)「収穫感謝礼拝」準備

今年の収穫感謝礼拝を明後日に控えている。

巣鴨聖泉キリスト教会で収穫感謝礼拝が始まったのは、1982年。

筆者の父が牧師として、特に教会学校で子供たちに『主の祈り』を教えることでの思索から出てきたものであった。

「日々の糧」の感謝をささげることに、より自覚的になることを通して、自然環境破壊、エコロジーの問題に繋がっていきました。

その頃父が手にしたのが、イェルク・ツィンク著「美しい大地ー破壊される自然と創造の秩序」(1983年、新教出版社)でした。


これが一つのテキストとなって、その後の収穫感謝礼拝説教は作られていったようです。

収穫感謝礼拝に参加する方には、収穫の主への感謝としてささげる地の産物」を持参するように頼んでいます。野菜や果物、時に穀物がささげられます。

筆者もなるべく余裕があれば、礼拝前に「地のもの」を求め、自然観察も兼ねて近くの山里を訪ねたりします。

今年も何かいい場所はないかとネットで調べていたのですが、段々時期が迫ってきたので近場に切り替え、最近耳にするグリーン・ツーリズム方面から探すことにしました。

最初思い浮かんだのは八王子付近の農協関連直売所でした。

しかしさらに近場をと、23区内で「野菜」・・・で思い浮かんだのが練馬区。
まっ大根でも有名です。

そして見当を付けたのが、JA東京あおばファーマーズショップこぐれ村
西武池袋線大泉学園から歩いて20分くらい、と手軽です。

次にお昼ご飯の算段をつけました。

武蔵野、と言えばうどんです。

駅から近い手打ちうどん長谷川にしました。



注文したのは「糧うどん」。

大盛りにしようかほんの一瞬迷いましたが、普通でやめときました。

茹で上がるまで15分くらい待ちました。

使われている二種類の小麦粉は、地元埼玉県のものと合わせ、国産です。

出汁つゆは少し甘めで濃い目のしょうゆ味。

味のついた豚肉の他に鰹節の味も利いていました。

その他小松菜、ごぼう、長ねぎ、しょうが、などが入っていました。

おいしかったです。

点をつけるとすれば、85点くらいかな。

最近時々食べ歩き(主に麺類)しますが、その中では最も満足できる方でしょう。

(同じうどんでは、昨年夏の旅行中に食べた三太郎うどんには及びませんが、その他の讃岐うどんよりおいしいと思います。)

さて御腹ができたので、今度は野菜をゲットしにファーマーズマーケットまで、桜並木のやや落ちてしまった紅葉を眺めながらそぞろ歩き。


お店の建物の中に入ると、商品台は野菜ごとに整然としているのですが、広さに反して品薄感が。


でも大根、キャベツ、白菜、など良い品が安いのには「やっぱり直売所!」と感心してしまいました。


沢山買いたかったのですが、幾つかあきらめて、5品にしました。


右から順に、赤カブ(120円)、キャベツ(80円)、カリフラワー(200円)、白菜(120円)、にんじん(130円)、でした。(ここには写っていませんが、他に葉付き練馬大根200円、青森のにんにく210円。)




もう一つの準備として、映画いのちの食べかたを鑑賞。

2、3年前だったか、当教会関係者が観て話題になったのを覚えていたので。

1時間30分くらい、ひたすら食肉や野菜の工場での大量加工や大規模農場での様子が写し出される。

背景に仕事をしている人たちの会話はあるが、それはストーリーには取り入れられない。

邦題「いのちの食べかた」は、原題の(恐らく)背景である『主の祈り』の「日毎の糧」を回避(無視?)したものだが、人間が食するために大量の生物を殺している過程をより直截に示唆する。

しかしこのドキュメンタリーはある種他の過程や音を減じて、「食料」の機械的生産過程をグロテスクにクローズアップしている向きもある。

やはり一種の編集・誇張。

まっそれが戸惑いやばつの悪い感触・印象を生むのを狙っているのだろう。



さて以上を明後日の礼拝説教のネタにしようと思っているのだが、どうなることやら・・・。

2014年11月19日水曜日

(5)エマニュエル・カレール『Le Royaume(神の国)』

このブログで朝日新聞が出す日曜版の一つ、GLOBEからのネタは三つ目となる。
価値観の違い
ピアノ調律

最近は新聞には一応目を通しても、斜め読み程度で終わってしまうことが多い。
時々面白く読むこともあるが・・・。

このグローブ版はテーマが雑誌風で面白く読めることがままある。

終わりの方のページには海外のベストセラーの紹介があるが、今回はフランス編だった。

浅野素女(もとめ)『書くことはさまようこと』 
が紹介している文学作品の3冊の中で(ノーベル賞受賞のパトリック・モディアノをさしおいて)筆者の目を惹いたのは、
エマニュエル・カレール『Le Royaume(神の国)』
であったのは題名からして当然であろう。

「テレビや映画でも活躍する多彩な中堅作家」であるカレールの『神の国』は
ある時期の3年間、神を信じて熱心にミサにも通ったという作者が、自身の姿を掘り下げつつ、キリスト教の真髄に迫るエキサイティングな試みだ。
イエスの死から聖書が成立するまでのキリスト教初期は神秘に満ちている。磔刑(たっけい)にかけられたひとりの男の惨めな死。そこに端を発して、キリスト教は不滅のローマ帝国を内部から侵食し、3世紀の間に覆してしまった。
これは、一体どういうわけなのか。カレールは探偵のように、歴史資料を縦横に駆使しつつ、2000年前の物語を現代に引きつけながら検証していく。
と、解説されている。

初期キリスト教が成立する歴史的背景としてカレールが焦点を当てているのは(浅野氏によると)、パウロとルカという二人の聖書記者らしい。

ユダヤ教の枠を越えて、キリスト教が広くローマ世界に浸透して行く鍵としてこの二人に注目するのは至極当然ではあるが・・・。

カレールの『神の国は』
宗教を材料にした娯楽小説でも、信仰の書でもない。それでいて信仰というものにがっぷり正面から取り組んだ野心作である。
と結ばれている。

少し読書欲をそそられた。
が、これだけでは余りにも浅すぎる。

フランス語は読めないし、現代フランス文学についても皆目何も分からないが、ネットととグーグル先生がついているのでとにかく検索開始。

どうやら日本語では何もそれらしき情報にはヒットしない。

著者名と本のタイトルをフランス語で検索するとそれなりに出てくる。

ビデオや記事を幾つか見てみたがやはり言葉の壁て何が何だか分からない。

そんな中、アマゾン英国にフランス語でだが読者書評が一つついていた。

最初これをグーグル翻訳で日本語に訳してみた。
結果は惨憺たるもの。(おためしあれ)

