2010年12月31日金曜日

明日の礼拝案内

元旦礼拝

2011年1月1日(土) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 18:1-11
説 教 題 「ここに腰を据えて」
説 教 者 小嶋崇 牧師


2011年間標語聖句
ここに腰を据えて、
彼らの間で神のことばを教え続けた。
使徒の働き18章11節(新改訳)

※2日の主日は礼拝をお休みします。今年の主日礼拝は9日からとなります。

2010年12月30日木曜日

C・S・ルイス

CNNのBelief Blog欄に"Surprised by C S Lewis:why his popularity endures"
と言う記事が出ていた。

筆者は特にルイス・ファンでもない。神学校時代に「ミア・クリスチャニティー」を読んだぐらいである。
(本棚を調べたら、もう一冊「ミラクルズ」もあった。しかしこっちには殆んどマーカーが入っていないので、多分ちゃんと読んでいないのだろう。)

しかし、ルイスが依然として多くの人に読まれている、と言うことにはしばしば驚かされる。
(当ブログの「科学者と霊的真理」で、フランシス・コリンズの「ランゲージ・オブ・ゴッド」の書評めいたものを書いたが、彼もルイスの愛読者の一人のようである。)
「ナルニア国物語」の映画化も三本目が封切られたそうである。

記事によると、すでに「ナルニア国物語」を書いていたルイスが、弁護士から遺産をどうするかとの問いに、「私の死後五年以内には最早私の書いたものを読んでいる人はいないだろう」と答えたとのこと。
ルイス自身はどうやら控えめな自己像の人であったのだろう。

記事の中には、.ルイスと『指輪物語』で有名な、J・R・R・トールキンとの交友関係が不和で終わったと言うのは根拠のないものであると、ルイスと結婚した女性の息子(?)の証言を引用している。

ルイスの愛読者で興味のある方はご一読を。

2010年12月29日水曜日

原罪とキリストの救済

 先の「洗礼について」のポストは、そこで紹介した方のブログに筆者がたまたま遭遇して啓発されて書いたものであった。

ついでにそのブログにコメントを残したら、以下のような返答が返ってきた。

私がキリスト教信仰を持てない理由なのですが

1.人間には「原罪」がある
2.それをキリストが贖って人類が救われた

1は理解できますが、2がどうしても私には腑に落ちないのです。
キリストが罪を贖ったというが、人間は依然として弱く、汚くあり続けているのにどこが救われたんだ・・・と思ってしまいます。
一度に回答できるとも、又回答し切れるとも思わないが、ジャブ程度のものは書いておこうと思う。

先ず人間の現実として「原罪」を受け入れているようであることを確認しておこう。

次はキリストの贖いと原罪がどのように向き合うのか、と言う問題であろう。

この方のこのような疑問が出てくる背景には、キリストの贖いを「原罪からの普遍的、全き救済」と言う前提があるように見受けられる。

普通のクリスチャンはこのような疑問を抱かないのではないか。
それはキリストの贖いの意義を、「私の罪の身代わり」と言う個人レベルでの了解事項としているからではなかろうか。
プラス、キリストの救いは信ずる者に適用されるのであって、信じない者には適用されない。
キリストの贖いは「信仰」と言うものが介在して初めて有効となる、と言う理解が前提されているように思える。

但し、「キリストの救いを受けた者が依然として罪にからめとられている」と見るならば、この方の疑問は「キリストの救いは単に違う意味での免罪符」あるいは、原罪を抱える人間の咎(罪責感)を心理的に解消するだけで、実態においては原罪に対しては何の効力も発揮していない、と言う見方に解釈することもできる。

またここで表現されている疑問よりスケールは大きくなるが、キリストの贖いが罪に対する決定的な解決であるならば、なぜ依然として世界には罪や苦難が満ち溢れたままなのだ、という「神義論」の様相を帯びて来ることも予想される。

筆者の属するウェスレー派の「聖化論」の伝統では、新生(救われた)者に残存するアダム来の罪の問題は、「(信者が死ぬまでの間に)聖化される」ものとして理解する。その過程は漸次的な段階と危機的(瞬時的)体験との二段構えで理解されている。
どっちにしてもキリスト者は刻々罪に死んで行く者として捉えられる。

とまあ、ここまでは神学的な議論で、実際には、教会の信者を観察しながら、
「救われた」と言ったって結局同じ罪人じゃない。 じゃ「キリストの救い」を信じるのと信じないのとで何の違いがあるのよ。
と少し皮肉っぽく言えばそう言う事になるかもしれない。

すると、「キリストの救いは道徳的にも人間を変えるものなのよ。マザー・テレサやマーティン・ルター・キング牧師を見るまでもなく、確かに聖人ではないにしても、罪に勝とうとする力を与えるものよ。」と反論するかもしれない。

ただこれだけは言えるかもしれない。救いに伴う「罪の自覚(認罪)」はそれ自体が救いの過程にある事柄だ、と言うこと。
そしてこの自覚はその人をまだ実質的「聖徒」にはしないかもしれないが、「聖さ」を希求する出発点にすることができる、と言うこと。


人を「聖」へと導くのは、詰まるところ人間の窮状の正体である「罪」を自覚し、その破れに自我が砕かれ、神の一方的な恩寵を間断なく期待することではないか。

そしてこの人類と被造物の「破れた状態」、窮状からキリストは十字架と復活の贖いによって解放したからこそ、「新しい創造」「回復と癒し」への端緒につけたのだ、と言うこと。

贖われた私たちの歩みはキリストの勝利ほど圧倒的ではないにしても、「新しい人」として生きる限りその道行(目指すゴール)は確かであることを。

2010年12月27日月曜日

洗礼について

最近立ち寄ったある方のブログに自身の洗礼のことが書いてあった。

救いに関わる「イエス・キリストへの信仰」の故ではなく、自分が携わるキリスト教系組織で仕事をする手段的理由から受けたと言うのだ。
だから受洗の時の「信仰告白」は“嘘をついた”とのこと。

そう言う訳で、洗礼を受けたと言う意味では「クリスチャン」だが、イエス・キリストによる救いの信仰がないと言う意味では「クリスチャン」ではない、と言う二義的な「クリスチャン」であることを自覚しておられる方である。

この方は「内村鑑三」を研究していて、その意味で無教会的意識が影響して、良心の呵責なしに洗礼を受けることができた面もあるのかもしれない。
いやご本人の言によれば、自分の目的を達成する手段として正当化する意識が強かったようだ。

こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。


しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。

これら二つの「洗礼」は、共に“私的”な面・理由を軸に展開した出来事である、らしいことが共通している。

確かに洗礼を受ける、受けないは個人の選択である。その面では大変私的なものである。

しかし一旦新約聖書が教える、あるいは描写する洗礼と言うことから言うと、これは大変に公的なことであり、それ故信仰告白を伴う理由ともなる。

確かに実際に洗礼を受けた者の中には、筆者も含め、それほど十分な神学的理解や自覚を持って洗礼を受ける、と言うことがなかった者も多いことと思う。

洗礼は言ってみれば単純な信仰を持った時点で受ける入門式のようなものでもある。

しかしその神学的深みはパウロをして言わしめたように「メシアと一体となる」ことであり、「メシアと共に死に、メシアと共によみがえる」と言うことを表すものである。

洗礼とは斯くも重大な出来事である。

ただ人間と言うもの、こと洗礼や聖餐と言う聖礼典に限らず、普段の礼拝や祈りにおいても、意識がぼんやりと、ただ習慣的に行っていることがどれほど多いことか。
ことは「組織がやるものだから」と言うのではなく、人間のやることは案外いい加減が多い。

ただいい加減にやっていることでも、それ自体の持っている意味や意義に時々覚醒されて自覚を新たにすることがある。

知性を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、身体を持って生ける神を礼拝する、それが求められていることなのだと思う。

2010年12月25日土曜日

2010クリスマス瞑想

(※これは12/24クリスマス・イヴのメッセージ内容を覚書風に改変したものです。)

クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う時。

マタイ福音書によれば、ヨセフの子としてベツレヘムに生まれた「ナザレのイエス」はユダヤ人の王として来られた方。
東方の博士たちはヘロデの宮殿に来て尋ねた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方は、マタイによれば「ユダヤ人の王」として、ローマの十字架刑で処せられて死んだ。
また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
この「ユダヤ人の王」は宮殿ではなく、旅籠の馬小屋の飼い葉桶で生まれ、十字架刑で死を迎えた。何と言う「ユダヤ人の王」だろうか。


斯くも常識外の出生と死で括られた「ユダヤ人の王」の生涯は、特に公の宣教において、マタイはどのようにこの「ユダヤ人の王」を活写しているだろうか。

「王なる羊飼い」
この王は宮殿に住み武力で統治するような方ではなかった。
弱った人々の間に入っていかれた方であった。
散らされた羊ようなイスラエルの群集の窮状を遠くから眺めているのではなく、近くによって観察し同情された方であった。
それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
この王は傷み、散らされた羊たちを癒す方であった。そのようにして羊飼いの仕事をなされた。
葦のようにぽきりと折れそうな、今にも消えそうな灯心のような羊たちを甲斐甲斐しく黙々と介抱し癒された。
 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。
 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。
 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。
 異邦人は彼の名に望みをかける。」
「王なる羊飼い」のメシヤ像は、上掲のイザヤの預言だけでなく、エゼキエルの「イスラエルの牧者」(あるいは「散らされた羊と非牧者」)を髣髴とさせる。
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。
彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
わたしは生きている、――神である主の御告げ。――わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきとなっている。それなのに、わたしの牧者たちは、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者たちは自分自身を養い、わたしの羊を養わない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
神である主はこう仰せられる。わたしは牧者たちに立ち向かい、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。牧者たちは二度と自分自身を養えなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らのえじきにさせない。
まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。
わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――
わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
(エゼキエル34:2-16)
「王なる羊飼い」の招きのことば
斯くも、衰え果て、弱り果てている「羊飼いのいない散らされた羊」のようなイスラエルに対して、この「ユダヤ人の王」は優しい招きのことばをかけてくださる。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
「ナザレのイエス」は、今も私たちに近づき、助け、起こしてくださる。
心優しく、へりくだった王。
私たちの求める真の王・統治者はそのようなお方である。

2010年12月23日木曜日

マタイのクリスマス・ストーリー

当教会では毎年マタイとルカの「誕生物語」を交代で朗読するクリスマス礼拝を行っている。
福音書でイエスの"infant narratives"(誕生・幼年物語)が挿入されているのはマタイとルカだけである。

ヨハネの福音書の「ロゴス」序文は、コスモロジカル(宇宙論)規模の物語で、当教会では(他の教会もそうだと思うが)クリスマス・イヴの「キャンドルライト礼拝」で導入に朗読される。

クリスマス礼拝と言うと、劇があったり、出し物があったりと、賑やかなページェントをする教会が多いと思うが、当教会では現在そこまでの余力はない。
また数年前から「聖書の朗読」を重視するようになり、それでシンプルではあるが、マタイとルカの「誕生物語」を「クリスマス・ストーリー」と言い換えて行っている。

先日19日の礼拝は「マタイのクリスマス・ストーリー」の番だった。


話は去年のことに遡るが、心身のバランスを崩して少し静養していた期間があった。
たまたまその時、朝目覚まし用に設定しているNHK・FMの「朝のバロック」で流れていた音楽にピーンと来たことがあった。

会堂を建て替えてから、音響が良くなったので、教会イベントとして適当な音楽プログラムを探していたのだが、なかなか会堂のスペースや性格にぴったりのものを企画できないでいた。

その朝たまたま耳に入ってきた楽器の音色を聞き、「これだ!」とインスピレーションが沸いた。
俄然聞き耳を立て、音楽が終わった後に紹介されるであろう演奏者名を聞き漏らすまいと待ち構えた。
その結果聞き覚えたのは演奏者の「しながわひじり」と楽器名の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」だった。
その日のうちにネット検索で調べた結果、関係している音楽事務所まで割り当てた。
しかし演奏者の「品川聖」氏に直接コンタクトを取るサイトは見当たらなかった。

と、話が長くなったので間を省略して話すと、そのアントレ音楽事務所と言う古楽専門の事務所は品川聖氏のご両親経営のものだった。それでご両親から電話とメールの連絡先を受け取り、恐る恐る「演奏会としてではなく、礼拝の一部として演奏してもらえますか」と問い合わせたのであった。

ほどなく快諾の返事を頂いて、去年2009年の「ルカのクリスマス・ストーリー」に出演して頂いたわけである。
そして今年も、今度は「マタイのクリスマス・ストーリー」に去年に続いて出演頂いたと言う次第である。

「マタイのクリスマス・ストーリー」の中では、「エサイの根より」「かいばのおけにねている」「星をしるべに」「ああベツレヘムよ」「グリーンスリーヴス」「コヴェントリー・キャロル」などのクリスマス賛美、そしてカール・フリードリヒ・アーベルと言う、バッハとほぼ同時代のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・作曲家の曲を二曲弾いて頂いた。

去年は礼拝後に、バッハの無伴奏チェロ・ソナタを一楽章弾いて頂いたが、今年は当教会のメンバーで、女優・朗読をしている方が用意した、韓国の詩人、尹東柱の「星をかぞえる夜」ともう一つ題名を忘れたが、即興でガンバと詩の朗読のコラボを披露して頂いた。

朗読者曰く、「尹東柱の詩の切ない詩情とガンバの響きが何か合うのよねー」とのこと。


星をかぞえる夜

季節が過ぎゆく天には
秋がなみなみと満ちています

私はなんの心配もなく
秋の中の星たちをみな数えられそうです

胸の中にひとつふたつと刻まれた星を
もうみな数えられないのは
まもなく朝が来るためであり、
明日の晩が残っているためであり、
まだ私の青春が終わっていないためです。

星ひとつに思い出と
星ひとつに愛と
星ひとつに哀しみと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつに母よ、母よ、

お母さん、私は星ひとつに美しい言葉を一言ずつつけてみます。
小学校の時に机をともにした子供たちの名前と、
ペ、ギョン、オク こんな異国の少女たちの名前と、
もう子の母となった娘っ子たちの名前と、
貧しい隣人たちの名前と、
はと、子犬、うさぎ、ろば、のろ、
フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ
そんな詩人の名前をつけてみます。

この人たちはあまりに遠くにいます。
星がはるか遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島にいらっしゃいます。

私はなんだかなつかしくて
このたくさんの星明りが降る丘の上に
私の名前の字を書いてみて、
土で覆ってしまいました。

なるほど夜を明かして泣く虫たちは
恥ずかしい名前を悲しんでいるわけです。

でも季節が過ぎて私の星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
私の名前の字を埋めた丘の上にも
誇らしく草が生い茂ることでしょう。

2010年12月20日月曜日

季節の挨拶

英語でSeason's greetingsを訳すとそんな感じかな。

アズベリー神学校以来の友人たちからネット文書でやってきた。

片や一年時のルームメイト。
今は北米合同メソジスト教会の宣教師として、スペイン、マドリッド市にある神学校で教鞭をとっている。

テキサス州出身の陽気なやつ。
どっちかという内向的な筆者を色々と仲間に紹介したり、活動に加わらせたりと、面倒を見てくれた。
一年後に結婚してからも、日曜日の夜などよく一緒に食事をした。

シェフはわたし。
その頃から才能があったのかどうか、簡単でおいしいレサピーを編み出していた。
定番は味付けにイタリアン・ドレッシングを使ったスパゲティー。
アメリカで普通スパゲティーと言うと、殆んどトマトソース味のミートボール。しかもあるデンテではなくぶよぶよに柔らかく煮込んだのを食べさせられたものだ。
一風変わった感覚で喜ばれた。

今回受け取ったニュースレターでは、三人の子供のうち一番下の子が親元を離れ、夫婦二人になった、とのこと。
お互いそれだけ年を取ったのだなー、と友人の家庭環境の変化から感じ取った。

一つ大きく違うのは、片や依然として髪の毛ふさふさ。
片や白髪も増え大分頭髪が寂しくなった頭。

もう一人の友人は一年先輩のインドネシア人。
筆者の入学当時、外国人留学生会のプレジデントをやっていた、やはり世話好きで積極的なタイプ。
彼も最初は独身寮だったが、筆者が2年に上がる時に結婚して、ルームメイトと同じ宿舎に移った。

猛烈な勉強家で、朝見ると大抵半徹夜したような顔をしていた。
大学は英語専攻で、いつもきちんとした英語を心がけていた。

ルームメイトだったテキサンの方は、アズベリー後は新約学でドクターを取り、インドネシア人の友人の方は旧約学の方でドクターを取った。
現在は聖書翻訳のコンサルティングのコーディネーターである。

ニュースレターには、統括するアジア、環太平洋の国々での会議やワークショップでの活動が綴られていた。
お二人ともご活躍である。
筆者の働きぶりとは大分開きがある。

かと言ってそれ程うらやましいとも思わない。
こちらは「楽する」方に傾く傾向があり、忙しいストレスのかかる仕事は避けたい方である。

最後に、インドネシア人の友人のニュースレターに載っていた小話を以下に転載させてもらおう。
さすがに「聖書翻訳」に携わっている方が見つけたものだ。
FROM DANIEL SEE
A man and his wife were having an argument about
who should brew the coffee each morning.
The wife said, 'You should do it, because you get up
first, and then we don't have to wait so long to get
our coffee'.
The husband said, 'You are in charge of the cooking
around here and you should do it, because that is
your job, and I can just wait for my coffee'.
Wife replies, 'No you should do it, and besides it is
in the Bible that the man should do the coffee'.
Husband replies, 'I can't believe that, show me'.
So she fetched the Bible, and opened the New
Testament and shows him at the top of the several
pages, that it indeed says.............'HEBREWS'.

