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2014年12月7日日曜日

2014「ジュリアの会」作品展

このブログでは2012年の作品展報告に続いて2回目となります。

先日、2014年11月29日と30日に持たれた「ジュリアの会」の作品展の様子を少し紹介して、ご報告させていただきます。
 

もうかれこれ5回目くらいになるので、会場を貸す側も、借りる側も大分慣れてきました。

今回は残念ながら、初日の土曜日はあいにくの雨となってしまいました。

気温も低かったのですが、会場とともに多くの方が展覧に来られました。


ご覧のように、今回はクリスマスがテーマなので、蝋燭や天使などの小物がところどころ入ってにぎやかになっています。


外に回ってみると、



と、タテ看板や塀の中央に大きなリース。




(活水)工房の方はリースなど(主に)ドライのものが展示されました。

ある方が作られたリースはアジサイの花びらが使われていたのですが、なかなか思うような「ブルー」が見つからなくて苦労したそうです。

それに見つかったとしてもかなり大量に必要になり、お財布との相談、と言う苦労もあったそうです。

※これらのアレンジメントの中には、教会の前庭に生えている白樺の枝が使われているのもあります。(全部とは行きませんが)花材が直接庭から供給できるのは理想かもしれませんね。

2014年9月25日木曜日

(危)「某キリスト教イベントを短考する」

まだホットな話題で炎上(はまさかないと思うが)を避けるため具体的な名称等は避けて書く。
それで『難易度ランク』も初の「危(険)」 とした。
今回の記事は基本「ユーモア」の部類だと自分では思っている。
それで短い記事を書くつもりなので「短考する」とした。

先日ある催しに行ってきた。

キリスト教の文化祭のような複合的催しで、そのうちの「トーク」イベントに呼ばれた人は暫く前結構顰蹙を買った本を出した人だ。

その方がプロデュースする「アイドル・グループ」が会場で「歌や踊り」をしたそうだ。

(「・・・そうだ」と書く時点で大した事書いてないはずだから、その辺適当に。)

もともとこのイベント、プロデュースする某キリスト教系出版社のアイデアマンが、ジリ貧の日本の教会に花火を仕掛けるような趣があり、何をしても教会内外から風当たりが強い。

もしかしたら思う壺なのかもしれない。


何はともあれ今回一番「ヒハン」を浴びているのは、この「アイドル・グループ」が、教会堂で、十字架を前にして、お祈りみたいな所作をして、etc.と言うところにあるようだ。

※場所が「聖堂」かどうかは多少微妙な点を含むが、基本的には「聖堂」ではなく「ホール」であることに関して十分周知されていず、少し余計な論争になった部分があるのは否めない。

この方本人の弁によれば、「アイドル」を「本気、ガチ」で「宗教=超越体験」として捉え、実験的に取り組んでいるらしい。

これは確かに「論争の種」になるだろうな。

敢えて冒険的に言えば、この方は「新興宗教」に括られる「活動」をやっているのだろう。

大規模な教団になるかどうかを問わずに言えば、この方の「アイドル・グループ」活動は立派に新興宗教に近いものと感じられる。

少なくともこれまでの新興宗教と、この方の「アイドル・グループ」宗教活動と、何が大きく違うかと言えば、『教祖のカリスマ』が前面に出るのではなく、プロデュースする人間の「宗教理解」が推進役を務めている点ではないか。

巨大新興宗教には、もしかしたら、カリスマ教祖の背後に、教祖のカリスマを防御し、教団とのパイプ役となって教団の具体的な動向を操るような黒子の存在がいる場合があるかもしれない。

その場合カリスマ教祖はもっぱら『聖』を演出することに専念し、『俗』には手を出さずに黒子に任す。
そんな役割分担が考えられる。

しかしこの方の「アイドル・グループ」宗教活動の場合、プロデュース役が自らの「宗教理解」を公言しながら、非常に自覚的に「宗教=超越」を実験的に演出し、(恐らく)フィードバックを見ながらやっている。
そこがかなり違うように見える。