ちょっとあきらめかけたが、別な方法を思いついた。
それは英語に翻訳する、と言う方法だ。
This book covers the first fifty years of Christianity. Emmanuel Carrère conducted a fascinating study on the first disciples of Christ, including the four Evangelists and the groups they formed. Or how the message of Christ is re-translated, edited, published in the first communities around the Mediterranean. We are witnessing the different recruitment strategies of the first disciples, rivalries and alliances, the adventures of these far-traveling evangelists, all described in detail. Often Carrère imagine how it could have happened in the absence of documents or records accurate enough, but when he invented it has the honesty to say. Always with comparisons with events and actors of the modern era (Ben Laden, Lenin, Trotsky, Stalin) which, while avoiding anachronisms, allow to understand the events of 20 centuries old but have helped shape our history. Certainly books more competent, more scholars have been written on the subject. I tried to read one or the other, but these works have fallen from my hand after a few pages. This big book one, I devoured from beginning to end. An extraordinary evocation of what could be the atmosphere and life of the time, you'd be there....

いやー書評の内容はともかく、グーグル翻訳でこれだけ「読める」英語だったら、先ずは合格。

何でこれまでこの方法を試さなかったのだろう。

グーグル翻訳の便利な使い方を一つ習得した。(早速ドイツ語にも試してみた。)


先ほどの佐野氏の書評と比較すると、『神の国』が、厳密に歴史的な検証と言うより、より文学作品的洞察が先導しているのではないか、と思わせる書評だ。

幾らか読書欲は減退したが、しかし今まで越えられないとあきらめていた「フランス語の壁」が、グーグル翻訳である程度解決できることを知ったと言う収穫は大きい(今のところ)。



2014年11月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年11月16日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:15-23

説 教 題 「万物を成り立たせる」
説 教 者  小嶋崇 牧師


パウロ書簡の学び(128) | コロサイ人への手紙(11)

キリスト賛歌4

2014年11月9日日曜日

(3)キリスト者の短歌

丸っきり柄でもないことを・・・。

たまたまこのツイートが目に入った。

佐野豊子さんと言う歌人は(当然ながら)存じません。

ググって見ましたらプログをやっておられました。
佐野豊子の短歌

プロフィールにはこうあります。
わたしのルーツは沖縄ですが、台湾でうまれ、東京の府中で育ちました。
祖母、両親の影響がつよく、沖縄舞踊、短歌、クリスチャンと3つの草鞋をはいています。
「汎神的土俗」と「一神教」が混ぜこぜのようですが、すべての背後にあるキリストの愛をみつめています。
「汎神的土俗」と「一神教」が混ぜこぜ・・・と言うところに興味を惹かれました。

過去(アーカイブ)ちょっと見させていただきました。

冒頭の句でシリアスな句を予想してましたが、そう言うのは少なかった。

何となく目に留まったのは以下。

還暦もすぎてようやく折り返す神のまにまに捨て舟の見ゆ

日高屋はおひいとりさまが多すぎておふたりさまのテーブルにざす


今日はネットサーフィング。遊んでみました。

明日の礼拝案内

(※昨晩、ブロガー・アクセス障害のため今日更新。)

主日礼拝

2014年11月9日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「祈りと労働」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教シリーズ:キリスト者の交わり(10)
 

 『一日の仕事』
 祈ることと働くことは二つの異なることだ。祈りは働きによって邪魔されてはならないし、同様に働きは祈りに邪魔されてはならない。・・・
 仕事は人を「ものの世界」に投げ込む。キリスト者は兄弟姉妹の交わりから、非人格的な、三人称な世界へと踏み出す。この新しい対面によってキリスト者は「自分」から客観化されて自由になる。なぜなら「ものの世界」は神の手にあってキリスト者をすべての自己中心や自己追求から清める手段にすぎないからだ。 (ボンヘッファー、Life Together、2章)
 
 

2014年11月7日金曜日

2014年クリスマス集会


今年もクリスマスが近くなってきました。

このチラシ(電子版)を欲しい方はこちらをクリック


  クリスマス礼拝
  12月14日(日) 午前10時30分

「音楽とともにささげるクリスマス礼拝」

特別出演:
 北方奈津子(リコーダー、フルート)
 内藤真奈(ピアノ)

北方奈津子☆プロフィール

洗足学園大学(音 楽学部フルート科)卒業、桐朋学園大学研究科古楽器(フラウト・トラヴェルソ)専攻修了。
フルートを小林茂氏 に、フラウト・トラヴェルソを有田正広氏に、リコーダーを山岡重治氏に師事。
様々な時代のフルートを使い分け、 バロック音楽をはじめ各種のコンサートに出演。
また、ユーオーディア管弦楽団メンバーとして「賛美の夕べ」、各 地の教会でのチャペルコンサートに出演。
ユーオーディア・アカデミー講師、ミルトス・ フルート教室講師、恵泉女学園講師、狛江市小学校音楽科講師。
こちらから引用。



内藤真奈☆プロフィール
東京基督教短期大学(現東京基督教大学)神学科教会音楽専攻科修了。
米国ニュージャージー州ウェストミンスター・クワイヤ大学大学院にて教会音楽とオルガ ンを専攻、修士課程修了。
オルガンを岳藤照子、ジョーン・リッピンコット、ユージーン・ローンの各氏に師事。
ピアノを吉野弘子氏に師事。
留学中成績優秀者 としてJ.F.ウィリアムソン奨学金を受け、オルガン・リサイタルを行う。
帰国後もヨーロッパや国内での講習会等に参加し研鑽を積む。
東京武蔵野福音自由 教会にて教会音楽主事を務めた後、現在、お茶の水聖書学院講師、東京キリスト教学園講師。
その他近隣の教会等でオルガンやピアノを指導する傍ら、ソロコン サート、室内楽、声楽家の伴奏等、多岐に渡って活躍中。
東村山福音自由教会会員。
日本オルガニスト協会会員、日本オルガン研究会会員。 