2010年12月18日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第四主日 クリスマス礼拝

12月19日(日)、午前10時30分より

「マタイのクリスマス・ストーリー」

特別演奏:品川聖(プロフィール)・・・ヴィオラ・ダ・ガンバ

※礼拝後、茶菓の用意があります、お時間のある方はゆっくりお過ごしください。
※年内主日礼拝はこれが最終です。
※24日(金)夕7時からのキャンドルライト礼拝が年内最終集会となります。
※元旦礼拝、1月1日(土)、午前10時30分より。

2010年12月17日金曜日

標語聖句

今年も早や年末。来年のことをいろいろと考える時期になった。
当教会では伝統的に、年頭「標語聖句」を掲げる。

旧木造の会堂の時は、横長の額に墨で書をしたためて入れていたが、新会堂となってからは、コンクリートの壁のため、また適当な場所もないため、「月定献金袋」に書いてもらっている。

大分長い間、講解説教が続いているので、標語聖句に選ばれる箇所は、その年学ぶことになる部分から選ばれている。
さて、来年はどうしようか、と現在思案中。

他の教会ではどうしているのだろう、と「標語聖句」で検索をかけてみたが、それほどどの教会でもやっている、と言うものではなさそうに見える。

やっている教会はより「モットー的」聖句を選ぶ傾向が強いようだ。
教会の目標や信徒の励まし・成長に適切な聖句を選んでいるように見える。
勢い「有名な聖句」が選ばれる、と言うことになるようだ。

現在三つほど候補がある。
一つは講解中の「ガラテヤ人への手紙」3章終盤か4章初めから選ぶ。
本来ならこれで済むのだが、最近筆者の元気レベルが落ちていて、自分自身が「標語聖句」から励ましを受け・鼓舞される必要を覚えている。

それで第二、第三の候補となったわけだ。
先に心に来たのは、詩篇16篇6節。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
この「私への、すばらしいゆずりの地」が心にかかっている。
なかなか数的に成長できない教会を抱えて、どうしても悩んでしまう昨今。
今一度「この地」を神からの「ゆずりの地」として、Claim(利権を主張)する必要を感じている。

第三の候補は、使徒の働き18章9-11節。パウロのコリント伝道の箇所。
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。
この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
どうしても「ジリ貧」を感じ消極的思考に負けそうになる。
勇気と忍耐の必要を覚えている。

腰が据わった伝道(神のことばを教える)を実践したい。

2010年12月15日水曜日

先生の横顔(3)

アズベリー神学校を卒業し、次に進んだのは米国東部ニュージャージー州プリンストンにある、長老派の名門プリンストン神学校。

その神学修士課程(Th.M.)は学生の様々なニーズに対応する便利な課程だった。
コースは一年。
論文はなし。
適当にクラスを取って次の目指す博士課程へ行くもよし。
それで学業を終えてもよし。

筆者が入学時、同課程には100以上入ったように記憶する。
留学生が多かった。
中にはカール・バルトの孫と婚約している、とか言う学生もいたっけ。

仲良くなったのはインドネシアからの留学生二人。
どちらも筆者よりかなり年配。国に家族を残しての単身留学だった。
後はルーマニアの学生ともテニスやバレーボールなどスポーツで楽しく遊んだ。

筆者は社会倫理を専門にしようと思っていたので、主たる教授はギブソン・ウィンター(Gibson Winter)教授だった。
聞いた話ではハイデガーを深く読んでいて、解釈哲学的なボキャブラリーが授業にも良く出てくるので殆んど「何の話や、これは」みたいな感じだった。

バイブルベルト地帯の超保守聖書学校を振り出しに、保守系神学校を卒業し、言ってみれば穏健なリベラル(と当時は見えた)の神学校に来た緊張もあってか、最初はウィンター教授に対し非常に警戒心が強かった。
聞きなれた聖書言語や神学用語は教授の口にはあまりのぼらず、哲学用語や抽象的な説明が多く、コネクトすることが難しかった。

一度、教授の部屋で、自分が書いた期末論文に関して意見交換する機会を持った。
まだコチコチの保守で、神学的にインセキュアー(不安で防御的)だった筆者は、自分としては珍しく熱い口調で自らの「福音主義信仰」を述べ立てた。ウィンター教授をリベラル(敵)と見立てたような剣幕で。
その時の教授の困ったような、悲しげな表情が忘れられない。
しかし、教授は議論せず、型にはまった筆者の「保守」的弁明を優しく受け止めてくださった。
筆者も言い分を明らかにした後は、却ってオープンマインデッドで学べるようになったような気がする。
やはり自分の(信仰的・思想的)殻は、段階的に再構築していくものなのだな、と後から振り返るようになったわけだが・・・。

その意味では、チャールズ・ウェスト教授の「ディートリック・ボンヘッファーの神学」クラスには大変啓発された。「コスト・オブ・ディサイプルシップ」「エシックス」「獄中書簡」、それにベートゲの「ボンヘッファー伝記」など、かなり身を入れて読むことができた。そして理解できたと思った。

ウィンター教授の授業内容は、多分に当時執筆中のLiberated Creationから来ていた。
基礎となるのは包括的な「解釈学的」パースペクティブであり、その上に社会学的、倫理学的、神学的思索を構築する、北米版「解放の神学」であった。

まあこの時には筆者の理解も浅く、伝統的な福音派の「個人的魂の救済」伝道と、「解放の神学」のような現実社会の政治社会問題を通して「福音を“実践する”」、という宣教観のギャップを客観的に把握できていなかった。

ただ「解釈学」や「現代哲学」など、アズベリー神学校では触れられなかった事柄に目を開いてくださったことには今でも感謝している。
問題は伝統的な神学科目と、これらの学問とが、どう学際的に連関するのか、と言う点にあったが、当時とてもそこまでは思いも及ばなかった。

プリンストンでの一年弱はある意味「遊び」のような気がする。
東海岸の「エスタブリッシュメント」の雰囲気は肌に合わなかったし、プリンストンの町は四季が綺麗で住みやすい場所ではあったが、なぜか落ち着く場所ではなかった。

一月頃だったか、突然勉強に身が入らなくなり、一週間ほど滅入った気分が続いた。
アズベリーを卒業してすぐ帰国した方が良かったんじゃないか。
自分はここで何をやっているのか。
思えば軽い鬱になったのかもしれない。

ここでの経験を反省して、次の(博士)課程は「教会コミュニティー」に繋がった環境で勉学できるところを選ぼうと思いが定まった。

2010年12月13日月曜日

ポストモダンを考える

文献によってでもなく、ネットによるキーワード検索によってでもなく、ただ筆者が漠然と「現代はポストモダン」であると前提していることについて。

あまりにも多様に解釈され、使用されるポストモダンという用語。

本当に自分でよく理解して使っているのだろうか。
他人の尻馬に乗るように、流行語のように、あまり掘り下げもせず使っているのではないか。

そんな反省をしてみたい。

①筆者が「ポストモダン」と言う時どんなことが一番念頭にあるのか。
恐らく思想的な面での問題だと思う。
西洋啓蒙主義の理性信仰の崩壊、といった感じかな。
「客観的真理」の確実性・普遍性が揺らいでいる、そんな文化的環境にいることが即ちポストモダン時代であると。
それは同時に反動として、「真理・真実」が個人の主観、(理性ではなく)感性的、直感的に捉えられる傾向、とも言える。
それは総合的に言えば「価値の多様性」、グローバルな次元での「多元化社会」での「合意形成」の困難さ、あるいは悲観的な展望に繋がる状況の出現、とも捉えられる。

②思想面以外ではどのような面を見ているのか。
やはり後期資本主義の爛熟型である「大量消費社会」を背景に見ていると思う。
つまり近代がもたらした資本主義を「正」と見るのに対し、その現在を「負」の視点から見ることと言える。

③モダンからポストモダンの変容とは、物語的に言えば、啓蒙主義の楽観的歴史観、社会観、人間観が、実際にモダンプロジェクトを進めた結果、予想外の状況に逢着し、啓蒙主義思想がやはり一つの神話であったことに気付き、幻滅と失望を味わっている状況、と言うことができるだろうか。

大雑把に言えばそんなことが挙げられる。

では、「ポストモダン」は西洋の思想的問題で、日本には限定的にしか適用すべきでない問題なのか、について。

思想・言論の世界で「ポストモダン」を前提しているのは西洋先進国の知識人である、と言える。
これはもう常識と言っていいだろう。
日本ではどうかと言うと、少し距離がある感じがする。

上記②で掲げた状況は日本社会にも十分当てはまる。その意味では日本もポストモダン社会の諸問題を抱えていると言わざるを得ない。
しかし①と③の自覚は相対的に希薄であり、対岸の火事のように評論されることも多いのではないか。
その点明治維新時の「和魂洋才」的問題整理のし方を踏襲している感じかな。

キリスト教会、宗教界におけるポストモダン言説の適用
 上記のような観察にも拘らず、ポストモダンは一定の市民権を得ている。
その最も顕著な例は「霊性・スピリチュアリティー」が置かれている状況が、欧米先進国と日本との間で極めて近似している、と言うこと。

これは二つの異なる文明圏が同様の現象を並行して現出させた、と言う意味ではない。
片や西洋キリスト教文明は、その字の通り根幹にキリスト教と言う精神文明があった。
しかし日本は多くの人が観察してきたように「キリスト教ほど強力な精神的根幹」がない、しかし適度に儒教的・仏教的・神道的、習合的な精神文明に支えられてきた。

欧米でのポストモダン状況の出現は、(啓蒙主義の媒介による)脱・キリスト教文明と密接に関わるが、日本における“無宗教化(非宗教化ではない)”はそれとは大分趣をことにする。
多分に資本主義社会の進行による、都市化、核家族化、等による崩壊現象と見える。

しかし彼我のポストモダン霊性の在りようは、その雑種性、個人的志向、など色々な面で重なるように思う。
孤立した個人、既成宗教(組織)に対する不信、なども似ている。


と言うわけで、キリスト教会の現代的宣教は、どの程度日本の文化状況がポストモダンなのか、安易に前提することなく、丁寧に分析しながら、対応していかなければならないだろう。

2010年12月11日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第三主日礼拝

12月12日(日)、午前10時30分より

ヘブル書の学び(18)

聖書朗読 ヘブル人への手紙 3:1-4:13
説教箇所 ヘブル人への手紙 3:1,2
説 教 題 「信仰の使徒であり、大祭司であるイエス」
説  教 小嶋彬夫牧師

《説教メモ》
モーセより偉大なイエス(3:1-6)②

※次週、クリスマス礼拝、午前10時30分より。

2010年12月9日木曜日

死別と「悲哀」

昨年4月、筆者が心身のバランスを崩したのは、更年期を迎えて運動不足など日常生活をちゃんと管理していなかった迂闊さもあるだろうが、少なくとも末期ガンの母を抱えていたことが引き金となった、と自分では分析している。(母は昨年7月召された。)

思えば「死別の悲しみ」を日々弱っていく母を前にして先取りしていたのだと思う。
抗がん剤の副作用で体調が悪い母の姿を見ていていたたまれなくなって、その場を離れたことがあった。
その日、心療内科を訪れて診察を受けた。

沈黙の中で悲しみは「悲哀」に変容する。これは一種の愛情の形です。風のそよぎにも光の揺らぎにも大切な人の存在を感じる。そうなるともう寂しくない。
これは、宗教人類学者、山形孝夫さんのことばだ。(朝日新聞夕刊、『語る人』、2010年12月6日)

母と生年が同じ山形さんは、子供の時お母さんと死別している。山形さんに「死にたい」とつぶやいていたお母さんは自死され、その後家族の中で「母の話」はタブーになったという。
山形さんも「悲しみ」を封印した。

それが40代になって封印していた悲しみの記憶を解くきっかけが訪れた。
ナイル川西岸の砂漠にエジプトのキリスト教徒コプトの修道院が点在しています。エジプト人が死者のクニと呼んできた荒野で、私は数ヵ月滞在し、修道士たち自身の物語の聞き取りをしていました。ある時、その修道院を抜け出して砂漠を歩いていました。周囲には何もない。聞こえるのは風の音だけ。そのとき、不意にだれかが私の名を呼んだ。オヤッと思いました。それが母の声だと気づいた瞬間、動けなくなりました。
このことが契機となってその後自伝的エッセーを書く中でお母さんの記憶が次々と噴き出してきて、「書きながら涙が止まらな」くなったそうです。
「懐かしい、至福の時」だったそうです。

山形さんは、この経験から、
悲しみは人間の成熟に大切な栄養剤です。その人らしさを形作るパーソナリティーの根幹になる。悲しみは新しい生き方に変化する。
と言っています。

グリーフケアー、と言うカウンセリング用語がありますが、死別の悲しみは個人差はあれ、人生の大きな経験です。筆者に言わせると、母との死別の悲しみは一種独特です。

しかし誰との死別にせよ、山形さんの言う「悲しみ」が「悲哀」に変容する体験は、時間による忘却ではなく深まり、と言う点で人生を豊かにする視点だと思います。

山形さんは今ホスピス病棟を作る活動もされているそうです。その夕刊コラムで最後に言っていることばがなかなか印象的であるとともに考えさせられます。
これまで、死と向き合うのは宗教の役割でした。現代日本で神の存在を信じるのは難しい。でも「祈り」の願望はむしろ大きくふくらんでいるのではないか。その問題にどう切り込むのかを考えています。
筆者も近年その感を強くしています。
教会に時々訪れる「祈らせてください」と言う通りがかりの方の存在がそれを物語っていると思います。

最近は「葬儀の無宗教化」が話題になっているようです。
それは日本人が無宗教になっているのではなく、既成宗教の枠外で「死」や「霊性」の問題と向き合おうとしているのだと思います。

既成宗教はこれら「個人的霊性志向」の方々とどう向き合えば良いのか。

一つの問題はキリスト教会が現在用いている「宗教言語」ではないかと思います。
キリスト教的「神」や「救い」についての表現や、言い回しが習慣的になり、現代人の心の奥深くに届くことばになっていないのではないか、と言う疑念です。
「神の愛」や「キリストの赦し」のことばが、浅薄な自己治癒用に消費されていないかどうか自戒を込めて反省する必要があるのではないでしょうか。

もう一つの問題は、自己の内面にあいまいな形で潜んでいる「現代人の霊性」ではないかと思います。
既成宗教に縛られない形で、自己の霊性と交感するリチュアル(儀式・儀礼)を、現代人は占いなど擬似宗教的なものも含んだ種々雑多なものの中で模索しているように見えます。
教会は彼らの霊的模索にどんなリチュアルを提供できるのか。
教会の伝統的リチュアルの枠組みの中で発見してもらうのか、それとも現代人の個人的霊性志向に適応したリチュアルを作っていくのか。

最後に、キリスト教的視点から言えば、このような現代人の世俗化した「霊性のありよう」に対し、教会と言う本来「霊的共同体」がどのようにその役割を発揮できるのかどうか、考えていかなければならない。

山形さんの問題提起は、現在の教会活動のありようを今一度根本から検証する必要を促しているように感ずる。

2010年12月8日水曜日

2010年クリスマス集会ご案内

  クリスマス礼拝
  12月19日(日) 午前10時30分

「マタイのクリスマス・ストーリー」

マタイ福音書1-2章朗読と音楽が織り成す御子イエス誕生物語り。

特別出演:品川聖(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

品川聖プロフィール
1976年東京生まれ。3歳よりヴァイオリンを始める。4歳より桐朋学園大学附属子供のための音楽教室入室。高校時代よりピリオド楽器に目ざめ、1995 年桐朋学園大学音楽学部古楽器科に入学。バロック・ヴァイオリンを若松夏美氏、ヴィオラ・ダ・ガンバを中野哲也氏に師事。1999年同大学卒業と共にベル ギーのブリュッセル王立音楽院に留学。ヴィオラ・ダ・ガンバをヴィーラント・クイケン、バロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケン、寺神戸亮各氏 らに師事。


  キャンドルライト礼拝
  12月24日(金) 夕7時

クリスマス・イブ、一年を締めくくる静かな聖夜。
聖書とキャロルとパーティー。

どうぞどちらの集会も、お気軽にお加わりください。

2010年12月7日火曜日

過去ポストを追加編集

11月12日のポスト、「アートな教会」

ルーマニアの農村と蒸気機関車の画像8枚と、
金子みすずの詩を一つ追加しました。

ぜひまたご覧ください。

2010年12月6日月曜日

講解説教

留学を終えて帰国し、母教会(父が牧師をする)へ帰って副牧師になってから21年が経つ。

副牧師でいた頃は、説教は月に一回していた。
最初の頃はトピカル(主題的)な説教をしたり、その時々の時宜に応じた説教をしていたのだろうか、今はちょっと思い出せない。
しかし間もなく所謂講解説教をやりだした。

最初に選んだ本は確か使徒の働きだったと思う。
月一回のペースなので全体を学び終えるのに4年かかったと思う。
この頃はまだ説教のネタ本になるような註解書や研究書を使うことなくやっていたように記憶する。

次に選んだのは「共観福音書」。
始まったのは1995年1月。
これが苦しみの始まりだった。
まだ本格的な講解説教ではなく、共観福音書の一大テーマである「神の国」にいきなり切り込もうとしたのである。

先ず、「神の国」と言う用語の登場箇所を表にしながら、マタイ、マルコ、ルカと言う区別なく、たとえ話や、癒し、悪霊の追放、と言う風に追って行った。

この頃ようやく説教のネタ本として買い求めたのが、G. R. Beasley-Murray, Jesus and the Kingdom of Godや、既に購入していた、Norman Perrin, Jesus and the Language of the Kingdom、などである。
しかし、これらの研究書は難しく、とても筆者の説教に反映させるまでには至らなかった。

そんな時手にしたのが、 Ernest Best, Following Jesus、であった。ようやく毎週の説教に反映させられる研究書に出会ったと思った。
「弟子の道」がマルコの福音書のテーマである、と言う切り口は学ぶうちに得心するようになった。

そしてようやく(筆者にとっては)本格的な講解説教となる、ルカ福音書の学びが、2000年から開始した。
その前年あたりからN. T. Wrightを読み出していた。
まもなくライトの、Jesus and the Victory of God、が講解を推進するネタ本になった。

細かいパッセージの釈義も、一世紀ユダヤ教の背景や聖書全体の文脈から関連付けられ、時に驚くような視点での解釈にも遭遇しながら、ルカ24章を走破した。
共観福音書の学び全214回中、何とルカ福音書の学びに154回かけたのであった。


ライトに至って、ようやく共観福音書の一大テーマである「神の国」の解明に端緒がついた。

そんな感触を得て、次の学びである「パウロ書簡」の学びに移ることができた。
2007年のことである。

現在、「ガラテヤ人への学び」が38回を数えているが、まだ3章の途中である。
しかし、神学的に難しいと言われる「パウロの説く福音」と「福音書の神の国の福音」の溝はあまり感じていない。
ライト的な解釈、一世紀の歴史的基盤での「神の国」理解が、福音書からパウロ書簡へスムースに繋がるように感じている。

筆者の説教の場合、「本格的講解説教」とは言わないだろうが、先ずはテキストが何を語っているのか、聖書全体の文脈的理解と、一世紀(主に)ユダヤ教と言う文化と歴史の文脈理解とを合わせながら、今後の学びを進めて行こうと思っている。

2010年12月4日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第二主日礼拝

12月5日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 1:18-25
説 教 題 「神我らと共にいます」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、クリスマス礼拝のリハーサルがあります。

2010年12月3日金曜日

「義認」と聖書

「のらくら者の日記」ブログで、先日北米ジョージア州アトランタで持たれた三つの会議のうちの一つ、「北米福音主義神学会」でのN・T・ライト師の様子が紹介されている。「北米福音主義神学会でのN.T.ライト博士」

内容は同学会に出席されたご友人の、山崎ランサム和彦先生のご報告(私信)。

実は私の友人も同学会に出席していた。もっと簡単な内容だが山崎氏と似たような印象を持たれたようだった。

(二人の討論の相手のように)教理的に細かいポイントに近接し、神学的伝統の枠組みに当てはめて論じるのではなく、聖書全体の文脈的流れから当該箇所(聖書の義認の教理に関連する箇所)を理解する、と言うライト師のアプローチのことである。

さて、筆者はこのような学会に参加する機会は残念ながら持てないが、このような討論がいくつものブログ上で取り上げられ、詳細に論じられ、ついにはその一つにライト師自身が反論すると言う異例の機会にも接し、興味深く「その後」を追っている。

簡単だが、英語を厭わない人のためにそれらのブログを紹介しておこう。

手始めにA Justification Debate Long Overdueをお読み頂くと、今回の討論の枠組みと、討論のポイントの概観を得ることができる。

※ちょっときつい言い方かもしれないが、当初討論に招かれていたジョン・パイパー師が欠席し、代わりにトム・シュライナー師が相手を務めたのは残念である。私見ではライト師に対して最も強い反論をしているのはパイパー師であり、より聖書学者としての議論をするシュライナー師は、ライト師の相手としてはやや軽量、と言うか本当の論敵ではなかったような気がする。
それに対しこのブログの著者が言っているように、明らかに二人の相手と対論する「敵陣」にちゃんと姿を見せたライト師は、「討論を厭わない」礼を尽くしたと言える。

このブログで引用されているライト師の言葉が大切だ。

“Only by close attention to Scriptural context can Scriptural doctrine be Scripturally understood,”
次に、ライト師もコメントで加わった、デニス・バーク氏のブログ。N. T. Wright on Justification at ETS

ここではまさに「教理的に細かいポイント」において、ライト師が自説を曲げたかのように論評されている。

曰く、将来(最後)の裁き (Future Justification) に関して、ライト師が討論の間に、今まで
on the basis of (works, a whole life led) を使用していたが、in accordance with と表現を変える譲歩を示した、とまるで鬼の首を取ったかのように論評している。

コメントにおいてライト師は、自分の見方が変わったのではなく、あくまで討論の相手が自分たちの枠組みで納得できる表現を取ったに過ぎない、と言うような反論している。

実際、どちらの表現を使おうとも、ライト師側で理解している枠組みは変更されたのではないことは、ライト師が同じことを両方の表現を使っていることで明らかである、と別のブロガーが指摘していた。

しかしライト師にとってどちらでも理解が同じ表現が、“こちこち”のカルヴィニストにとっては大きな違いがあるのだと言う。


この細かいポイントを詳細に論じているポストはWhat N. T. Wright Really Said


さて、筆者はここ数年「ガラテヤ人への手紙」から講解説教をしているが、確かにライト師の「義認」とは「神の民の一員」であることを宣言することであり、宗教改革者や、その後の伝統的な義認の教理が教えるような、「信ずる者に『キリストの義』が、その人の義として認められること」ではない、とする立場を理解するのに最初は戸惑いを覚えた。

しかし講解が進むに従い、ガラテヤ人への手紙の直接の文脈(ユダヤ人と異邦人が同じ根拠で、一つの神の民を形成する、つまりアブラハムの祝福の成就)に従って理解すると、義認が問題にしているのは「個人の罪が赦され、神の前に義と認められる」との“救済論的問題”と言うよりも、ペテロがアンテオケで異邦人と同じ食卓に着き(「ユダヤ人の様にではなく、異邦人のように生活していた)、「一つの契約の民」を生きていた、と言う“教会論的問題”が主要ポイントである、と理解できるようになった。

