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2021年9月11日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、9月12日の会堂での礼拝を中止します。 

2021年9月12日
自宅礼拝ガイド

賛  美  主よわが主よ  567番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主よわが主よ(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=WMQ67Vrk_Fo

聖書交読  詩篇66:10-15
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  ヨハネ第一の手紙 3:16-18
   イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。
   そのことによって、わたしたちは愛を知りました。
   だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
   世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、
   どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
   子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
    (Ⅰヨハネ 3:16-18、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「愛のイニシャティブ」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
今年は「9.11(米国同時多発テロ)」から20年。米国のアフガン軍事支援も終わり、タリバン政権が成立したようです。
9.11に端を発したテロ征伐は、多様な犠牲を支払ったにもかかわらず、徒労に終わった感があります。

アフガニスタンといえば日本人には中村哲さんのことが思い浮かびます。危険を冒してさまざまな民間支援を繰り広げました。

私たちの人間関係は様々な次元で「贈り物」や「好意」や「配慮」を駆使して良好な関係を築こうとします。
しかしよく見てみるとそれらは自分への「利益誘導」を計算に入れたものではないでしょうか。 

打算を排した「無私」の好意は、やはり「自分の利益」を超えたところから出てくるものではないでしょうか。
キリスト教ではそれを「愛」と言い、キリストの犠牲にその具体的姿を見ます。

自己中心になりがちな私たちが、はたして、自分への「利益誘導」を超えた「愛」に生きるなんてことができるのでしょうか。 

ヨハネは「できる」というより、そのように「生きるべきだ」と勧めています。
そのカギとなるのは、やはり私たち自身がどれだけ愛されたか、愛されているかを自覚できるかにかかっているのではないでしょうか。
 

2021年9月4日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、9月5日の会堂での礼拝を中止します。


2021年9月5日(日)

自宅礼拝ガイド

賛  美  主のことばの光のうち  527番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主のことばの光のうち(歌詞表示なし)」のピアノ伴奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=i6Qj1ynNnJI

聖書交読  詩篇66:5-9
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  ヨハネの福音書 8:12

   イエスは再び言われた。
   「わたしは世の光である。
    わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
    命の光を持つ。」
    (ヨハネ 8:12、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「暗闇の中を歩かない」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
新型コロナ・ウィルスは英語で、COVID-19といいます。
19はこのウィルスが発生した2019年を指します。
身近で騒がれ出したのは2020年の2月初め頃でしたか、あのダイアモンド・プリンセス号での集団感染からです。
あれからもう1年半が経過しましたが、依然としてパンデミックの収束は見えません。
コロナに関しては、私たちは何か出口の見えない暗いトンネルの中にいるような気がします。

私たちの人生は、標識のない道を歩くように、先行きが見えないことが色々あります。
それでも、手探りしながら、道なき道を進んでいかなければなりません。

ヨハネ福音書には、「イエス様の自己紹介」がいくつもあります。
そのうちの一つが、「私は世の光」です。
どんな意味でしょう。
人生の「道案内」のようなものでしょうか。
それもあるでしょう。
でもきっとそれ以上だと思います。
イエス様は私たちと「一緒に住んでくださる」「一緒に歩んでくださる」ということではないでしょうか。

私たちが「暗闇の中を歩かない」でもいいように、私たちは、イエス様を信頼してついていくのです。

   主のことばのひかりのうち ゆくもののこころに
   主はしたしくやどりたまう ただきみにまかせよ
   まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん

2021年8月28日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、8月29日の会堂での礼拝を中止します。


2021年8月29日(日)

自宅礼拝ガイド 

賛  美  ハレルハレルハレルヤ  子供讃美歌 48番
(1)ハレルハレルハレルハレルヤ しゅをほめよう
   ハレルハレルハレルハレルヤ しゅをほめよう
   しゅをほめよう ハレルヤ しゅをほめよう ハレルヤ
   しゅをほめよう ハレルヤ しゅをほめよう
(2)ハレルハレルハレルハレルヤ さんびしよう
   ハレルハレルハレルハレルヤ さんびしよう
   さんびしよう ハレルヤ さんびしよう ハレルヤ
   さんびしよう ハレルヤ さんびしよう

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「ハレルハレルハレルヤ(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=8mkNrJqx-i8

