西岡常一(にしおか つねかず)
は先ごろ(1995年)亡くなった、法隆寺最後の棟梁と言われた宮大工です。
筆者が木工を趣味として始めた頃手にしたのが「木に学べ」です。
ちょうど米国留学を終え、帰国して副牧師になった頃でした。
自分のキャリア設計のようなことを考え始めていた頃でしたので、この本からは大いに学びました。
読了しての印象は、「何の分野であれ、その道を窮めた人の言う事は傾聴に値する。他の分野に通じる含蓄のある言葉だ。」と言うものでした。
大工は単に木の種類を知っているだけでは十分ではない。木の癖を理解するために植物学的な木の知識や、木が植生している土壌学まで視野に入れる。
例えば建物を建てる時に木を買う時は、一本一本買うのではなく、山ごと買う。なぜかと言うと東西南北に植わっている木の癖を建物の東西南北に合わせて使う(かららしい)。
(民家の話ではなく大伽藍建築のような場合の話ですが。)
木の癖を活かす、と言う考えは、同規格で大量生産される商品や、学校教育の規格化に対するアンチテーゼとして聞くことが出来る。
木は一本一本育った環境で皆違う。一律には扱えない。たとえマシーンカットで真っ直ぐに平らに切り出したとしても、次第にその木の素性は反ったり曲がったりして現れるようになる。
ならば建築の段階で、その木の素性を見極め適材適所で用いる方が理に適っている。
西岡棟梁はこのような木に対する知識を、棟梁に代々伝わる口伝から、そして古建築の解体修理を通して得たと言います。特に飛鳥時代の工人の知恵の素晴らしさを賞賛しています。それは後の時代の工人のものと比較しても決して劣らないものだと感嘆しています。
イエス様は大工をしていました。使徒パウロは天幕職人でした。新約聖書には建築の比喩が度々出てきます。そして教会もしばしば建築物に喩えられています。
牧師としても「木に学べ」は大いに共通点があるなーと思います。
ツイッターで「木に学べ」のボットもありますが、ご一読をおすすめします。
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