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2020年2月7日金曜日

(4)ジョージ・スタイナー(1929-2020) 追記

※当ブログで以前「ジョージ・スタイナーと由良君美」という記事を書いたことがあり、その追記としようと思ったが、少し文字数が多くなりそうだったので(最近更新回数めっきり減ったので気が引けたが)別記事とした。   
『バベルの後に(After Babel)』の著者、ジョージ・スタイナーが亡くなった。

◆訃報・追悼記事(オビチュアリー)
 ・ニューヨーク・タイムス
 ・ニューヨーカー
 ・ワシントン・ポスト

「ジョージ・スタイナーと由良君美」では由良君美が仕掛けたという「スタイナーと加藤周一の(激論に沸騰した)対談」について興味を抱き、だらだらといろんなことを書いてしまった。

それにしてもこの訃報を目にするまでスタイナーが生存中の人とは思っていなかったのである意味びっくりした。生年1929年であれば2年前に亡くなった筆者の父より一年遅いわけで、十分存命中であってよかったわけだが…。

さて「追記」にしたかった部分は、ツイッターで目にした例の「山口昭雄氏、1974年スタイナー・加藤対談の回顧録」である。


 
ついでに、と言っては何だがワシントン・ポストの記事にスタイナーの幼児期のことが書いてあった。(出生時の身体的障害で靴紐を結ぶのにえらい苦労したという。それによって困難を克服する不屈の精神を養うことができた。それが転じて「勉学における『早道・早分かり』の類に対する深い疑念」を持った、とのエピソード。)
The future scholar credited his mother with instilling in him the fortitude to overcome a birth defect that made his right arm 9 inches shorter than the left.

“From her came the conviction that if it’s difficult, it must be fun and worth doing,” he told the London Guardian. “Today the rule of benevolent therapy is to buy shoes with zippers. I could have had them. It took 10 months for me to learn to tie a lace; I must have howled with rage and frustration. But one day I could tie my laces. That no one can take from you. I profoundly distrust the pedagogy of ease.”

2016年10月16日日曜日

(4)主に神学ブログ⑩

[2016/10/22 追記あり]

最近更新がめっきり減った。

JCE6(第6回日本伝道会議)での「N.T.ライトの義認論」という神学ディベートに準備段階も含めてほぼ半年関わったので、そちらの方のアウトプットで一杯であった。現在は休養中の感じである。

最初に「主に神学ブログ」を久々に更新するにあたっての簡単な説明の前に、更新きっかけとなったツイートから紹介して「イントロっぽく」始めることにする。

「へー(このツイートの主は)誰だろう」から、始まった。

「横レス(横からレスポンス)で聞いてみようか」
「DM(ダイレクト・メッセージ)で聞いてみようか」

・・・としばらく「誰なのか」サーチしてみたら案外早く見つかった。
神谷光信 (かみや・みつのぶ)
関東学院大学キリスト教と文化研究所客員研究員。
1960年、横浜生。修士(学術)。
専攻: 日本近代文学
と以上のプロフィールがあるブログ、
フォントネー研究院 (本のある生活)
が今回紹介する「主に神学ブログ」である。

このシリーズの過去記事①~⑧はこの記事にまとめてある。
最新⑨はこれ。(2015年6月28日)
専門から言って「主に神学」ではないわけだが、『キリスト教』で記事の数を見るとかなり書き溜めたようである。

筆者の興味で幾つか目を通したものを挙げてみる。

1. 信仰にとって、何が本質か

 「・・・洗礼の有無にかかわらず、神は、私を見ておられるであろう。私がキリスト者であるかどうかは、おそらく私が決めることではない。」

 日本の歴史的環境下、隠れキリシタンや無教会の伝統があるので、このような信仰論に類似か関連のある論考はこのブログでも幾つか取り上げた。

 ・「非キリスト者による信仰論」
 ・「生きる意味: 柳澤桂子」
 ・「若松英輔『イエス伝』」
 ・「『霊性』を神学する」シリーズ(1、2、3、4)