  キャンドルライト礼拝
  12月24日(水) 夕7時

クリスマス・イブ、一年を締めくくる静かな聖夜。
聖書とキャロルとパーティー。

どちらの集会も入場無料どうぞ、お気軽にお加わりください。

ジュリアの会作品展 2014年クリスマス

当教会会堂、及び活水工房を会場に
ジュリアの会作品展
が行なわれます。 
 

2012年以来となる今回はクリスマスがテーマです。
 
日時:
2014年11月29日(土) 11:00~17:00
2014年11月30日(日) 12:00~16:00

☆ ジュリアの会・・・安田敏子さんが主宰するフラワー・アレンジメントのクラスです。

☆ 当日は、先生、生徒の作品が展示されます。

☆ 会場へのアクセス・・・ここをクリック

☆ 会場についてのお問い合わせ・・・℡03-3946-8035

☆ 茶菓の用意もしております。ゆっくりご観覧ください。

☆ 2004年の「ジュリアの会作品展」の様子は・・・こちらをクリック

2014年11月6日木曜日

(3)マーク・アムスタッツ『エヴァンジェリカルズ アメリカ外交を動かすキリスト教福音主義』

マーク・R・アムスタッツ
エヴァンジェリカルズ アメリカ外交を動かすキリスト教福音主義』(ヒストリカル・スタディーズ11、太田出版、2014年11月)


はどうやら、
Amstutz, Mark R. Evangelicals and American Foreign Policy (New York: Oxford University Press, 2014).


の邦訳のようだ。


本書がアムスタッツの初邦訳とある。

著者のマーク・R・アムスタッツは、福音派の牙城、ホィートン大学の政治国際関係学部・政治学の教授だ。
この本は彼の最近刊となるらしい。

内容は以下のようになっている。(少し面白そうな章だけトピックを表示)

第1章 キリスト教と外交政策

第2章 福音派の本質と起源
 福音主義の発展
 福音派の信徒を特定するには?
 福音派の台頭とメインラインの衰退
 福音主義の組織化
 将来の福音主義
第3章 福音派のグローバルな展開の起源――宣教活動

第4章 福音派の政治倫理

第5章 福音派とアメリカの対イスラエル外交政策
 聖書とイスラエル
 クリスチャン・シオニズムとイスラエルの建国および維持
 アメリカ人とイスラエル
 福音派のイスラエルへのアプローチ
第6章 福音派と世界の貧困

第7章 福音派の外交政策アドボカシー
 国際的な信教の自由
 人身売買への取り組み
 北朝鮮の人権への取り組み
 スーダン和平プロセス
 HIV/エイズの世界的流行
 福音派の政治的アドボカシーについての予備的結論
第8章 福音派の外交政策アドボカシーの欠陥
 気候変動
 アメリカの移民改革
 強制的尋問と対テロ戦争
 核兵器の削減
 結論
第9章 より効果的なグローバルな関わりへ
 教会の政治関与
 より効果的に政治に関わるための原則
太田出版も翻訳者の加藤万里子も聞いたことがないので、それで調べてみる気になり、今回の記事となった。

日本の福音派系キリスト教出版社ではとても手が出そうもない(?)ものを訳してくれていることになるのだろうか。

ホィートン大学のアムスタッツ教授のプロフィールでは、この本は以下のように説明されている。
His most recent publication is "Evangelicals and American Foreign Policy" - a book that describes and assesses the role of Evangelicals in global affairs.

著者は国際関係の諸問題を倫理的枠組みで捉える研究をしているようだ。
In 2005 he published a study, The Healing of Nations, which addresses the challenges of confronting and overcoming regime human rights abuses.

ホィートン大学の「放送局」でこの本の出版に関してインタヴューしたものがある。

※アムスタッツ教授は自身宣教師の子供として海外で育ち、英語を習得したのは高校くらいからだったとのこと。ホィートン大学ではもうかれこれ40年教えていると言う。

この本が取り上げているのは、外交と言っても、広い意味での(福音主義)キリスト教の様々な海外宣教活動のことで、その観点から「福音主義キリスト者は米国の最初の『国際主義者(インターナショナリスト)』であることを主張しているようだ。
Evangelicals were active in foreign affairs since at least the nineteenth century, when Protestant missionaries spread throughout the world, gaining fluency in foreign languages and developing knowledge of distant lands. They were on the front lines of American global engagement--serving as agents of humanitarianism and cultural transformation. Indeed, long before anyone had heard of Woodrow Wilson, Evangelicals were America's first internationalists.(アマゾンから)
確かにリンクにあるインタヴューでもこの点が本書の強調点である、と言っている。

しかし、宣教師たちの活動が福音宣教とともに様々な人道的社会改善の影響を与えたとともに、植民地的主義的(コロニアリズム)影響ももたらしたのではないか、と言う点についてもインタヴューでは討論している。

もう一つ「イスラエル問題」については、福音主義キリスト者のイスラエル支持が高いと思われているが、さにあらず。米国市民一般のイスラエル支持比率の方が福音主義者のそれよりも5ポイント高いそうである。

また、福音主義者のイスラエル支持の背景に前千年王国説があると言われることがあるが、これも統計資料的には余り根拠のない指摘とのこと。


さて太田出版の方の本書説明では、
アメリカは宗教で動いている
◆アメリカ国内に推定1億人の信者を持ち、アメリカ最大の宗教勢力とも言われるキリスト教福音派。聖書の教えを絶対視する保守系キリスト教徒である彼らは、宣教活動やロビー活動、そして草の根の政治運動を通じてアメリカ外交に大きな影響を及ぼしている。
◆彼らはなぜ「アメリカは他国より質的に優れている」と信じ、「世界中で善を実現する特別な任務を持つ」と自負しているのか。なぜイスラエルを支持し、核兵器を持ち続ける北朝鮮に対して人道的支援を行うのか。
福音派の信仰と政治的信条を歴史的に解き明かし、アメリカ外交において果たしてきた役割を示す。
となっている。

近年、(特にブッシュのイラク侵攻辺りから特に?)「キリスト教原理主義」と米国の福音派が近親的に語られる傾向があるが、アメリカの保守的キリスト教勢力が政治的に一色ではないことは、日本のような外の場所から見ていると分かりにくい面はあるのだろう。

この説明を一瞥して、福音派を「未知の一大宗教勢力」とイメージして、潜在的恐れ(threats)を仄めかし、その背景を知っておかなければならない(インテリジェンス)、と言う設定の仕方は幾分「購買関心を引き出す」ためのレトリカルな文面に読める。

少なくとも本書の半分は福音派の「世界に影響を与える」根拠は右派的な価値観だけでなく、人間の尊厳、人権、などリベラルな価値観も含んでいることを主張することで、よりバランスの取れた「米国福音派理解」に繋がるかもしれない、との思いはある。

いずれにしても、本書が一般読者を対象にしている、と言うことで、日本の福音派系キリスト教出版社では出来なかったかもしれない、「距離を置いた関心」を生むことが出来るのはいいかもしれない。