もちろんすべてが解決されたわけではないが、先ほどのライト師の引用の言葉にあるように、聖書それ自体の文脈に沿った理解がされないと、教理の正しい解釈とは言えないのだと思う。

2010年12月1日水曜日

科学者と霊的真理

「はちことぼぼるの日記」ブログ主、“はちこ”さんとそのご主人共訳の
フランシス・コリンズ、「ゲノムと聖書」を読了した。

筆者の場合は原書、The Language of Godの方だが。

読後の感想をいくつか書き付けておくことにしよう。
主に自分のメモ用に。

やはり専門分野の「人ゲノム解読」のエピソードは面白かった。
一生かかっても終えられないかもしれないプロジェクトに“身を捧げる”科学者は偉いと思った。
NHKの番組で「プロジェクトX~挑戦者たち」と言うのがあったが、幾多の困難を乗り越えて解読に挺身する姿に感銘を受けた。

さて、著者フランシス・コリンズの霊的遍歴が間を縫って綴られているのだが、“弱い”無神論から、やがて「道徳律」の存在から神論に移行する過程で、またその後の遍歴においても、C・S・ルイスの影響が大きいのが興味深かった。
依然としてルイスの著作は無心論者や不可知論者に一定の説得力があることを改めて感じた。

この本は、その大半が「一般神論的」な意味での科学に対する霊的存在・真理(宗教)の弁証論である、と言うのが筆者の印象。
アダムとエバの歴史性や創世記の創造論の問題を取り上げるが、最終的に自身のキリスト者としての信仰を明らかにしない上での、有神論的、知的な弁証に響いた。

最後に著者は、自分の罪深さの問題からイエス・キリストの救いを信じる信仰に至ったことを証しているが、これは個人的な証としてのものであり、キリスト教の普遍的真理性の弁証ではないことは否めない。
コリンズは、個人が他宗教も含めてどのような信仰を持つかは、その人自身の問題である、と言う良い意味では知的誠実さの態度を保持するが、反面イエス・キリストと言うお方の独自性、イエス・キリストの福音の公性、普遍性に関しては一定の距離を置く、消極的なキリスト教弁証論のように感じた。

彼の信仰はある意味、「個人的な救い」の面が強く、その部分が逆に印象に残った。

全体のテーマとして「科学」と「信仰(霊的真理)」の調和を主張しているのだが、当然と言えば当然だが、やはりコリンズのこの本での使命は、信仰者に「科学(進化論)」を説得的に語ることにあるように思えた。
確かに真面目な科学者が知的誠実さを持って信仰を両立させることが出来ることも主張してもいるのだが。

寄り道になるが、コリンズの「ID(知的デザイン)理論」評価(一過的)も、そうだろうな、と思わせた。

大雑把なレッスンとしては、キリスト者はもっと科学的な知識を習得するべきことが肝要。
そうすれば無用な「科学」対「宗教・信仰」の対立はかなり防げる。

以上、雑多な感想だがまとめてみた。

筆者は今、Bill Bryson, A Short History of Nearly Everythingを読みながら、一般的科学知識・常識の欠如をいくらかでも補えるかなー、と読み始めたところ。
結構科学って読み始めるとドラマがあって面白い。
アイザック・ニュートンとか変人だったらしいし、とにかく地球の大きさや、重さを、長年月かけて実験や測量を行ってきた科学者の人生は波乱万丈、面白い。

2010年11月29日月曜日

須藤生(すとう いくる)氏

先だっての土曜日午後、筆者が株主となっている、木工家、
IKURU DESIGN(氏のウェッブサイト)
の須藤生氏が来訪された。

実は須藤氏は以前ポストした「投資」
で書いた新進木工家のことである。 

11/24-26、東京ビッグサイトでのインテリアライフ見本市
出展を終えて、わざわざこちらまで出向いてこられた。
まあー出資者へのご挨拶と言うことだったが、
こちらは本当にわずかな出資なので恐縮だったが。

教会をご覧になられ、工房でお茶をしながら、色々とお話をうかがうことが出来た。

筆者は数年前から須藤氏のことは知っていたが、それよりも前にお父さんの須藤宏氏のホームページ「須藤オルガン工房」の方を知っていたと思う。

それでついつい聞いてみたかったのは「親子で物作り」だから、やはりDNAなのか、ということ。
そうすると意外や物作りに関心持ったのは大学生の時、ペンケースが欲しくなって、T急ハンズなど探してみたが、納得するものが見つけられず、それで自作したのが始まりだとか。

筆者が須藤氏のことを知ったのは、スェーデン留学記がテレビ番組で紹介されたものを見たか、ネットで「留学記」を目にしてからか、何れかであろう。
とにかく北欧家具職人の本格的修行をしている、と言うことで将来が嘱望される人物になるだろう、と勝手に思っていた。
株主になったのも氏の将来性を感じてであったが。

ところでそんな彼でも起業と言うのはそんなに楽ではなかったらしい。
ただ工房にする土地と建物を格安で借りられることになったり、色々と幸運にも恵まれて現在準備態勢が整いつつあると言う。
間もなく氏のウェッブサイトで「オープン」がアナウンスされることと思う。

せっかく来てもらったついでに、と言っては何だが、筆者の工房に併設する小さな小さなティールーム用のテーブルと椅子のデザイン・製作を頼んでみたら、意外にもすぐ引き受けてくださった。
どんなテーブルと椅子になるか楽しみである。

製作完成の暁には、株主だからと言うことではなく、IKURU DESIGNの「大和郷ショールーム」の乗りで紹介しようかと今から妄想している。

氏はなかなかこだわりの人で、カメラ(ハッセルブラッド)やジョージ・ジェンセンのジュエリー(「Georg Jensenに魅せられて」)に関しても詳しいのである。
同席した姉のペンダントを目ざとく「○○年のですよね。」と見定められた。

須藤さん、これからもよろしくお願いします。

2010年11月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月28日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-29
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 3:6-22
説 教 題 「伝えられた福音に立つ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(50)
ガラテヤ人への手紙(38)
・3:6-22のまとめ

※礼拝後、役員会があります。

2010年11月25日木曜日

ノートPCクラッシュ!

それは突然にやってきた。

今朝いつものように電源を入れて待っていたら、
背景がブルースクリーン。
c000021a unknown Hard Error
の表示でストップ。

デスクトップの方で解決策を検索してみると、かなり重症のよう。

セーフモードでも立ち上がらず、
CD-ROMでも起動せず。

どうやらレジストリーの部分がどうのこうのということらしいが、
ハードディスク自体がいかれちゃったのかもしれない。

そうなるともう買い替え・・・と言うことか。
しかしデータを取り出せるだろうか。

筆者のノートPCは主に個人用だが、ブログアップを始め、
教会ウェッブ、ライト読書会ウェッブ、木工房活水ウェップの接続用。

中古で4年半前に買ったものだが、まだまだ大丈夫と思っていたのに。
ここら辺がデスクトップと違ってノートPCの脆弱なところなのか・・・。

あーあ困った。

今使用しているネットに繋いであるデスクトップPCはブラウザー画面が正確に反映されない。
主に文字が読めればいい程度のもの。
ブラウザー画面に色が反映されないので見逃してしまう情報がある。

と言うわけで、しばらく新規購入そして設定までプログ更新も難儀しそうだ。

2010年11月24日水曜日

氷の塊をとかす

昨日の朝日新聞朝刊、吉田秀和のコラム『音楽展望』に興味深い文章が載っていた。

「ドイツに住む知人からマティアス・キリシュネライトという人のCDが届いた。」と言う文章で始まるのだが、その暫く後このように書いている。
音楽というものは楽譜という氷の塊の中に閉じ込められた生き物で、演奏家たちは、彼らの心の熱でもってその氷をとかし、音の世界を解放し、取り出してくる仕事に一生をかける人種なのだということを、こういうCDに接すると思わずにいられなくなる。
この文章の《音楽》を《メッセージ》、《楽譜》を《聖書》、《演奏家たち》を《説教家たち》、と置き換えてみると何とも面白いではないか。
この場合《メッセージ》は《神の言葉》であり、《氷の塊》は《人間である聖書記者たちの時代や文化》とさらに読み替えてみると、吉田さんの文章は、筆者のような牧師の立場で毎週説教する者にとって増々ピーンと来るものがあるような気がする。

とは言え、「心の熱」の程度はどうかと言うと、なかなかとかすまでに行かない温度の時が多いと思う。演奏家が楽譜と格闘するほど、説教家である牧師は聖書と格闘しているか。
「音の世界を解放する」まで楽譜を読み込んでいるだろうか。

何か普段の説教との取り組みを反省させられる文章である。

「のらくら者の日記」ブログの「聖書の〈スコアリーディング〉」記事でも
聖書の<スコアリーディング>なる訓練が非常に有効であることはもうお分かりかと思います。 与えられた聖書テキストのエッセンスをいかに効率よくテーマ で括るかを鍛える訓練です。 音楽の世界のスコアリーディングを聖書の読み方に適用する訳です。 ここで重要なのは、細部の正確さに拘泥しないということ です。 むしろ<抽出>という作業に徹することです。
と言うように、「楽譜を読む」ことと「聖書を読む」こととの類比をされておられる。

実は「神学」と言う、特に理性主義で少々カチカチなった神学を、音楽のイメージや語彙から解放する試みが、ジェレミー・ベグビー(Jeremy S. Begbie)と言う若い神学者にが試んでいる。

内容までここで紹介するスペースはないが、筆者が読了した中でも、
Voicing Creations Praise: Towards a Theology of the Arts (1991)
Theology, Music and Time (2000)
編著では、
Sounding the Depths: Theology Through the Arts (2002)
Beholding the Glory: Incarnation Through the Arts (2001)
などがある。

ベグビー自身は演奏家でもある。
今年四月に持たれた「ホィートン神学会議」Jesus, Paul and the people of God: A Theological Dialogue with N. T. Wrightでは、講演者の一人として登場し、最後は司会者か会場からの要請で、即興でライトにちなんだコードを利用したピアノ演奏も披露した。

音楽やアートを、神学や説教を刺激してくれる、時には深いインスピレーションを与えてくれる、と言う意味で大事にしたいものである。

2010年11月23日火曜日

「犠牲」と「贖罪論」の問題性

今回のポストは、高橋哲哉氏らによるシンポジウムをまとめた本、

『殉教と殉国と信仰と』  高橋哲哉・菱木政晴・森一弘著  (白澤社発行・現代書館発売、1680円)

に関するポストの続きです。
参考までに既ポストのリンクを以下に:
「教理と政治歴史的文脈」 (10月29日)
「非キリスト者による信仰論」(11月11日)

今回は、10月29日分ポストで取り上げた「贖罪論」と「犠牲」の関係について注目します。
・高橋氏の基調講演、
・その後の三人のシンポジストの討論、
・さらに別の時期になされた同じ方々による座談
から拾い集めた標題の件に関する(高橋氏と森氏の)意見に対して、筆者の考えることを少し述べようと思います。


さて、筆者は10月29日分ポストで以下のように書きました。
《引用開始》
筆者が一番驚いたのは、

講演の冒頭、イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した同氏の主張に対して、「贖罪論はキリスト教信仰の核心だから譲れない」 との反響があったことを紹介し、「欧米の神学者の間にも批判的な議論が存在してきた。贖罪論なしに信仰が成り立たないかどうかは、もはや自明のことではな い」と反論。
と言う部分。(アンダーラインは筆者)

これはかなり踏み込んだ意見だと思う。
《引用終わり》

2009年11月23日シンポジウム当日の高橋氏の基調講演には「イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した」主張はありませんでした。
氏の基調講演は「殉教の死をたたえることが、キリスト教の信仰と本質的なところでそぐわないのではないか」と言う問題提起でした。
と言うわけで、上記の報告は、10月9日、神奈川県の川崎市総合福祉センターで行われた『殉教と殉国と信仰と』(白澤社)の出版記念講演会(カトリック横浜教区正義と平和協議会主催)での発言とある通り、シンポジウムでの討論と、それから約一年の間にあったことを踏まえての発言であったことが判りました。


さて「イエスの死」と「贖罪の犠牲」の関連の問題が特に提起されたのは、その基調講演後の「ディスカッション」においてでした。
この点筆者の最初の反応が、高橋氏の言説に正確に対応していなかったことを、お詫びします。

と言うことで、著書中「5.ディスカッション」部分から少し引用が長くなりますが、高橋氏と森氏の間での「イエスの死」と「贖罪の犠牲」に関するくだりを紹介します。
高橋:・・・キリスト教で殉教が語られるときに、イエスが十字架上で刑死したこと、これを「犠牲死」ととらえるのかどうかが問題になるのではないでしょうか。従来は、これを犠牲死と見て、見習うべきモデルとする見方が強かったのではないか。・・・しかし、このイエスの死を犠牲死ととらえる見方そのものについて、キリスト教思想の中でも議論はあったと思いますが、もっときちんと検討しなおす必要があるのではないでしょうか。
森:・・・結局、キリストの十字架を生贄とか犠牲としてとらえると、神理解が色々歪んできてしまうんです。
高橋:やはり、そう思われますか。
森:キリストの十字架を「犠牲」というかたちで説明するのは、先ほど申し上げた正義、交換の正義と言う視点が、聖アンセルムス(1033-1109)とかトマス・アクィナス(1225-1274)あたりで神学の中にどんと入ってきてしまった論理です。それがのちに主流になって今日まできてしまった。
ところが、キリストの十字架を「犠牲」としてとらえてしまうと、神の姿が歪んできてしまう。それは現代の神学者たちも指摘しているところです。・・・ちなみに、福音書をずっと読んでみても、福音書の中にキリストの十字架を「犠牲」とする、あるいは罪のあがないとするような言葉は全く出てきません。ですから、そういう意味で、現代はもう一度、真正面から神理解、そしてキリスト教の教義理解に取り組まなければならないと思っております。
(以上、98-99ページ)
勿論、高橋氏の関心事は「犠牲」そのものではなく、「殉教」を正当化する神学的議論としての「贖罪論」での「犠牲」の役割であろう。
筆者は、中世神学のややこしい議論をフォローしきれないので、話を簡単にするが、高橋氏はここで「イエスの十字架による死」を、殉教の模範となるような意味での「犠牲」と取っているようである。つまり「自己犠牲」と言うことになる。

これに対し森氏は「贖罪論」と「正義論(ジャスティス)」の絡まりの中で、「犠牲」が「交換の正義」で果たす役割に限定して問題視しているように思う。
そして「福音書中にはそのような議論を支持する記述はない」と断定する。

高橋氏はこのディスカッション後の『座談会』で(当日か後日かは明記されていないので不明)アンセルムスの「贖罪論」を次のようにまとめている。
高橋:トマスの影響は大きいでしょうし、贖罪論との関係でいうと、アンセルムスの『クール・デウス・ホモ 神は何故に人間となりたまいしか』・・・の存在が大きいのでしょうね。要するに、人間は神を裏切って罪を犯したことに対して償わなければいけないのだけれども、神に対する背信という罪は無限の罪であるので、人間には償う力はない。そこで神自身が人間に手を差し伸べて、それを一緒にやってくれる。神であり同時に人間であるようなイエス・キリストの死をもって、それをあがないとして、神が人間と和解する。そういう理屈だと思うんです。(以上、152ページ)
さて、中世神学議論に疎い筆者が述べられることは僅かである。
①中世からの神学的伝統の枠組みとしての「贖罪論」は森氏の言うように、ローマ法的背景(?)、あるいは「名誉を重んじる社会的背景」(?)、と深く繋がっていると思うので、アンセルムスにしても、トマス・アクィナスにしても、彼らの神学的伝統をそのまま踏襲する必然性はない。贖罪論をどう説明するか、言語、イメージが修正可能である、と言うことは言えると思う。
②しかし、「贖罪論」自体がなくともキリスト教信仰が成立する、と言う提案にはかなり抵抗がある。それは一つに、新約聖書の「贖罪」の様々な語彙や、イメージの存在を否定することに繋がらないか、と言う危惧である。
③例えば、森氏は福音書中に「罪の贖い」のような言及はない、と言い切っているようだが、

人の子は・・・多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコ10:45、新共同訳)
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。
(マタイ26:28、新共同訳)
 と言うように、全然ないとは言い切れないのではなかろうか。

そして新約聖書全体を見た時には、ヘブル人への手紙全体が旧約祭儀(大祭司、犠牲、大贖罪日、等特に9:12)をベースにキリストのわざが語られているし、第一ペテロも「贖い」が「キリストの尊い血」によると言っているように、「贖い」と言う語彙を否定することも、また「贖い」と「キリストの血」、即ちその死が関わっている(必ずしも磔刑とではないが)ことを否定するのは難しいと思う。

パウロだけを見ても、
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。(ローマ人への手紙4:25、新共同訳)
 キリストは・・・ご自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。(ガラテヤ人への手紙1:4、新共同訳)
とある。
④森氏の「歪んだ神理解」の問題は、察するに「贖罪論」の一部を占める「刑罰代償死説(penal substitutionary death)」や「支払われた代価がサタンに対するものだった」のような説に対する批判であって、「キリストの贖罪の事実」そのものに対する否定とは思えないのである。
⑤筆者が最重要と思うのは、「キリストの贖罪」理解に関して、現代の神学的要請から「犠牲」や「贖罪」の意味を軽減したり、削除したりするような神学作業をするのではなく、「キリストの贖罪」を本来のユダヤ的、旧約聖書的、契約概念的背景を通して理解し、神学的議論をこれによって修正する、と言うことだと思う。

以上、著書を謹呈下さった高橋氏に謝すると共に、幾ばくかの感想を述べさせて頂いた。

一キリスト者として「現代の文脈」で「キリストの贖罪」を考える機会を提供して頂き感謝する次第である。

(※読者の皆さんには、混みいっている割りに不十分な議論にお付き合い頂きありがとうございました。)

2010年11月22日月曜日

お詫び

読者諸氏、

先土曜日は「日曜日の更新を暫くお休みします」、と言うご案内をしました。

予定では、今日ポストするつもりで用意していました。
が、諸般の事情でまたお休みしなければなりません。

暫くのあいだ、不定期での更新となるかと思います。
よろしくお願いします。

2010年11月20日土曜日

ご案内

読者の皆様、
暫くの間、日曜日のブログ更新をお休みいたします

次回更新は、11月22日(月)の予定です。

よろしくお願いいたします。

明日の礼拝案内

収穫感謝 主日礼拝

11月21日 午前10時30分

交読箇所 詩篇 104:1-35
朗読箇所 創世記 8:13-22
使徒の働き 14:8-18
説 教 題 「実りの季節を与え」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、持ち寄りの昼食会があります。
※次週、礼拝後役員会があります。

2010年11月19日金曜日

不寛斎ファビアン

東京聖書学院(日本ホーリネス教団)内に事務所を置く、東京ミッション研究所から「ニュース」が送られてきた。
筆者は会員ではないが、ご丁寧にこのニュースを毎回送っていただいている。
現在所長をなされているのは金本悟先生。

小さいながら(失礼)意欲的にセミナーや翻訳をなさっている。
最も大きいものでは、デイヴィッド・ボッシュ「宣教のパラダイム転換」David Bosch, Transforming Mission: Paradigm Shifts in Theology of Mission (Orbis Books, 2001.)がある。

さて今日届いたニュースには、石戸充氏による「日本仏教とキリスト教宣教~転びイルマン不寛斎ファビアンから~」(TMRI秋の研修リトリート報告)と言う興味深い一文が載せられていた。思わず一気に読んでしまった。
(別に長い文ではないのですが、最近読むものが多くて、ちょっと引っ掛かりがないとすぐ止めてしまうんです。)
リトリート講師、大和昇平師による「最新のファビアン研究」講演の報告を土台に「現代日本のキリスト教宣教の文化脈化」を考察するもの。

転びイルマン、とあるように一端キリスト教を受け入れ、仏教、神道を相手にキリスト教弁証論まで書いた不寛斎ファビアン(1565-1621)が、後棄教する。
その数奇な生涯も興味深いが、キリスト教の文化脈化を考える上で、なぜ、どのようにして棄教したのか、彼の棄教前の著作に著されたキリスト教理解を先ず分析している。