2. 加藤圭氏の論文「史的イエスの第三研究、その輪郭と妥当性」

 キリスト教信仰にとって「歴史は(そして史的イエスは)避けられない」こと、むしろ信仰構造的には歴史を避けることはグノーシス化することを指摘している、と云う点に共感なさっておられるようだ。

 加藤氏の論文がどのような研究と対話しているか分からないが、N.T.ライトを「史的イエス第三探求の旗手の一人」と紹介している筆者としては、カトリックの方では「史的イエス研究」に悲観的な岩島忠彦教授に対して好意的な見方を紹介しているものとして読んだ。

3. カトリック知識人の存在感

 戦前の岩下荘一以下、日本でマイノリティーのキリスト教知識人が論客として存在感を示していたのに、現在(2008年)70歳以下くらいで殆どカトリック論客がいないことを嘆いている。


さて神谷さんが加藤周一の「キリスト教信仰」についてどんな論考をするのだろうか・・・。

[2016/10/22 追記]

2015年5月3日日曜日

(3)オウム真理教ノート 2015/5/3

前回、オウム真理教ノート 2015/3/3からちょうど二ヶ月となる。

『地下鉄サリン事件から20年』も過ぎた。

前回の記事で出さなかったが、この間テレビとかネット雑誌のようなものとか、とにかくオウム真理教関係はよく目にするので、なるべく視る/読むようにしている。


先ずは、伊東乾の『サイレント・ネイビー:地下鉄に乗った同級生』。

 さすがに内容の殆どは忘れてしまったが、貴重なポイントとしてオウムと第二次大戦との並行・関連が幾つか挙げられていた。

 例えば、オウムはイニシエーションにドラッグを使用していたと言うことだが、第二次大戦の特攻戦士に(死の恐怖を緩和するための)ドラッグが用いられていた、というようなこと。

 マインド・コントロールや総動員態勢、のような点も「オウムと第二次大戦」の並行として挙げられていたと思う。

 その他、クンダリニーに関してだったか、
オウム(麻原)は「身体性」と「霊性」の繋がりを巧みに用いてマインド・コントロールしたが、ちょっとでも「神経系統」から来る「身体性現象」への科学的知見や検証姿勢があれば、そうやすやすとは引っかからなかったのではないか
の様なことを書いていて、以前書いたが、加藤周一のオウム真理教への視点として《科学/理性》対《宗教体験》、と対置していたことを思い出した。

 ※ところで、この本を著作する動機として、サリン実行犯の一人豊田亨が伊東の友人であったことは覚えておかなければならない。そして、タイトルが暗示する「事件に関する黙秘」が卑怯なものではなく、豊田自身の鋭い自覚から来る責任の取り方ではあっても、真相が明らかにされないことで、結局は歴史の間違いが繰り返されてしまうのならば、残念なことである、と指摘していた。 


 次は、宗形真紀子『二十歳からの20年間:“オウムの青春”の魔境を越えて』。

 元オウム信者の手記、という事で既に書いた《高橋》や《野田》の本と共通する。

 宗形の回顧で一番面白く読んだのは、オウム真理教に引き込まれる宗教性として挙げていた「霊的感覚」と、それに対する答えを提供してくれない「青年時までの生育環境」とのギャップについて。

 宗教に関する教育環境は個人差が激しい、とは言えるが、やはり日本における「宗教教育環境の不足」は戦後の反動という面があるのではないだろうか。

 自民党政権下、「道徳教育」や「愛国心」的教育の導入を推進しようとするが、なかなか難しい。オウム真理教の問題は、そのような「霊性的空白」を衝くカルト問題とも関わっているであろう。

 もう一つ宗形の手記の面白いところは、教団内での修行による階層上昇と自己肯定(感)との関わりを、割合丹念に叙述していることだろうか。

 それによって「マインド・コントロールの被害者」として自己把握するだけでなく、宗教による自己肯定という能動的な側面にも光を当てている。


以上は「2015/3/3」以前に読んでいた本。

これ以降は「3.20」近辺のこともあり、テレビ番組の特集などを視た。

 『オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画』(テレビ朝日、ここ)

