2010年11月19日金曜日

不寛斎ファビアン

東京聖書学院(日本ホーリネス教団)内に事務所を置く、東京ミッション研究所から「ニュース」が送られてきた。
筆者は会員ではないが、ご丁寧にこのニュースを毎回送っていただいている。
現在所長をなされているのは金本悟先生。

小さいながら(失礼)意欲的にセミナーや翻訳をなさっている。
最も大きいものでは、デイヴィッド・ボッシュ「宣教のパラダイム転換」David Bosch, Transforming Mission: Paradigm Shifts in Theology of Mission (Orbis Books, 2001.)がある。

さて今日届いたニュースには、石戸充氏による「日本仏教とキリスト教宣教~転びイルマン不寛斎ファビアンから~」(TMRI秋の研修リトリート報告)と言う興味深い一文が載せられていた。思わず一気に読んでしまった。
(別に長い文ではないのですが、最近読むものが多くて、ちょっと引っ掛かりがないとすぐ止めてしまうんです。)
リトリート講師、大和昇平師による「最新のファビアン研究」講演の報告を土台に「現代日本のキリスト教宣教の文化脈化」を考察するもの。

転びイルマン、とあるように一端キリスト教を受け入れ、仏教、神道を相手にキリスト教弁証論まで書いた不寛斎ファビアン(1565-1621)が、後棄教する。
その数奇な生涯も興味深いが、キリスト教の文化脈化を考える上で、なぜ、どのようにして棄教したのか、彼の棄教前の著作に著されたキリスト教理解を先ず分析している。

『妙貞問答』の上巻・・・仏教への論駁、中巻・・・儒教・神道への論駁、下巻・・・キリシタンの教えの大綱、と言う体裁を取るのだと言う。
その中で仏教用語の「後生の助け」を用いて、
「後生の助けはデウス(唯一の神)に拠ることこそが大切である」と語る。
《ファビアンが理解したキリスト教の特徴》としてまとめられているのは、
①非神話化による他宗教批判・・・例えば「釈迦とても人に過ぎない」
②スコラ哲学の影響・・・造物主と被造物の区別が「資料(マテリア)から形相(ホルマ)への段階的秩序に基づく宇宙観」によってなされる。
③『妙貞問答』の土台となったと考えられる『日本のカテキズモ』(ヴァリニャーノ著、フロイス訳、1581年)

《『破堤宇子』(1620年)の問いかけ》
その内容は、
天使論(あんじょ)で天的被造物の階層に触れ、人間を弱く造ったのに裁く神は無慈悲ではないか、と『妙貞問答』の議論を逆にたどるキリスト教批判を展開する。悲惨な事件があるのに神は何をしているのか。悪というものの積極性が関わっている問題にも触れており、神義論がテーマとなっている。
とのこと。

これに対しては
創造と堕落そして悪の存在を統合して見るには人格的概念が深く関わってくるが、ファビアンは人格概念にまで理解が及んでいなかったのではないか、さらには、贖罪論が弱かったのではないか、などの指摘もなされる。
とのこと。

《日本仏教とキリスト教の文脈化》
文脈化の要素①・・・『恐れ』に対する向き合い方
ファビアンが「根源的第一者こそが創造主である。仏など何もいないのだ」と批判する時に、嘲笑的で論争的な表現が「軽すぎる」と言う批判を受けることがある。この「軽さ」とは何を意味するか。一つには、理由は判らない漠然とした「恐れ」であるが、日本の土壌ではとても深刻で根深いこと。恐れ忌むという本能的な行為の深刻さにファビアンが十分向き合っていない・・・
文脈化の要素②・・・「空」の理解
「無常感」、人生の痛みに対する共感が必要。神学的議論で切って捨ててしまうのではなく。
仏教との対話をつきつめた時、死が持つ尊厳性の問題や、贖いの問題が充分に対峙されていない分野として残っている・・・「無常」の中で「痛み」を感じる人々に適切に寄り添うにはどうすればいいのか、と言う問いも文脈化への模索として非常に重要となる。
 と、乱雑な紹介になってしまったが、福音の受容、と言う意味で、特にファビアンのような知識人的教養を備えた人のキリスト教受容の問題性を考える上で、興味深いケースではないか。

筆者は第二次大戦後知識人の思想問題として『転向』に関して少し考えたことがあるが、通底する問題としては次のようなものがあると思う。

①加藤(周一)が言うように、日本には自前の「超越(者)」の思想が見られない。それは外国からやってきたが、特に知識人層に受容される時、生活とは切り離された「思考の産物」としての受容に留まる傾向がある。だから新しい思想が入ってくると、これを受容した思想との緊張や対峙なく乗り換える傾向も強い。
②この「思想が生活から切り離される」傾向は、外圧的力によって思想を変更することを容赦する心的傾向となる。「転向」はその一例とも言える。
③その外圧的力が第二次大戦中は「皇国思想」に一本化したわけだが、吉本隆明が表現したように、それは「転向」としてではなく、「思想の祖先帰り」となった。つまりありがたく、土着思想に帰依する形を取った。

ファビアンは先ず外来思想の持つ「超越性」に感じ入った。それによって土着宗教を論理的に破ることが出来た。
しかし、(これは単なる推論だが)キリスト教迫害と言う「外圧」下で試され、そこで土着の思想との再会をし、自らの内に克服できていなかった心的傾向によって、キリスト教批判に転ずることになった。
彼の棄教は、外来思想を生活とは切り離された論理として取得したものを、より生活に染み付いた「人生観」によって批判的に克服する方向にに転じ、キリスト教神学内で整合させるような思想的解決の方向を取らなかった。
そのように「思想」ではなく「実感主義」に舵を取ったファビアンには、上滑りする思想より、日常に根ざす「無常感」がより強い「人生の真実」として作用していたのではないか。

と、まあ又聞きの又聞きの論評ですから筆者の言った部分はお聞き流しください。

(※残念ながら東京ミッション研究所のウェッブサイトはないようです。
参考に近刊の「不干斎ハビアン‐神も仏も捨てた宗教者」の書評ブログがありますので、ご覧ください。)

0 件のコメント:

コメントを投稿