2014年11月3日月曜日

(4)映画「ツリー・オブ・ライフ」 追記

映画「ツリー・オブ・ライフ」について、(よくやることだが)映画を見ないで文章を書いたことがある。(ここ


先日、たまたまベイラー大学(米国)のベバリー・ガベンタ教授の講演(動画)を観ていたら、この映画のことが取り上げられていた。


彼女が見に行った映画館で、この映画を見に来た客が「こんなひどい映画。入場料を返せ。」とごねていたそうな。

翌週(気になったのか)ガベンタ教授は「ツリー・オブ・ライフ」を見に行った。

ガベンタ教授が集めた「この映画が気に入らない人の評」では、ストーリーがない(あるいは)かなり弱い、ということだ。

しかしガヘンタ教授は(予想の通り)この映画が大変気に入った。

家族のドラマと、創造のドラマが織り成す、引き伸ばされた頌栄(ドクソロジー)だ、と。
※ドクソロジーと言っても、献金後に歌われる賛美ではなく、ベースボールの試合で7回裏に球場全体が合唱するあの歌のこと。

以上がこの日の「ロマ書」に関する講演のイントロに使われたのだった。


ガベンタのロマ書講演についてのニジェイ・グプタ(動画リンクがあるブログ主)の感想、批評も合わせて読むことを勧める。

ついでと言っては何だが、このロマ書講演の感想記事の次に、女性(新約)聖書学者(特に福音書と使徒の働き)の文献表をリストアップして紹介している。こちらもお勧め。

なかでも筆者の一押しは、ユダヤ人のエイミー‐ジル・レヴァイン教授。


明瞭な物言い。
的確な指摘。
なかなか聞いていて分かりやすい。

SBL(北米聖書学会)と言う「世界で最も大きく(権威ある)聖書学会(ちゃんと調べていないが)」が最近スポンサーとなって無料で提供している聖書研究のための情報サイトに、バイブル・オデッセーがあるが、ここで動画で提供されている「解説記事」の中でも、レヴァイン教授のものはぴか一だと思う。

たとえば、これ。
Jesus' Bible and Language

2014年11月1日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2014年11月2日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 16:5-15
説 教 題 「受けて伝える」
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

  《御霊の働き》 8  
※聖餐式があります。 

2014年10月28日火曜日

(4)新カルヴィン主義動向④

前回から1ヶ月以上経ってしまった。

「新カルヴィン主義」は、果たして一過的な盛り上がりに終わるのか、それともより長い影響を及ぼし続けるのか。

LOVEJapanで来日したジョン・パイパーも去ったことだし、今後のニュー・カルヴィニズムを占うにあたってちょっと心配な観測をしている記事を今回は紹介しましょう。

ジョナサン・メリット記者による記事
The troubling trends in America's 'Calvinist revival'
(「北米における『カルヴィン主義復興』には心配な傾向が幾つかある」)

※文中メリットは「ニオ・カルヴィズム/カルヴィニスト」を多用しているが、シリーズ②の記事中で書いたように「ニオ・カルヴィニズム」は「アブラハム・カイパーに代表される19世紀末から20世紀初頭にかけたオランダ改革派神学運動」を指す。
※「ニオ・カルヴィズム」については、以前「キリスト教世界観」と言う記事の中で素描を試みた。←ことを最近思い出した。 


メリットが挙げる「心配な傾向(トラブリング・トレンズ)」は3つある。
 1.孤立主義(アイソレーショニズム)
 2.同族主義(トライバリズム)
 3.独善主義(エゴティズム)

1.孤立主義(アイソレーショニズム)
 メリット記者が「孤立主義」で指摘しようとしているのは、新カルヴィン主義者(特に指導者たちに顕著だとする)が、自分たちの神学的伝統の中にだけ留まり、余りその外に出ようとしない傾向のこと。

 ニュー・ヨーク市にあるキングス・カレッジ学長グレッグ・ソーンベリー氏の言葉を引用してこの見方を支持している。
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional."
(ダッチ・ストリームとは恐らくカイパー系のニオ・カルヴィニズムを指すのだろう。
‘young, restless, and reformed”はコリン・ハンセンがいち早く新カルヴィン主義の動きを捉えてCT記事にした時の題名で、以後しばしばこの運動を呼ぶ時に用いられる。 )

2.同族主義(トライバリズム)
An illuminating example of this might be the recent glut of Mark Driscoll controversies—from sexist comments to charges of plagiarism to proof that he bought his way onto the New York Times bestsellers list using ministry monies. Leaders in the movement were effectively mum until a select few broke the silence of late. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
孤立主義と呼応するが、「内輪の者に甘く、外部者には厳しい」態度を取る傾向のこと。
An illuminating example of this might be the recent glut of Mark Driscoll controversies—from sexist comments to charges of plagiarism to proof that he bought his way onto the New York Times bestsellers list using ministry monies. Leaders in the movement were effectively mum until a select few broke the silence of late.
※ここで取り上げているマーク・ドリスコル(元)牧師のケースはかなり例外的なものかもしれないが、その威圧的な言動や牧会指導スタイルで批判を受け、さらに自著セールス・キャンペーンに詐欺まがいの方法を用い、しかもそれを教会会計から多額支出したことで非難されていた。

この一連のドリスコル牧師騒動の間、仲間の牧師たち殆どは基本的に押し黙っていた、と言う指摘。
結局彼は暫く前に牧師を辞任した。

3.独善主義(エゴティズム)
 カルヴィン主義神学の優位性に「エゴ」が肥大し、ついついそうじゃない者たちにウエメセ(上から目線)的発言をするような態度のこと。

 このポイントで例として挙げられているのが(かなり話題になった)ジョン・パイパー牧師のロブ・ベル牧師批判ツイート。(神学的に怪しいロブ・ベル牧師の著書「ラブ・ウインズ」に対して、パイパー牧師は、「さよなら、ロブ・ベル」ときつい一言を投げた。)


今回は新カルヴィン主義運動に対して批判的な報道を紹介したが、マーティー教授が指摘したように、今後の運動の浮沈は、このような運動体の、特に指導者たちの、社会学的特徴にも大いに左右されるかもしれない。


2014年10月25日土曜日

明日の礼拝案内

時間を設定して自動公開したと思ったが、うまく出来なかった。事後になったが記録のため公開。

主日礼拝

2014年10月26日(日) 午前10時30分

朗読箇所 テサロニケ人への手紙第一 2:17-3:5
 
説 教 題 「私たちはあなたがたの顔を見たい、 
     信仰の不足を補いたいと、
     昼も夜も熱心に祈っています
説 教 者  小嶋彬夫牧師 

テサロニケ人への手紙第一から(3)

