とにかく「活水」と言う言葉が好きである。
どっちが先かは分からないが、最初に「活水」と言う名前に触れたのは、日本における「ホーリネスの三つの流れ」の一源流であるバークレー・バックストンの流れを汲む、
柘植不知人(1873-1927)が始めた『活水の群れ』、か
あるいは、高校の時修学旅行時訪れた長崎市街を歩いていた時、オランダ坂だったか、途中間違って入り込んだ学校が女子高で、名前を『活水女学院』と言った。
筆者が最初に「活水」と言う名前を用い始めたのは、巣鴨聖泉キリスト教会の季刊「教会ニュースレター」だった。1991年だった。
教会ニュースレターは今も同名で続いている。
次は大分時間が経つが、アパートの一室を工作室にしつらえ、木工遊びを始めた時。
まだとても「工房」とは呼べないようなスペースだったが、木工教室を始めるにあたってであったろうか、何か名前を付けた方が良いと思い、「活水工房」とすることにした。
現在の活水工房は教会隣の平屋の貸家を去年大幅改装して16畳大のスペースである。
かなり工房らしくなった。
以前使っていたアパートは、やはり去年大幅改装され、「活水荘」と名づけた。
こんなわけで「活水」と名のつくものに囲まれて暮らしている。
それだけではない、初めの頃のポストで紹介した「教会パンフレット」を作成する時、グラフィック・デザイナーの方に教会ロゴをお願いしたのだが、その図案も「活水」であった。
と言っても、「活水」と言う語からロゴをイメージしてもらったのではなく、二年前に完成した、会堂正面の縦長窓に嵌め込んだ、ステンドグラスのデザインをそのまま活かしてもらったのである。
このロゴはパンフレットだけでなく、現在は筆者が発信するツイッター、SugamoSeisenのアイコンにもなっている。(このページの左側にツイートが表示されているが、その一番上にロゴを使ったアイコンが見える。)
これだけ使っていて、改めてその意味の深さに驚くことがある。
最初は何となくキリスト教的な語・イメージとして余り深く考えずに選んだのであるが、
教会ニュースレターに用いた時は、ヨハネ福音書7章38節
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(新改訳)を念頭にしていた。
しかし、二年前に製作して頂いたステンドグラスの方は、エゼキエル書47章1-12節に描かれている、神殿から流れ出る川、その川の流域は命に溢れる、と言うイメージから作られた。
筆者はエゼキエル書の幻、イメージが何箇所にもわたって、「エデンの園」を想起させるのに気が付いたかことがあったが、「活水」のイメージはこのように「聖書の初めから、終わりまでを俯瞰する壮大なもの」であることに思いをいたすようになって驚いたものである。
御使はまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(黙示録22章1-2節、新改訳)我ながら良いネーミングをしたな、と思っている。
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