『妙貞問答』の上巻・・・仏教への論駁、中巻・・・儒教・神道への論駁、下巻・・・キリシタンの教えの大綱、と言う体裁を取るのだと言う。
その中で仏教用語の「後生の助け」を用いて、
「後生の助けはデウス(唯一の神)に拠ることこそが大切である」と語る。
《ファビアンが理解したキリスト教の特徴》としてまとめられているのは、
①非神話化による他宗教批判・・・例えば「釈迦とても人に過ぎない」
②スコラ哲学の影響・・・造物主と被造物の区別が「資料(マテリア)から形相(ホルマ)への段階的秩序に基づく宇宙観」によってなされる。
③『妙貞問答』の土台となったと考えられる『日本のカテキズモ』(ヴァリニャーノ著、フロイス訳、1581年)

《『破堤宇子』(1620年)の問いかけ》
その内容は、
天使論(あんじょ)で天的被造物の階層に触れ、人間を弱く造ったのに裁く神は無慈悲ではないか、と『妙貞問答』の議論を逆にたどるキリスト教批判を展開する。悲惨な事件があるのに神は何をしているのか。悪というものの積極性が関わっている問題にも触れており、神義論がテーマとなっている。
とのこと。

これに対しては
創造と堕落そして悪の存在を統合して見るには人格的概念が深く関わってくるが、ファビアンは人格概念にまで理解が及んでいなかったのではないか、さらには、贖罪論が弱かったのではないか、などの指摘もなされる。
とのこと。

《日本仏教とキリスト教の文脈化》
文脈化の要素①・・・『恐れ』に対する向き合い方
ファビアンが「根源的第一者こそが創造主である。仏など何もいないのだ」と批判する時に、嘲笑的で論争的な表現が「軽すぎる」と言う批判を受けることがある。この「軽さ」とは何を意味するか。一つには、理由は判らない漠然とした「恐れ」であるが、日本の土壌ではとても深刻で根深いこと。恐れ忌むという本能的な行為の深刻さにファビアンが十分向き合っていない・・・
文脈化の要素②・・・「空」の理解
「無常感」、人生の痛みに対する共感が必要。神学的議論で切って捨ててしまうのではなく。
仏教との対話をつきつめた時、死が持つ尊厳性の問題や、贖いの問題が充分に対峙されていない分野として残っている・・・「無常」の中で「痛み」を感じる人々に適切に寄り添うにはどうすればいいのか、と言う問いも文脈化への模索として非常に重要となる。
 と、乱雑な紹介になってしまったが、福音の受容、と言う意味で、特にファビアンのような知識人的教養を備えた人のキリスト教受容の問題性を考える上で、興味深いケースではないか。

筆者は第二次大戦後知識人の思想問題として『転向』に関して少し考えたことがあるが、通底する問題としては次のようなものがあると思う。

①加藤(周一)が言うように、日本には自前の「超越(者)」の思想が見られない。それは外国からやってきたが、特に知識人層に受容される時、生活とは切り離された「思考の産物」としての受容に留まる傾向がある。だから新しい思想が入ってくると、これを受容した思想との緊張や対峙なく乗り換える傾向も強い。
②この「思想が生活から切り離される」傾向は、外圧的力によって思想を変更することを容赦する心的傾向となる。「転向」はその一例とも言える。
③その外圧的力が第二次大戦中は「皇国思想」に一本化したわけだが、吉本隆明が表現したように、それは「転向」としてではなく、「思想の祖先帰り」となった。つまりありがたく、土着思想に帰依する形を取った。

ファビアンは先ず外来思想の持つ「超越性」に感じ入った。それによって土着宗教を論理的に破ることが出来た。
しかし、(これは単なる推論だが)キリスト教迫害と言う「外圧」下で試され、そこで土着の思想との再会をし、自らの内に克服できていなかった心的傾向によって、キリスト教批判に転ずることになった。
彼の棄教は、外来思想を生活とは切り離された論理として取得したものを、より生活に染み付いた「人生観」によって批判的に克服する方向にに転じ、キリスト教神学内で整合させるような思想的解決の方向を取らなかった。
そのように「思想」ではなく「実感主義」に舵を取ったファビアンには、上滑りする思想より、日常に根ざす「無常感」がより強い「人生の真実」として作用していたのではないか。

と、まあ又聞きの又聞きの論評ですから筆者の言った部分はお聞き流しください。

(※残念ながら東京ミッション研究所のウェッブサイトはないようです。
参考に近刊の「不干斎ハビアン‐神も仏も捨てた宗教者」の書評ブログがありますので、ご覧ください。)

2010年11月18日木曜日

牧師の本音を語る?

先日「キリスト教放送局日本FEBC」から出演依頼が来た。
『この地に、牧師として生きる』と言う番組だ。
既に『先生の放送予定日』として、2011年8月15日(月)、と記されていた。
たまたまとは言え、終戦記念日ではないか。


『企画意図』のところに以下のように書かれていた。
随分昔になりますが、聴取者からいただきました手紙に「キリスト教の牧師さんは、本当に上手な話をするものだ。《たてまえ》は分かったから、牧師さん自身の《ほんね》を聞きたいものだ。」と言うのです。信仰告白や説教を単なる《たてまえ》と聞かれるのは淋し過ぎます。そこでいつも説教をしておられる先生方に、説教ではなくご自分が神様にどのようなお取り扱いを頂き、何が先生の本当の喜びであり、何が悲しみなのか。例えば先生にとってイエス様とはどなたか。なぜ牧師職になられ今牧師をされておられるのか等、お証し頂きたく存じます。
このシリーズは全国の牧師たちをカバーしてもう何順目かしているらしい。今回また東京圏だか、関東圏に戻って来るらしい。

とにかく、その送られてきた企画書、特に『企画意図』を読み直して、果たしてこの依頼を受けたものかどうか考えた。
一番引っかかったのは《ほんね》と言う部分だ。
しかし最後のところでは「お証し」と締めくくられている。

筆者は以前書いたように母方から数えて牧師三代目、父方からは二代目、所謂「牧師家庭」、また「教会」を最も身近な文化として育った人間である。
そのような者から言わせれば、「お証し」とはしばしば「クリスチャンらしく、行儀よく語られる」何ものかであり、何回も語るうちにパターンが出来上がった話である。
《たてまえ》とまでは言わないが、やはり本当の意味での《ほんね》とは少し乖離するもののように感じる。

もし引き受けるのであれば、どっちの線で行くのか・・・。
そんなことをあれこれ考えているうちに、担当者から確認の電話を頂いた。
その時点でしっかり踏ん切りがついていたわけではないが、「前向きに」みたいな政治家の表現のようなしゃべり方をして行くうちに、承諾することを伝えた。

他の「キリスト教の牧師さん」はどんな話をしているのか、早速ウェッブで聞ける範囲で聴いてみた。
どちらかと言うと「お証」かなー、と聴きながら思った。
自分の場合を想定して考えると、とてもこんな風には行かないだろうなー、と思いながら・・・。

そんなことがあってここしばらく「神の恩寵」を個人的にどう捉えているのか、特に現在のタイムラインでどうなのか、思い巡らしている。
アメージング・グレースの歌詞のように、一つの結論を見た感慨はない。
まだ途上での「神の恩寵」感である。
目下は特に強く感じることはない。
むしろ弱い感じである。
だから無理にでも「神の恩寵」を鼓舞したい気持ちになりそうなことがある。

牧師としての悩みは深いとは言えないが、苦労に対応する喜びが湧いてくるか、と言われれば、いや、ただ坦々とこなしながら、凌いでいる感じがしないでもない。

さて、録音日時が決まるのは今月末らしいが、来年になるだろうその時に、果たして自分の霊性は、「神の恩寵感」は、どうなっているだろうか。
出来るだけ「励まし」になるような良い「お証し」をお膳立てしようとするだろうか。
それとも出たとこ勝負で「本音をぶつける」ことになるだろうか。

まっ、その時を待ちながら、日々坦々と待ちます。

2010年11月17日水曜日

プロテスタントと旧約聖書

「一キリスト者からのメッセージ」ブログの11/9,13「祈りについて」「祈りについて(続き)」

で、ブログ主と「コメンター」の方が何やら深いやり取りをやっているのを傍から眺めている。

今回は、他人様のブログのコメントから、自分のブログにやり取りを借りてきて、記事にしてしまおう、という失礼をお許しいただきたい。
問題のコメントは、
神と個人的に向かい合う事は、正にプロテスタントでよくある状況だと感じました。所謂、「我と汝」。カソリックの様に、マリア信仰も聖人も関係ないからこそ、生じている状況でしょう。そこで、追いつめられてしまう人もいますね。
私もプロテスタントですが、特に旧約については、冷ややかに読んでいます。中東戦争以来、注視しているイスラエルとパレスティナの戦闘状況も影響していま す。旧約の詩編は、よく励ましや慰めの言葉が好んで用いられますよね。でも、それはイスラエルの民だけのもので、それを邪魔する者たちへは、実に容赦がな い。そこが引っ掛かるんです。都合の良い部分だけ利用していないか、と。
どうお考えですか?
前半のコメントは「プロテスタント」の「神」と「自己」の間に仲介者を置かない(置かせない)、ある種結果としての孤立性、神の前に一人で立つ自立した人間の背伸びのような苦しさを表現しているように思う。
突き詰めるとプロテスタントはこのようなところに追い込まれる可能性はある。その祖形は既にマルチン・ルターにも見られるように思う。
ただカトリックの「マリア信仰も聖人」のような“人間的仲介”がないか、と言えば、ヘブル人への手紙によれば、まさに「人であるイエス・キリスト」が大祭司として神の前に執り成す存在としておられるわけである。
しかしキリストの神性が強調されることによって、キリストの仲介者性は弱まったかもしれない。

でもプロテスタントの方のお祈りの文言に注意すると、祈りの時「誰」に呼びかけているのか少なくとも二つあるのに気付く。
①祈りの時「父なる神」を呼びかけるタイプ(こちらの方が多いと思う。)
②「主イエス様」と呼びかけるタイプ
恐らく祈っている人の意識の中では、どちらも「神様」に祈っているのだと思うが、特に②のありようは、多分にカトリックの祈りに近い「神」と「人」との間で執り成しをしてくださる「仲介者イエス」。ヘブル人の手紙の神学的な角度からは、「人なる大祭司・イエス」が透けて見えるような気がする。
筆者はプロテスタントだが、カトリックが聖母マリアや、聖人たち、を祈りの仲介者とする習慣は分からないでもない。
それは神が余りにも「超越した存在」に感じられる場合、より身近な、しかし「天にある存在」がその代わりとなってくれる、と言う願望だと理解する。

それに対して「一キリスト者からのメッセージ」のブログ主は、旧約聖書の人物(ヤコブ)たちの「神との人格的格闘」の中に「祈り」の何たるかを見ようとしているのだと、そう読ませていただいた。

コメントの後半は、詩篇の言葉を信仰者が「今に」対してどう適用するか、と言う時の問題を指摘している。
詩篇の言葉が、読む個人の「励ましや慰め」だけを抽出していないか。詩篇の作者の「敵に対する報復の願い」が時に強烈な表現でむき出しになっているのに鈍感になっていないか、と言う指摘であろう。

筆者の教会では、礼拝交読は詩篇を用いているが、順番に一篇ずつ交読している。
聖書は朗読されることが重要である。
短い断片的な箇所を切り取って交読ではなく、なるべく一遍ならその全体を交読することを心がけている。
しかしある時、コメンターが言うようなイスラエルの敵に対する激烈な表現の箇所が交読の順番に回ってきた時、礼拝に相応しいかどうか(交読は読まれるだけで、後から解説される訳ではないという前提で)と言う視点から判断して、これを回避したことがある。

このような判断は何に基準を置くか、もっと明確にする必要があるだろうが、少なくとも旧約聖書はそれ自体で「聖書の権威」がある、と言うのはキリスト教的に言って穏当ではないように思う。
キリスト教の聖書は「イエス・キリスト」に焦点を当てた上での「旧・新約聖書」全巻一体なのだと思う。
だから詩篇でも五書でも、「イエス・キリスト」の視点から「権威」として読まれるのが相応しいと思う。

その意味で、「旧約聖書」をフラットに権威として読んだり、適用したりするのは、不十分であると思う。(逆を言えば、旧約聖書の記述・文言全体を「イエス・キリスト」の視点からではなく、現代人の道徳観や正義感から難詰するのもやはり焦点を外した読み方になるのだと思う。確かに「ヨシュア記」の聖絶は理解に困難だが、ジェノサイドと同列に論じるのは聖書を正しく読み解くことにはならないと思う。)

以上まことに簡単だが、感想を述べさせていただいた。(今日のブログを更新させていただいて、ありがとう。)

2010年11月16日火曜日

祈りの家?

当教会は住宅地としては広い道路に面していて、しかも真向かいは児童遊園。
真に立地には恵まれている。
表にも内部にも十字架は無いが、何となく雰囲気的に教会、しかもカトリック的建物に見えるらしい。

と言うのも、先日も玄関の扉をガチャットする音がしたので、外に出て見ると、立ち去ろうとする30~40代の女性。
「ちょっとお祈りしたいと思って入ろうとしたんですけど閉まっていて・・・。」
「うちはカトリックのような教会ではないので・・・。」
残念ながら、このような門前払いが一年に一二回ある。
現在の会堂に建て替える前はこのようなことは殆ど無かった。
建替え後からこう言う事が起こるようになった。

しょうがなく、と言っては何だが、「しばらく中で祈らせてください。」と言う人を無碍に断るのもどうかと思い、何回かは中に入れたこともあった。
「私どもの教会は、カトリックのような『お御堂』と言ったようなものではなく、ただの礼拝スペースなんですが・・・。」、と一応説明して。

普段の教会のミニストリーと言うのは殆ど無いので、このような突発的なことであれ、建物自体がそのように対応できるものであれば、開放された「祈りの家」のようなことを考えなくも無いが。
いかんせん、当教会は「牧師館」とほぼ一体の構造なので、開放しておくわけにもいかない。

一応牧師執務室(書斎)が玄関の横にあるので、玄関に来た人の気配はすぐ気付くことが出来るが。

先日紹介したアズベリー神学校で取った『スーパーバイズド・ミニストリー』を思い出す。
まあ実践神学のコースの一つだが、実際に現場でのミニストリーを「ケース・スタディー」メソッドで記録し、仲間たち(ピアー)から、そしてメンターとなる教授から、その時その現場でどんなミニストリーが出来たかを討論したり、アドヴァイスしたりしてもらう。

一学期間に数箇所ミニストリーの現場に赴くわけだが、筆者の記憶に良く残っているのは、一つは総合病院のチャプレンとして、死期の近い患者の個室でのミニストリーでのこと。
勿論一人で行うのだが、病室のドアを開けて、先ずその暗さに気押された。
カーテンを閉め切って、いかにも希望の無い雰囲気がひしひしと伝わってきた。
最初は話しかけるのもためらわれた。
しばらくして自分は何であり、何のために来ているかを説明して、相手の出方を待った。
結局少しずつだが、現在の病状と、信仰履歴のようなものを聴くことが出来、最後は確か祈って退室したと記憶している。

もう一つ記憶に残っているのは、「ミニマム・セキュリティー・プリズン」。要するに刑の軽い人が収容される刑務所で、割合施設内部で行動の自由がある。
刑務所のイメージと言うと、重たい鉄の扉や格子で閉ざされた空間、と言ったものだったが、入ってびっくり、中はまるで大学キャンパスのように服役者が自由に中庭で団欒していた。その輪の中に入って行って、証しするわけである。
まあ、いきなり個人伝道と言うことではなく、施設内での生活等を聞くわけだが、話を聴いていくうちに、やはり外見ではかなりな自由があると言っても、施設に閉じ込められていると言う束縛感はどうしようもなくあるのだ、と言うことを話してくれた。

新約聖書には「病人や、牢屋に繋がれている人」を訪ねるミニストリーのことが書かれている箇所があるが、現在の当教会のミニストリーは、そのような不特定多数を相手にしているものではなく、信者と言う言ってみれば「特定の顧客」相手のミニストリーで終わっていることを思う。
教会が地域と関連付けられている「キリスト教国・アメリカ」の歴史的伝統との彼我の違いを思わされる。


まだまだ地域との絆が弱い当教会は、ミニストリーを“開拓”して行かなければならないのだろう。
どうやって?
まだまだ力不足でイメージが湧いて来ないのが実情。

2010年11月15日月曜日

牧師の独身

カトリックとプロテスタントの違いの説明で、
カトリックの神父は独身ですが、プロテスタントは妻帯が許されています。
と言った表現を見受ける。

歴史的にプロテスタントはカトリックから派生したわけだが、カトリックの修道士だったマルチン・ルターが破門後妻帯するようになってから、いち早く「プロテスタント“聖職者”」は妻帯が通例になったのであろうか。筆者はその歴史的変遷については殆ど知識が無い。

なぜこんなことを書いているかと言うと、筆者は50代後半の今まで独身で通してきた。
別に選んでそうしてきたのではなく、たまたま結婚へとうまくことが運ばなかった、そしてこの年になると最早それが摂理、と受け取るようになった来た。

ただ周りを見回しても、プロテスタントで筆者の年齢で独身の牧師と言うのは殆ど皆無である。
と言うか、牧師は結婚していて一人前、と言うのが暗黙の了解のようである。
よって牧師がいい年齢まで来て独身でいることは何か良くない、好ましくないように受け取られる風潮があるようである。

ある時(今から15年以上も前)ある会合で、同席していた牧師さんから当たり前のように「ご家族は?」と聞かれ、こちらが「私は独身です」と答えたら、「えっ、」と二の句を告げないくらいびっくりされたことがある。筆者にとっては、その反応はいたく「否定的」に感じられ、「独身であること」の後ろめたさのようなものを抱えながら今日まで来たようなのである。

カトリックにおいては「神父」になることは「独身の誓い」を要する。ある種“深刻な決断”を伴う故に尊敬を持って受け取られこそすれ、「後ろめたい」態度とは無縁なものと想像する。
しかし、プロテスタントでは独身牧師の余りの数の少なさに、自らもそう思ってしまうからか、「肩身が狭く」思えてしょうがない。
(実際のところプロテスタントで40代、50代でも独身で牧師をしている方がいたら教えて欲しいものである。)

聖書的に言えば、イエスもパウロも、「神の国」のために独身を勧めた。
しかし、長老は「一人の妻の夫であり、家庭を治める」ことを条件のようにしている。
牧師は長老型ミニストリーなのだろうか。

さらに現在では、教会と言えば「クリスチャン・ファミリー」が柱で、適齢期の青年男女は結婚して「クリスチャン・ファミリー」を形成し、教会の核となることを期待されている。
故に「クリスチャン・カップル」を作ることを牧会上の最優先課題と考える牧師も少なくないであろう。

しかし、時代は男女同権、晩婚化。女性の方が段々結婚を至上視しなくなってきたため、「自分に相応しい人でなかったら、無理に結婚しなくても良い」となりつつある。
キリスト教会は男女の比率が不均衡(3対7位?)で、適齢期の女性が同信の伴侶を得るのが困難な環境は殆ど変ってないようである。
最近では個人主義も進み、ノンクリスチャンと結婚する女性も増えてきているようだが・・・。

教会が「結婚至上主義」でいる限り、現在の人口・社会動向からすると、教会内で「独身でいる」ことによる「居ずらさ、居心地の悪さ」を経験させられる「結婚適齢期男女」は増えるのではないだろうか。

一体教会は「結婚至上主義」の青年男女ミニストリーだけで良いのだろうか。
「何となく独身」でアラサー・アラフォーまで来てしまった人たちの中には、「生涯独身」を考えている人たちも少数でもいるのではないだろうか。
その方々には「結婚・クリスチャン・ファミリー」以外の積極的な人生設計はないのだろうか。


何事も比較される「キリスト教国・アメリカ」でも、この独身者問題にスポットが当たるようになったのは最近のことである。
(クリスチャンの伴侶を求める場合)生涯独身の可能性が高い、特に女性たちの悩みを拾い上げる場は、「クリスチャン・ファミリー」が理想とされるアメリカ福音派教会にはなかなか出てこなかった。ようやく最近になって、そのような悩みを抱える女性たちが自らのニーズ、主に独身女性へのミニストリーの必要を主張できるようになってきた。

セリバシー、選択による独身「クリスチャニティー・トゥデー」Choosing Celibacy. How to stop thinking of singleness as a problem.