※小嶋崇牧師は水戸下市キリスト教会の礼拝で説教します。

2014年10月20日月曜日

(1)「人に助けてもらうって、それほど簡単なことじゃない」

「困ってるひと」を著した大野更紗さんについては、右サイドバーにリンクも貼ってあるし、記事にも書いた事がある。(これこれ

「困ってるひと」から3年、今度は「シャバはつらいよ」が出た。


著者大野更紗がシノドスジャーナルのインタヴューに答えた記事を読んだ。

以下何箇所か抜粋。

いま気になっているのは、社会にいる難病に限らないありとあらゆる困ってるひとたちが、忸怩たる思いを抱えていても、社会システムの変革に繋がるようなチャンネルがない状況です。

いろいろな困ってるひとがいます。アクティブに活動できる困ってるひとも、本当に深刻で、誰にも気づかれていない困ってるひとも、あるいはアクションを起 こすほど困ってるわけじゃないけど、ちょっと困ってるひとだってままいると思います。特に就労されている方だと、就労を維持することで精いっぱいで、自宅 に帰ったら体を休めるしかない。アクションを起こす余裕なんてない。社会運動をするよりは、就労を継続するほうが現時点では大切だ、という人もいるでしょ う。

……漠然とした言い方になっちゃうんですけど、人間って他人に関心が持てない側面と頼まれてもいないのに異常な情熱をもって人助けをしてしまう側面の両方をもっていると思うんです。
いつでも利他的で、役に立ちたい! なんて気持ちがずっとある必要はないと思うし、それは逆に不自然だと思うんだけど、でも普通に生きていれば、人 間、ひとつは自分のライフワークみたいなものがあると思うんですよ。仕事かもしれないし、趣味かもしれない、まだ見つからない何かかもしれない。それを ね、最近つくづく思うんだけど、もうちょっとまっとうなエネルギーに使ってもいいんじゃないかなって。

(※「利他」と「無関心」と両方を持っている。
そうねー。
それと双方の間の落差が激しい、って言うのもあるかも。)


2014年10月18日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年10月19日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:15-23

説 教 題 「万物と御子」
説 教 者  小嶋崇 牧師


パウロ書簡の学び(127) | コロサイ人への手紙(10)

2014年10月16日木曜日

(5)福音と多層文化

「福音と文化」と言う範疇でも様々議論があると思う。

しかしこれはメモ程度の文章なので、ただそのような思索のジャンルに入るものとだけ言っておこう。

※神学的考察として少し名前や著作を挙げれば、
①H・リチャード・ニーバー「キリストと文化」、
②ポール・ティーリッヒ「文化の神学」(Theology of Culture)、
などがあるかな・・・。


もちろん、どの文化(歴史や言語、思想的伝統)で神学するか、と言うことの自覚的反省そのものも「文化の神学」となるのだろうが。

「福音と文化」は日本の福音主義神学では、日本福音主義神学会創設当時ある程度関心の高いテーマであったような記憶がある。(学会誌のバックナンバーで論文タイトルをご覧ください。)
但し、当然ながらそれは「伝道の対象としての日本文化」と言う設定が色濃く出ていて、自省的な方向のものは少ないように思うが。

このブログではまだ「福音と文化」と言うテーマで「日本の文化」の問題について書いたことは余りない。

しかし、「福音主義」という事では主に北米の事情を「社会や文化の文脈」で書いたことは何回もある。

そんな中で「文化の多層性」を睨みながら書いた文章があった。
福音主義キリスト教と文化

ここで用いた「文化の多層性」の整理は、
①メイン・カルチャー(言語や国民的価値観のようなもの)
②宗教文化(プロテスタンティズムは北米でのメインな宗教文化)
③「福音主義」や「バイブル・ベルト」という宗教でのサブカルチャー
④人種的背景の違いから来るサブカルチャー(スン・チャー・ラーの韓国系福音主義キリスト教)
のようなものであった。

※先日「いのフェス」で起こったことも、もっと仔細な「文化の多層性」衝突問題として分析するのも、あるいは興味深いかもしれない。

とにかく、このメモ的文章で言わんとしているのは、単に「福音と文化」ではなく、もっと細かい「文化」を捉えて行く必要があるのではないか、と言うことだと思う。


※そう言えば、のらくら者の日記の記事はそのような「細かい文化」の問題ではなく、「文化の古層」「行動様式に表れる潜在的なもの」への実践倫理的問題提起だったように思う。
「空気」と、(丸山眞男が指摘した)日本人の「古層」とには深い関係がある。キリスト教会にとって、福音(メロディー・旋律)も、「古層」(執拗低音)の 問題に取り組まなければ、和音の色彩はすべて変質してしまう。クリスチャンも本書を熟読して考えてもらえればと願う。
もっと掘り下げて欲しいのだが・・・。

「日本文化を基底としている、日本文化に規定されている、キリスト者」と言う自省的分析視点を持ちつつ、「日本文化」を宣教の文脈に置かないと、と言うことでしょうね。

2014年10月15日水曜日

JECA水戸下市キリスト教会 特別集会

今年2月こんなメールが飛び込んできた。
小嶋崇先生
初めてのメール、失礼いたします。私は○○○○と申します。JECA日本福音キリスト教会連合傘下、水戸下市キリスト教会の信徒です。
私は195○年○月生まれ、仙台出身です。実家は○○○町で片平丁小学校、○○中学校、○○○○高校、○○学院大学を経て、197○年、茨城県に就職しました。
197○年のペンテコステに○○○○○○教会で洗礼を受けました,。
小嶋先生の経歴を拝見して、もしや片平丁小学校の同級では?と思い、失礼を省みずメールを宛てさせていただきました。
最初は名前だけはもしかしたら・・・としばらく考えてみたのだが、記憶に繋がるものがなかなか出てこなかった。返事を待たせるのもなんなので、以下のように返事した。
○○○○さま、
メールありがとうございました。
確かに片平丁小学校に4年生まで通いました。
当時の記録がないので記憶だけなのですが、生年が1954年10月なので同学年ですね。
私の担任は1、2年生の時が高橋まさこ先生、3、4年生時が菅原先生でした。

