しかし、教会もそのうち「新来会者」に、“消費者目線”でサービス業に位置付けられるような時代が来るかもしれません。
そして、そんな時代が到来したならば、教会のミシュラン・ガイドのようなものが出版されるかもしれません。
現にそんなガイドに近い本が刊行されています。
「万年教会新来者」が既に日本中の教会、教派を越えて、会堂や、牧師や、週報や、集会進行や、伝統・歴史について細かく調べ、比較検討して発表されている方がいるのです。
読者の中には「ははーんあの方かな」と思いつくひともいるかもしれません。
筆者の念頭にあるのは「八木谷涼子さん」。
面識はありませんが、しばらく前ご著書を読んで、「なるほど、新来会者はこういう目線で教会のことを見ているのだな」と変に感心させられました。
そしてすぐには実行できなくても改善すべきは改善しなければ、と思わされました。
後でウェッブサイトを紹介しますが、
例えば、
「教会天動説」(八木谷の造語)というのは、「いつも来ている人」「事情を知っている人」、つまり身内にしか頭が回らなくなることを指します。 どこの社会にもこうした現象は多かれ少なかれ存在します。
「どなたでもおいでください」「お気軽にどうぞ」などといって人を招いている教会も、例外ではありません。
「教会天動説」に従って回転している教会は、新来者への配慮が欠けがちです。たとえば、
* 礼拝中、いきなり式文や信仰告白を唱えたり、歌ったりする(メンバーは全員そらんじているため、わざわざどの本の何ページに載っています、などとアナウンスしない)
* 献金の前に、「献金は礼拝参加費ではない、強制でもない」という意味の説明がない(新来者がいるとわかっているときに、これをしないのは本当に不親切です)
* 聖体拝領や聖餐式で、受洗していない者はパンを受けられないことに対する説明が不十分(非信者の疎外感をなるべく軽くするような、わかりやすい説明をしてください)
これには思わず笑っちゃいました。
「イエスさまを信じて告白したい人は、どうぞ前に出てきてください!」
「はいっ、最低5人の人と握手してください!」
「両隣の人に、“あなたは愛されています”と3回いってください!」
「隣の人と、手をつないで賛美しましょう、はいっ、今度は手をあげて!」
誰もが、こういうノリについていけるわけではありません。
もちろん、教会ごとに個性があるのは当然です。
どこの教会に行っても同じ単純な礼拝ばかりやっていたら、それこそおもしろくありません。
わたしのいいたいのは、その教会のスタイルは活かしつつ、同時に、新来者のために工夫できることはないか? ということです。
ほんの少しの配慮があれば、新来者が楽についていけるようになるのに、ただ
「昔からこうやってきたから」
「教会とは、こういうものだから」
「つづけて通って、(あなたが)慣れればいいこと」
そんな理由で、見過ごしていることはないでしょうか?
このブログを読んでいる牧師の方、教会に通っている方、「新来会者目線」でアドヴァイスされているこのサイトから色々学ぶことが出来ると思いますよ。
このサイトは「万年新来者の声」だけでなく、各宗派・教派の違いなどを一覧にした比較表など、便利な情報も満載です。
・くりホン キリスト教教派の森 ウェッブ版 (トップページ)
・「万年教会新来者」の声
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