聖書交読  詩篇66:1-4
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  エペソ人への手紙 5:19

   詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、
   主に向かって心からほめ歌いなさい。
    (エペソ 5:19、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「主をほめたたえる」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
コロナ禍の中、明るいニュースも少なく、私たちの生活はついつい不平やつぶやきが多くなりがちです。

 あー、うまくいかない、
 あれもしておかなくてはならない、
 ここが調子が悪い、
 あそこが壊れたので修理を呼ばなくてはならない、……

せっかく神様への信仰を教えられているのに、現実の課題に心を占領されて、気が付けば賛美や感謝を忘れていないでしょうか。

こういうときこそ「こどもさんびか」の歌詞を思い出しながら基本に帰りましょう。

神様が何かとっても素晴らしいことをしてくれたから…だから神様をほめたたえるのでしょうか。
そういう感謝と賛美も確かに素晴らしいですね。

でも特に何かがなくても、いやむしろ困難や不具合に取り囲まれたとき、私たちは基本に帰りましょう。

ハレルヤは、ハレル(賛美する)+ヤ(主の御名)、です。
賛美の基本は、ハレルヤです。
旧約聖書の詩篇からの基本です。

主を見上げ、主の御名を賛美することで心に力をいただきましょう。
 

2021年8月21日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、8月22日の会堂での礼拝を中止します。


2021年8月22日(日)

自宅礼拝ガイド

賛  美  うつりゆくときのまも  619番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「移りゆく時の間も(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=skLcSlIfQSU

聖書交読  詩篇64:7-10
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  使徒の働き 18:5-11

  ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。
  「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。

   わたしがあなたと共にいる。
   だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
   この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
    (使徒の働き 18:9-10、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「恐れるな」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
新型コロナ感染拡大が始まって以来、政府から発せられる「安心」「安全」という言葉を何回耳にしたことでしょう。

緊急事態・非常事態のときにこそ、指導者から発っせられる言葉の重みの大切さを思います。

パウロの置かれた状況も人間的には不安定で不穏な状況でした。
その中でパウロは人からの励ましの言葉ではなく、(幻の中で)神からの励ましの言葉を聞きました。

  恐れるな。
  語り続けよ。
  黙っているな。
  わたしがあなたと共にいる。
  だから、あなたを襲って危害を加える者はない。

私たちが不安に取り囲まれるとき、周りに励ましてくれる家族や友人・知人がいることは大切なことで得難いことです。
しかしもっと大切なのは私たちの心の奥深くに、神様からの励ましの言葉・約束を聞くことです。

  恐れるな。
  わたしがあなたと共にいる。
  あなたを襲って危害を加える者はない。

大変な状況の中ですが、心を静めて、神様からの語り掛けを聞きましょう。
神様からの励ましの言葉に、耳を澄ませてみましょう。 

2021年8月14日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、8月15日の会堂での礼拝を中止します。

自宅礼拝ガイド

2021年8月15日(日)

賛  美  暗き谷間をたどる時も  372番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「暗き谷間をたどるときも(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=uZLTierhI9M

聖書交読  詩篇64:1-6
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  エペソ人への手紙 4:3
      コロサイ人への手紙 3:15

  平和のきずなで結ばれて、
  霊による一致を保つように努めなさい。
   (エペソ 4:3、新共同訳)
      
  また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。
  この平和にあずからせるために、
  あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。
   (コロサイ 3:15、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「綻びを繕う」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
特に東北大震災の時でしたか、「きずな(絆)」ということがよく言われました。
被災した者たち同士もそうですが、被災しなかった人たちも、近くから遠くから様々ボランティアとして被災地に出かけて行きました。
普段は眠ってしまっている「助け合い」の心が人々の間で目を覚ましたのではないでしょうか。

ある牧師の方が東北の被災地に定住して支援の働きをしています。たまたまその方の話の中で聞いたことですが、(クリスチャン/牧師として)できる支援の働きは、被災者たちの間で「きずな」を作ることではないかな、と。

長い復興の過程の中で、被災者たちは疲弊し、失望し、地域のコミュニティの「きずな」が綻ぶような場面に遭遇するそうです。その時に「間に入って」それらの綻びを繕うような役割があるんじゃんないか、と思ったそうです。