が「キリスト者人生」の一パターンとして考えられるようになってきている。
日本の教会でもそろそろ真剣に考える時が来ているのではないか。

2010年11月14日日曜日

先生の横顔(2)

ケンタッキー・マウンテン・バイブル・インスティチュートでの一年の学びを終え、留学生奨学金を得て次に進んだのは、目標にしていたアズベリー神学校(Asbury Theological Seminary)だった。

M.Div (マスター・オブ・ディヴィニティー)と言う三年間のコースに入学したのだが、ここでも日本人学生は一人だけ。留学生もそれ程多くなかった。
一年目にマーク・アボットとルーム・メイトになった。
陽気なテキサン(テキサス州出身者)で、すぐ打ち解けることが出来た。
彼は宣教師を目指していたこともあり、他文化に対する関心が旺盛だった。

米国滞在一年を過ぎ、ようやく普段の会話や授業の聞き取りもできるようになったとは言え、英語力はまだまだだった。
それでも成績次第では、GPA(グレード・ポイント・アベレージ)と言う成績評価点が一定基準を満たすと、二年目からだったか、最終年だったかのコース選択を「集中」出来る制度があった。
神学校卒業後もドクターに進むことなど考えていなかったが、インドネシア人の一年先輩の留学生から、この制度を利用して「集中」コースに進むことを推薦された。
自分のその時の実力ではとても可能とは思わなかったが、とりあえず頑張って見ることにした。
結果そのGPAポイントに達し、「集中」コース選択が可能になった。

何となくだったが、自分の関心領域は「倫理学」と感じていた。
と言うか、宗教哲学と神学の教授である、Harold B. Kuhn師のコースを幾つか取っていたので、この先生の薫陶をもっと受けよう、と考えたのであろう。

クーン教授はアイオワ州出身のドイツ系移民(多分)の子孫で、背は低いががっしりした体格。手が大きく、指も太く、どちらかと言えば「アイオワ州」と言うこともあり、農夫の風情の人であった。
しかし、頭脳明晰、頭の回転の速さは神学校の教授たちの中でも群を抜いていた。
教えていたコースも、保守的な神学校としては先進的で、社会倫理の専門コースで筆者がリサーチテーマに選んだのは「リコンビナントDNA技術の倫理的問題」であった。

クーン教授は当時「クリスチャニティー・トゥデー」の論説委員も務めていて、現代神学思潮・動向に関し鋭い分析記事を寄稿していた。
またアメリカの「福音主義神学会」創立時代からのメンバーで、1940年代後半から、1950年代にかけて「新福音主義運動」興隆時、その輪の中にいた人物でもあった。

彼はクラスで結構ジョークを飛ばすのだが、困ったことにジョークのネタが洗練され過ぎていることが良くあった。一人でくすくす笑いながらジョークを言うのだが、聞いている生徒たちはお互いに顔を見合わせながら「何が落ちなのか」分からず、戸惑いの表情・・・と言うことがしばしばあった。

そんな中で筆者でも覚えているのは、ちょっと皮肉っぽいが、「ユニテリアンは三位一体を否定するが、一人の神を三人で礼拝している。」と言ったものだった。(正統的教会に比較して、圧倒的に会員数が少ない。つまり影響力のない神学であることを皮肉ったジョーク。)

アズベリー神学校の教授たちの中では一番のインテリであったが、単なるインテリではなく行動の人でもあった。
うっすらとした記憶であるが、よくヨーロッパに出かけては、講演や援助のような仕事も黙々と続けておられた。
福音に対する確固とした理解を持ち、福音宣証に情熱を燃やしていた方であった。その方法はあくまでも知性と良心に基づいたものであった。生半可な扇情的言辞は皆無だったと記憶している。
しかし知性偏重と言う訳でもなく、他のアズベリーの教授たちも結構そうであったが、授業開始や途中に短い賛美を挿入したりした。
それがHymn(賛美歌)だけでなく、God is so goodみたいな単純なものも良くあったっけ。

さて、筆者の卒業時進路選択に当たっては、どのドクターコースに入学申請すべきかアドヴァイスしてくれたのだが、先ずハーバード、そしてプリンストンと、筆者にとっては「高嶺の花」の校名を平然と並べられたのには正直驚いた。
ご自身がハーバードでPh.Dを取得されたので、とにかく良い学校を狙うべきだ、と言うお考えのようだった。

アズベリーでの三年間(1978-1981)は筆者の留学期間の中でも最も充実したものであった。
(※その後、学校自体は規模が大きくなり、筆者が住んだ寮なども無くなったりして、昔日の面影は大分薄くなったようだ。)

2010年11月13日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月14日(日)、午前10時30分より

ヘブル書の学び(17)

聖書朗読 ヘブル人への手紙 3:1-4:13
説教箇所 ヘブル人への手紙 3:1
説 教 題 「信仰の使徒であり、大祭司であるイエス」
説  教 小嶋彬夫牧師

《説教メモ》
モーセより偉大なイエス(3:1-6)①

※次週、「収穫感謝礼拝」。収穫の主に感謝する「地の産物」一品と「持寄り昼食会」のおかずかデザート一品ご協力ください。

2010年11月12日金曜日

アートな教会

先日、11月3日文化の日は「オープンチャーチ」だった。
事前に大した宣伝もしなかったし、色々な事情で少ない来会者だった。

“教会の文化祭”のような感じでやっているのだが、如何せん会員数の少ない教会ゆえ展示物の点数は限られる。
でもなかなかの趣味や芸の域に達している人たちもいるので、ブログでご紹介しよう。

①俳句
松岡みどりさんは、舞台俳優としてのキャリアと共に俳句も作り、NHK・BSの俳句の番組に出演されたこともある方。
今回は「橋本シャーンの絵が載せられた俳句五句と、別に一句を展示された。
ここでは俳句だけご紹介。
客席の暗きへ台詞放ち冬はじまる
五十路なる二枚目役者冬帽子
稽古果て寒夜についてくる台詞
芝居はね凍て星の役貰はむか
冬北斗朗読の声鋼なす

磔刑の像の腰布寒夜かな
②写真
T兄は多芸な方だが、一番(?)熱が入っているのは「鉄道写真」、所謂「撮り鉄」のベテラン。
特に蒸気機関車の写真を撮るため世界のあちこちを回っている。
今回はルーマニアの鉄道と農村風景、八枚の写真を展示いただいた。
(ライトに反射して分かりにくいが・・・。)









③書
I兄は書道が得意な方。旧会堂時代、講壇の後に年間標語聖句を掲げていた時はその聖句を書していた。
今回はI兄が教科書で学んだと言う八木重吉の詩と、当教会の「朗読セミナー」で用いた金子みすずの「積もった雪」を展示された。
ここでは詩の内容だけ紹介する。

八木重吉「皎々とのぼつてゆきたい」
それが ことによくすみわたつた日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この阪路《さかみち》をいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もつともつとたかく
皎々と のぼつてゆきたいとは おもわないか
金子みすず「積もつた雪」「露」
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面《ぢべた》も見えないで。

誰にもいわずにおきましょう
朝のお庭のすみっこで
花がほろりと泣いたこと
もしも噂がひろがって
蜂のお耳にはいったら
わるいことでもしたように
蜜をかえしに行くでしょう

2010年11月11日木曜日

非キリスト者による信仰論

先日友人から「ブログ時々覗いているよ。でも難しいのはパスしている。」とのコメントをメールで頂いた。
今日書こうとするポストは恐らくパスされる方だろう。
でも書かざるを得ない理由が二つある。

先日ポストした「教理と政治歴史的文脈」から数日後、同ポストで取り上げた『殉教と殉国と信仰と』が著者の一人である高橋哲哉氏からの依頼で、「謹呈」と言うことで出版社から送られてきた。

「えっ、こんなブログでちょっと発言したぐらいで?」
「著書を貰っちゃっていいの?」

と言う訳で、せっかく頂いたからにはちゃんと読んで感想を書く、と言うのが礼儀と言うもの。それが第一の理由。

二つ目の理由は、先日のポストはあくまでメディアによる報告に対する感想であったが、今回その著書(シンポジウムの高橋氏の発題講演部分)を読まさせていただいて、非キリスト者、非信仰者の立場からではあるが、かなり具体的な「キリスト教観」「イエス観」「信仰観」が述べられていたのに驚くと共に、これはやはり一キリスト者として、一信仰者としても、提示された考え方に稚拙ではあっても応えなければならない、と感じたからである。

先ず氏のスタンスは、「キリスト教学や神学の専門家ではない」、「クリスチャンですらない」、が『靖国問題』『国家と犠牲』の著作過程で、「殉教・殉国・信仰」の問題に「出会ってしまっている」ことから迷いつつもこのシンポジウムの招きに応じた、というもの。

先ず氏はその講演において、「殉教と殉国」が単に似ているだけでなく、歴史的に「殉教神学」が「殉国思想」に整合させられてきたことを歴史的に跡付ける(第二次大戦中の日本のキリスト教会、ヨーロッパの十字軍等、戦争に際しての教会人の発言等)。

例えば、日本基督教新報『殉国即殉教』、
もし殉教の意味を、聖書本来の意味に解すれば、それは現在この大戦の真っ只中において、切実に求められているものと言わねばならない。聖書に従えば殉教とは、生命を賭して、福音を立証することである。それはただ宗教闘争に死することばかりを意味しない。生命を賭して福音を立証することであれば、それはみな殉教である。今は国民総武装の時である。我々一億国民は、皆悠久の大義に生き、私利私欲を捨てて、ひたすら国難に殉ずることを求められている。しかるにこの国難に殉ずるところにこそ、福音への立証があり、殉教がある。これは殉国の精神を要する時である。全国民をして、この精神に満たしめよ。
高橋氏はこのような国家の戦争遂行目的に同調した教会人による神学的援用が、「果たして偶然のことであったのかどうか、これをあらためて問い直す必要があるのではないか」と指摘する。

次に高橋氏は、「本来のキリスト教はこう言うものではないか」と言う、氏のキリスト教観を披瀝する。すなわち「愛敵の宗教」で、「敵を殺すことを当然とする国家の戦争(あるいは端的に戦争)における兵士たちの死を、『殉教』としてたたえるものではない」。要するに原理矛盾だ、と言う指摘をする。

次に高橋氏は、カトリックの列福の伝統に論点を移す。「殉教者」を「聖人」や「福者」として、「ある人の死に方について、それがたたえられるべき死であるかどうか、どの程度たたえられるべき死であるのか」、を判定する主体が教会と言う組織であることを問題視する。
この組織による死者の一定の顕彰の仕方が、国家の場合も教会の場合も構造的に同型だ、と指摘する。

氏はさらに、「一個の人の死」について、特に「殉教」のような場面(遠藤周作『沈黙』)において「棄教」や「転向」した人の信仰内容について、一介の人間が踏み込んだ判定や評価はできることなのか、と言う疑問を呈する。
クリスチャンではない私は、イエスの教えの大事な点は、神の愛が、太陽の光のように、あるいは雨のように強者にも弱者にも、富者にも貧者にも、善人にも悪人にも、絶対無差別に注がれる、と言うことではないかと考えてきました。いやそれどころか、むしろ弱者や、貧者や、悪人の近みにこそあって、これを受け入れ、救おうとするものではないか、と。ですので私は、まるで信仰の強さと弱さで人を区別し、前者の功績を特別にたたえるかのような列聖、列福の儀礼に違和感を覚えるのだと思います。
最後のパンチは、顕彰行為は「信仰」のあり方にそぐわないものだ、との認識。
信仰は、むしろ本質的に、人に知られること、有名になること(すなわち名を残すこと)、名誉を得ること、ほめられることを、嫌うのではないでしょうか?神の前に自分を低くする信仰は、他の信仰者に対しても、また世界に対しても、自分を低くすることを望むのではないでしょうか?名を求めない信仰は、誰にも知られず、全くの秘密にとどまることを、むしろ良しとするのではないでしょうか?
さらに秘匿の信仰者の可能性に言及する。
私はクリスチャンではないと申しました。しかし、その私が、じつは隠れてキリスト教の信仰を持っているとしたら、どうでしょうか?私が自分の信仰を神に対してしか「証」せず、他の誰にも秘密にして生きているとしたら、どうなるのでしょうか?クリスチャンとして信仰告白していない人の中に、熱烈な信仰が生きていることなどありえないと、誰が断言できるでしょうか?
そしてユダヤ人に伝わる「メシヤ」のエピソードに見る「incognito(自らを隠すあり方)」と重ね合わせながら、「信仰を誇ると言うこと、それを名誉や栄光や栄転の対象にするということ、信仰をその現れた形によって評価し、ランク付けし、そして信仰の故の死を美化することは、はたして信仰にふさわしいことなのでしょうか?」とたたみかける。

さて、プロテスタントの筆者としては矛先が半分はカトリックの列聖、列福の伝統にあるとは言え、昨今の「教会不祥事、牧師不祥事事件」を考えると、高橋氏の言って見れば清清しい「信仰観」に共感を覚える。ある種の「信仰の美学」的なニュアンスも感じないわけではないが、「信仰の本質」と言うことでは、氏が指摘していることはあながち「非キリスト者」の言論では片付けられない問題提起だと思う。充分「現代信仰論」として耳を傾ける要素があると感じた。

高橋氏のキリスト教・信仰観は、ラジカル・リフォメーション(アナバプティズム)の延長線で見ることが出来るかもしれない。でも基本的に「教会」がなく、ラジカルに「私的」なものであるので、やはりポストモダン的な「信仰のあり方」の一可能性を描いているような気がする。ただ「秘匿の信仰の可能性」が「信仰の非開示性」にあるとすると、そしてそれによってしか信仰の純粋性が保てない、と言う認識であるとすれば、それは「秘匿の信仰」の可能性ではなく、必然性へと導かれる考え方ではなかろうか。
だとすると、そのような信仰のあり方は公的歴史に跡を残さない、と言うことであり、人との関係性における信仰の発露が様々にありえるのに、それを禁欲する理由が絶えず内発的にあるかどうか・・・。その辺がもう一つ形として見えないところではある。

また機会があったら、シンポジウムでの討論について感想を書くこととしたい。

(※筆者と同じように同書を取り上げて高橋氏から上掲書を謹呈されたブログ主がおられる。筆者より丁寧に取り上げているので一読をお薦めする。「関口康日記」

2010年11月10日水曜日

今日は色々あって

いや、ポストの内容のことではありません。
今日一日色々あって更新をあきらめようかなと思っていたのですが、
せっかくだから続けておこうと思い直し、
それで内容が寄せ集めのポスト、と言うことです。

今日は久し振りに床屋へ。
髪が薄くなってくると床屋へ行く回数が減ってきます。
筆者の行く床屋は昔ながらの床屋。
特徴はラジオ放送がつけっぱなし。
「大沢悠里のー」とか言う番組がいつもかかっている放送局に固定してある。
筆者が行く時間帯は大抵「人生相談」をやっている。

今日はいい天気だったですね。
前庭のニシキギが赤く染まって、大体ピークかなーと思い写真を撮りました。
こんな感じです。

読者の方から、カトリックの和田幹夫神父の学才を耳にしました。特に旧約聖書学、死海文書の研究などもお詳しそうです。
現在は箕面教会の牧会(カトリックでは司牧と言うのかな・・・)をなさっているようです。
和田幹夫神父ご自身のサイト
かなり専門的ですが、旧約聖書学に関心のある方どうぞ。
筆者はカトリックの聖書学者でお世話になった、なっていると言えば、Joseph A. Fitzmyer神父(ルカ福音書注解)と John P Meier神父(史的イエス研究シリーズ)かな。

現在読書進行中:
①Jim Belcher, DEEP CHURCH (IVP Books, 2009)
②Gabe Lyons, THE NEXT CHRISTIANS: THE GOOD NEWS ABOUT THE END OF CHRISTIAN AMERICA (Doubleday, 2010)

ベルチャーの本は、「伝統的な教会(福音主義教会が念頭)」と「イマージング教会」のどちらにも問題を感じて、ちょうどその中間の道を探っている。名づけて「ディープ・チャーチ」
イマージング運動(伝統的教会に異議申し立てをしていて、ポストモダンカルチャーに対応する宣教を主張している)の内部者としての経歴と、そこからの距離を取る著者の視点が興味深い。

ゲーブ・ライオンズは「アメリカの新世代キリスト者」②で既に紹介済み。
この本では、自身の立場である「(文化の)リストアラー」のアプローチがどう言うものか、豊富なイラストレーションで紹介されている。(本の副題が示唆するように、大きな文化的変容の岐路に立っているキリスト教国アメリカの衰退を悲観的に見るのではなく、好機と捉えている。)
イントロダクションが、あのビリー・グラハムとの「短い会談」のエピソード、と言うところが少しびっくり。

と、言うわけで今日はバラバラな話題でした。

2010年11月9日火曜日

聖書通読

「聖書通読」とは、ざっと言えば聖書全体をある一定期間に読み通すことである。
一番多いパターンは、一日につき、旧約聖書を二章、新約聖書を一章読み、一年間で旧・新約聖書全体を読み終える、というもの。
場合によっては、二年かけたり、あるいは一年でとか言う期間に拘らずに、読み通すことを目指す人もいる。

「聖書通読」をするのは、
普通のクリスチャン?
立派なクリスチャン?
良い訓練を受けたクリスチャン?
聖書を読むのが好きなクリスチャン?
それとも・・・。

クリスチャンではない方がもし「聖書通読」をしているとしたら・・・。
果たしてどんな理由で「聖書通読」をしているのか聞いてみたい。

筆者が育った教会伝統では通読することを奨励されるが、現在はお互いに通読のことを話題にしたり、聖書通読表を用意したり、などと言うことはしていない。
それぞれの良識と言うか、判断に任されている、と言ったらいいか・・・。

筆者の聖書通読は、受洗した小学5年生頃から始まった。
多分年間で読み通すことは最初のうちは出来なかったと思う。
でも若いうちに聖書を何回かは通読したような記憶がある。

その後献身して、留学し聖書学校、神学校で学ぶようになった後は、さすがに聖書通読は一種の当たり前、と言うかそんなものになった。
まあこの頃になると、デボーションと言って「個人的霊的修練」の一環としてなされるようになっていた。
「聖書通読」は一応この頃から身についたと思う。

その後牧師になってからは、少し工夫をして、どのように年間で読み通すか、章数配分を変えてみたり、旧約と新約との組み合わせを変えてみたりしてみた。

新約の場合だと、マタイ福音書から始まってそのままマルコ、ルカ、ヨハネと読み進めて行く事になるのだが、何か繰り返し同じような内容を続けて読むのもつまらなく感じて、福音書の間に書簡を入れ福音書、書簡と交互になるような工夫をしたみたことがあった。

後は旧約聖書だと、一日二章のパターンに最適とされる、歴代誌下からではなく、モーセ五書から一章、預言書から一章の組み合わせにして見たりとか。

もう一つは新約聖書は一日一章だと早くに終わってしまうので、その後に代わりに詩篇を読んでみたりとか。

一番「聖書通読」に熱心だった頃は、プロテスタントでは正典外である外典(カトリックでは正典に入れられている)文書まで、通読パターンに組み入れたことがあった。

実は、昨年心身のバランスを崩して以来、一切聖書通読をしなくなった。
いや中断した、と言うべきか。
中断して一年経った頃から、少しずつ「また再開しようか」と、自らの気力と相談しながら、でも最近まで再開できずに来てしまった。

現在もまだ「新たに通読しよう」と言うほどの気力はないが、何か変った入り口から再開できないかと考えている。
それは一つに「聖書通読」はどうしても「読み通す」ことに普段の注意が行ってしまい、なかなかテキストに入り込むことが出来ず、忙しい時などは「ノルマを終える」感覚になってしまうからだった。

それでも数日前から開きだした本がある。
旧約聖書の大預言書の一つであるエゼキエル書。
別段はっきりとした理由はないが、却って縁遠いと感じる本を取り上げたのかもしれない。
先日ポストした「活水」に関係ある書であるが、それが理由ではないと思う。

預言者の見た「啓示の幻」を読んでは考えているところである。
幻のイメージの細かいところ(動物の顔とか)ではなく、なぜ「四つの方向に動く」のか。
捕囚の預言者、祭司の子であるエゼキエルにとって、今は離れてあるエルサレムの神殿(既に破壊された後かどうか?)は幻と関連してどう意識されているのか、などについて。