 多少期待感を持って見たのだが、残念な内容。

 一応頑張って追跡し続けていますよ、とアッピールしたいのだろうが、それはどちらかと言うと「清田記者」個人、という感じが強い。

 【synodos】高橋克也被告裁判・証言草稿──地下鉄サリン事件20年に際して/大田俊寛

 「オウム真理教ノート」には度々登場いただく、今やオウムに関する宗教学者としては代表的コメンテーターの大田先生の文章だ。

 一貫して「思想史」的アプローチからのまとめ、と宗教学者としての反省、という二本柱になっている。

 オウムの全体像を概観するには一番入りやすいし説得力がある。

 しかし、サリン事件は「なぜ」、そして「どのように」起こったのか、という問いに答えるには何か迫力に欠ける観は否めないだろう。

 鎌田東二『「呪い」を解く』は思いの外面白かった。

 その一端は鎌田氏自身の宗教実践者としての洞察によっていると思う。

 普通「客観性」とは「宗教的体験」と言う主観の外側にいることによって確保されると思われるわけだが、しかしそれは「門外漢」という面も負わされることになる。

 「宗教的実践」経験のない観察者に対して、それを持つ観察者は自己の経験からある程度類推する視点を持っている、ということは鎌田氏に関して言うと有利と思われる。

 さらに「呪い」の考察や、鈴木大拙の「日本の霊性」との比較、など筆者が今までお目にかからなかった論考を盛り込んでいて色々参考になることが多かった。



・・・と、今回はここまでといたしましょう。

  

2014年9月20日土曜日

(3)加藤周一記念講演会

加藤周一記念講演会なるものに行って来た。
(フランス文化講演シリーズ第280回)
第5回加藤周一記念講演会
「私の知っていた加藤周一さん」
水村美苗(作家)
日時:2014年09月19日(金曜) 18:00
会場:日仏会館ホール - 渋谷区恵比寿3丁目
 
開始30分前には会場に着いたが、もう20-30人くらいの人がホールで待っていた。
事前予約だが、なんでも「120名」定員のところ応募が多く180名くらいを見込んでいるとの係りの人の言。
 
日仏会館は初めてだったが、近づいていくと何やら少し変な建物のように感じられた。
 
それはどうでもいいとして、会場となる1階のホールは別に何の変哲もないが却ってそれが良かった。割合くつろげる感じ。(建物の外観は余り感心しないが、内側はいい感じだ。)
 
予想通り中高年が多かった。
定員オーバーなのは加藤周一のこともあるが、講演者の水村さんが割合知名度が高いこともあるのと、女性と言うこともあるかもしれない。
 
事前に朝日新聞で最近(8/11~)連載された『人生の贈りもの』のプリントコピーがイントロ代わりに配られた。
 
講演者の水村さんも「私の知っていた加藤周一」を余りまとまりなく、断片を寄せ集めて綴るような話だったが、この報告もそれに準じる。
 
 
加藤周一の人となり
 
1. やはり第一に言及されるのは加藤の「知性」。
2. ユーモア
3. 品性
 
確かもう一つあったが、とにかく加藤が人間として第一級、上等な人間であった、と言うことをエピソードを色々交えとつとつと語った。

水村さんが親しくなったのが加藤であったため、日本の知識人を測る標準を加藤にして、その後日本に帰国してから知った日本の知識人、文士たちとの落差にえらく戸惑ったとのこと。
 
水村さんを挟んだ加藤との人的交流では、水村の夫岩井克人、矢島翠、丸山真男、辻邦夫、磯崎新、らの名前があがった。
 
講演は50分ほどで終わり、フロアーからの質問となった。
 
質問は割合活発だったが、その中で信仰・宗教・キリスト教に絡むものをメモしておく。(質問は加藤だけでなく、講演者についてもオーケーとのことだったので、ほぼ半々くらいの割合になった。)
 