このような「宗教」実験が、かなりポストモダン的で、伝統的な『聖』を愚弄されたと感ずる者達の感性を逆なでするのは、無理もない、と愚考している。(筆者も多分についていけてないが。)

2014年9月24日水曜日

(3)今日(9月23日)の収穫

今日は(昨日9月23日の書きかけ記事でした)早稲田奉仕園のスコットホールを会場にして、「いのフェス」が催された。

知人のミーちゃんはーちゃんが出展しているのでN.T.ライト・セミナーの打ち合わせも兼ねて午後から繰り出した。

最初に出展ブースを眺めてみた。



例の聖書を題材にしたカードゲームの実演販売か。

このブロックではミーちゃんはーちゃんが見当たらないので、スコットホールで探してみたがこちらもいない。

と言うことで元に戻ってよく見ると復活書店の古書バザーをやっているではないか。

いのフェス出店ではなく、同時期に日本キリスト教会会館2階を借りてやったみたい。

ぼんやりと名前は聞いたことがあるのでちょっと暇つぶしと思い入ってみた。

結構たくさんのキリスト教関連古書。

100円から300円程度のものが殆ど。

中に洋書(殆ど英書と少し独書)があったので買うつもりもなくズラーっと見てみると、これが結構いいのがあるある。

主に聖書学分野を気にしながら見てみたが、一時代を画したような学者の本や、当時の研究を指導した名著など。

一冊100円の値段では捨てておくにもいかず何冊か買ってしまった。

  
Tradition and Interpretation in Matthew、は所謂『編集史批評』を切り拓いたので有名。


Paul and the Salvation of Mankind、は余り評価を受けずに忘れられた感があると、ラリー・フルタド教授は言う。

Munck was an incisive exegete who died too young, but not before he had produced two major works, of which this is one.  The other likewise deserves continuing attention among serious students of the NT:   Johannes Munck, Paul and the Salvation of Mankind (Aarhus/Copenhagen: Universitetsforlaget/Ejnar Munksgaard, 1954; reprint, Richmond: John Knox Press, 1959).

さて、どんなもんか暇な時に読んでみよう。

G. E. Wright, God Who Acts、も「聖書神学運動」を画した一冊。今となっては色々限界はあるようだが。


G. B. Caird, Saint Luke、ケアードは言わずと知れた(そうでもないか)N.T.ライトのメンターで、その聖書関連知識の豊富さ(オールラウンド)は凄い。

※画像がなぜか縦に表示されてしまいます。

ジョージ・マースデンは最近の「新カルヴィン主義」でも取り上げているが、このジョナサン・エドワーズの伝記は短い古いもので、最近もっと大著のものを出したはず。

マーカス・ボーグはN.T.ライトとともにジョージ・ケアードの弟子筋と言うことで僚友みたいなところがある。
(しかしボーグがジーザス・セミナーの代表的な学者なのに対して、ライトはセミナーを徹底的に批判している。)
しかし聖書観・聖書解釈の違いが「キリスト教理解」をこれだけ変えるか、と言うことでは好対照なので買っておこう。


不寛斎ファビアンについては1回投稿しています。

最後に紹介したブログの書評記事のリンクがブログのアドレスまでで、記事(2009年4月21日のもの)まで行っていませんでした。

今確認したらその書評記事で取り上げた本がこれだったのです。

奇遇、と言いたいところですが、どうやら類書が少ないようで、ググッてもごく少ないヒット。
貴重な本をゲットした感じです。

伊藤明生先生の「新約聖書よもやま話」は、ミーちゃんはーちゃん出店ブースから購入しました。プレゼント用です。


以上忘れないうちにまとめておいたメモ記事でした。





2014年6月24日火曜日

(5)現代哲学入門、現象学

母校でもある、The Graduate Theological Unionの加盟校であるドミニカン神学哲学校が主催する

What Has Athens to Do with Jerusalem?
Dialogue between Philosophy and Theology in the 21st Century

