教会暦では12月25日の前の四回の日曜日が待降節となる。
でも非キリスト教国の日本ではそのはるか前からクリスマス・デコレーションやクリスマス・ソングが巷に溢れ始める。
キリスト教会でもそれぞれの都合で12月に入るとクリスマスの様々な催しが持たれる。
筆者の教会では大抵12月の第三日曜日がクリスマス礼拝、24日の夕に燭火礼拝となる。
筆者が英会話講師を勤める某キリスト教団体では、その昔まだ英会話プログラムが盛んであった頃、クリスマス礼拝・パーティーをやっていた。
数曲キャロルを歌うのだがよく歌われたのがTwelve Days of Christmasだ。
何しろ英会話クラスの生徒たちがメインなので語学的には少しハードなこの歌が選ばれていたのかもしれない。
こちらは教会で育ったので賛美歌のキャロルは知っていてもそれ以外のキャロル、つまり直接キリスト教的ではない、民俗的なキャロルは歌い慣れていない。(もちろん有名な「ジングルベル」とか「赤鼻のトナカイさん」とかは別だが。)
で、ついぞTwelve Days of Christmasに関しては「何と面倒くさいキャロルなんだろう」くらいにしか思っていなかった。
訳の分からんプレゼントが一日ずつ増えて行き、歌の節が進むごとにそれらを全部順に言うなんて・・・と思わずにはいられなかった。
でもこのキャロルが子どものためのわらべ歌、数え歌のようにして親しまれてきた、とあっては文句の言える筋合いのものではないのかもしれない。
そんな思い出しかないキャロルだが最近ひょんなことからこのキャロルの面白みを知った。(断っておくが歌う面白みではない。)
一つはこのキャロルの歌詞を字義通りに使って「ひっちゃかめっちゃかなお話」を作ることができるということである。
まあちょっとブラック・ユーモアだが、確かにこんな贈り物を毎日もらっていたら家中ひっちゃかめっちゃかになってしまうはずだ。Day 1On the first day of Christmas my true love gave to me, a partridge in a pear tree. Such a thoughtful gift, she knows how much I love fruit. She also knows my building’s pretty strict about pets so the bird threw me a little. But he is a cute little guy.
Day 2On the second day of Christmas my true love gave to me, two turtle doves. Wow, she’s really into the avian theme this year. Um, thank you? I guess I’ll just put them in the kitchen with the partridge and the pear tree, which suddenly seems a lot bigger than it did yesterday.
Days 11 & 12These final days have come and gone in a bewildering fog. I remember drummers. Pipers. Lots of them. I haven’t slept or washed my body in quite some time. Food is scarce… the fighting, fierce. I killed a lord today! Snatched him right out of the air and killed him with my bare hands. Now he doesn’t leap anymore. I used his leotard as a net to trap one of the swans. She was delicious. Didn’t even cook the old gal. Ha! I made everyone gather around and watch—that’s what you do when you want to send a message. A very important message! This is my castle! Do you all hear me? Do you see what I’ve done? What I am capable of!! No more eye contact with the king, do you understand? Or I will end you! I will end you all right here and now!! Now one of you fetch me a goddamned pear. The king needs something sweet.(The Twelve Days of Christmas by Colin Nissan)
ドダバタ劇を想像するのは容易い。
でも歌い継がれてきたこのキャロルをそんなギャグ風に楽しんでいる方は少数派だろう。
歌詞のナンセンスさについては余り考慮しないでとにかく「歌い切る」のを楽しんで来たのではないかと英語文化圏外の者は考えるしかない。
で、改めてこのキャロルについて検索してみたら、その背景についてこんなことが書いてあった。
エリザベス1世により「統一令」が出された1558年から1829年の「カトリック教徒解放令」までの期間、英国ではローマ・カトリック教の信者は、公然と自分たちの信仰を実践することは出来ませんでした。「暗号」と言うより当時の権力構造で出来た「隠語」のようなものだとおもうのだが、それはそれで分かって歌っている方は一種の快感なのかもしれない。
そこで、イギリスのカトリック教徒たちは、自分たちの信仰を織り込んだ「わらべうた」を創作しました。つまり、一見数え歌のように聞こえ、歌っても捕らえ られる心配がないが、裏にカトリックの信仰をも歌い込んである──そんな歌を創作したのです。それがこの「クリスマスの12日」というキャロルでした。
歌は二重構造になっていて、表向きは他愛もない子供の歌ですが、裏の意味はローマ・カトリック教会への信仰を示す敬虔なものです。歌詞のすべての単語は、 カトリック信仰の核をなす概念の暗号(符牒)になっていて、信者たちはこれを歌う時、暗号の裏に秘められたものを思い浮かべ、自分たちの信仰の実践にした のです。(歌詞の翻訳と説明も合わせてこちらをどうぞ。)
筆者はしかし違う面白みを感じた。
先ほどの歌詞を字義通りに受け取ってひっちゃかめっちゃかな話に仕立てるやり方に対応して、これはカトリックの聖書解釈法の伝統である「アレゴリー」的用法、遊びに見えるのである。
アレゴリー解釈とは字義通りの意味の他に隠された別の意味がある、と言う前提で聖書テキストを解釈することである。
例えば有名なアウグスチヌスの「良きサマリヤ人のたとえ」の解釈などがそうである。
上記のサイトの説明では1から12までの「モノ」は
- 第一日の「ナシの木の中のウズラ」は、木の十字架にかけられたイエス・キリスト(Jesus Christ)を表します。
- 「二羽のキジバト」は、神からの他の贈り物である「旧約」「新約」両聖書を表します。
- 「三羽のフランスのメンドリ」は、「信仰」、それをささえる「希望」、そして神の「愛」を表します。
- 「四羽の囀る小鳥」はイエスの救済を描いた、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる「四福音書」を表します。
- 「五つの金の指輪」は聖書の最初の五つの本、「モーゼの五書」を表します。
なぜ暗号化しなければならなかったか、の説得的な説明としていまいち腑に落ちない。
まあこのキャロルの歴史文化的背景はあるいはもっと複雑なのかもしれませんが、筆者にはこのキャロルの歌詞の「字義通り」と「アレゴリー」の対比として興味深く楽しませてもらいました。
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