2011年12月6日火曜日

北川東子と教養

ツィッターでフォローしている、山脇直司東京大学教授(@naoshiy)の以下のツイートに何か目が留まった。
今日は長らく闘病生活をされておられた駒場の尊敬する同僚の訃報に接し、ずっと落ち込んでいました。心より先生のご冥福をお祈り申し上げます。Wikipedia
リンクを辿ると同僚の方とは北川東子氏のことだった。
全然聞いたことのない名前だった。(東大教授で名前を知らない人が殆んどであるからそれ自体は何の不思議でもない。)
ただ妙に同僚の大学教員に対しこのようなツイートを残す何がしかの人柄と言うか人物を「北川東子」氏に感じたので耳に残った。

そうしたら別の方が北川東子氏の訃報に触れて思い出を語る連続ツイートに出会った。
以下一つにまとめる。
いま、新しい本の相談をしているのですが、その最後に書こうかな、と思っている話。「僕が東大で受けた、もっとも美しい授業」 あんまし反響ないかな、とかとも思いつつ、ちょっと考えています。
僕が学生として東大で受けた「もっとも美しい授業」は30を過ぎて二度目の博士取得の際に参加した北川東子先生のゼミナールでした。学生はたった3人、 ニーチェの「悲劇の誕生」の原書講読。毎週木曜日の午後4時過ぎから先生の部屋で始まりますが、深い議論になりやすく9時10時になる事もしばしば6時7時を過ぎるとおなかも空き、先生のご発案で34回目あたりから夕ご飯時に場所を駒場の研究室から渋谷方向に少し歩いた店に移しビールを傾けながらま た3,4時間ゼミ後半の議論になりました。そういう時の北川先生のゼミ指導の所作が本当に素晴らしかった。テキストの一言一句を精緻に読みながら一人の好奇心に満ちた個人として何の衒いもなく、必要ならその場で辞書なども引きながら、本当に嬉しそうに楽しそうにニーチェを読んでゆかれました。上か らものを仰る先生ではなく僕らも好きに発言し、その場で調べて間違ってたりもしながらテキストと同時にテキストとどう関わるかの姿勢も学びました。5時間6時間に及ぶゼミは一方向的な講義では到底もたず、素の構えでどう向き合うかという仕事そのもの、ビールを傾けつつ資料も前に真剣な議論というのは北川先生が博士を取られたベルリン自由大学ご留学時代のご経験と同様ということで、こういう授業をやってみたかった、とも仰っておられました。酒を飲みながらの授業とは何事か!と怒る方があるかもしれませんがニーチェの「悲劇の誕生」は酒の神のランチキ騒ぎみたいなお祭りの話で、また北川先生は 本当に端正な仕事をされる方で、そんな先生がビールを飲みながら議論しましょう!と嬉々として輝くように読解の喜びを体現しつつ教えて下さった。決して上からモノ申すのでなく、同じテーブルでその喜びとか、あるいは瞬間的な発想、アイデアなども遊ばせつつ「テキストと戯れる」ということを目の前で 行って下さった。ちなみに鋭利と言って良いほどの北川先生の実力は知る人は誰でもしっています。本当の本物の知性、いま思い返してみて僕が学生時代に受けたあらゆる講義や授業の中で、飛びぬけて「美しい」授業として、現在まで自分の支えになっているのは北川東子先生の原書講読のゼミナー ルでした。ただドイツ語本来の難しさはその場で先生が解いちゃうので僕の語学力はここでは伸びなかった^^;それはこれからの僕の課題と思います。(以上、 Ken ITO 伊東 乾
外国の哲学者の原文(テキスト)と格闘する。
その共同作業に長時間没入できる数人の教師と生徒の充実した「学業」の光景が眼に浮かぶ。

しかし北川東子氏は教養学部の教員として絶えず自問自答しながら「教養とは何をどう教えることなのか」を模索していたらしい。
(こちらをお読みください。「『二十一世紀的教養』を求めて」

全く見ず知らずの方だが、なぜかこの北川東子氏について一文残したい思いがした。
北川氏の教員としての姿勢、誠実さを印象付けられた思いがする。

それにしてもまだ50代の若さで・・・。

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