が、2014年7月16-20日まで開かれるそうである。(ここ参照

地元のカリフォルニア大学バークリー校のジョン・サール教授もパネリストに名を連ねている。

釣られて、サール教授のウェブサイトをクリックしてみた。

カリキュラム・ヴィテは積年の業績で満載、壮観である。

それから論文(Articles)のページに行って、何か読みやすくて面白そうなものはないか物色してみた。

The Phenomenological Illusionを読み出してみたのだが、ご専門ではない「現象学」について講演を引き受け、それで試みたのが「現象学」(フッサール、ハイデガー、マーロ・ポンティー)を受け継ぐ哲学者たちの「奇妙な学問構築的態度」に対する批判のようである。

それを、the Phenomenological Illusion、と呼んだわけだ。

(どうも読み進むと同じバークリー校のヒューバート・ドレイファス教授が出てくるので、結構彼を標的にしているのかもしれない。
ちなみにドレイファス教授のレクチャーには出た覚えがある。)

イントロの後、Ⅰ. The Current Situation in Philosophyという流れになり、「(人間)意識」を哲学する土俵が、原子物理学、進化論的生物学、脳科学、の進展によって極めて厳しいものになっていることが指摘される。
How do we account for our conceptions of ourselves as a certain sort of human being in a universe that we know consists entirely of physical particles in fields of force.

More precisely: Given that any sort of Cartesianism or other form of metaphysical dualism is out of the question, how do we give an account of ourselves as conscious, intentionalistic, rational, speech-act performing, ethical, free-will possessing, political and social animals in a world that consists entirely of mindless, meaningless brute physical particles.

筆者にはこれだけでも十分である。

確かに物質ベースの「リアリティー」がこれだけ分厚く・詳細にマップ・アウトされてくると、心理を含めた精神活動と言うものの独自性・独立性を領域確保するだけでも一仕事のような感じになってくる。

まっ、でも物質決定主義にそうやすやすと還元できないだろうな、という気もするが。

しかしだからと言って心理を含めた精神活動が「どのようなリアリティー」なのか、ベースとなる物質的リアリティー全体に組み込むためにはどうするかは、サール教授がドレイファス教授を槍玉に挙げているように、従来のデカルト的二元論(精神と身体)を越える「第三の存在」提唱のような議論では間に合わない、と言う指摘はその通りだと思う。

「科学と信仰」もまだまだ接近が必要だろうし、「科学と哲学(現象学)」もまたそうなのだ。


以上午後の遊び終了。

2013年11月27日水曜日

クリスマス・リース作り

次の日曜日から待降節となります。

日本ではクリスマスは殆んど国民的(?)行事。
リースを飾ったり、作ったりする人も増えているような印象です。

当教会と関係の深い、ご自宅でフラワー・アレンジメントの教室を主宰しているY田さんを講師に「クリスマス・リース作り」 教室が、11月9日(土)持たれました。

台となる輪っかは、教会の前庭に生えている白樺の枝を使いました。

約10数個の台を用意するため、大分枝を切りました。

直径約30センチ弱の台を作るには長さにして1m強の細い枝が必要ですが、一つの台に最低でも10本近く要ります。

そして枝を束ねて台の形に整形するまでが割りと時間がかかるので、これは事前に準備。


当日はこの台に葉っぱや木の実やオーナメントなどを付けて行く作業。
殆んどがナチュラルな素材ですから、その辺で売っているリースとは一味も二味も違います。


午後1時開始で、約2時間で完成しました。

完成後はお茶をしながら少しおしゃべり。

参加なされた方々、楽しいクリスマス・シーズンをお過ごしください。

2013年5月13日月曜日

2013オープン・チャーチの様子②

DVD映写会はお客さんが三々五々やってきたので、3回やりました。

まだ室内が明るかったのでなかなか顔を判別するまでは見ることができなかったようですが・・・。

この日は活水工房前のバラ棚のつるばら、バタースコッチがかなり満開。


手前の(名前忘れた)何とかホワイトも咲き出していました。


大した手入れもしていないのですが、四季咲きのつるばらは最初に咲く5月のときが見事です。
(これら3枚は当日のものではなく、後日満開になった時のをアップしています。)





