今この文を書き始めたところだが、まだタイトルが付いていない。
書きながら後でタイトルを考えようと思う。
今日は「オープン・チャーチ」で、朝から忙しかった。
教会の方々が寄せてくれた、俳句、書、写真がメインで、それ程見るべきものが沢山あるわけではない。
何となく「どうぞお入りください。」と声を掛けるには気が引ける部分もあった。
それで、道路に面してテーブルを置き、ミニバザー的趣向で物を置き、道行く人が目に留めるようにしてみた。
会堂と工房と、両方「オープンチャーチ」としたわけだが、工房の方からは「木片」を引っ張り出してきて置いた。
工房をやっていて困るのは、実はこの木片なのである。
なるべく効率的に一枚の板から「木取り」するのだが、どうしても余りが出てしまう。
よっぽど細かいのは捨ててしまうが、ある程度のサイズになると、しかも良材だと、なかなか捨てられない。
それで取って置くわけだが、だからと言ってこれら木片で何か作るには頭をひねらなければならない。
それに材料が細かいので、何かを作ろうとしても結構精密な作業が要求される。
結局たまって行くのを眺めるだけになってしまう。
それでふと、この木片をただで提供してみよう、と思いついた。
テーブルの上にダンボールの箱を置き、木の種類や形状に分けて置いてみた。
杉、桧、秋田杉、ポプラ、桜、栗。
11時開始であったが、それより大分前に「無料」の張り紙を出しておいたら、早速通りがかりの叔母さんが目敏く桜の一番良い板を持って行ってしまった。
あわてて「無料」の張り紙を開始時間になるまで引っ込めた。
時間開始と共に何組かの自転車で乗りかかった親子連れが立ち止まった。
そしてあれこれはこの中身をひっくり返していた。
聞いてみたら、鍋敷きとかにするみたい。
子供は子供で積み木感覚で、「あの板、この板」と組み合わせながら何やら作るものを考えているみたい。
(ここでタイトルが「木片」に決まった)
「こんな木片、持って行く人なんかいるのかなー」と思っていた。
蓋を開けてみたら意外と子供たちが興味を示すのに驚いた。
なぜだろーと考えてみた。
子供たちの身の回りには案外「素材としての木」がないのではないか。
それで新鮮に映るのではないか。
あるいは「積み木」で遊んだ感覚が残っていて「木片」に親しみを感じるのではないか。
箱の中が少なくなったので、後からまた木片を追加した。
その中には希少な「青森ヒバ」も入っていた。
幸か不幸か、工作の材料にするか何にするか分からないが、「木」を見る人たちの目は形状か大きさまでで、木の種類までには及ばない。
今日の「オープンチャーチ」はそれ程来場者があったわけではなかった。
奇しくも「木片」を介して一番多く地域の人たちとの接点を得ることが出来た一日だった。
はじめてコメントします。いつも楽しくかつ好奇心を刺激されながら読まさせていただいております。私の実家は建具屋で生まれた時から「木片」(私は“こっぱ”と呼んでいましたが)に囲まれて育ちました。父の作業服に沁み込んだ木の臭いが父の臭いでした。まさに父の仕事場は、沢山の木片が積み上げられていました。ですから、私の遊び場は父の仕事場であり、木片がおもちゃでした。今考えると大変贅沢だったなあと思います。小さな木片が地域とのつながりになるなんてとっても素敵ですね。神様からのプレゼントのような気がしました。
返信削除匿名さん、お初(?)コメントありがとうございます。
返信削除まさかこんな記事にコメントが付くとは思いませんでしたので、ちょっとびっくり。
木っ端拾いの材木流し、と言う諺がありますが、当工房はプロではないのでそんなに木っ端が出るほど材木は扱っていません。出るのは「ちびた木片」と言うことです。それでもなかなか捨てられない、と言うわけです。
建具やさんと言うとやはり一番扱い量が多いのは杉でしょうかね。杉の匂いは良いですね。
工房に入ってくる人が思わず口にする「木の良い匂い」は杉なんですよね。
しかし扱いは難しく、よっぽど切れる刃物でも難儀をすることが多いです。
これからも、子供に本物の木を触ったり、匂いをかいで欲しいと思っています。励ましの言葉ありがとうございました。