平和への貢献、平和の作り方は様々あると思いますが、人間関係の綻びを繕うのも、その一つではないかと思います。

キリスト者は「(キリストのからだの)一員/一部」として、普段から「同じからだの肢々」を配慮するよう要請されています。そのような平和/和解/一致のために、キリストはその身をささげられたからです。
同じからだに繋がっている肢同士、ともに痛み共に喜ぶような関係に入れられているからです。

キリスト者が遣わされている「世界」が苦しみ悩む時、私たちはやはり「きずな」を思います。「世界」に対するキリストの思いを、私たちキリスト者も分かち合えるようになりたいと思います。

困難の中ですが、今週も、主にあって助けを得て進んで行きたいと思います。


2021年7月31日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、8月1日の会堂での礼拝を中止します。

自宅礼拝ガイド

2021年8月1日(日)

賛  美  主と主のことばに  485番

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主のことばの光のうち(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=6UOWpODjenY

聖書交読  詩篇63:9-11
使徒信条
聖書朗読  ネヘミヤ記 6:9
  彼らは皆、わたしたちの手が弱り、工事は完成しないだろうと言って、
  わたしたちに恐怖を与えている。
  神よ、今こそわたしの手を強くしてください。
  (ネヘミヤ 6:9、新共同訳)
静思祷告
黙  想  「短祷直入(たんとうちょくにゅう)」
主の祈り

【解説】

疲れている時、元気がない時、沈みがちな時、そんな時も「祈りのことば」があると助けになると思いませんか。

もちろん「主の御名を呼ぶ」だけでも良いのですが、ちょうど聖書通読で読んでいたところでぶつかった「ネヘミヤの祈り」のことばを紹介したいと思います。

ネヘミヤはユダ・エルサレムがバビロンに滅ぼされたとき、捕囚されて行きましたが、アルタシャスタ王の命令で「エルサレムの城壁の再建」に着手しました。

しかしさまざまな妨害に遭い、挫けそうになりながら、仕事を続けました。
ネヘミヤ記にはその時々のネヘミヤの「ためいき」のような言葉が散見されます。

6章9節が、ちょうどその困難な状況の報告と、それに続く短い祈りのことばです。

新改訳2017ではその祈りの言葉は
「ああ、今、どうか私を力づけてください」
となっています。

思うようでないとき、物事が進まず気落ちする時、課題山積で心配な時、このネヘミヤの短い祈りの言葉を発してみましょう。
「ああ、今、どうか私を力づけてください」

主にあって勇気を得て進みましょう。

【予告】
※「緊急事態宣言」中ということもありますが、次8月8日(日)の会堂での礼拝は中止となります。「自宅礼拝ガイド」もお休みします。

2021年5月8日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」のため会堂での礼拝を中止します。

主日礼拝

2021年5月9日(日)

賛  美  主のことばの光のうち  527番

1.主のことばのひかりのうち ゆくもののこころに
 主はしたしくやどりたもう ただきみにまかせよ
 まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
2.みかおのえみかがやくとき くもはみなきえゆき
 まどいもなくおそれもなし ただきみにまかせよ
 まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
3.主はわれらのためにかわり みなせおいたまえば
 おもにもなくうれいもなし ただきみにまかせよ
 まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
4.ながすべてをささぐるとき 主はめぐみゆたかに
 よろこびもてみたしたまわん ただきみにまかせよ
 まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん 

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主のことばの光のうち(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。 

https://www.youtube.com/watch?v=i6Qj1ynNnJI
聖書交読  詩篇59:10-13
使徒信条
聖書朗読  コリント人への手紙第二 6:13
静思祷告
黙  想  「心を広くして」
主の祈り

【解説】
今日は母の日です。親子のコミュニケーションということを考えてみたいと思います。

先日『カルトの子』というルポルタージュ風の本を読みました。オウム、統一、エホバの証人、ヤマギシ会、などの宗教集団で育った子供たちの追跡調査をまとめた本です。これらカルト教団に共通しているのは子ども連れで組織に入った家族は分離させられ、子供たちが「世話係」の大人に虐待され、その後(親の愛情を得ずに育ったことから来る様々な)後遺症に悩まされ歪んだ人生を歩んでいることが多いことだそうです。

