2021年3月27日土曜日

明日の礼拝案内

棕櫚の主日礼拝

2021年3月28日(日)

朗読箇所  ルカの福音書 19:36-44
説 教 題  「神の訪れの時」
説 教 者  小嶋崇 牧師
 
※会堂での礼拝を再開します。参加する方はマスク着用をお願いします。

2021年3月20日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月21日(日)

賛  美  くしき主のひかり  512番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「くしき主のひかり(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=KJbF1vl_Amw

聖書交読  詩篇56:8-13
使徒信条
聖書朗読  マタイの福音書 6:27
  あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
  寿命をわずかでも延ばすことができようか。
    (マタイ 6:27、新共同訳)
黙  想  「寿命と健康」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 先日さる健康食品のコマーシャルが新聞の一面広告で載っていました。「加齢で疲れを感じやすくなっている人に、これを毎日飲み続ければ、元気が出ますよ。」というようなコマーシャルでした。

 超高齢化社会を迎えている日本では、平均寿命が男女とも80歳を超え、「65歳の人の平均余命は、男性19.55年/女性24.38年で、「平均寿命ー年齢」より2~3年長い」とのことです。
 おそらくイエスの時代と医学が進歩した現代とは、寿命や健康に関する状況も人々の考え方も大きく変わってきているものと思います。現代人の「思い悩み」はどれだけ「健康で長生きできるか」ではないでしょうか。

 「健やかに生きる」うえで精神的な面でのバランスや充足は欠かせないとしたら、それをどうやって充たして行けばいいのでしょう。
 「信仰的な観点」からはそれはやはり「創造主から与えられたいのちを生きる」ことであり、「あがない主キリスト・イエスと共に生きる」ことであると言えます。

2021年3月13日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月14日(日)

賛  美  いのちのみことば  385番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「いのちのみことば(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=bqMvwUy-P0k

聖書交読  詩篇56:1-7
使徒信条
聖書朗読  マタイの福音書 6:25
   「だから、言っておく。
  自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
  また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
  命は食べ物よりも大切であり、
  体は衣服よりも大切ではないか。
    (マタイ 6:25、新共同訳)
黙  想  「思い悩むな」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 わたしたちは「いのち」が、むかしで言えば「衣食住」、現代で言えば「ライフライン」に支えられていることを信じて疑いません。しかしその考え方に何か欠けはないのでしょうか。あるいは狭い見方になっていないでしょうか。

  命は食べ物よりも大切であり、
  体は衣服よりも大切ではないか

 主イエスのことばは、何かそのような見落とし・視野がせばまっていることを指摘しているのではないでしょうか。明日のパンを心配すること、わたしたちのライフラインの安定供給を過剰に追及すること、そのことの中に「人として生きる」生き方の本末転倒が示唆されているのではないでしょうか。

   だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
  ……あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。(6章31-32節)

 高度に発達したライフラインの中で生きている私たちですが、神の造られた良い世界に生きる信仰、恵みに感謝する信仰、神のために神と共に生きる信仰を大事にしたいですね。

2021年3月6日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月7日(日)

賛  美  あなうれしわが身も  510番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「あなうれしわが身も(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=pu_NvgECh0Q

聖書交読  詩篇55:16-23
使徒信条
聖書朗読  Ⅰテモテ 2:1-4
  そこで、まず第一に勧めます。
  願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
  王たちやすべての高官のためにもささげなさい。
  わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
    (Ⅰテモテ 2:1-2、新共同訳)
黙  想  「すべての人のために祈る」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 「ガバナンス」は「コンプライアンス」とともに「企業経営」に必要な概念としてよく使われるようになりました。企業に限らず、ある一定数の人が目的を共有して組織を作り運営していく時に生ずる不平不満/問題課題を乗り越えて行くには、「統治機構」を整え改善し時には変革していかなければなりません。
 ガバナンス=統治の概念を聖書から見ると、その根本は創世記1章28節「被造世界を統治するよう造られた人間」に遡るように思います。

 「私たち人間は、神に似た資質や能力が与えられているので、喜んでそれを磨きます。……しかもそれは、他者のためです。神を愛し、人を愛し、私たちを取り巻く被造世界を愛するので、与えられた資質や能力を喜んで使います。」(「聖書を読む会」編『神のご計画』5ページ)
 残念ながら神さまに喜んでいただけるガバナンス・統治がどれだけ行われているかと考えると、いたるところで失望の声が聞こえます。

 さて使徒パウロはテモテへの手紙で、この「統治を担っている人々」のために祈れと勧めています。それは「(すべての人が)常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るため」だと言っています。

 つまりキリスト者は被造世界にあって「統治者として専門に働く」ことがない場合でも、「祈る人(祭司)」として神のみこころを反映するのです。これは「統治する」ことと同じかあるいはそれ以上に大切な役割ではないでしょうか。また私たちの身近な範囲で「平穏で落ち着いた生活」のために貢献することも大事ではないでしょうか。