①加藤の死直前のカトリック洗礼
 質問者が自分の周りの人たち多くが「えっ」と思い不可解に思ったので加藤と親しかった水村さんが何か事情を知っているか聞いてみたかったとのこと。
 
 水村さんも驚いたと言うし、(初耳だったが加藤の知人らしい)石黒ひでも驚いたと言う。つまり多くの加藤を知る人が驚いたと言う。
 葬式はごく内輪の者達でなされたと言うが、知人たちはこのことをマスコミには伏せておいた方が懸命ではないか、と取り沙汰したらしい。
 
 どうやら経緯から言うと、晩年加藤がかなり意思表示が難しくなったような段階で加藤の家族の者達の意向が主導的となってカトリック洗礼へと物事が進んだらしい。
 
 その辺を反省した矢島翠が、暫く後、加藤の遺骨をあるお寺に分骨したとのこと。
 
②水村自身のキリスト教との接点
 (水村は12歳までは日本、その後海外に住んだ。)小さい頃は学校がミッションスクールだったり、教会学校に通ったりして、それなりに聖書の教えやキリスト教に親しんでいた。
 
 しかしその後青年期で出会ったり、触れたキリスト教は作家仲間たちの殆どがユダヤ人であったりもしたせいで、かなり日本の人たちが知っているキリスト教とは異なるものであった。(説明しにくいみたい。)
 
 
 散会のあと持参した「日本語が亡びるとき」にサインをしてもらった。 
 

 

2012年7月15日日曜日

加藤周一のカトリック洗礼

今回加藤周一のカトリック洗礼について書くのはたまたまである。

読者の方はお気付きのように最近筆者の関心が集中しているのはオウム真理教についてである。
先ずは安上がりな資料集めとして豊島区の図書館に所蔵してあるオウム真理教関連の書物を探索していた。

その中に鷲巣力編集の「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)があり、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)の二つの短い論考が収められていたのである。

わざわざこれらの二つの文章のために、とも思ったが加藤周一の著作に長らく親しんできた縁もあり借りてくることにした。

ところが巻末に編集の鷲巣力がかなりのページ数を割いて加藤周一のカトリック洗礼に関する経緯と推察を書いているのを読み、改めて加藤がなぜカトリックの洗礼を受けたのか、と言うことを考えてみたいと思ったのである。

筆者は既に「洗礼について」で加藤の洗礼について思い巡らしたことを短く書いた。
こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。

しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。
これを書いた当時はただ想像するだけで推量する資料が殆んどなかった(ちゃんと探したわけではなかった)。

今回鷲巣が書いた文章の中にこういうくだりがある。
2008年8月14日、夜遅くに加藤から私(鷲巣)あてに電話が入り、おおよそ次のようなことを述べた。「宇宙には果てがあり、その先がどうなっているかはだれにも分からない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。私は無宗教者であるが、妥協主義でもあるし、懐疑主義でもあるし、相対主義でもある。母はカトリックだったし、妹もカトリックである。葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。(私が無宗教ではーー引用者補足)妹たちも困るだろうから、カトリックでいいと思う。私はもう「幽霊」なんです。でも化けて出たりはしませんよ。」(488-489ページ)
これをうけて鷲巣は次のように綴る。
加藤は「死」を覚悟した。そしてカトリックに入信する意思とその理由を明らかにした、と私(鷲巣)は受けとめた。上野毛教会に入信の意思を伝え、8月19日に加藤は受洗した。 (489ページ)
ところでなぜ加藤がカトリックの洗礼を受けたのかについての鷲巣の推察は以下のようになっている。
あえて批判を恐れずに述べる。加藤の思考に沿えば、帰依するのは必ずしもカトリックでなくても良かったに違いない。論理的斉合性を持ち、超越性を指向し、「ギャップを埋める」ものであれば、カトリックであろうと、浄土教であろうと、よかったのだ。複数の選択肢からカトリックを選んだ理由は、母も妹もカトリックであると言う条件である。「妹も困るだろう」と妹のことを心配した結果だと思われる。つまりは「家族愛」を考慮したのである。 (492ページ)
さて筆者が感じたことを述べるが、鷲巣のところにかかってきた電話で加藤が述べた内容の要約に従えば、やはりカトリック洗礼の一番の契機は「死期が迫ったこと、即ち葬儀をどうするか」と言うことに尽きるのではないだろうか。