今日の箇所で使徒パウロはコリントの信者たちに「真剣に」語る姿勢を「子供たちに語るように」と言っています。

私は子どもたちに語るように言います。私たちと同じように、あなたがたも心を広くしてください。(Ⅱコリント 6:13、新改訳2017)
「ガチで」という表現を最近見受けますが、大人同士の「大人しい」礼節を弁えた「社交的」な会話ではなく、ホンネで語る場面としてパウロは「子供たちに語るように」と言っているのではないでしょうか。

宗教組織に夢中になって子供を放り出すような(カルト教団の)親のようなことは論外ですが、時を捉えて真剣に向き合って語り合ってくれる親が子供には必要です。その時パウロの言うように「心を開いて」子供の反応をしっかり受け止められるようにすることが大事なのではないでしょうか。

2021年5月1日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」のため会堂での礼拝を中止します。

主日礼拝
2021年5月2日(日)

賛  美  目にはみえねど  139番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「目にはみえねども(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=rLvU3dw99tE
聖書交読  詩篇59:6-9
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 4:46-54
静思祷告
黙  想  「信じて帰途につく」
主の祈り

【解説】
福音書のエピソードから黙想のトピックを選んでみました。

このヨハネ福音書のエピソードでは、息子が死にそうになり、カペナウムからカナにいたイエスのもとに助けを求めに来た会堂司のことが取り上げられています。

父親としてはイエスに一緒に来てもらって息子を助けてもらいたい、と思ったことでしょう。あるいはそうしないと助からないと考えたのかもしれません。しかし、

イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。(ヨハネ 4:50、新共同訳)
この父親はこのイエスの言葉に不思議に力づけられ、その言葉を信じて帰途につきました。その途次、迎えの者が息子が直ったことを伝えました。父親は息子が直ったという時刻を確かめてみると、イエスが「あなたの息子は生きる」と言ったその時刻であったことを発見しました。

わたしたちの「信仰」を考える時、実に様々な助けや期待を祈りの中で訴えていることと思います。しかし、多くの場合、「答えがない」中で祈り続けることが多いのではないかと思います。
私たちは祈りの「結果」を求めます。しかし「結果を見たから信じる」のか、まだ「結果を見ずに信じる」のか、それが問われているのではないでしょうか。
イエスの言葉を信じて帰途についた会堂司の父親から私たちの信仰を省みてみましょう。

2021年3月20日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月21日(日)

賛  美  くしき主のひかり  512番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「くしき主のひかり(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=KJbF1vl_Amw

聖書交読  詩篇56:8-13
使徒信条
聖書朗読  マタイの福音書 6:27
  あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
  寿命をわずかでも延ばすことができようか。
    (マタイ 6:27、新共同訳)
黙  想  「寿命と健康」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 先日さる健康食品のコマーシャルが新聞の一面広告で載っていました。「加齢で疲れを感じやすくなっている人に、これを毎日飲み続ければ、元気が出ますよ。」というようなコマーシャルでした。

 超高齢化社会を迎えている日本では、平均寿命が男女とも80歳を超え、「65歳の人の平均余命は、男性19.55年/女性24.38年で、「平均寿命ー年齢」より2~3年長い」とのことです。
 おそらくイエスの時代と医学が進歩した現代とは、寿命や健康に関する状況も人々の考え方も大きく変わってきているものと思います。現代人の「思い悩み」はどれだけ「健康で長生きできるか」ではないでしょうか。

 「健やかに生きる」うえで精神的な面でのバランスや充足は欠かせないとしたら、それをどうやって充たして行けばいいのでしょう。
 「信仰的な観点」からはそれはやはり「創造主から与えられたいのちを生きる」ことであり、「あがない主キリスト・イエスと共に生きる」ことであると言えます。

2021年3月13日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月14日(日)

賛  美  いのちのみことば  385番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「いのちのみことば(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=bqMvwUy-P0k

聖書交読  詩篇56:1-7
使徒信条
聖書朗読  マタイの福音書 6:25
   「だから、言っておく。
  自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
  また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
  命は食べ物よりも大切であり、
  体は衣服よりも大切ではないか。
    (マタイ 6:25、新共同訳)
黙  想  「思い悩むな」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 わたしたちは「いのち」が、むかしで言えば「衣食住」、現代で言えば「ライフライン」に支えられていることを信じて疑いません。しかしその考え方に何か欠けはないのでしょうか。あるいは狭い見方になっていないでしょうか。

