2021年2月13日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

主日礼拝

2021年2月14日(日)

賛  美  われはおさなご  157番(※)
(1)われはおさなご われ主にすがらん
   ちいさくあれど しんこういだきて
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(2)などかおずべき われ主にすがらん
   かみのみたまの みちびきあれば
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(3)はれたるあさも われ主にすがらん
   あらしのよるは すがりいのりせん
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも
(4)いきをひくとき われ主にすがらん
   よしあめつちは くずれさるとも
   たえず主イェスの てによりすがらん
   しずけきひるも かぜふくよるも

※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「われはおさなご(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=F2au13LrTXY

聖書交読  詩篇54:4-7
使徒信条
聖書朗読  ヨハネの福音書 16:20-22
  女は子供を産むとき、苦しむものだ。
  自分の時が来たからである。
  しかし、子供が生まれると、
  一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、
  もはやその苦痛を思い出さない。
  ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。
  しかし、わたしは再びあなたがたと会い、
  あなたがたは心から喜ぶことになる。
  その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
    (ヨハネ 16:21-22、新共同訳)
黙  想  「生み出す苦しみと喜び」
静思祷告
主の祈り

【解説】
 主イエスの「産みの苦しみ」のたとえは何を語っているのでしょう。十字架につけられ殺されなければならない「弟子たちとの別離」がまずあることを語っています。しかしその後には「復活による弟子たちとの再会」と、天に昇った後遣わされる「聖霊による喜び」が示唆されています。弟子たちにはまだその全体像は見えません。今弟子たちは悲しみを予感して不安を覚えるだけのようです。主イエスは「産みの苦しみ」のたとえで「苦しみ」が「喜び」に一挙に転換するのだと励ましています。

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