アップにしてみましたが、二種類のつるばらの違いが少しは分かるかな。


当日お見えになった方の中には、ご近所さんや、キリスト教入門(聖書)講座に通っておられる方や、






教会と関係深い方々など。

と言うわけで入れ替わり立ち代りですが、皆さん3時近くまでのんびり過ごしていかれました。

2013オープン・チャーチの様子① 

 先日5月5日(日)に持たれたオープン・チャーチ、天候にも恵まれ気持ちの良いプログラムとなりました。

 礼拝が終わるとまずはお弁当
    

何人かお客さんが集まったところでDVD映写会。
プロジェクターは荒川聖泉キリスト教会からお借りしたもの。
スクリーンはシーツで代用。

DVDの内容は、1965年5月5日は創設された(当時はインマヌエル綜合伝道団)巣鴨教会の特別伝道集会の様子。
(川口市にある現オリーブの木キリスト教会の故中野貞行牧師が)開設特別集会の様子を8ミリカメラに収めた映像です。

せっかく頂いたのですが一度も映写されることなく眠っていました。
それで、今年のオープン・チャーチに合わせて、DVDに変換し、プロジェクターで映写しよう・・・となったわけです。

長さ4分程度の無音声。
創立当時のアパート経営用に建て直した木造モルタル2階建ての建物。
少々貧相な白い木製の十字架。
特別集会案内のポスター。

そしていよいよ、特別伝道集会を案内する路傍伝道前の祈祷会の様子(司会するのはM田牧師)。
先頭は照明が入った四角い提灯のような手持ち看板。

後に続くは太鼓やラッパのブラスバンド(総勢20名近く)。

その後ろにはチラシ配布のご婦人方や子供たち(筆者も含む)。

最後尾はまるで選挙の宣伝カーのようになったインマヌエル綜合伝道団の聖宣神学院の自動車を含む車2台。

とにかく華々しい行列です。

次に映っていたのは5晩続いた集会の様子。

メッセージをした筆者の祖父、荒川聖泉キリスト教会牧師だった故山本岩次郎牧師や司会をした、中京聖泉キリスト教会牧師であった故秋山光雄牧師、インマヌエル高津キリスト教会の藤本栄造牧師、インマヌエル磐田キリスト教会の竿代忠一牧師。

会衆席には筆者の祖父母、故小嶋八郎、故小嶋まつの顔が見える。

それにしても「今から48年前という時代」がかなり古く感じました。

※続きは「2013オープン・チャーチの様子②」でどうぞ。(ここクリック)

2012年5月24日木曜日

2012「ジュリアの会」作品展

2012年5月19日と20日に持たれた「ジュリアの会作品展」のご報告です。

2001年に新会堂になって以来、これで3回目となります。

前日(18日)の「活け込み」から始まりました。

開始当日は天候も良く、三々五々お客様が見に来られました。
(以下の写真は両日にまたがっています。)

玄関です。

会堂入り口です。
中央のテーブルには
5つの作品が置かれています。
作品を眺めながらティータイム。
街道隣のダイニング。
花より昔話?
見に来られたお客さんが
リクエストに答えて歌を披露する場面も。
会堂と隣り合わせた
活水工房(左の木造平屋)へ。
白樺と桂の間の小径
を通って工房入り口。
工房を入るとすぐ
チイサナティールーム。コーヒーをサーブしていました。

と言うわけで、両日とも閉会時間まで途切れることなくお客様が来場され、盛会でした。







2010年12月23日木曜日

マタイのクリスマス・ストーリー

当教会では毎年マタイとルカの「誕生物語」を交代で朗読するクリスマス礼拝を行っている。
福音書でイエスの"infant narratives"(誕生・幼年物語)が挿入されているのはマタイとルカだけである。

ヨハネの福音書の「ロゴス」序文は、コスモロジカル(宇宙論)規模の物語で、当教会では(他の教会もそうだと思うが)クリスマス・イヴの「キャンドルライト礼拝」で導入に朗読される。