  命は食べ物よりも大切であり、
  体は衣服よりも大切ではないか

 主イエスのことばは、何かそのような見落とし・視野がせばまっていることを指摘しているのではないでしょうか。明日のパンを心配すること、わたしたちのライフラインの安定供給を過剰に追及すること、そのことの中に「人として生きる」生き方の本末転倒が示唆されているのではないでしょうか。

   だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
  ……あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。(6章31-32節)

 高度に発達したライフラインの中で生きている私たちですが、神の造られた良い世界に生きる信仰、恵みに感謝する信仰、神のために神と共に生きる信仰を大事にしたいですね。

2021年3月6日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年3月7日(日)

賛  美  あなうれしわが身も  510番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「あなうれしわが身も(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=pu_NvgECh0Q

聖書交読  詩篇55:16-23
使徒信条
聖書朗読  Ⅰテモテ 2:1-4
  そこで、まず第一に勧めます。
  願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
  王たちやすべての高官のためにもささげなさい。
  わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
    (Ⅰテモテ 2:1-2、新共同訳)
黙  想  「すべての人のために祈る」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 「ガバナンス」は「コンプライアンス」とともに「企業経営」に必要な概念としてよく使われるようになりました。企業に限らず、ある一定数の人が目的を共有して組織を作り運営していく時に生ずる不平不満/問題課題を乗り越えて行くには、「統治機構」を整え改善し時には変革していかなければなりません。
 ガバナンス=統治の概念を聖書から見ると、その根本は創世記1章28節「被造世界を統治するよう造られた人間」に遡るように思います。

 「私たち人間は、神に似た資質や能力が与えられているので、喜んでそれを磨きます。……しかもそれは、他者のためです。神を愛し、人を愛し、私たちを取り巻く被造世界を愛するので、与えられた資質や能力を喜んで使います。」(「聖書を読む会」編『神のご計画』5ページ)
 残念ながら神さまに喜んでいただけるガバナンス・統治がどれだけ行われているかと考えると、いたるところで失望の声が聞こえます。

 さて使徒パウロはテモテへの手紙で、この「統治を担っている人々」のために祈れと勧めています。それは「(すべての人が)常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るため」だと言っています。

 つまりキリスト者は被造世界にあって「統治者として専門に働く」ことがない場合でも、「祈る人(祭司)」として神のみこころを反映するのです。これは「統治する」ことと同じかあるいはそれ以上に大切な役割ではないでしょうか。また私たちの身近な範囲で「平穏で落ち着いた生活」のために貢献することも大事ではないでしょうか。

2021年2月27日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年2月28日(日)

賛  美  主よわがかたえを  253番(※)

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主よわがかたえを(Pass Me Not, O Gentle Savior  歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=i3i_Q4IV2YA

聖書交読  詩篇55:9-15
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 2:1-11
  イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、
  召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
  イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
  召し使いたちは運んで行った。
  世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。
  このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。
  「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
    (ヨハネ 2:7-10、新共同訳)
黙  想  「ぶどう酒に変わった水(カナの婚宴)」
静思祷告
主の祈り

【解説】  
 ガリラヤのカナというところで婚礼があり、そこにはイエスの母(マリア)が招かれ、イエスも招かれていました。ところが婚宴でぶどう酒がなくなってしまう事態に直面し、母マリアは状況の打開をイエスに託しますが、イエスはすぐには応答しませんでした。しかし母マリアはしもべたちに「イエスが出す指示の通りに行うように」と言い置きます。
 さてイエスはしもべたちに六つの甕(かめ)一杯に水を満たすようにと指示します。そして一杯になった甕から汲んで婚宴の席に持って行くよう指示します。世話役は味見をして(水から変わった)その葡萄酒の味の上質なことに驚きます。

 母の要請に対してイエスは「どこからかぶどう酒を調達する」ことで応答したのではなく、「水をぶどう酒に変える」クリエイティブな形で応答しました。それがヨハネの福音書でイエスが現した「最初のしるし」(2:11)と言われる所以ではないかと思います。