さてエゼキエル書をただ「読み通す」のではなく、テキストに入りながら終章に至ることが出来るのだろうか。
まだ始まったばかりなので分からない。

2010年11月8日月曜日

六義園

当教会から六義園までは直線距離にして200メートルもないと思う。
但し入り口まではゆっくり歩いて十分ほどか。

入園料を払って散策する「六義園」の方を紹介すると・・・、
口で言うのも面倒なので、動画をご覧ください。

最近入園することはめっきりなくなったが、一応落ち着いた、雅な雰囲気も少し楽しめる庭園かな。

その昔、園内に「心泉亭」と言う日本家屋があって、これが安く借りられると言うことで教会の人たちと一緒に使用した事があった。
筆者はまだ子供で余り覚えていないが、お弁当を持って行って会食したような記憶がある。

庭園に隣接する「六義園グランド」は大分お世話になった。
一周100メートル余り位はあるだろうか、まあ小振りのグランドで、野球も出来るようになっている。
当教会の教会学校が盛んなりし頃、このグランドを借り切って何回か運動会をした。
リレーや、綱引きなど一通り運動会らしきことをやったと思ったなー。
子供たちの親たちも加わり結構盛んな運動会だった記憶がある。

当教会が所属する「日本聖泉キリスト教会連合」の他の関東地区教会と対抗運動会をしたこともあった。
懐かしい場所である。

話は全然変るが、中学生の頃、小銭稼ぎの方法としてコカコーラの大瓶を回収して小売店に持って行くと一顰当たり五円だか、十円だかもらえる時代があった。
中学の帰り、友人とこの広いグランドで「コカコーラ大瓶集め」を夢中でやったこともあったっけ。

今は六義園と言えば、回周道路を散歩するのが週に一二度ある程度。
三メートルくらいはあろうか高いレンガの壁に囲まれた六義園の四分の三の回周道路は、散歩する人やジョギングする人で今も賑わっている。
本郷通りに面する歩道は、狭いのに人の往来が多く、歩きにくい。
(でも頑張ってジョギングしている人も結構いる。)

普段は駒込駅に近い「染井門」入り口は閉まっているので、駅を降りて本郷通りを上富士交差点に向かって五分ほど歩き、交差点すぐ手前を右に折れると入り口となる。
この本郷通り沿いには、こじゃれた店やレストランが幾つかある。

最近の思い出は、昨年天に召された母が、がん手術後、リハビリを兼ねて、六義園の周りを半周ほど散歩した夏の日々。
ヒグラシの鳴き声が甲高くこだまする通りを歩きながら、母のペースに合わせてゆっくりと歩を進めていた十分余の時間が今ではいとおしく感じられる。

2010年11月7日日曜日

チャールズ・テイラー「自我の源泉」

今日の朝日新聞の朝刊に、この本の書評(ウェッブ版)が出ていた。
評者はいまあちこちで引っ張りだこの、姜尚中(カン・サンジュン)氏。

実は筆者はこのテイラーの本を3年前ほどに難儀しながら読んで大変感銘を受けた。
その本が邦訳されたわけである。

チャールズ・テイラー「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」(下川潔、桜井徹、田中智彦訳。名古屋大学出版会。9975円)
Charles Taylor, Sources of the Self: The Making of the Modern Identity.(Harvard University Press, 1989)

邦訳され発刊された年数が書いていないが、当然近刊であろう。

本書の書評が出ていること自体に興味を持ったが、評者が姜尚中と言う点でも期待を抱かせた。

読者に親近感を持たせるためだろうか、書評は夏目漱石の「心」についてから書き始めている。
本書を読みながら思い出したのは、夏目漱石のことである。小説『こころ』で、自殺する主人公の先生に、自由と独立と己をほしいままにして現代に生きるわれわれはこの寂しさを味わわなければならないと語らしめている漱石は、近代的な自我の迷路の中で懊悩し続けた。本書には、まるでそのような漱石の苦悩に応えようとする哲学的人間学の趣があるのだ。
まっ、とっかかりとしてはいいか。

でも、
浩瀚だが決して難解ではない本著は、わたしたちが見失いつつある、望ましい人生の意味に伴う畏敬や尊重の感情を取り戻すヒントを与えてくれる。
には、ちょっと違和感を持った。
そもそも「浩瀚」などという辞書でも引かなければ分からない言葉を使うのは如何なものか。(ただの筆者の語彙的無知かな?)
「決して難解ではない」にはカチンと来た。
筆者はこの本を読むのに一度か二度挫折している。
決して単純な本ではない。

議論自体は「現代倫理哲学」に寄与するものであるが、その寄与の仕方が並大抵ではない。
「生命への畏敬」など普遍的倫理的価値として前提されている観念の洞察的内容が倫理哲学上余り突き詰めてその源泉を掘り下げられていないことへの問題提起である。
倫理哲学者たちが行う議論は、元となる部分(洞察、閃き)を掘り下げないまま、それぞれのイデオロギー的立場ですれ違ってしまうことへの不満であり、また自らがその「洞察の源泉」を歴史的に遡ることによって、倫理哲学的議論の浅薄化を救済しよう、あるいは豊かにしようと言う、非常に野心的な試みの書である。

著名な文化人類学者でクリフォード・ギアーツと言う方がおられるが、この方の手法で thick description 「重厚描写」と呼ばれているものがあるが、テイラーは言わば「現代人の自己」がどのような源泉と経路を辿って現在の姿を取ったかを、幾筋もの縦糸、横糸をより分けてその来歴を“分厚く”書き綴っているわけである。
これは大変な苦労を要したはずである。

現代の倫理哲学者が最早意識しない、あるいは無視してしまうような、特に「霊的(キリスト教)」源泉にも目を配っているわけである。例えばアウグスチヌス、宗教改革の影響など。

日本ではマックス・ヴェーバーなどはよく読まれているので、ヴェーバーの描く「近代化の諸相」、あるいは「資本主義の精神とプロテスタント倫理」による「近代の横顔」にはある程度馴染みがある。
ここに言う「近代的アイデンティティ」とは、ウェーバー風に言えば、「西洋近代」に誕生しながら、やがて普遍的な意義を持つに至った自我や「わたし」についての観念ということになる。
と言うのもちょっと違うのではないか。
テイラーの関心は「西洋近代の自己」の描写であって、ウエーバーの言うように「合理化」が西洋から出発し普遍化した、と言う議論と同様に「自己」も普遍化した、と言おうとしているのではないように思う。
(当然「権利主体」のような概念や、その法制化は普遍化したが、テイラーはそのことを叙述しようとしているのではない。)
(まっ、評者は読者に分かりやすくするために用いた例に過ぎないのであろう。テイラーの議論として言っているのではないに違いない。)

むしろ「生命への畏敬」のような洞察はどんな文化にも共通するものとして見ていると思う。

と言うわけで、テイラーの議論・分析に、漱石のような「明治時代の知識人」の問題としての「近代的自我」を分岐的なものとしてくっつけるのは、面白いが、この本の読み方としては余り助けにならないような気がする。

「自己の源泉」が邦訳されたので、A Secular Age もそのうち訳されるのだろうか。
期待したい。
テイラーのやろうとしていることがより見えてくるはずだ。

※それにしてもこう言う本の邦訳本って高額ですね。英書ペーパーバックだったら今ならニ、三千円で買えるだろうに・・・。どんな人が買うのだろう、一般読者でも買うのかなー。

2010年11月6日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月7日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 14:12-26
説 教 題 「聖徒の交わり」
説 教 者 小嶋崇 牧師

聖餐に関わる事柄(8)

聖餐式を持ちます。
教会暦では「聖徒の日」「永眠者記念日」となっています。
「今を生きる聖徒たち」と、「既に天に召された聖徒たち」が、キリスト・イエスにあって一つであることを覚えたいと思います。
世に残る民 去りし民と 共に交わり 神を仰ぎ
永久の安きを待ち望みて 君の来ますを せちに祈る
(賛美歌「いともとうとき主はあもりて」四節)

2010年11月5日金曜日

福音主義キリスト教と文化

円高の恩恵(と言う軽率な言い方で申し訳ありませんが)で「現代福音主義」に関する本(英書)を数冊買い込んで読んでいる。

残念ながら、英書と言うことで「日本の福音主義」に関連することは殆どない。
よってこれらの読書が何か益があるとしたら、
①世界の福音主義キリスト教の一動向を知る
②それを日本の福音主義キリスト者である筆者が、何らかのレファレンス(参照)として用いる
ことが出来るようにする、・・・あたりではなかろうか。

読了したのは以下の2書
Rachel Held Evans, EVOLVING IN MONKEY TOWN: HOW A GIRL WHO KNEW ALL THE ANSWERS LEARNED TO ASK THE QUESTIONS (2010, Zondervan).

Soong-Chan Rah, THE NEXT EVANGELICALISM: FREEING THE CHURCH FROM WESTERN CULTURAL CAPTIVITY (2009, IVP Books).

①の著者は「アメリカの新世代キリスト者①」で既に紹介した。

②の著者は名前からも想像できる様に、アジア系アメリカ人である。正確に言うと、少年時家族と一緒にアメリカに移住してきた、第一世代韓国系アメリカ人、と言うことになる。


結論から言うと、これら自伝的(レイチェル・エバンス)、あるいは半ば自伝的(ソン・チャン)、な「アメリカ福音主義」の描写は、神学的・信仰的な中身の問題よりも、文化的・社会的な文脈での描写に比重がかかっている。
少なくとも筆者はその様な印象を受けた。

つまり著者のアメリカ(宗教→キリスト教→福音主義)文化との関係によって、「福音主義キリスト教」との取り組みが決定する、と言えよう。
つまり良い意味でも、悪い意味でも「客観的な」福音主義キリスト教問題にはならないのだ。
でも却ってそれが問題への鋭い切口になっている。

だから「アメリカ現代福音主義キリスト教史家」(例えばジョージ・マースデンのような)が書いたような性格の本ではない。
それぞれの自伝的背景から「現代アメリカ・キリスト教福音主義」について論じている本、と言えよう。(但し著者それぞれなりに資料となる著作や統計などを用いて客観化に努めているが。)

レイチェル・エバンスの育った「キリスト教文化」は、バイブル・ベルトに典型的な、今となっては「過ぎ去った古き良きアメリカ時代のキリスト教」である。
昨日のポストにも描いた聖書学校のように、「文化的多元主義の現代アメリカ」においては、最早サブカルチャーの一つになりつつある文化である。
この文化的な「キリスト教福音主義」から、レイチェル・エバンスは内発的な問いによって、次第にこの文化に反発し、相対化させ、現代文化に適合するよう自らの「キリスト教福音主義」信仰を再構築していったのである。
その結果得たレイチェルの立場は、脱「キリスト教国・アメリカ」と言う意味で、カウンター・カルチャー的であり、しかしアメリカの宗教的「文化の変容過程」にあっては、「新世代のキリスト者」と多くの面で共通する問題意識に立つ、やはり「文化的なキリスト教」に位置づけられる。

ソン・チャン・ラーの育った「キリスト教文化」は、レイチェル・エバンスが育った文化に対して民族的にマイノリティーな文化であり、「キリスト教福音主義」の括りでは同じ文化であっても、アメリカ社会における“人種”差別によって位置づけられたものである。
ラーの著書の副題が示唆するように、彼にとって「アメリカ・キリスト教福音主義」はマジョリティーである「西洋・白人」文化が支配する文化的なキリスト教である。

エバンスとラーは共に「キリスト教国・アメリカ」文化に対して異議申し立てをしているのだが、エバンスが異議申し立てしている「キリスト教文化」は大体1960年代までに支配的であった文化で、最早全米的には支配的な文化ではない。
その意味でエバンスが脱出したキリスト教文化はかなり狭いものであったと言える。

ラーが異議申し立てしている「キリスト教文化」は1990年代までに隆盛してきた「プラグマティックなキリスト教文化」であり、アメリカ全体を抱合する「物質主義的、消費社会的、個人主義的」文化の反映としての「キリスト教文化」である。

両著者の相違は、エバンスが自分が育った「キリスト教文化」に時代的後進性を見ているのに対し、ラーの方は自分が育った「キリスト教文化」の持つマイノリティー性が却ってアメリカの将来を拓く可能性を持つ、と言う風に時代的先進性を見ていることである。

筆者としては、ラーが「西洋・白人」が支配している「キリスト教福音主義」の限界をマイノリティーであるアフロ・アメリカ人、原住民族・アメリカ人、ヒスパニック・アメリカ人、アジア系・アメリカ人らから、謙って学ぶことによって克服することを主張している点に感銘を受けた。

アメリカの「福音主義」を分析するのにこれだけ文化的に複雑な要素があるわけだが、翻って日本の「福音主義」を分析するのに、どの程度文化人類学的、社会学的視点が援用されているだろうか。
現在盛んなのは「カルト化」「牧師の権威主義」と言った病理現象的分析のようである。
つまり「教会内文化」の問題が殆どで、教会を取り巻く社会・文化との接点からの「キリスト教福音主義」分析がまだまだ少ないと言うことではないか。
現在の日本の「福音主義」が社会階層的に、ジェンダー的に、民族的に、世代的に、どのような構成になっているのか、そこからどのような問題が浮かび上がっているのか、「少子化問題」「高齢化問題」の向うにある、さらなる文化的・社会的諸問題にどれだけ目配りできるであろうか。

2010年11月4日木曜日

先生の横顔(1)

ブログを毎日更新するのが少しずつ億劫になってきたので、連載ものを用意してみました。

筆者米国で延べ11年半遊学していたので、それなりに色々な方のお世話になってきました。その方々の「横顔」を描写しながら遊学時代を適当に振り返ってみたいと思います。

筆者が最初に目指した学校は米国ケンタッキー州にある、メソジスト・ホーリネス系のアズベリー神学校でした。
大学卒業を控えて神学校に願書を出していたのですが、残念ながら「留学生奨学金」を得ることが出来ず、一年(で大丈夫かどうかは定かではありませんでしたが)、同じケンタッキー州にあるケンタッキー・マウンテン・バイブル・インスティチュート(現カレッジ)で学ぶことにしました。

この学校はバイブル・ベルトにある学校としては極端に保守ではないのかもしれませんが、当時の筆者には充分“超保守”でした。
まあ神学的なことよりも実践的、実際的訓練が主でしたので、“超保守”の内容も、髪の毛の長さとか、服装とか、テレビがないとか、所謂「世俗」的なものから遊離した、と言う意味でのものでした。

キャンパスは、ローリング・ヒルズと呼ばれるケンタッキーの山とまでは行かない丘陵にあり、夕日の光景や自然に恵まれた、まさしく世から隔絶したような環境でした。

少し大学卒の“大人”には、子ども扱いされている不満はありましたが、総じて恵まれた一年でした。
筆者がある意味良い影響を受けた教師は、後から思い出すと心温まる感じの二人の先生でした。

一人は、B夫人先生で、教会史の授業で特に発破かけられました。(鼓舞された、と言った方がいいですかね。)
この方は、女性でありながら、背も高く、背筋をピット伸ばして、いつも指導者、先生であることを誇りにしている風でした。ちょっと“威嚇的”に見間違えなくもないほど勢いを振りまいていた先生でした。

しかし「ボーイズ(男子学生には)」と呼びかけては、「こうあるべきだ」と言う正論を正々堂々何のてらいもなく展開する、聞いていて気持ちの良い語り口でした。
切符がいいというのか、歯切れがいいというのか、自然と「そうだなー」と思わせる説得力のある先生でした。

このB夫人先生が、男勝りに見える先生だったのに対し、もう一人のD先生は、物静かで、物腰柔らかく、謙遜な方で、殆ど人をどっちかに導こう、何ていう色気を持ち合わせていないような、それでも先生でした。
クラスで教えている以外の時は、野菜畑でひたすら土いじりに精を出す農夫然とした方でした。

枯淡の味と言うか、人生の酸いも甘いも通り越して、何か少し超越した感じの方でした。
この「世から隔絶した環境」にあって、さらに超然とした風は、でも近寄りがたいと言うのではありません。
その逆で男子学生たちは、何か「おじいちゃん」みたいな親しさで接っしていました。
言葉よりも背中で人を教える方でしたね。
何よりも人格的な感化が大きかったと思います。
(逆を言うと、他の先生たちは学生たちがバックスライドしないように、時にヒステリックな感じで接していたので、D先生の寡黙な態度は、学生たちに安心感を与え、信頼感を与えたのだと思います。)

結局一年だけでしたが、ちょっと堅物だけど純粋な方々(中にはそれは少しバランスに欠けたような方もおられはしましたが)に囲まれ、また物珍しい留学生の特権として、他の学生たちの好奇心の的として、英会話を磨いて頂いた「聖書学校」時代でした。

Kentucky Mountain Bible College

2010年11月3日水曜日

木片

今この文を書き始めたところだが、まだタイトルが付いていない。

書きながら後でタイトルを考えようと思う。

今日は「オープン・チャーチ」で、朝から忙しかった。
教会の方々が寄せてくれた、俳句、書、写真がメインで、それ程見るべきものが沢山あるわけではない。
何となく「どうぞお入りください。」と声を掛けるには気が引ける部分もあった。

それで、道路に面してテーブルを置き、ミニバザー的趣向で物を置き、道行く人が目に留めるようにしてみた。
会堂と工房と、両方「オープンチャーチ」としたわけだが、工房の方からは「木片」を引っ張り出してきて置いた。

工房をやっていて困るのは、実はこの木片なのである。
なるべく効率的に一枚の板から「木取り」するのだが、どうしても余りが出てしまう。
よっぽど細かいのは捨ててしまうが、ある程度のサイズになると、しかも良材だと、なかなか捨てられない。
それで取って置くわけだが、だからと言ってこれら木片で何か作るには頭をひねらなければならない。
それに材料が細かいので、何かを作ろうとしても結構精密な作業が要求される。
結局たまって行くのを眺めるだけになってしまう。

それでふと、この木片をただで提供してみよう、と思いついた。
テーブルの上にダンボールの箱を置き、木の種類や形状に分けて置いてみた。
杉、桧、秋田杉、ポプラ、桜、栗。

11時開始であったが、それより大分前に「無料」の張り紙を出しておいたら、早速通りがかりの叔母さんが目敏く桜の一番良い板を持って行ってしまった。
あわてて「無料」の張り紙を開始時間になるまで引っ込めた。

時間開始と共に何組かの自転車で乗りかかった親子連れが立ち止まった。
そしてあれこれはこの中身をひっくり返していた。
聞いてみたら、鍋敷きとかにするみたい。
子供は子供で積み木感覚で、「あの板、この板」と組み合わせながら何やら作るものを考えているみたい。

(ここでタイトルが「木片」に決まった)

「こんな木片、持って行く人なんかいるのかなー」と思っていた。
蓋を開けてみたら意外と子供たちが興味を示すのに驚いた。

なぜだろーと考えてみた。
子供たちの身の回りには案外「素材としての木」がないのではないか。
それで新鮮に映るのではないか。
あるいは「積み木」で遊んだ感覚が残っていて「木片」に親しみを感じるのではないか。

箱の中が少なくなったので、後からまた木片を追加した。
その中には希少な「青森ヒバ」も入っていた。
幸か不幸か、工作の材料にするか何にするか分からないが、「木」を見る人たちの目は形状か大きさまでで、木の種類までには及ばない。

今日の「オープンチャーチ」はそれ程来場者があったわけではなかった。

奇しくも「木片」を介して一番多く地域の人たちとの接点を得ることが出来た一日だった。

2010年11月2日火曜日

正典の意味

「聖書正典」、と言われたら何を思い浮かべるのだろうか。

「正典」として認められた文書の数の事だろうか。
それとも「規範」としての役割の方だろうか。

大抵の場合、二つの意味は別々にではなく、一緒のものとして意識されているのではないだろうか。

正典とは、カノンとも言いいます。ものごとの基準、規範となるものという意味です。ですから、聖書正典といえば、キリスト教信仰の最高の規範になるものという意味です。教会が正典と認めているものを、まず挙げておきましょう。旧約聖書は46書、新約聖書は27書あります。
(本のリスト省略)「ラウダーテ」サイトの「聖書の正典」解説
プロテスタントの読者は、「旧約聖書は46書」に「あれー」と思ったことでしょう。
ラウダーテはカトリック女子パウロ修道会のサイトです。
カトリックとプロテスタントは「旧約聖書正典」に関して異なる見解を持っているのです。