クリスマス礼拝と言うと、劇があったり、出し物があったりと、賑やかなページェントをする教会が多いと思うが、当教会では現在そこまでの余力はない。
また数年前から「聖書の朗読」を重視するようになり、それでシンプルではあるが、マタイとルカの「誕生物語」を「クリスマス・ストーリー」と言い換えて行っている。

先日19日の礼拝は「マタイのクリスマス・ストーリー」の番だった。


話は去年のことに遡るが、心身のバランスを崩して少し静養していた期間があった。
たまたまその時、朝目覚まし用に設定しているNHK・FMの「朝のバロック」で流れていた音楽にピーンと来たことがあった。

会堂を建て替えてから、音響が良くなったので、教会イベントとして適当な音楽プログラムを探していたのだが、なかなか会堂のスペースや性格にぴったりのものを企画できないでいた。

その朝たまたま耳に入ってきた楽器の音色を聞き、「これだ!」とインスピレーションが沸いた。
俄然聞き耳を立て、音楽が終わった後に紹介されるであろう演奏者名を聞き漏らすまいと待ち構えた。
その結果聞き覚えたのは演奏者の「しながわひじり」と楽器名の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」だった。
その日のうちにネット検索で調べた結果、関係している音楽事務所まで割り当てた。
しかし演奏者の「品川聖」氏に直接コンタクトを取るサイトは見当たらなかった。

と、話が長くなったので間を省略して話すと、そのアントレ音楽事務所と言う古楽専門の事務所は品川聖氏のご両親経営のものだった。それでご両親から電話とメールの連絡先を受け取り、恐る恐る「演奏会としてではなく、礼拝の一部として演奏してもらえますか」と問い合わせたのであった。

ほどなく快諾の返事を頂いて、去年2009年の「ルカのクリスマス・ストーリー」に出演して頂いたわけである。
そして今年も、今度は「マタイのクリスマス・ストーリー」に去年に続いて出演頂いたと言う次第である。

「マタイのクリスマス・ストーリー」の中では、「エサイの根より」「かいばのおけにねている」「星をしるべに」「ああベツレヘムよ」「グリーンスリーヴス」「コヴェントリー・キャロル」などのクリスマス賛美、そしてカール・フリードリヒ・アーベルと言う、バッハとほぼ同時代のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・作曲家の曲を二曲弾いて頂いた。

去年は礼拝後に、バッハの無伴奏チェロ・ソナタを一楽章弾いて頂いたが、今年は当教会のメンバーで、女優・朗読をしている方が用意した、韓国の詩人、尹東柱の「星をかぞえる夜」ともう一つ題名を忘れたが、即興でガンバと詩の朗読のコラボを披露して頂いた。

朗読者曰く、「尹東柱の詩の切ない詩情とガンバの響きが何か合うのよねー」とのこと。


星をかぞえる夜

季節が過ぎゆく天には
秋がなみなみと満ちています

私はなんの心配もなく
秋の中の星たちをみな数えられそうです

胸の中にひとつふたつと刻まれた星を
もうみな数えられないのは
まもなく朝が来るためであり、
明日の晩が残っているためであり、
まだ私の青春が終わっていないためです。

星ひとつに思い出と
星ひとつに愛と
星ひとつに哀しみと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつに母よ、母よ、

お母さん、私は星ひとつに美しい言葉を一言ずつつけてみます。
小学校の時に机をともにした子供たちの名前と、
ペ、ギョン、オク こんな異国の少女たちの名前と、
もう子の母となった娘っ子たちの名前と、
貧しい隣人たちの名前と、
はと、子犬、うさぎ、ろば、のろ、
フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ
そんな詩人の名前をつけてみます。

この人たちはあまりに遠くにいます。
星がはるか遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島にいらっしゃいます。

私はなんだかなつかしくて
このたくさんの星明りが降る丘の上に
私の名前の字を書いてみて、
土で覆ってしまいました。

なるほど夜を明かして泣く虫たちは
恥ずかしい名前を悲しんでいるわけです。

でも季節が過ぎて私の星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
私の名前の字を埋めた丘の上にも
誇らしく草が生い茂ることでしょう。