 私たちは日々さまざまな「状況の打開」と取り組んでいます。祈りもなく期待もなくただその場しのぎの「何かをあてがう」ような対応になりがちです。しかし神さまは状況に対して「私たちにクリエイティブになる」ことを期待なさっているのではないでしょうか。祈りをもって神さまに期待して状況と取り組む時、神さまは「水をぶどう酒に変える」ような対応をくださるのではないでしょうか。

2021年2月20日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年2月21日(日)

賛  美  ちからの主を  71番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「ちからの主を(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=D1e9tfrv68k

聖書交読  詩篇55:1-8
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 11:43-44
  こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
  すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
  顔は覆いで包まれていた。
  イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
    (ヨハネ 11:43-44、新共同訳)
黙  想  「ラザロよ、出て来なさい。」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 コロナのおかげでインターネットを介しての「オンライン」とか「リモート」でのコミュニケーションの機会が増えました。「スカイプ」とか「ZOOM」といわれるようなソフトを使って顔が見えるコミュニケーションが距離に関係なくネット上で繋がってできるのです。
 「リアル(現実)」に対して「ヴァーチャル(仮想現実)」のコミュニケーションとも言われますが、何世代も前から「電話」でコミュニケーションは出来ていた事実と感覚から言うと、はたしてどこまでが現実でどこからが仮想現実なのかその境界線は曖昧なように思います。
 先日ある方とZOOMで会談をしていたのですが、画像は何の支障もなく途切れずに見えるのに音声の方が途切れてしまったりということがありました。あらためてしっかり声が聞こえるということの大切さを思いました。

 今日の黙想箇所は「ラザロのよみがえり」のエピソードですが、イエスが死んで墓に葬られたラザロに「ラザロよ、出て来なさい」としっかりはっきり声をかけられていることに驚きます。死んでしまった者にではなく「眠っている者」を呼び起こすような声かけです。
 私たちにとって生と死は厳然と区別され乗り越えられない境界線で区切られている「現実」ですが、「わたしはよみがえりです。いのちです。」(11:25)とおっしゃる方にとってはそうではないのです。

 私たちが乗り越えられないと思われる様な「現実」の中にいるときも、主イエスは「ラザロよ、出て来なさい。」と声をかけておられるのではないでしょうか。私たちの信仰を問われているのではないでしょうか。

2021年2月13日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年2月14日(日)

賛  美  われはおさなご  157番(※)
(1)われはおさなご われ主にすがらん
   ちいさくあれど しんこういだきて
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(2)などかおずべき われ主にすがらん
   かみのみたまの みちびきあれば
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(3)はれたるあさも われ主にすがらん
   あらしのよるは すがりいのりせん
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(4)いきをひくとき われ主にすがらん
   よしあめつちは くずれさるとも
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「われはおさなご(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=F2au13LrTXY

聖書交読  詩篇54:4-7
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 16:20-22
  女は子供を産むとき、苦しむものだ。
  自分の時が来たからである。
  しかし、子供が生まれると、
  一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、
  もはやその苦痛を思い出さない。
  ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。
  しかし、わたしは再びあなたがたと会い、
  あなたがたは心から喜ぶことになる。
  その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
    (ヨハネ 16:21-22、新共同訳)
黙  想  「生み出す苦しみと喜び」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 主イエスの「産みの苦しみ」のたとえは何を語っているのでしょう。十字架につけられ殺されなければならない「弟子たちとの別離」がまずあることを語っています。しかしその後には「復活による弟子たちとの再会」と、天に昇った後遣わされる「聖霊による喜び」が示唆されています。弟子たちにはまだその全体像は見えません。今弟子たちは悲しみを予感して不安を覚えるだけのようです。主イエスは「産みの苦しみ」のたとえで「苦しみ」が「喜び」に一挙に転換するのだと励ましています。

2021年2月6日土曜日

自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年2月7日(日)

賛  美  あめなるよろこび  289番(※)

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「あめなるよろこび(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=V-YRr-xGMxw

