連続講座「知の巨匠―加藤周一ウィーク」
が催される。時 2010年9月18日~9月26日
所 世田谷文学館
※詳細はウェッブサイトをご覧ください。
加藤周一を表現するのに、「知の巨匠」は使い古された感じであまり好きになれない。
彼は、鋭い眼光と飄々とした動作が共存する、「精神的自由人」である。
最初に読んだ加藤の著作(論文)は、『雑種文化論』だったと記憶する。
米国留学中であったが、筆者の研究対象が理由で、日本の戦後知識人を読むようになった。
丸山真男『超国家主義』、大熊信行『国家悪』、吉本隆明のものなどとともに。
その後大分経ったが、加藤が一昨年亡くなるまで、彼は常に筆者の『知的アンテナ』であった。
彼の書くものには絶えず注意を払っていた。
晩年は回数が減ってしまい、また知的好奇心にも若干陰りが見られたが、朝日の「夕陽妄語」は常に刺激的であった。
かつて一度、新宿で持たれた加藤の講演会に出かけたことがあった。
休憩でトイレに入り、ふと横を見るとなんと加藤氏がやっておるではないか。
それが加藤を一番近くで見た体験である。
彼は全く普通の人のように行動していた。
自分が何者であるかを意識した風はまるでなかった。
加藤の「夕陽妄語」で著した文章は、一応の教養を備えた人が「熟考」するように書かれていた。
論理的構成、語彙の選別、テーマへの接近、例証、時にユーモア、などなど、簡単に読み通して分かるようには書かれていなかった。
少なくとも2回や3回読み直して、「論旨」と「分析」と「検証」を、自分なりに再構成してみるよう要請するような文章であった。
私の知っている限り、論旨の展開、水の流れる如く、殆どメモに頼らず、淀みない口調で講義を聴いたのは、加藤と、プリンストン大学の政治哲学教授であったシェルドン・ウォリン(Sheldon Wolin)の二氏だけであった。
加藤の日本文化・社会分析で、一番記憶に残るのは、日本社会は「個人が集団(組織)に組み込まれる度合いが強い」、と言う指摘である。
加藤は「文壇」や「知識人」とはあまり深く関わらなかったようである。
彼の理想は「在野の知識人」「市井の知識人」ではなかったかと思う。
彼の仲間の一人、中村真一郎も多分そうであったように、江戸時代の町人文化の中に、ゆるーい自由な知識人の共同体を見ていたのではなかろうか。
加藤の書き残したものは多岐に渡る。
加藤周一が読まれるのは、まだまだこれからではないだろうか・・・。
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