さて、今日のポストは「正典とは何ぞや」と言うような難しいことを長々書くつもりはありません。
ごく短く「えーそう何だー」と言うことを一言付言するだけにとどめたいと思います。
(長く書くだけの知識もないし、時間もない。あしからず。)

結論から言うと、「正典」の語源「カノン」は「リスト」を意味します。
ですから、「聖書正典」とは、教会が“ある目的”(『恩寵』と『救い』)のために必要とした文書のリスト、を意味します。
教父時代の教会が「リスト」として定めたものは、「聖書」だけでなく、
 「信条」
 「司教」
 「教父」
 「イコン」
 「典礼」
 「聖典(サクラメント)」
などがあります。

しかし、長い教会歴史の中で、特に(スコラ)神学が発展するうちに、「聖典」に数えられた聖書が、
“本来の目的”とは別に、「ものごとの規準・規範」と言う理解が進展します。

特に「真理の規準」としての「聖書聖典」と言う意味で発展します。
この「正典」理解は、さらに啓蒙主義時代を経過して増々強化されます。

その結果、「聖書」は「“正しい”教理」の源泉とみなされ、「組織神学」が支配的神学方法となっていきます。

その結果、殆どの「組織神学」書は、その序論・緒論(プロレゴメナ)に聖書論(啓示論、霊感論、権威論)を据えるようになったのです。

と言う「聖書正典」観の歴史的再構成をしてくれた書が、
William J. Abraham, Canon and Criterion in Christian Theology: From the Fathers to Feminismです。


筆者が「目からウロコ」の経験をした神学書の中でも10指に入る本です。

買って読もうと言う人はなかなかいないでしょうから、ちょっとした著者紹介と著書のミニ書評があるリンクを載せて終わりにします。

 ・The Ivy Bush on "William J. Abraham"

2010年11月1日月曜日

活水

自分でもいつ頃からこの言葉を意識しだしたのかは今となっては思い出せない。

とにかく「活水」と言う言葉が好きである。

どっちが先かは分からないが、最初に「活水」と言う名前に触れたのは、日本における「ホーリネスの三つの流れ」の一源流であるバークレー・バックストンの流れを汲む、
柘植不知人(1873-1927)が始めた『活水の群れ』、か
あるいは、高校の時修学旅行時訪れた長崎市街を歩いていた時、オランダ坂だったか、途中間違って入り込んだ学校が女子高で、名前を『活水女学院』と言った。

筆者が最初に「活水」と言う名前を用い始めたのは、巣鴨聖泉キリスト教会の季刊「教会ニュースレター」だった。1991年だった。
教会ニュースレターは今も同名で続いている。

次は大分時間が経つが、アパートの一室を工作室にしつらえ、木工遊びを始めた時。
まだとても「工房」とは呼べないようなスペースだったが、木工教室を始めるにあたってであったろうか、何か名前を付けた方が良いと思い、「活水工房」とすることにした。

現在の活水工房は教会隣の平屋の貸家を去年大幅改装して16畳大のスペースである。
かなり工房らしくなった。
以前使っていたアパートは、やはり去年大幅改装され、「活水荘」と名づけた。

こんなわけで「活水」と名のつくものに囲まれて暮らしている。

それだけではない、初めの頃のポストで紹介した「教会パンフレット」を作成する時、グラフィック・デザイナーの方に教会ロゴをお願いしたのだが、その図案も「活水」であった。

と言っても、「活水」と言う語からロゴをイメージしてもらったのではなく、二年前に完成した、会堂正面の縦長窓に嵌め込んだ、ステンドグラスのデザインをそのまま活かしてもらったのである。

このロゴはパンフレットだけでなく、現在は筆者が発信するツイッター、SugamoSeisenのアイコンにもなっている。(このページの左側にツイートが表示されているが、その一番上にロゴを使ったアイコンが見える。)

これだけ使っていて、改めてその意味の深さに驚くことがある。
最初は何となくキリスト教的な語・イメージとして余り深く考えずに選んだのであるが、
教会ニュースレターに用いた時は、ヨハネ福音書7章38節
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(新改訳)
を念頭にしていた。

しかし、二年前に製作して頂いたステンドグラスの方は、エゼキエル書47章1-12節に描かれている、神殿から流れ出る川、その川の流域は命に溢れる、と言うイメージから作られた。

筆者はエゼキエル書の幻、イメージが何箇所にもわたって、「エデンの園」を想起させるのに気が付いたかことがあったが、「活水」のイメージはこのように「聖書の初めから、終わりまでを俯瞰する壮大なもの」であることに思いをいたすようになって驚いたものである。

御使はまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(黙示録22章1-2節、新改訳)
我ながら良いネーミングをしたな、と思っている。

2010年10月31日日曜日

教理的ケアー

先日ポストした「聖書と教理」、当教会の「宗教改革記念セミナー」のテーマであると紹介し、準備中の『舞台裏』の様子を紹介しました。

その後どうなったのか。
今日当日を迎え、先日のポスト内容とは大分趣向を変えてセミナーを行いました。

一読者から「ブログで紹介して」との要請もあり、ポスト内容とも大分変った結果ともなったので、その経緯も少し含めて、今日のポストといたします。

先日のポストでは、「如何に『聖書』と『教理』とを区別するのか」「なぜ区別するのか」に苦心している様子を書きました。
その後考えを進めて行くうちに、その読者のコメントを読みつつ、「なるべくシンプルに行こう」と思い直しました。

ある程度問題意識を共有しているのでなければ、こちら(牧師)側が説明に終始してしまう、と危惧したからです。言葉を尽くして説明したとしても、あまり理解してもらえないような内容であれば建設的ではない、と考え直したわけです。

それで、宗教改革時の「聖書と教理」の問題はバイパスして、礼拝では使徒の働きから、原始教会での「教え」の側面に注意を向けました。

導入は、ギリシャ語「エクレシヤ」が日本語で「教会」と訳されるようになるについての一くだり。
字義からは、教会は「教える会」、つまり「何かを教えそれを学ぶ集まり」と言うことになります。
明治期の宣教師がChurch をそう訳したのでしょうか。Churchと言う語はチュートン系民族に共通していて、ギリシャ語の「ギリヤコン」あるいは「キリヤコン」に源を持つようです。その意は「主の家」。建物を意味する語だったようです。
新約聖書では、教会は「エクレシヤ」、ギリシャ語で「集会」の意ですが、キリスト教的には「主に召集された『神の民』」です。
ここでは、日本語で「教会」が“教えを中心とした集まり”との印象を与えやすいのではないか、と指摘しました。
対照的に原始教会はどうであったかを、次に考察しようとしました。
使徒の働きでは、ペンテコステに聖霊が降臨し、主の弟子たちに加わった信者たちの様子が映し出されています。簡潔な描写から垣間見られる原始エクレシヤの姿は「主イエス・キリストに対する信仰を基盤にした〝生活共同体〟」。まだ神殿が破壊される前でしたから、「神殿」での礼拝と、共同体の生活における信仰生活とが、一体となっていた様です。
つまり「教える」と言う面は、ペンテコステ後の教会、「信仰と生活が一体となった共同体」の一側面であったことを指摘しました。

次に「教える」と言う働きはどのようなものであったかを考察してみました。
それは筆者の表現では、使徒たちによる、新しく加わったキリスト者たちへの〝教理的ケアー〟(使徒の働き2:42)ではないか、と指摘しました。
どんな教理的ケアーだったのでしょうか。
既にバプテスマを受けた信者たちですから、メシヤ・イエスに対する信仰告白の基礎に立つ「教え」であったでしょう。ペンテコステ説教の内容から逆に推測しますと、メシヤ・イエスが、聖書に証しされている通り、神の御心に従って受難と復活を通して贖いを成就されたこと、そしてその成就の上に、約束された「罪の赦し」と「御霊の賜物」が信者たちに受領されていること、を確認させる堅くする確信させるものであったと思われます。

と言うわけで、従来の「教理」と言うと何かお堅い学び、既に決まった内容のものを暗記する(教理問答書)、ようなイメージに傾きやすいのですが、そうではなく、教理的教えとは、もっと牧会的な配慮から出てくるものなのだ、と言うことを確認しました。

筆者にとって教理を教えると言うことは、信者の信仰育成ケアーなのだ、と言うのが今回の学びでの“新たな気付き”になった感じがします。


(その後の「学び」では、皆さんが「聖書」からの学びと、「教理的な教え」をどう整理されているかをお話してもらいました。筆者はひたすら聞く側に回りました。)

2010年10月30日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月31日 午前10時30分

説教箇所 使徒の働き 2:37-47
説 教 題 「教会と教え」
説 教 者 小嶋崇 牧師



《宗教改革記念セミナー》
10:30-11:10 礼拝「教会と教え」
11:20-12:00 学び「聖書と教理」

※当教会の「オープンチャーチ」いよいよです。
11月3日(水)、午前11~午後3時。
気軽にお茶しに来てください。

2010年10月29日金曜日

教理と政治歴史的文脈

最近読み出した、「松ちゃんの教室 ブログ」の10月28日エントリーが興味深かった。

「犠牲の論理」に警鐘と言うエントリー題で、

『殉教と殉国と信仰と』  高橋哲哉・菱木政晴・森一弘著  (白澤社発行・現代書館発売、1680円)

と言う本の、出版記念講演会の報告がなされている。
文章は短いが講演会の内容、そして質疑応答の様子も伺える。

筆者には講演者の高橋哲哉氏の名前は初耳なのだが、どうやら「靖国神社」に関する本で論壇に登場し、その後も政治的な発言、行動も行っている学者さんらしい。

殉教と殉国の類似性から、聖書の記述やキリスト教教理が、国家の戦争行為と言う政治的目的に援用された、あるいは援用される可能性がある、と言う関連の発言が幾つかなされたようである。

筆者が一番驚いたのは、
 講演の冒頭、イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した同氏の主張に対して、「贖罪論はキリスト教信仰の核心だから譲れない」 との反響があったことを紹介し、「欧米の神学者の間にも批判的な議論が存在してきた。贖罪論なしに信仰が成り立たないかどうかは、もはや自明のことではな い」と反論。
と言う部分。(アンダーラインは筆者)

これはかなり踏み込んだ意見だと思う。

神学者間で「贖罪論」のキリスト教教義的中心性が議論されることは構わない。
(筆者の狭い知見では、「贖罪論」丸ごとそっくり不必要だ、と言うような議論は余り聞いたことがない。「贖罪論」の様態や構成要素のある部分が不適切であるとか、中心ではないとかの議論はよく耳にするが・・・。)

しかし、政治的な文脈で「イエス・キリストの死に贖罪的犠牲の意味があるかどうか」を云々することは、過去の政治的文脈での援用の事実を鑑みても、「政治学者(?)」の域を逸脱しているのではないか。

聖書(また教理)の援用・悪用は色々な時代の色々な問題にあった。(例えば奴隷制、あるいはこの前のポストで書いた「エコロジーと聖書的人間観の問題」、等々)
しかし、聖書の教理的解釈に政治的含意まで含めて問題にしなければならない、とも取れる提案は一つのポストモダン的聖書解釈の問題性にも繋がるものではないか。

聖書釈義の基本は、宗教改革者の原則で言えば、「聖書記者の意図した意味」であって、即ちその時代・文化の意味地平が「解釈の一定の巾」を提供する。
勿論、聖書は今を生きる者にも意味を持つものとならなければならない。
しかしそれは「読者」の「関心」を無原則に聖書テキストに読み込むことを容認するものではないと思う。

高橋氏はそこまでの提案をしているのではないにしても、「信仰者の解釈」を超えてまで、テキストの意味を政治的に方向付けようとすることは勇み足と言わねばならないのではないか。
これは聖書と言う文書が宗教者、非宗教者を問わず共有されている文書であり、不特定の聖書読者のテキスト解釈を制限しようと言う意図ではない。

松ちゃんの報告には、まだ幾つか示唆的な解釈問題が含まれているが、筆者としてはこのポストに取り上げるのは「贖罪論」云々までにしておく。

先日「公共政策と神学」と言うポストを書いたが、「松ちゃんの報告」で、キリスト教信仰に関連すること、しかも中心教義までもが、政治と言う「公共の文脈」で解釈される、あるいは「公共に提供する意味合い」を持つことを改めて考えさせられた。

筆者の属する「ホーリネス派」は第二次大戦中牧師たちが多く検挙されたが、治安維持法で検挙されるまで、キリスト教教理の政治的文脈性に殆ど気付いていなかった。
日本国家においてキリスト者は政治的にも少数者である。
が、少数者だからと言って政治的無関心であってはならないと思う。
本来のキリストの福音は「政治的含意」を濃く持っていたことを改めて考えてみたい。

※上掲書の書評(「追悼と顕彰は別のもの」松村由利子 歌人)を参考にされると少し内容が分かりやすくなるだろう。)

2010年10月28日木曜日

聖書と教理

10月31日は宗教改革記念日です。
今年はちょうど主日に記念日を迎えます。
当教会では大抵10月最終主日は、「宗教改革記念セミナー」として礼拝と学びの時を持っています。

今年のセミナーのテーマが「聖書と教理」です。
既にこのテーマは年頭に決まっていて、その時には学ぶべきことは大体掴んでいる、予想できる、とつい最近まで思っていました。
ところがいよいよその日が近づいてきて、事はそんな簡単ではないのでは・・・と思い始めているのです。

まー今頃そんなこと言ってももう遅いんじゃない。何しろ数日後に迫っているんだから。
確かに。
どうしたらいいんでしょ。

(「何をそんなに悩んでいるのかしら、この牧師さん。)
と言う読者の声に答えて、悩みを打ち明けましょう。
筆者の話を聞いてくださるうちに、もしかしたら何かヒントが掴めるかも知れませんのでお付き合いください。

①問題・・・筆者の浅はかな考え
要するに「聖書」と「教理」を簡単に区別して、「教理」より「聖書」が優先することを命題として準備していたのでした。

例えば「信条」「信仰告白」「カテキズム(教理問答書)」「公教要理」のようなの次元の公同文書になっている「教理」もあれば、神学者が著作する「組織神学」的な本の次元の「教理」もあります。
さらに牧師や、教会学校の先生が礼拝やクラスで教えている中にも「教理」はあります。

ですからそういうモノとしての「教理」は「聖書」と同一ではない、とは言えると思います。
問題はこれらの「教理」と「聖書」との関係から言って、「聖書」が優先する、と主張することにどれほどの意義があるのか、・・・が段々疑問に思えてきたのです。

「教理」は基本的に「聖書が“教えている”(と理解している)」ことを一定の枠組み(例えば「神・罪・救い」のような)に従って、簡潔にまとめたり、分かりやすく順序立てて解説しているもの、と言えます。
つまり「教理」は殆ど広義で「聖書的である」とみなされているのが普通なのです。
ただ宗派や教派の違いで、強調点や視点が異なるけれども、広義の「聖書的である」ことには相互に異論がない、のだと思います。
(勿論このような寛容な態度はつい最近までは能天気なものだったのです。何しろ教理的解釈の違いで対立・抗争するは、分裂・分離するは、大変な歴史を潜り抜けてきたわけですから。そんな歴史を考えると、今や「教理」に命をかける信仰者は少数派になっているかもしれませんね。)

②問題・・・ではなぜ区別するのか
口で説明するのはある程度できるのですが、聞く人に納得してもらうのはかなり難しそうなのです。でもまあトライしてみましょう。

「聖書(箇所)」を“解釈する”、と言うことを考えてみてください。
実は聖書を解釈する、あるいはもっと簡単な言い方でも良いですが、聖書を読むと言う場合、私たちは実に様々な読み方をしています。「教理的解釈」はその一つです。
創世記で「族長物語をはらはらどきどき読む」こともあれば、「創造論を解釈する」こともあれば、「アブラハムの信仰を教訓にする」こともあります。
「詩篇」で「慰め」を受けたり、「ヨブ記」で「不条理な苦難」を文学的に味わったり、「福音書」で「イエスの宣教生涯」を学んだり、「パウロ書簡」で「義認や教会」の教理と「信仰者の生活」の倫理を学んだりします。

つまり聖書は「教理化する」以上の様々な要素を孕んでいます。
これが先ず一点。

そしていよいよ本論と言うか、筆者の悩みの中心部分に入って行きますが、ちょうど宗教改革原理である「信仰義認」を取り上げてみます。
「信仰義認」は特にパウロの書簡である「ローマ人への手紙」と「ガラテヤ人への手紙」の中心教理とされてきました。実際「義と認められる」(ギリシャ語のディカイオス、ディカイオスネー関連語彙)と言う表現が用いられています。
ここである読者が(義認の)教理的関心で「ガラテヤ人への手紙」を読む場合、既に「義認の教理」をガラテヤを基礎に教えられている方は、その枠組みで、“従来の教理的理解”を補強するように該当箇所を理解するようになる、と考えられます。
ところがガラテヤ人への手紙には「異邦人」が「ユダヤ人のようにならなければ、正式な神の民の一員ではない」、と言う実際問題が背景にあることを、単なる教理にまつわる歴史的エピソードとして読み過ごす危険があります。
義認の教理だけを「歴史的文脈から抽出してしまう」危険です。教理が抽象的な教えになる危険です。

これは一例に過ぎません。

聖書は創造から新創造に至る一大歴史ドラマです。
アブラハムとその子孫、全民族、全被造世界の贖いの完成を目指す現実のドラマです。
もし教理が聖書を源泉とするものならば、歴史的背景を捨象するのではなく(非歴史的抽象的真理に転化する傾向)、その歴史的背景と神の民のドラマの準備と完成を展望する物語を内包する必要があります。

そう言う訳で「聖書」と従来の論理的・抽象的に叙述された「教理」は今のところ緊張関係にある、と筆者は見ています。
「教理」はもっとこの「神の贖いの一大ドラマ」に寄り添った叙述に向かうべきものだと思います。

さて、何かしら筆者がもどかしく思っている点が通じたでしょうか。
それとも、「何のことやら・・・」でしょうか。
まっ、まだ二日あるのでさらに考えてみましょう。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

(※最近手にした、Kevin J. Vanhoozer, THE DRAMA OF DOCTRINE: A CANONICAL-LINGUISTIC APPROACH TO CHRISTIAN THEOLOGY, 2005.はどうやら筆者の思っている方向で展開しているようです。)

2010年10月27日水曜日

2010オープン・チャーチ

巣鴨聖泉キリスト教会
オープンチャーチ 
アーツ&クラフツ

11月3日(水) 11:00AM~3:00PM

ちょうど一週間前になりました。

会堂のステンドグラスや、展示される俳句や写真、お花。

隣の活水工房では、工房主手作りのステンドグラス入りの扉、サンドブラストによる花瓶やカップ。

点数は少ないですがご鑑賞ください。
(即売品も多少ございます。)

時間内はご自由に出入りください。

よろしければ六義園、古河庭園(ちょっと遠いか?)等、
散歩がてらお立ち寄りください。

ティーとお菓子でおもてなしさせていただきます。

2010年10月26日火曜日

ネガティブ・イメージ

候補者が正々堂々と政策を論じるような“理想的な(?)”選挙戦に対し、相手候補者の粗を探して、そこに攻撃を加えるような選挙戦をネガティブ・キャンペーンと言います。
最近の選挙はこう言った傾向が強くなる傾向にあるようです。
マス・ミディアの注意を惹きやすいのは、難しい政策の説明ではなく、相手にダメージを与える減点戦略だからでしょう。

いや、今回は政治の話をしようというのではありません。

最近「アメリカの新世代キリスト者」を取り上げたり、それとの関連でイマージェントと呼ばれる青年層キリスト者のことを取り上げたりしてきました。

一般的に北米青少年層がキリスト教に対して持つのは「ネガティブ・イメージ」であることも指摘しました。

このネガティブ・イメージの矛先は、実は「教会」であったり、「キリスト教」であったりすます。
しかし、イエス・キリストに対するものではないことが殆どです。

それで、例えば
Dan Kimball, THEY LIKE JESUS BUT NOT THE CHURCH: INSIGHTS FROM EMERGING GENERATIONS.
のようなタイトルの本が注目を浴びるのだと思います。
(※著者は教会に対してネガティブな人ではなく、教会に対してネガティブなイメージを持つ青少年層の実態を報告し、教会がもっと彼らに関心を持つよう働きかけている方です。)

このような既成宗教、及び既成宗教団体に対する「ネガティブ・イメージ」は、民主主義世界において政治から始まり、他の多くの権力集団、既得権益組織に広く及んでいるようです。
一面から見れば個人主義の裏返し、とも取れるでしょう。
個人は宜しいが、組織になると堕落する、という構図で物を見る見方です。