聖書交読  詩篇54:1-3
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 1:4
  この方にいのちがあった。
  このいのちは人の光であった。
    (ヨハネ 1:4、新改訳)
黙  想  「いのちとひかりとあたたかさ」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 「ひかり」には「暖かくなる」エネルギーもあることは小さい頃「ひなたぼっこ」をして実感的に覚えました。しかし「ひかり」は「いのち」にある、「いのち」から来ている、というのはヨハネ福音書の独特の視点ではないでしょうか。
 この「いのち」は「人のひかり」であった、と1章4節では言っています。
 つまり神ご自身が「人となって」私たち人間の間に「住まわれた」ことによってその「ひかり」と「暖かさ」を実感できるようになったのです。
  「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
  (ヨハネ 1:14、新共同訳)

せっかく「来られた方」のうちに「とどまる」ことが大切ですね。
   いのちをあとうる 主よとどまりて
   われらのこころを とこみやとなし

2021年1月30日土曜日

自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年1月31日(日)

賛  美  あまつ真しみず  154番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「あまつ真しみず(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=0M4CssklNS

聖書交読  詩篇53:1-6
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 7:37-39
  祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。
  「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
  わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
  その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
  イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。
  イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。
    (ヨハネ 7:37-39、新共同訳)
黙  想  「生ける水の川」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 ヨハネ7章にはイエスが家族の者たちとは別行動で、エルサレムでの「仮庵の祭り」に出かけたことが書かれています。仮庵の祭りはイスラエル民族がエジプトを脱出して荒野を彷徨したことを記念するお祭りです。荒野で水に飢え渇いたイスラエルの民のために、神は「岩から水をほとばしり出させ」たことを回想する儀礼シーンが、祭りの中にはあったそうです。 その儀礼シーンを背景に、イザヤ書55章1節「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」と関連付けてイエスはことばを発せられたようです。ヨハネはその意を「聖霊」のことだと解釈しています。
 私たちは神によって「霊的な存在」として造られたことをもっと知る必要があるのではないでしょうか。イエスを信ずる者の「内から生きた水が川となって流れ出る」とは、まさにそのような霊的存在であることを私たちが知ることを指しているのではないでしょうか。「主イエスよ」と呼びかけましょう。

2021年1月23日土曜日

自宅礼拝ガイド

主日礼拝
2021年1月24日(日) 

賛  美  疲れたる者よ  158番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「疲れたる者よ(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=XkwwOD6l_3M

聖書交読  詩篇52:5-9
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 4:7-15
黙  想  「生ける水」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 今日の黙想箇所は有名な「サマリアの女」のところです。
 旅の途中、井戸の傍らでイエスと女が会話を始めます。最初は「水を飲ませてください」と女に頼むイエスに対し、(わたしがあなたに)「生ける水(湧き出る水)」を与えるでしょう、と話の方向が逆転していきます。そして「水」はいつのまにか井戸から汲む水から霊的な意味での水に変わっていきます。女は最初それと気付かず「汲むものを持っていないのにどうやって深い井戸からその水を汲み出すのか」と質問します。
 それに答えてイエスは言います。

  「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
  しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
  わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
    (ヨハネ 4:13-14、新共同訳)

 「人生の様々な疲れ」を癒すために、私たちは自然と触れたり、映画を見たり、音楽を聴いたりして「こころの感動」や「人生の潤い」を求めます。しかしそれも一時的だったり、不足感を感じたりします。私たちも心の中で湧き続ける泉の水を必要としているのではないでしょうか。

2021年1月16日土曜日

自宅礼拝ガイド

主日礼拝
2021年1月17日(日)

賛  美  父の神よ夜は去りて  18番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「父の神よ夜は去りて(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=ZDMfKM-vZkI

聖書交読  詩篇52:1-4
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 10:1-5
  「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、
  門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、
  盗人であり、強盗である。
  門から入る者が羊飼いである。
  門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。
  羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
  自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
  羊はその声を知っているので、ついて行く。
  しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
  ほかの者たちの声を知らないからである。」
    (ヨハネ 10:1-5、新共同訳)
黙  想  「声を聞き分ける」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 何かに集中している人夢中になっている人に向かって何かしゃべっても全然聞こえないということがよくありますね。
 人間の耳はどんな音でも均等に聞くのではなく、「必要な情報(聞きたいこと)」と「雑音(聞きたくないこと)」とを(脳の方の働きで)聞き分けるそうです。