加藤自体の思想にはどうやらさしたる変化は見られない。
不可知論であり、不可知なものに対して、特に宗教に関して基本的にどの宗教も取らない。
無宗教者。
しかしそれゆえ「神の存在」(死期に及んでは死後のいのち)に関しては「妥協主義」の態度も、「懐疑主義」の態度も、「相対主義」の態度も取れる。

鷲巣に対してそのような自己の精神性(の不変)を説明した上で、あえて死(葬儀)への準備として「宗教」の選択を語る。
「葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。妹たちも困るだろうから、カトリックでいい」

カトリックの「選択」は加藤が「様々な宗教の選択肢」を考えたからではないだろう。
葬儀を営む家族(妹)を配慮した結果なのだ。

筆者としては加藤にもう少し積極的な洗礼への契機が、信仰の内在的な動機が、あったらばと思うのだが、どうやら事情は違っていた。

加藤の洗礼の申し出を受け入れたカトリック教会側との間にどんな会話があったかは知らない。
しかし受洗5日前の電話の内容からは、加藤の態度は決まっていた。
受洗にあたってのカテキズム(があったはずだろう)に対して加藤は相対的な姿勢を変えたとは思えない。

8月19日の洗礼に当たっての加藤の「信仰」は少なくとも「回心」ではなかっただろう。

2010年12月27日月曜日

洗礼について

最近立ち寄ったある方のブログに自身の洗礼のことが書いてあった。

救いに関わる「イエス・キリストへの信仰」の故ではなく、自分が携わるキリスト教系組織で仕事をする手段的理由から受けたと言うのだ。
だから受洗の時の「信仰告白」は“嘘をついた”とのこと。

そう言う訳で、洗礼を受けたと言う意味では「クリスチャン」だが、イエス・キリストによる救いの信仰がないと言う意味では「クリスチャン」ではない、と言う二義的な「クリスチャン」であることを自覚しておられる方である。

この方は「内村鑑三」を研究していて、その意味で無教会的意識が影響して、良心の呵責なしに洗礼を受けることができた面もあるのかもしれない。
いやご本人の言によれば、自分の目的を達成する手段として正当化する意識が強かったようだ。

こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。


しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。

これら二つの「洗礼」は、共に“私的”な面・理由を軸に展開した出来事である、らしいことが共通している。

確かに洗礼を受ける、受けないは個人の選択である。その面では大変私的なものである。

しかし一旦新約聖書が教える、あるいは描写する洗礼と言うことから言うと、これは大変に公的なことであり、それ故信仰告白を伴う理由ともなる。

確かに実際に洗礼を受けた者の中には、筆者も含め、それほど十分な神学的理解や自覚を持って洗礼を受ける、と言うことがなかった者も多いことと思う。

洗礼は言ってみれば単純な信仰を持った時点で受ける入門式のようなものでもある。

しかしその神学的深みはパウロをして言わしめたように「メシアと一体となる」ことであり、「メシアと共に死に、メシアと共によみがえる」と言うことを表すものである。

洗礼とは斯くも重大な出来事である。

ただ人間と言うもの、こと洗礼や聖餐と言う聖礼典に限らず、普段の礼拝や祈りにおいても、意識がぼんやりと、ただ習慣的に行っていることがどれほど多いことか。
ことは「組織がやるものだから」と言うのではなく、人間のやることは案外いい加減が多い。

ただいい加減にやっていることでも、それ自体の持っている意味や意義に時々覚醒されて自覚を新たにすることがある。

知性を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、身体を持って生ける神を礼拝する、それが求められていることなのだと思う。