同級生の名前を何人か覚えていますが、残念ながら「○○」と言う名で顔が浮かんできません。
違うクラスだったのでは。
時々ネットで「片平丁小学校」で同学年卒を検索したりするのですが、さすがに個人的な情報までは行き当たりません。
担任だった先生たちは今どうしているだろう、などと思ったりするのですが・・・。
私の方は東一番町一番地(現仙台聖泉キリスト教会)でしたので、その辺に住んでいた(記憶が正確であれば)「田中○○○○」「吉田○○○○」「村上○○○」たちと仲良しでした。
そうしたらやはり二人は同じクラスであったことを確認して直ちに返事をくれた。
小嶋先生
レスありがとうございます。
やはりそうでしたか。
小生、1年2年は○○○先生、3年4年は菅原先生、5年6年は○○先生でした。
3-4年で同クラスだったわけですね。

ただ、小嶋先生と会話した記憶はありません。
誰かが「コジマくんの家は教会だよ」と言っていたので、
コジマくんが教会の息子さん、だったという認識があった程度でした。
うっすらと覚えているコジマくんの印象は、色白で優しそうな少年、でした。
いやー、小学生時代の自分の印象を突然聞くとは・・・。何か不意に鏡を見るようで自分でもびっくり。

暫くして、 ○○さんが上京の折話す機会を得た。
昔話に花が咲いた。

帰り際近く、突然居住まいを正すような感じで、「お願いなのですが」と、水戸下市教会の秋の特別集会の講師を頼まれた。



と言うわけで、長ーい前置き(導入)となったが、標題の
JECA水戸下市キリスト教会 特別集会(教会ブログでの案内)
となったわけである。

水戸下市教会にとっては毎年恒例の(秋の)特別集会講師に、JECA(日本福音キリスト教会連合)外から招くのは初めてだそうなので、当方の最近の関心や、キリスト教理解の方向を示唆する意味で、
スコット・マクナイト「福音の再発見」
リチャード・ボウカム「イエス入門」
ポール・マーシャル「わが故郷天にあらず」
の名前を挙げておいた。

どうやら「合格」したようであった。

もう10日後となった。
ギアをあげてメッセージにかからなければ。



1.講演会
 2014年10月25日(土)午後7時30分
「不思議なキリスト教-なぜキリスト教は成立しえたのか
 ・・・メシアの十字架の死→復活」

2.主日礼拝説教
2014年10月26日(日)午前10時30分
「神の国とその義-聖書の一大ストーリーの中に生きる
 ・・・聖書を貫くナレーティブの中に『キリスト者の役割を発見する』」

2014年10月11日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年10月12日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカ福音書 24:13-35
説 教 題 「食卓の交わり」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教シリーズ:キリスト者の交わり(9)  




 聖書はイエスと弟子たちが共にする食卓の交わりについて三種類のものに言及します。日々の食卓、主の晩餐、神の国での祝宴、の三つです。
 しかしこれら三つのいずれにおいても大事なのは、「彼らの目が開かれて、主イエスを知った」ことです。
        (ボンヘッファー、Life Together、2章)
 

2014年10月4日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2014年10月5日(日) 午前10時30分

 
朗読箇所 ヨハネの福音書 16:5-15
説 教 題 「栄光の十字架」
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

 
《御霊の働き》 7
※聖餐式があります。 

2014年9月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年9月28日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ヘブル人への手紙 5:1-10
説 教 題 「暗闇からの祈り」  
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

詩篇に沿って(6)
詩88篇・・・苦難からの解放の訴え

2014年9月25日木曜日

(危)「某キリスト教イベントを短考する」

まだホットな話題で炎上(はまさかないと思うが)を避けるため具体的な名称等は避けて書く。
それで『難易度ランク』も初の「危(険)」 とした。
今回の記事は基本「ユーモア」の部類だと自分では思っている。
それで短い記事を書くつもりなので「短考する」とした。

先日ある催しに行ってきた。

キリスト教の文化祭のような複合的催しで、そのうちの「トーク」イベントに呼ばれた人は暫く前結構顰蹙を買った本を出した人だ。

その方がプロデュースする「アイドル・グループ」が会場で「歌や踊り」をしたそうだ。

(「・・・そうだ」と書く時点で大した事書いてないはずだから、その辺適当に。)

もともとこのイベント、プロデュースする某キリスト教系出版社のアイデアマンが、ジリ貧の日本の教会に花火を仕掛けるような趣があり、何をしても教会内外から風当たりが強い。

もしかしたら思う壺なのかもしれない。


何はともあれ今回一番「ヒハン」を浴びているのは、この「アイドル・グループ」が、教会堂で、十字架を前にして、お祈りみたいな所作をして、etc.と言うところにあるようだ。

※場所が「聖堂」かどうかは多少微妙な点を含むが、基本的には「聖堂」ではなく「ホール」であることに関して十分周知されていず、少し余計な論争になった部分があるのは否めない。

この方本人の弁によれば、「アイドル」を「本気、ガチ」で「宗教=超越体験」として捉え、実験的に取り組んでいるらしい。

これは確かに「論争の種」になるだろうな。

敢えて冒険的に言えば、この方は「新興宗教」に括られる「活動」をやっているのだろう。

大規模な教団になるかどうかを問わずに言えば、この方の「アイドル・グループ」活動は立派に新興宗教に近いものと感じられる。

少なくともこれまでの新興宗教と、この方の「アイドル・グループ」宗教活動と、何が大きく違うかと言えば、『教祖のカリスマ』が前面に出るのではなく、プロデュースする人間の「宗教理解」が推進役を務めている点ではないか。

巨大新興宗教には、もしかしたら、カリスマ教祖の背後に、教祖のカリスマを防御し、教団とのパイプ役となって教団の具体的な動向を操るような黒子の存在がいる場合があるかもしれない。

その場合カリスマ教祖はもっぱら『聖』を演出することに専念し、『俗』には手を出さずに黒子に任す。
そんな役割分担が考えられる。

しかしこの方の「アイドル・グループ」宗教活動の場合、プロデュース役が自らの「宗教理解」を公言しながら、非常に自覚的に「宗教=超越」を実験的に演出し、(恐らく)フィードバックを見ながらやっている。
そこがかなり違うように見える。

このような「宗教」実験が、かなりポストモダン的で、伝統的な『聖』を愚弄されたと感ずる者達の感性を逆なでするのは、無理もない、と愚考している。(筆者も多分についていけてないが。)