イエス・キリストは宜しいが、彼の教えを既成化したキリスト教やそれを組織化した教会は信用ならない、と言うイメージが作られやすい時代だと思います。
そういう中で教会は伝道しているのではないでしょうか。

いえ、これは北米に限らないと思います。
日本でも似たようなネガティブ・イメージは結構浸透していると思います。
「イエスは好きだが、教会は嫌いだ。」
「キリストは尊敬できるが、キリスト教は窮屈だ。」
と言ったような言われ方を聞いたことがないでしょうか・・・。
特に昨今の「キリスト教不祥事」が一般メディアでも取り上げられ、ネガティブなイメージは強化されているのでは、と懸念します。

イエス・キリストその人と教会の間に楔が打たれたのは今に始まることではありません。
例えば新約聖書学においても「(歴史的)イエス」と「(弟子たちがそのイメージを創出した)キリスト」に分裂されたりします。
また「イエス・キリスト」の教えはシンプルでユダヤ的なものであったが、パウロはギリシャ的な思惟を駆使して、それを救済的世界宗教に仕立て上げた、などと言う説明は今でも通俗的に使われているようです。

確かに「教会で人に躓く」ことはしばしばあるでしょう。
確かに「(変な、偏った、愛のない、戒律的な、etc.)キリスト教」を見せつけられて、信仰をあきらめてしまう人もいるでしょう。

しかし、キリスト者、信仰者はその事実を悲観して放置しておくわけには行きません。
特に、「キリスト」と「教会」の一体性を心底追求している方々は、簡単に「イエス・キリスト」と「教会」の間に楔を打ち込まれて、「やっぱり教会は人の集まりだから、罪人の集まりだから」と変に納得したままであってはならないでしょう。

コリントの教会を考えてみてください。「これでもキリスト教会なの?」と後ろ指差されてもおかしくないくらい、問題の多い教会でした。
しかし、パウロはそのコリントの教会を「神の宮」(Ⅰコリント3:16-17)、「キリストの体」(Ⅰコリント12:27)と呼んで憚らなかったのです。

昨日のポストで「福音派」の現状が厳しいことを指摘しましたが、その現状を非難するだけでは充分ではありません。
自浄能力が働くことを期待しますが、仮にうまくそう行かなかったとしても、「教会」をあきらめる理由にはなりません。
反省と悔い改めの叱責・矯正・指導が教界指導者たちから出てくることを期待したいですが、たといそうでなくても「教会の建設的作業」は進められなければなりません。
何しろ「何一つ傷のないキリストの花嫁」としての希望が将来のために担保されているからです。

キリストとその教会のために、
あきらめるな、
ひるむな、
信仰・希望・愛を持って労苦せよ。
と、そんな風に肝に銘じたいと思っています。

2010年10月25日月曜日

福音主義と宣教

福音主義(Evangelicals)を定義するのは難しい。

「自由主義」に対する「福音主義」と言う場合は、二十世紀の「根本主義(ファンダメンタルズ)」を巡る、主に北米での神学論争として歴史的に跡付けることが出来る。
この際「福音主義」とは、この神学論争から「根本主義」側の「反・知性主義」「文化的隠退傾向」に対して異議申し立てをした次世代の指導者たちで、最初は「新・福音主義者」と呼ばれた。
カール・F・H・ヘンリーはその指導者の一人だった。
彼は確かビリー・グラハムが創立した「クリスチャニティー・トゥデー」誌の初代編集長であり、その後の福音主義のオピニオン・リーダーの一人であった。

もう一つ福音主義を定義する要素に「福音」内容に対する一定の理解がある。
これは歴史的にはもっと遡る。
多分宗教改革の「救済論」を軸にした神学的論争に遡り、その後「個人的、実際的信仰」を強調した「敬虔主義」の時代を経過し、「個人的回心」を強調したリヴァイヴァリズム運動へと繋がっていく流れである。

二十一世紀を迎え、福音主義に基づくグループであると理解されてきた、日本でよく用いられる表現である「福音派」が段々分かりにくい集団になってきているのではないか、と言うのが筆者の率直な感触である。
ある意味「私、福音派です」と言われても安心できない。神学的にも、実践面にしても、本当に歴史的福音主義が固守してきたバックボーンを持っているのか疑われるような、無様な、あるいはプラグマティックな、臭いのする人物やグループが結構紛れ込んでいるように思うからである。

筆者は、福音主義自体が永久不変の神学思想を内包しているとは思わない。
良い意味での宗教改革主義をDNAに持っているのが福音主義だと思う。
聖書において示されている「イエス・キリストにおける神ご自身の啓示」に絶えず基づいて自己省察し、必要とあらば長年守ってきた伝統でも改変する勇気を持つ、それが良い福音主義だと思う。

繰り返すが、ただ「福音派」や「福音主義」を名乗るだけでは主の公同教会の一部として通用する程現状は甘くない。相互に吟味されなければならない。
神学的正統主義をチェックするだけでは不充分である。
その行いをじっくり見て、何が行動基準となっているか、判別しなければならない。
伝道に熱心であるとか、教会が“成長”しているとか、現象面だけで判断できない。
その様な行動を衝き動かしている原動力がどこから来るのかをシビアーに見るべき時代になっている、と言うのが筆者の目下のスタンスである。

ちょうど時期を同じくして二つの「福音主義」のイベントが開催された。
①「フランクリン・グラハム大阪大会」
The Christian Postによると「1,765名の決心者」が与えられ、「30,782名の来会者」があったと報道されている。
ご存知のように四年前の「沖縄フランクリン・グラハム大会」では「反対声明」まで出された中で決行されたが、今回はそのようなことはなかったようである。

②同じくThe Christian Postによると、「ローザンヌ国際宣教会議」で、クリス・ライト師(先日もポストで取り上げた、「N・T・ライト」ならぬ「O・T・ライト」師のこと)は「現在、宣教の障害となっている最大の問題は偶像崇拝」だ、と講演したようである。
師が挙げた三つの偶像は、「権力とプライド」、「人気と成功」、「富と貪欲」である。

当ブログの読者諸氏、ひいては「福音派」を自称する方々、このたまたま重なった二つのイベントの意味合いを良く考えてみようではないか。そして学ぶべきを学ぼうではないか。

2010年10月24日日曜日

公共政策と神学

筆者は以前「南北問題」
と言うポストで、「貧困の問題」は富める側の慈善によってではなく、社会正義の実現と言う視点で見るべきではないか、と示唆したことがある。

巣鴨聖泉キリスト教会は、二十年くらいに渡って「国際飢餓」の問題と取り組んでいる。
取り組んでいる、と言っても組織的な支援とかそういう取り組みではない。
もっと日常レベルで、この問題を意識化する試みである。

毎月第二日曜日を「食の日」と定め、昼食会を持っている。
そして「共に食する」機会を得、食前の祈祷で「飢餓に苦しむ人々」を覚えている。
さらに低予算の食事メニューを工夫すること(しかし同時においしく食べる努力)、そして「食の日募金」を設定し、毎月集めた募金を「国連世界食糧計画」などに送金している。

宗教者、非宗教者の別なく、飢餓に苦しむ人のための善意の募金は、個人でも、組織でも、多くの人が関わっていることと思う。
また納税者としてもODA(政府開発援助)を通して間接的にこの問題に関わっている面もある。

さらには、通称MDGsと呼ばれる、国連による貧困に伴う問題解決のための「ミレニアム開発プログラム目標」"We Can End Poverty 2015"の取り組みもある。

しかしこれらの多くの取り組みをもってしても「貧困撲滅」の実現可能性は現実的に見てそう簡単ではない巨大で複雑な構造的問題であるとの認識がある。

温暖化によるオゾン層破壊の原因とされる二酸化炭素排出規制が国際的な枠組みでアプローチされているように、発展途上国の貧困撲滅も、似たような国際的公共政策課題として、人権と国際社会正義の法的枠組みで、先進国に対する責任分担や規制、と言う形で構想されている。

このような個人や国家の善意や任意の支援を超えた、正義の実現を要求する法的規制の枠組み作りを構想しているグループの中に、哲学者、経済学者、公共政策論者、と並んで神学者がいることを最近発見した。(Absolute Poverty and Global Justice 「絶対的貧困と地球大の正義」

筆者にとって興味深いのは、まさにこのような巨大な現実問題の解決を模索するチームの中に「神学者」が複数も加えられていることである。
世俗化によって宗教は公共分野からは撤退を余儀なくされるか、と見られた時代があった。
しかし“脱・世俗化時代”の今日では、宗教は世界規模の問題解決に欠かせないメンバーと認識されている。そのことに感銘を受けたのである。

但し脱・世俗化時代に宗教家が自己の信仰的立場でどのように現実問題に立ち向かうか、しかも民主主義社会の一市民として貢献するには、それなりの手続きと言うか、抑制が必要である、とされる。しかし、逆の視点から言えば、世俗の専門家だけでは巨大な現実的道徳的問題には立ち向かえない、宗教者を必要とする大きな時代的局面を迎えているとも言える。

最近、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas、Jürgen Habermasドイツを代表する社会哲学者)をまた読み始めている。
An Awareness of What is Missing (2008)
Religion and Rationality (2002) 
(上記のリンク著作は未読)

筆者が米国留学中読んでいた「ハーバーマス」にはなかった「宗教」との積極的対話が最近の著書に顕著である。
啓蒙主義が築いた「世俗化した理性」の権威を破綻から守りつつ、今また脱・世俗化時代の問題群に直面して、この偉大な哲学者は「理性と信仰の対話」の必要性と、その対話可能性、とを模索している。

面白い時代になってきた。

2010年10月23日土曜日

紹介本の更なるディスカウント

先日「本の紹介と推薦」
でご案内した、

ポール・マーシャル「わが故郷天にあらず」

訳者からの
更なるディスカウント価格
でのご提供のご案内です。

重版(正価税込1680円)
価格:一冊1500円。
送料:無料
詳細は上記ポストにてご確認ください。

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月24日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-29
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 3:22
説 教 題 「神の恩寵の二段階」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(49)
ガラテヤ人への手紙(37)
・律法の暫定的・限定的役割 3:19-22

※10月31日、「宗教改革記念セミナー」。短い礼拝と学びの時。
※当教会の「オープンチャーチ」、11月3日(水)、午前11~午後3時。気軽にお茶しに来てください。

2010年10月22日金曜日

「礼」と「行」

散歩の途中、とある寺の入り口で見かけた光景。

自転車に乗ったお爺さんがその寺に通りかかり、自転車を降り、帽子を取り、寺に向かってしばし手を摺り合わせ拝礼。その間約十秒弱。

この本郷通りは、寺が次々並んでいる。
その時パッと見た光景なので、このお爺さんが次々寺の前で同じことをしたかどうかは分からない。たぶんその寺だけだったのだと思う。お爺さんは多分その寺の檀家か何かなのであろう。

毎日ブログを更新するためには、常に「ネタ」になるものを探している必要がある、と思っている。
この散歩時の光景は、「はて、これをブログに何と書こう」と言う思いを抱かせた。

すぐ思いついたことは、キリスト教の「礼拝」と、このお爺さんの「拝礼」の対比。

みんなして「同じ場所」に「同じ時間」に集まり、「一定時間」行う「公同の礼拝」に比較して、何と簡単で短い、しかも単独で行う「拝礼」であろうか。
これも一つの「礼拝」と考えると、キリスト教の礼拝は実践するのにかなりなエネルギー、行動力を要するのだなー、と改めて感じ入った。

帰ってきて、「拝礼」か何かでネット検索してみた。
そうしたらこんなのがヒットした。「日本で一番短いお祭り」
さて、お祭りの内容だがそれはただ一つ。「礼」だ。
時間になると、参加者が記念碑に向かって礼をする。その間10秒足らず。シン、と静まりかえったと思うと同時にお祭りは終了する。
何とも簡単な「お祭り」ということだが、お爺さんの簡単な「拝礼」と共に考えさせられた。

キリスト教の礼拝は、忙しい複雑な人間関係の中を縫って生きている信徒たちにかなりな犠牲を要求しているとは言えないだろうか。
もちろんだからと言ってもっと簡便に、“宗教サービス利用者”の側に立って礼拝を考えて見たら、と言うのではない。
主日に集まるのも、一時間くらい時間を共有して礼拝するのも、それなりの根拠がある。

ただ普段の生活の中でどれだけ「礼拝」を提供しているだろうか、と言うことを考えさせられた。
勿論熱心な信徒には「聖書通読」や「デボーション」の習慣がある。
しかしそれだとちょっと時間がかかる。

一日のほんのちょっとした時間に心を神に向ける「礼拝」の形とは何だろうか。
自分で工夫している人たちは勿論いるだろう。
ただキリスト教の中でもプロテスタントの礼拝は「説教中心主義」の問題があり、「脳内礼拝」に傾きやすいのではないか。

何か「手を摺り合わせる」「一礼する」と言ったような、“簡単な所作”が礼拝に繋がるようなものをプロテスタントは持っているだろうか。

そんなことを考えていたら、カトリックの門脇神父が仏教徒と一緒に「カトリックの聖地(スペイン)への巡礼の旅」をした報告(「行の体験が心を一つに」)がネットにある、と言うツイートが流れていたのを思い出した。

昨日のポストで「神道」や「仏教」との宗教対話への関心を書いたところであったので閃くところがあった。
門脇神父は禅とも深く関わっている方で、カトリックと禅との間での「行」に関する共通性を見ている方のようである。


これを読んで感じたことも「礼」のことと似通っている。
プロテスタントの霊性はやはり「脳内霊性」的ではないか、と言うこと。
個人的に聖地旅行する方は多くいるが、「巡礼」とか、とにかく身体を伴う「行」に当たるものが殆どないような気がするのだが・・・。
まあ「礼拝」がある意味で「行」になっている節もあるかもしれないが・・・。

「礼」と「行」。ポストモダンの宗教性・霊性を考える上で何かヒントとなるものがあるのではなかろうか、と考えた一日でした。

2010年10月21日木曜日

キリスト教とブログ

ブログ界にデヴューしてまだ四ヶ月も経っていない。

ポスト数は、ここのところ毎日更新しているおかげで百を越えた。

自分がブログを始める前は、他人様のブログにコメント何てことは殆ど思いもしなかった。
しかし、やり始めて、段々とポストにコメントが残されるのを面白く感ずるようになった。
それで自分も段々気軽にコメントするようになった。

ブログによりそれぞれだが、「コメントに返答する」ブログ主は日本人のブログでは割合多い。
と言っても、筆者が回覧するブログの数はたかが知れているし、範囲も狭い。
でも、自分の書いたコメントに返答があると、それだけでも嬉しいし、何より「どれだけ通じたか」と言うブログ主とのコミュニケーションの手応えの程を垣間見られるので、それがもっと嬉しい。

それで、筆者もなるべくコメントには返答するようにしている。
今ぐらいのペースだったら充分余裕あるから大丈夫だろう。
人気ブログでコメントが多いところは大変だろうな。
と言うより「掲示板」のようになって、書き込む人たちが相互に討論するような展開になったりして、最早ブログ主は置いてけぼりみたいになったりもするのかしら。

最近日本人のキリスト教、クリスチャン、系統のブログで面白そうなものはないかとサーチしている。筆者、読む本は殆ど英語、回覧するブログもやはり英語のものが多い。
キリスト教に限ると、英語圏のブログの種類や情報量は圧倒的に勝っている、と思う。
ただ日本のキリスト教界を知るには、日本人キリスト者のブログが必要だ。

先日どこかで「福音派の牧師」のブログ発信が多い、と言ったことが書かれていたっけ。
筆者のブログで名前を出したことのあるブログはせいぜい三つか、四つくらいだろう。
名前は出していないが他に回覧しているブログは同じくらいある。
でもそれでは絶対数が足りない。

筆者が探しているのはどんなブログだろうか。
・ある程度内容にバラエティーがあるブログ
・神学や本の紹介があるブログ
・キリスト教界の動向をキャッチしているブログ
・聖書学関係で割合深いブログ

その他にも、「神道」や「仏教」など、日本の宗教的・文化的伝統を、キリスト教的視点から扱っているブログや、対話しているブログなども探してみたい。

読者の方で、そんなブログやサイトを教えてあげよう、と言う方はコメントください。お願いします。

2010年10月20日水曜日

ディスペンセーショナリズム

円高とかけて、読書の秋と解く、その心は。

アマゾンに注文する本が多くなる。

すいません、全然なぞかけになっていませんね。

先日「アメリカ新世代キリスト者」①で紹介した、レイチェル・エバンスの本を早速購入しました。

レイチェル・ヘルド・エバンス「モンキー・タウンで進化する」(ゾンダーバン、2010)

著者は生まれたのは、アラバマ州バーミンガム市だが、13才から大学卒業(そして現在も?)と、育ち暮らし、学生生活を送ったのが、テネシー州デイトン。
つまり、かの有名な進化論を巡って神学論争が戦われた「スコープス・トライアル」の舞台となった町。

あのポストでは「ドロップアウト」と表現したが、正確には「信仰遍歴」、しかもかなり際どいところ(信仰喪失寸前)まで行ったようである。
とにかく、アメリカの保守的福音主義キリスト教の「文化的縛り」がこれほどまでか、と言う描写が次々出てくる。
この本は、そう言う訳で「信仰遍歴回顧録」として読める。(まだ半分まで行っていない。)

・自分の住所を言える前に「四つの法則」を暗記していた。
・ディスペンセーショナリズムを、子供の時から(ある程度)知っていた。

ガーン! 何と言う彼我の差。
筆者も牧師の家庭に育ったが、本当に叩き込まれた神学は、せいぜい、善悪の区別、キリストの代償的犠牲死、漠然とした「天国と地獄の区別」くらいだったのではないか。

さて、そのディスペンセーショナリズムだが、名前は聞いたことがあるし、ある程度までは分かっているつもりだが、前千年期説とか後千年期説とかを交えた、神学説となるともうお手上げである。七つのディスペンせーションも分からない。(実際には知ろうとしない。)

再臨も、空中携挙も、個別的には分かるが、一連の終末論解釈となると、先ず辟易してしまう。

最近、ブログを通して知り合った何人かは、このディスペンセーショナリズムに通じているようである。自分が影響を受けなかっただけで、案外影響は広いのかもしれない。

そうだとすると、「牧師をしていてディスペンセーショナリズムもまともに説明できないのか」、と非難されそうだが、事実だから仕方がない。

換言すれば、筆者の子供時代のキリスト教的「文化的縛り」は割合ゆるかったと言えるだろうか。
子供の頭は柔らかいから、入れ物に合わせて形が容易に変るとすれば、あまり枠に入れられずに育ったことをむしろ感謝してもいいのかもしれない。

だからと言って、「すんなり」大人のクリスチャンになったわけでは決してない。
レイチェルの方は年齢的に早く「文化的縛り」と直面し、受け継いだ「信仰」を自分なりに批判し再構築することとなったのだと思う。かなり早熟だったのかなー。
筆者の場合は牧師になってからしばらく経って「信仰遍歴」を通った、回周遅れの信仰者と言えようか。まあ神学的にはとろいキリスト者、と言うことになるだろう。

間もなく「宗教改革記念日」を迎えようとしている。

「聖書」と「神学」を区別して考える大切さを学ぶ時である。

ディスペンセーショナリズムも一つの終末論に関する「神学」と言うことができるだろう。
しかし、問題は単にディスペンセーショナリズム神学が聖書的根拠があるかどうか、聖書釈義的に正しいかどうか、を問うだけでは不十分ではなかろうか。

問題は「聖書全体」が何を語り、その中心を占める主題は何であり、その視点から神学的各論をバランスよく配置する、統合することが大切ではなかろうか。

「創造」から「新創造」の中心に位置するのが、「イエス・キリスト」における「神と世の和解」であり、主イエス・キリストの福音が「神の国」をもたらすものであるとするならば、ディスペンセーショナリズムの詳細をいくら釈義的に、神学的に整合、統合したとしても、この「神の一大救済ドラマ」の大筋に沿うものでなければ、それは神学的議論の逸脱となってしまうのではなかろうか。

(※現在ディスペンセーショナリズムがどの程度影響力があり、どの程度現代を生きるキリスト者のキリスト教世界観の一部となっているのか、筆者は良く分からない。読者の中にはこの文章を読んで不快感を感じた方もいるかもしれないが、ご容赦いただきたい。)