2010年10月6日水曜日

池澤夏樹「多神教とエコロジー:世界を支配する資格」

朝日新聞夕刊に月一度連載されている氏のコラム「終わりと始まり」の十月掲載分のタイトルが上記である。
余り注意してなかったので、「毎月」のコラムであることに改めて気付いた。

ネットでの反応は如何なものかとちょっと検索をかけてみた。
分かったことは、
①最新掲載(上記のコラム)分についてはまだ見つからない。
②過去のコラムの幾つかについては、概ね好評な反応が数は少ないがブログで取り上げられている。

さて、上記タイトルのコラムは、昨日、10月5日の夕刊のものである。
昨日一回読んでピンとこなかった。
特に「創世記」の解釈と、「エコロジー即アニミズム」的世界観の繋げ方が如何にも短絡的過ぎないか、と言う印象を持った。

今日はこれをブログに取り上げようと思い、再読してみた。
所謂日本語で言う「エッセイ」風で、議論として読むには筋が粗いと感じた。
池澤氏自身の視座がそのまま表明されているだけで、例えばキリスト教の視点から「環境問題」と「創世記解釈」の問題の紆余曲折(少なくとも30年以上の蓄積がある)に関しては何も語られていない。

この「エッセイ」を論として読む場合、結語を紹介すれば、後は様々な修飾と位置づけられるかもしれない。こう書き終えている。
エコロジーの背後にはアニミズムがある。あるいは、あるべきだ。一にして全なる神を信じる人々も個々の被造物の中に、それをあらしめている神の意志を認めなければならない。
今、我々は支配力を駆使して支配者の地位から降りなければならない。

この結論の前の文章を見ると、アニミズムから始まって一神教が出現する「進化論的、発達史観的」展望を通して、「現在の人間の立ち位置、立ち居振る舞い、驕り」を分析しているのが分かる。
大雑把に言えば、「西洋キリスト教の聖書に基づく人間観」と言う思想的基盤と、「進化論を認めない『原理主義的キリスト教』」が主たる要因とされている。
原理主義的キリスト教徒が進化論を断じて認めないのは、認めれば人間と世界の関係が逆転するからだ。他の動物や植物と同格では、神にかたどられて造られたという尊厳は保てない。
科学は長い時間をかけてヒトと他の種の連続性を明らかにしてきた。ヒトは動物である。その一方で人間は科学技術によって世界を支配する力をいよいよ強めた。この矛盾の果てに今の環境論がある。
たくさんの神々に祈っていた頃、人間は自分の無力を承知していた。その後で、あるいは別の地域で、一にして全なる神に祈る人々が科学技術を発展させ、自然に対する支配力を強化し、今見るような驕りの姿勢を導いた。
読み方によっては、「文明の衝突」「多神教対一神教」の短絡的な議論に見えなくもない。しかし結論で「我々は」としているように、一部のアニミズム的経済生活を守っているコミュニティーを除けば、資本主義的原理で生きる人類の殆どが、この驕りの構造に絡め取られている、と解釈すれば、それ程無責任な議論ではなくなる。

しばらく前『加藤周一』をこのブログで取り上げたが、彼の『夕陽妄語』ほどのレベルには大分程遠い印象である。大衆紙の教養欄コラムとしては、もう少し議論の緻密さが欲しいところだ。

一つ例を挙げれば「現代の環境問題」の淵源に宗教的世界観の影響があることは否定すべくもないが、その因果関係分析のまとめ方において、近代資本主義の背景となる啓蒙主義的人間観や聖書的キリスト教とはダイレクトに繋がらない「理神論」の介在、また資本主義や科学技術が異なる宗教的背景(それぞれ固有の共同体倫理)を駆逐して普遍的影響を持つに至った過程などにも顧慮する必要があるのではないか。

そして「キリスト教的」な見方から一つ視点を提供するとすれば、池澤氏が
人間が堕落した時、神は洪水を起こして人間をリセットしたが、あれは世界を支配する者としての資格あらずという判断だったのだろう。
と言うところにせっかく注目したのであれば、「堕落の普遍性」をもう少し掘り下げてみてはどうか。近代資本主義の背後にある「貪欲」、あるいは最近の金融破たんで顕になった「相互信頼の崩壊に見る」人間の偽りの深さ、まさに聖書が指摘する「堕落した人類」の姿ではないか。