2014年9月24日水曜日

(3)今日(9月23日)の収穫

今日は(昨日9月23日の書きかけ記事でした)早稲田奉仕園のスコットホールを会場にして、「いのフェス」が催された。

知人のミーちゃんはーちゃんが出展しているのでN.T.ライト・セミナーの打ち合わせも兼ねて午後から繰り出した。

最初に出展ブースを眺めてみた。



例の聖書を題材にしたカードゲームの実演販売か。

このブロックではミーちゃんはーちゃんが見当たらないので、スコットホールで探してみたがこちらもいない。

と言うことで元に戻ってよく見ると復活書店の古書バザーをやっているではないか。

いのフェス出店ではなく、同時期に日本キリスト教会会館2階を借りてやったみたい。

ぼんやりと名前は聞いたことがあるのでちょっと暇つぶしと思い入ってみた。

結構たくさんのキリスト教関連古書。

100円から300円程度のものが殆ど。

中に洋書(殆ど英書と少し独書)があったので買うつもりもなくズラーっと見てみると、これが結構いいのがあるある。

主に聖書学分野を気にしながら見てみたが、一時代を画したような学者の本や、当時の研究を指導した名著など。

一冊100円の値段では捨てておくにもいかず何冊か買ってしまった。

  
Tradition and Interpretation in Matthew、は所謂『編集史批評』を切り拓いたので有名。


Paul and the Salvation of Mankind、は余り評価を受けずに忘れられた感があると、ラリー・フルタド教授は言う。

Munck was an incisive exegete who died too young, but not before he had produced two major works, of which this is one.  The other likewise deserves continuing attention among serious students of the NT:   Johannes Munck, Paul and the Salvation of Mankind (Aarhus/Copenhagen: Universitetsforlaget/Ejnar Munksgaard, 1954; reprint, Richmond: John Knox Press, 1959).

さて、どんなもんか暇な時に読んでみよう。

G. E. Wright, God Who Acts、も「聖書神学運動」を画した一冊。今となっては色々限界はあるようだが。


G. B. Caird, Saint Luke、ケアードは言わずと知れた(そうでもないか)N.T.ライトのメンターで、その聖書関連知識の豊富さ(オールラウンド)は凄い。

※画像がなぜか縦に表示されてしまいます。

ジョージ・マースデンは最近の「新カルヴィン主義」でも取り上げているが、このジョナサン・エドワーズの伝記は短い古いもので、最近もっと大著のものを出したはず。

マーカス・ボーグはN.T.ライトとともにジョージ・ケアードの弟子筋と言うことで僚友みたいなところがある。
(しかしボーグがジーザス・セミナーの代表的な学者なのに対して、ライトはセミナーを徹底的に批判している。)
しかし聖書観・聖書解釈の違いが「キリスト教理解」をこれだけ変えるか、と言うことでは好対照なので買っておこう。


不寛斎ファビアンについては1回投稿しています。

最後に紹介したブログの書評記事のリンクがブログのアドレスまでで、記事(2009年4月21日のもの)まで行っていませんでした。

今確認したらその書評記事で取り上げた本がこれだったのです。

奇遇、と言いたいところですが、どうやら類書が少ないようで、ググッてもごく少ないヒット。
貴重な本をゲットした感じです。

伊藤明生先生の「新約聖書よもやま話」は、ミーちゃんはーちゃん出店ブースから購入しました。プレゼント用です。


以上忘れないうちにまとめておいたメモ記事でした。





2014年9月22日月曜日

(3)水村美苗『日本語が亡びるとき』②

ほぼ2ヶ月経っての『続き』となります。

でも先日「加藤周一記念講演会」と題して更新しましたので、ある意味③と数えた方がいいかもしれません。

水村さんの『日本語が亡びるとき』は現在英訳が進んでいます。


The Fall of Language in the Age of Englishはコロンビア大学出版社から、2015年1月発売予定です。

この英訳をなさっている方の一人が吉原真里さんと言うのですが、1968年ニューヨーク生まれで日米両国に在住したと言う水村さんと似通った背景の持ち主です。(吉原真里略歴

たまたまこの方のブログ(Dot Com Lovers)を読んでみたのですが、なかなか充実した記事が満載で面白いです。

ご本人は既に何冊も御著書をお持ちですが、多くの記事(特に開始した2008年から数年)は幾つかのテーマに絞った米国時事関連エッセイ集として十分お金の取れる文章をお書きだと思います。

最近は色々とお仕事の関係もあるのか更新頻度は大分落ちていますが、自分の著書の感想文コンクールを主催するなど、非常に啓蒙意識、知的意識の高いブロガーです。

一応水村関連と言うことで、
『日本語が亡びるとき』
水村美苗+梅田望夫 
の二つの記事のリンクを挙げておきます。

是非他の記事もご一読を。


2014年9月20日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年9月21日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:15-23

説 教 題 「初めに生まれた方」
説 教 者  小嶋崇 牧師


パウロ書簡の学び(127) | コロサイ人への手紙(9)

(3)加藤周一記念講演会

加藤周一記念講演会なるものに行って来た。
(フランス文化講演シリーズ第280回)
第5回加藤周一記念講演会
「私の知っていた加藤周一さん」
水村美苗(作家)
日時:2014年09月19日(金曜) 18:00
会場:日仏会館ホール - 渋谷区恵比寿3丁目
 
開始30分前には会場に着いたが、もう20-30人くらいの人がホールで待っていた。
事前予約だが、なんでも「120名」定員のところ応募が多く180名くらいを見込んでいるとの係りの人の言。
 
日仏会館は初めてだったが、近づいていくと何やら少し変な建物のように感じられた。
 
それはどうでもいいとして、会場となる1階のホールは別に何の変哲もないが却ってそれが良かった。割合くつろげる感じ。(建物の外観は余り感心しないが、内側はいい感じだ。)
 
予想通り中高年が多かった。
定員オーバーなのは加藤周一のこともあるが、講演者の水村さんが割合知名度が高いこともあるのと、女性と言うこともあるかもしれない。
 
事前に朝日新聞で最近(8/11~)連載された『人生の贈りもの』のプリントコピーがイントロ代わりに配られた。
 
講演者の水村さんも「私の知っていた加藤周一」を余りまとまりなく、断片を寄せ集めて綴るような話だったが、この報告もそれに準じる。
 
 
加藤周一の人となり
 
1. やはり第一に言及されるのは加藤の「知性」。
2. ユーモア
3. 品性
 
確かもう一つあったが、とにかく加藤が人間として第一級、上等な人間であった、と言うことをエピソードを色々交えとつとつと語った。

水村さんが親しくなったのが加藤であったため、日本の知識人を測る標準を加藤にして、その後日本に帰国してから知った日本の知識人、文士たちとの落差にえらく戸惑ったとのこと。
 
