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2017年9月9日土曜日

今日のツイート 2017/9/9

「デジタル・カラーリスト」って言われてもよく分かりませんが、こう言う風に突然出されると「えっ」とびっくりさせられます。



たとえば、白黒の(オリジナルの?)と両方並べて出されたらどう感じるのだろう・・・。

2016年8月20日土曜日

今日のツイート 2016/8/20

映像「プラス」SNSの世紀・・・ということだろうか。


この映像が(世界中の?)人々の同情を誘った、と云うのは一つ。
それが「ヴァイラルした」のはまた一つ。

その間の(何かしら構造的な)連関を分かろうとすることに多分意味があると思う。

2015年11月29日日曜日

(4)タカ牧師のセブンー6

何と最後に「タカ牧師のセブン」を投稿したのは三ヶ月以上も前でした。

その間「候補記事リスト」はたまるばっかり。

でも少しずつ在庫整理するしかない。


1. The Problem of Irrational, Unteachable Christians
  『頑固でわからずやのクリスチャン、という問題』

 PATHEOSというブログを集めたサイトがあるのだが(右側コラムで言うとジーザス・クリードとかユーアンゲリオン)、同じ「福音派」カテゴリーにあるのがロジャー・オルソンのブログだ。カリスマ派の出自で、カルヴィニズムに対抗する論陣を張ることで知られる。
 日本では今年「反知性主義」が話題になったが、クリスチャンの中でオープンな議論を頑固に拒否して持論に居座り、馬鹿馬鹿しいと非難されても一向に構わないようなタイプの人たちのことを論じている記事。

2. Fundamentalists and Scholarship
  『根本主義者と学術研究』

 これも上と同じサイトにあるジェームズ・マグラスのブログ記事。
 熱心で敬虔なクリスチャンの中には「聖書の学術的研究など必要ない。自分はただ聖書を読むだけでいい。」などとうそぶく向きがあるが、その見識の浅はかさを「図」を用いて解説しているところが味噌。(誰か日本語に置き換えてくれないかな。)

 (『根本主義者がいかに学術研究に依存しているか』を示す図)

3. Chagall's Jewish Jesus
  『シャガールが描くユダヤ人イエス』

 ハシディック派ユダヤ人であるシャガールの絵画を解説している(動画)。
 ナチ政権下の1938年、シャガールはユダヤ人イエスを描くようになった。「ユダヤ人迫害は実のところクリスチャンの迫害に等しい。彼らのイエスはユダヤ人だから。」と絵画で訴えたのだ。

4. Are We Mormons a Cult?
  『モルモンってカルトなの?』
 モルモン教のライターは昔バプテストの信者との会話の中で「カルト」呼ばわりされたことがある。では、「カルト」とは何か・・・ポイントを挙げながら、該当する点、該当しない点、を整理してモルモン教がカルとではないことを弁明している。

5. 102-Year-Old Finally Awarded Ph.D. She Was Denied Under Nazis
  『102歳で、ナチ政権下で中断させられた博士号をついに取得』

   すごいです。もちろん視力等衰える中、仲間の助けもあり、オンライン情報を駆使して完成。取得の挨拶では「私のようなことをナチのために断念させられたりした方々のためにも」とその喜びを語っていたそうです。