また、聖書物語の読みをこの箇所で止めてしまうとはどういうことか。「人間の堕落」に対する神の回復プランを聖書全体から読み取ってはどうか。

聖書はその後、創世記の12章から、まさに堕落によって悪循環に陥った人類と被造物全体の行く末を逆転するために、アブラハムの召命、イスラエルの召命、と言う「回復の物語」を開始させる。
そして、この世界の辺鄙な場所で生まれた一小民族のメシヤ、イエス・キリストにおいて「回復の物語」は原理的にクライマックスに達っする。
そして、真の「神の像」として回復されたメシアの世界支配を、キリスト共同体である「新しい人類」が受け継ぐ。

そういう読みが聖書全体を読む視点として必要であることを指摘したい。

と言っても、池澤氏の「一木一草に宿る神々」の“進化論的”世界観が「世界支配に失敗した」キリスト教文明の後始末をする、と言う視点が読み取れるから、ここは互いの物語を対峙させながら、世界をあるべき方向へ導くよう切磋琢磨するのが良いのだろうか・・・。
少なくとも池澤氏がキリスト教的視点全体を落第点にするのでなければの話だが。

2010年9月7日火曜日

加藤周一

連続講座「知の巨匠―加藤周一ウィーク」

が催される。

時 2010年9月18日~9月26日
所 世田谷文学館
※詳細はウェッブサイトをご覧ください。


加藤周一を表現するのに、「知の巨匠」は使い古された感じであまり好きになれない。
彼は、鋭い眼光と飄々とした動作が共存する、「精神的自由人」である。

最初に読んだ加藤の著作(論文)は、『雑種文化論』だったと記憶する。
米国留学中であったが、筆者の研究対象が理由で、日本の戦後知識人を読むようになった。
丸山真男『超国家主義』、大熊信行『国家悪』、吉本隆明のものなどとともに。

その後大分経ったが、加藤が一昨年亡くなるまで、彼は常に筆者の『知的アンテナ』であった。
彼の書くものには絶えず注意を払っていた。
晩年は回数が減ってしまい、また知的好奇心にも若干陰りが見られたが、朝日の「夕陽妄語」は常に刺激的であった。

かつて一度、新宿で持たれた加藤の講演会に出かけたことがあった。
休憩でトイレに入り、ふと横を見るとなんと加藤氏がやっておるではないか。
それが加藤を一番近くで見た体験である。
彼は全く普通の人のように行動していた。
自分が何者であるかを意識した風はまるでなかった。

加藤の「夕陽妄語」で著した文章は、一応の教養を備えた人が「熟考」するように書かれていた。
論理的構成、語彙の選別、テーマへの接近、例証、時にユーモア、などなど、簡単に読み通して分かるようには書かれていなかった。
少なくとも2回や3回読み直して、「論旨」と「分析」と「検証」を、自分なりに再構成してみるよう要請するような文章であった。
私の知っている限り、論旨の展開、水の流れる如く、殆どメモに頼らず、淀みない口調で講義を聴いたのは、加藤と、プリンストン大学の政治哲学教授であったシェルドン・ウォリン(Sheldon Wolin)の二氏だけであった。

加藤の日本文化・社会分析で、一番記憶に残るのは、日本社会は「個人が集団(組織)に組み込まれる度合いが強い」、と言う指摘である。
加藤は「文壇」や「知識人」とはあまり深く関わらなかったようである。
彼の理想は「在野の知識人」「市井の知識人」ではなかったかと思う。
彼の仲間の一人、中村真一郎も多分そうであったように、江戸時代の町人文化の中に、ゆるーい自由な知識人の共同体を見ていたのではなかろうか。

加藤の書き残したものは多岐に渡る。
加藤周一が読まれるのは、まだまだこれからではないだろうか・・・。