水村さんを挟んだ加藤との人的交流では、水村の夫岩井克人、矢島翠、丸山真男、辻邦夫、磯崎新、らの名前があがった。
 
講演は50分ほどで終わり、フロアーからの質問となった。
 
質問は割合活発だったが、その中で信仰・宗教・キリスト教に絡むものをメモしておく。(質問は加藤だけでなく、講演者についてもオーケーとのことだったので、ほぼ半々くらいの割合になった。)
 
①加藤の死直前のカトリック洗礼
 質問者が自分の周りの人たち多くが「えっ」と思い不可解に思ったので加藤と親しかった水村さんが何か事情を知っているか聞いてみたかったとのこと。
 
 水村さんも驚いたと言うし、(初耳だったが加藤の知人らしい)石黒ひでも驚いたと言う。つまり多くの加藤を知る人が驚いたと言う。
 葬式はごく内輪の者達でなされたと言うが、知人たちはこのことをマスコミには伏せておいた方が懸命ではないか、と取り沙汰したらしい。
 
 どうやら経緯から言うと、晩年加藤がかなり意思表示が難しくなったような段階で加藤の家族の者達の意向が主導的となってカトリック洗礼へと物事が進んだらしい。
 
 その辺を反省した矢島翠が、暫く後、加藤の遺骨をあるお寺に分骨したとのこと。
 
②水村自身のキリスト教との接点
 (水村は12歳までは日本、その後海外に住んだ。)小さい頃は学校がミッションスクールだったり、教会学校に通ったりして、それなりに聖書の教えやキリスト教に親しんでいた。
 
 しかしその後青年期で出会ったり、触れたキリスト教は作家仲間たちの殆どがユダヤ人であったりもしたせいで、かなり日本の人たちが知っているキリスト教とは異なるものであった。(説明しにくいみたい。)
 
 
 散会のあと持参した「日本語が亡びるとき」にサインをしてもらった。 
 

 

2014年9月19日金曜日

(4)新カルヴィン主義動向③

シリーズ3回目。

どこまで行くのでしょう。(当分終わりそうもないのが怖い。)

「新カルヴィン主義の動向」とは、ここ5-10年程度と言うごく最近のことであり、言ってみれば「現代(主に)北米プロテスタント教会史」に属する出来事を扱うわけで、「(依然として)流動的な(あるいは一過的な?)現象」を追跡するようなものではないかと思います。

北米プロテスタント史と言えば、もう引退していますがシカゴ大学のマーティン・マーティー教授や、ノートルダム大学のジョージ・マースデン教授(彼も引退していた)、そして同じくマーク・ノル教授などがいます。

彼らはこの動向に気がついているのでしょうか。
そしてどんな風に見ているのでしょうか。

① ジョージ・マースデン教授
 少しネットであちこち調べてみたのですが、「ニュー・カルヴィニズム」についての言及は見当たりませんでした。
 今年2月発売されたばかりのThe Twilight of the American Enlightenment: The 1950s and the Crisis of Liberal Belief、はタイトル副題の通り1950年代が焦点ですから、「現在のカルヴィニズム、福音主義」には直接は関係してきませんね。

 (※とは言え、新カルヴィン主義を牽引する4旗手 -- ジョン・パイパー、ティム・ケラー、マーク・ドリスコル、と -- の一人アルバート・モラー・ジュニアのポッドキャスト番組でこの本についてのインタヴューに答えていますが・・・。)



②マーク・ノル教授
 ノル教授もマースデン教授と同様「新カルヴィニズム」についての動向について特に発言していると言うことはないようです。

 最近の本やインタヴューを見てみると、もっと大きな文脈でのキリスト教の動向について関心を示している模様。

 しかしジョン・パイパーが総長を務めるベツレヘム大学・神学校に昨年招かれてた時の動画がネットに見つかりました。



 このインタヴュー動画で、司会者が「新カルヴィニズム」のような背景を持つ学生が、「世俗のアカデミックな場で研究することは、そして生き延びることは可能か」、と質問しています。

 ノルの回答は、
(基本的には)どんな分野であっても知的追求は可能だ。その学生の信仰的確信の深化については教会や同じ基盤に立つ者たちの交わりの中でした方がいいだろう。アカデミックな文脈で自分の宗教的信念について披瀝するのは(しかし)終身雇用を獲得するまで控えた方がいいだろう。
といったものです。


 マースデンもノルも「新カルヴィニズム」に対してどのような評価を持っているか、ストレートな発言は見つかりませんでした。

 しかしマースデンがアルバート・モラーの番組に、そしてノルがジョン・パイパーの催しに招待されそれに応えているところから見るとやはり親近感は持っているのだろうと思われます。

 やはり同じカルヴィン主義の流れの福音主義者として共通するものは色々持っているのでしょう。


 (次のフォローアップ質問も興味深いのですが、意味を汲み取ることが十分出来なかったので省略します。)


③マーティン・マーティー教授

 マースデンやノルとは異なり、新カルヴィニズムをより「外から」眺めることのできるマーティー教授は今年1月のサイティングス(『発見情報』)で「カルヴィニズムと対立という題で寄稿しています。

 使徒パウロが依然として種々論争の火種であることを幾つか例証していますが、その一つとしてカルヴィニズム神学への関連に言及しています。

 短い論評の中でヒントになるようなことを仄めかす様に書いています。

 新カルヴィニズムは果たして「イマージェント教会」「ミッショナル教会」など、5年サイクル程度で置き換えられる「流行」に過ぎないのかどうか。もっと長続きするのか。

 新カルヴィニズムのリーダーたちが内輪の神学的指導権にだけ関心を持っているのか。それともそこからさらに外に、パブリックに向かっての「デスティニー」を感じているのか・・・。



と言ったところが今回掲載できる分です。

段々複雑になって行くかもしれませんが、また次回に続く。

2014年9月13日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年9月14日(日) 午前10時30分

朗読箇所 Ⅰコリント 14:1-20
説 教 題 「心を一つにして祈る」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教シリーズ:キリスト者の交わり(8)  




 「一人が皆のために祈る」ことを可能にする条件は、先ず皆が彼自身と彼の祈りのために執り成しの祈りをささげることである。彼を支え押し上げる祈りなくしてどうして「一人が『会衆の祈り』をささげる」ことができようか。この祈りに至った時点ですべての批判的言辞は熱心な執り成しと助けに取って代わっていなければならない。

 共同の礼拝における自由祈祷は『会衆の祈り』であるべきで、ただ個人が祈っているというようなことになるべきではない。彼は会衆のために祈らなければならない。そのために彼は会衆に加わる者たちの日々の生活、即ち彼らの悩み、必要、喜び、感謝、願い、希望を知らなければならない。(ボンヘッファー、Life Together、2章)