 ヨハネ福音書10章の「羊と羊飼い」のたとえ話から「声を聞き分ける」と言うことを考えてみたいと思います。
 羊飼いは羊を害獣から守り牧草の繁る場所に連れて行きます。その羊飼いの声を羊は聞き分けます。自分のいのちがかかっているからです。 

 私たちの社会ではさまざまなメディアがあり、さまざまな情報が提供されています。その中には私たちのいのちや生活に直結するような有益な情報もあれば、どうでもいいような情報や、時に誤情報やでまかせなど有害な情報など実に多種多様な情報で溢れています。私たちはいわばそれらの情報を「聞き分け」ながら社会生活を営んでいます。

 私たちはふだんから情報の「質」に気をつけていることが必要ではないでしょうか。簡単に情報に飛びつかず、まず落ち着いてその情報がどこから来ているのかを確かめ、怪しいと思ったら「遮断する」ことも必要です。
  
  羊はその声を知っているので、ついて行く。
  しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。

2021年1月9日土曜日

自宅礼拝ガイド

主日礼拝
2021年1月10日(日)


賛  美  かいぬしわが主よ  40番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「かいぬしわが主よ(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=fPgFWNqXW50.

聖書交読  詩篇51:14-19
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 10:7-10
  イエスはまた言われた。
  「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。
  わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。
  しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
  わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。
  その人は、門を出入りして牧草を見つける。
  盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、
  滅ぼしたりするためにほかならない。
  わたしが来たのは、羊が命を受けるため、
  しかも豊かに受けるためである。
    (ヨハネ 10:7-10、新共同訳)
黙  想  「いのちを受ける」
静思祷告
主の祈り 

【解説】 

 ヨハネの福音書では、「羊飼い」はたとえになっています。

 羊飼いには「良い羊飼い」と「悪い羊飼い」がいて、後者は羊飼いのふりをしているが実質は「盗人であり、強盗」だと。逆に言えばそれはイエスご自身が「真の羊飼い」であることの表明でもあります。
 では真の羊飼いのエッセンスはなんでしょう。それは羊飼いが羊に「いのちを与える」、しかも「豊かに与える」という点です。

 自分のいのちを犠牲にしてまで羊にいのちを与えようとする、そこまでしてくれる羊飼いこそが真の羊飼いだ、とヨハネの福音書のイエスは語っているのです。

2020年12月31日木曜日

自宅での「元旦礼拝」ガイド

元旦礼拝

2021年1月1日(金)

賛  美  わが友にますあがないぬし 47番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「わが友にます(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=MBKBpvz6tNA
 
聖書交読  詩篇51:10-13
使徒信条
聖書朗読  エペソ人への手紙 5:29-32
  わが身を憎んだ者は一人もおらず、
  かえって、キリストが教会になさったように、
  わが身を養い、いたわるものです。
  わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
  「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」
  この神秘は偉大です。
  わたしは、キリストと教会について述べているのです。
    (エペソ 5:29-32、新共同訳)
黙  想  「キリストと教会」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 主の年2021年、新年明けましておめでとうございます。

 もう今年で10年となる東日本大震災。当時「絆(きずな)」ということがよく話題にされました。
 昨年はコロナで「三密を避ける」ということで「人との間」、距離の置き方をいろんな場面で学習させられました。
 社会的な面から言えば、いまの時代「孤立」の問題はすでに様々な局面で露わになってきました。

 「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
  (創世記2章18節)
 神が人を創造された意図の中に「助け合う」ことがありました。
 社会がいろんな意味で便利になり、いろいろな「助け手」がサービス業として発達したおかげで、逆に「助け合う」ことが難しくなってきているように思います。

 コロナ感染拡大が一層厳しくなり、医療提供体制がひっ迫する中、医師会連合から出された緊急事態宣言に呼応して私たちは「集会中止」を選択しました。
 神を愛する、教会を愛する、隣人を愛するからこそかえって集まることを中止することを選択しました。それは「自分を感染から守る」ことがすなわち「医療体制を守る」ことに繋がると考えたからです。
 どのように「助け手」となるかは、その時の状況・現場に出くわして判断しなければなりません。それこそ「こころ」を鋭敏に働かせなければなりません。

 2021年も「キリストと教会」の関係に学び、神と人とを愛して、「支え合う教会・社会」を目指していきたいと思います。