6. 「相手の心に刺さる言葉はどう選ぶか

 心に刺さるコトバは、ツイッターでフォローする某キリスト教雑誌編集長が使っていた表現で気になった。で、グーグルしてこの記事に。

7. 「井上達夫『リベラルのことは嫌いでも・・・』を読んでしまった

 イスラーム研究がご専門の池内恵(さとし)東大教授のブログ記事。同じく東大教授の法学研究者井上教授へのオマージュを込めた著作紹介読書暦を綴っている。


2015年9月5日土曜日

今日のツイート 2015/9/5

岸に打ち上げられたシリア人の5歳の男の子の写真が世界中を駆け巡り、中東からヨーロッパを目指すナンミンに注目が集まっている。

世界はこのことをなぜ今まで放置していたのか、と非難の声が高まっている。

関連ツイートを「お気に入り」から選び出して並べてみる。


2015年8月27日木曜日

今日のツイート 2015/8/27

なんともはや・・・

この「呪殺」とは何なのか・・・

オウム真理教ノート 2015/5/3」で鎌田東二『「呪い」を解く』を紹介したが、その本の中に「呪殺」の考察があった。

印象では《宗教的行為》として見過ごしてはならないものを含んでいる、というニュアンスだったと思う。

やはり「宗教とテロリズム」の範疇に入る事柄であろう・・・。

2015年8月21日金曜日

(5)雑想「いくさ」について思うこと

安保法制論議に直接関わらないが、その傍系の論議の一つについて。

いくつかあるが、先ずすぐ思いつくことから始める。

近代戦争における「いくさ」の非人間化

(1)破壊兵器の技術的進歩は何を目的とするのか

 確か第一次大戦からであったろうか、戦闘機が導入されたのは。

 大量破壊兵器と位置づけられるのかどうか知らないが、第二次大戦での重爆撃機B-29による無差別爆撃を考えると、短期間で、なるべく味方の損害を増やさないうちに、一方的優位を勝ち取って、相手を降伏に追い込むための「武器」という考え方が「いくさ」のやり方として最重要な問題になって来ているのではないか。

 もちろん、本格的な戦争に入る前の「小競り合い」というのはあり、その場合は相互に「計算されたダメージ」の応酬をしている間に、何とか政治的決着を図る・・・というのが「いくさ」のやり方の一つとしてある。

 だから様々なレベルの武器が必要とされるのだろう。

 しかし流れとしては「戦闘員と非戦闘員の区別」がつかない争乱・戦争の方向が強まっているのではないか。

(2)ハイテク武器の意味すること

 大量破壊、無差別攻撃、の次に思うのは、レーダーやハイテク機器の発達で、戦闘員が敵を生身の人間として見たり、相対することなく、殺戮できるようになってきたことである。

 ここ数年ドローンによる偵察や攻撃がかなり使われるようになってきた。

 特に民主主義国が戦争に関わる場合、人的な損害を最小に抑えるために、このような「非人武器」利用の増加は避けられないだろう。

 GPSの利用で敵ターゲットをピンポイントで攻撃でき、市民の巻き添えを避けることができる武器、と考えられているが、やはり戦闘員の「非身体化」という点で、大きな疑問が残る。

 戦は望んで行うものではなく、回避できなくて取る「悪」という位置づけであっても、相互に身体的ダメージを確認し合いながら停戦を探っていた時代に比較し、このままハイテク機器が進歩し、それが大々的に「いくさ」で使われるようになると、「戦争悪」の深い反省がどれだけできるだろうか。


第二次大戦を「終結させた」と理解されている原子爆弾使用を人類的な悲劇として反省するまでにかかった(まだ進行中だが)時間はどれだけか・・・。

民主主義国家の戦争は、職業エリート軍人と一定期間軍人(戦争後に退役)でなされるが、そうであっても実際の戦闘によって(理由は様々あろうが)精神的トラウマを受け、かなりの数の自殺者を出している。

民主主義国家は、基本的に「普遍的人類意識」を持つ傾向にあり、たとえ国益だとしても他国の軍人・市民を殺戮するための道徳的ハードルは高い。(分かっていても、教育されても、人を殺すことは簡単ではない)だから基本厭戦である。


ということで、味方の損害を最小限に抑えるという理由で大量殺戮兵器が進歩し、戦闘員の「非身体化」を助けるために武器のハイテク化が進んでいくと、戦争を遂行するための道徳的矛盾は激化・複雑化し、それを解決するための精神的スタミナがギリギリまで試され、磨耗・疲弊させられる傾向にある、といえないだろうか。


と、そんなことを考えている。