2011年12月30日金曜日

ブログは「縦穴を掘る」

年の暮れ、何とかブログもここまでやってこれた。

ブログ開設一年半が経った。

振り返ってみるとこのブログ余り一貫性がない。
一記事に書く量もそれほど多くない。
書くネタに頭をひねることもしばしば。
記事投稿頻度も年末に向かって減る傾向にある。

来年はどうなるだろう。

さて筆者の場合ツイッターとブログをほぼ同時にスタートしたのだが、一年半経ってみて筆者はブログ重視派であることが明らかになってきたように思う。
「気軽につぶやく」のは苦手のようだ。

ここ数年「内田樹」の名前をよく耳にするようになった。
今年になってツイッターでフォローするようになった。
つい最近「内田樹の研究室」と言う彼のブログに『ツイッターとブログの違いについて』と言う記事を書いている。
そこでこんなことを言っている。
Twitterには「つぶやき」を、ブログには「演説」を、というふうになんとなく使い分けをしてきたが、二年ほどやってわかったことは、Twitterに書き付けたアイディアもそのあとブログにまとめておかないと、再利用がむずかしいということである。
Twitterは多くの場合携帯で打ち込んでいるが、これはアイディアの尻尾をつかまえることはできるが、それを展開することができない。
指が思考に追いつかないからである。
だから、Twitterは水平方向に「ずれて」ゆくのには向いているが、縦穴を掘ることには向いていない。
そんな気がする。
ブログは「縦穴を掘る」のに向いている。
「縦穴を掘る」というのは、同じ文章を繰り返し読みながら、同じような文章を繰り返し書きながら「螺旋状」にだんだん深度を稼いでゆく作業である。
 「なるほど」、とも思ったが「待てよ」とも思った。
自分のブログ記事は「縦穴を掘る」と言うには余りに浅い、と言うか淡白な文章が多いように思う。

今年振り返ってみて、一ブログ記事ではないが、あるテーマを追跡したり(例えば東日本大震災と原発関連記事)、シリーズ(『教会における聖書の解釈』①~⑥)で取り組んだブログ記事はないわけではないが、殆んど単発で終わった。

話題を変えて(特にプロテスタントの)牧師にとって大切な役割の一つである「説教」を考えてみると、この「縦穴を掘る」あるいは「繰り返し書きながら『螺旋状』にだんだん深度を稼いでゆく作業」は結構よく当てはまるのではないかと思う。

と書いて反省するのであるが、ブログに限らず筆者の最近の説教もやはり淡白傾向にあるのではないかと・・・。

さて新年を迎えいくらかでも「掘り下げ」「深度を稼ぐ」ブログ記事や説教をと願うものである。

年末所感終わり。

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