2016年11月26日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第一主日礼拝

2016年11月27日(日) 午前10時30分

朗読箇所 イザヤ書 9:1-7
説 教 題 「不思議な助言者」
説 教 者  小嶋崇 牧師

 不思議な助言者は 力強い であられる。
 永遠のは 平和の君 であられる。
          (イザヤ9:6)

2016年11月19日土曜日

明日の礼拝案内

収穫感謝 主日礼拝

2016年11月20日(日) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 14:8-18

説 教 題 「食べ物を見る」
説 教 者  小嶋崇 牧師


※礼拝後、持ち寄り昼食会があります。

2016年11月16日水曜日

(1)去るブロガーに、オクることば

「去るブロガー」とは、主に神学ブログ 4で紹介したのらくら者の日記だ。

「・・・開始からおよそ8年という短い歳月でしたが・・・」とあるが、当ブログより2年先輩なだけでなく、「英国神学事情通」として貴重な記事を書いてきただけに残念だ。

新しい任地に着いて環境が整ったらまた何か別の形ででもいいので「発信」を再開していただけるとありがたいのだが・・・。

「のらくら者の日記」を通して様々な英語圏キリスト者・牧師・神学者・文化人等を教えて頂いたが、その中で思いつくまま挙げてみると・・・


 (1) ジョン・レノックス
 (2) ドナルド・カーソン
 (3) ロイド・ジョンズ
 (4) ジョン・ストット


などが思い当たりますが、もちろんもっともっとたくさんいるのですが・・・。

ただ、忘れたくない方が一人いるのですが、その方は日本人です。
 (5) 有賀寿
です。


のらくら者さんは有賀の著書『カゴの鳥と見るな』を福音派の禁書?というタイトルの記事で紹介しているのですが、筆者は残念ながらこの本を持っていません。


しかし紹介されている「見開きにある文章・・・」の中にある
・・・極めて多数の人は、いかさまな救いをつかまされたといえます。それでいて福音派のクリスチャンは、聖書がどう伝道を教えているか、主イエスがどう福音を語られたかについて、改めて学ぶ必要はほとんどないと思っています。非常にたくさんのクリスチャンたちは、伝道者・牧師・宣教師・外人講師の話をただ鵜呑にし、それが聖書の教えと一致するかどうかを調べようとはしません。そうする必要も認めません。 なぜか。それは彼らが「カゴの鳥」とされているからです。
という警鐘のコトバが依然として「効いている」ように思います。

この課題にもっと集中的に取り掛かかることが必要に思います。

さて、最後になりましたが、「オクることば」ですね。

カム バック! (多少遊ぶとこんな感じ

2016年11月12日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年11月13日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカの福音書 15:11-32
説 教 題 「父の家」
説 教 者 小嶋崇 牧師

こころ(11)

2016年11月6日日曜日

(4)MLJとJSのガチンコ 追記

もう二年以上も前、「MLJとJS、JSとBGのガチンコ」と云う記事を書いたが、そのうちの「MLJとJSのガチンコ」についての追記となる。

そのガチンコがあった1966年10月18日から50年経った、という回顧記事がゴスペル・コーリションに掲載されている。


ジャスティン・テイラーがマーティン・ロイドジョンズの意義を評価する論文集、Engaging with Martyn Lloyd-Jones: The Life and Legacy of ‘The Doctor’ (Inter-Varsity Press, 2011)、の編者であり、ジョン・ストットとのガチンコについての論文も書いたアンドリュー・アザーストン(Andrew Atherstone)にインタヴューしている。

その中で以前ブログで書いた
次のようなエピソードが残っている。
1966年ロンドンでのとある会合で二人は教会論争で激しくぶつかった。
ロイドジョンズは神学的に雑多な人々が混じっている英国国教会を嫌い、福音派の人たちを引き連れて出よう、と言うようなことを主張した。
しかしそのすぐ後登壇したストットはその動きに抗議したのであった。
このエピソードについてのより詳細な解説が記されている。(ほんの一部を引用)
So what did Lloyd-Jones say exactly, and why was it so controversial?
At its heart, Lloyd-Jones’s address was a call for visible unity among evangelicals to match their spiritual unity. He lamented that they were divided among themselves and “scattered about in the various major denominations . . . weak and ineffective.” But he believed the ecumenical turmoil of the 1960s presented “a most remarkable opportunity” to rethink evangelical ecclesiology along New Testament lines.
In particular, he argued that evangelicals were guilty of “the sin of schism” for remaining visibly separated from each other, while being visibly united in their denominations to people who denied the gospel essentials. “I am a believer in ecumenicity,” he provocatively declared, “evangelical ecumenicity!” Evangelicals should not be satisfied with unity merely through parachurch networks and societies, Lloyd-Jones insisted, but should come together in “a fellowship, or an association, of evangelical churches.”
書評も読み合わせてみるとある程度イメージが浮かんでくるが、こんな感じではないだろうか。

既に一部の教職者たちが国教会を出て福音主義のグループを形成する動きが出ているところに、このロイドジョンズのアッピール(どんな福音主義組織を作ろうとしているのか具体的な部分は曖昧だが)が(既に始まっていた)離脱の動きを加速することを懸念したストットが、ロイドジョンズの降壇後に(礼儀も弁えず)激しく非難した。

ということらしい。


詳細について興味ある方は、是非ここに紹介したものを直にお読みください。

(※アザーストンさんはかなり精力的に「現代(英国)福音主義」の歴史を著作しているみたいです。ウェブサイトをご覧ください。)


今日のツイート 2016/11/6

変わったのは「世の中」なのか・・・。


2016年11月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年11月6日(日) 午前10時30分


朗読箇所 ローマ 8:31-39
説 教 題 「喜びと苦しみ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2016年11月2日水曜日

今日のツイート 2016/11/2

ハローウィーン(宗教改革記念日)が過ぎたところだが・・・

話題としてはこの時期に出てくるものと云うことなのだろう。

ウェスレーの言葉とされるものは、下記の本によると1768年のダイアリーによるものだそうだ。
They well know (whether Christians know it or not) that the giving up of witchcraft is in effect giving up the Bible.


ここでのジョン・ウェスレーの引用は、学識のある人でも「(様々な)霊的存在」を信じていますよ、と以下の本の25ページで「例証の一例」として挙げられている。


まあ開明的・進歩的な知識人(近代主義者)が「様々な霊的存在を否定する」のが時流とされつつある中で、ウェスレーはかなり強くそれらの存在に対するビリーフを擁護しているようである。

聖書に書かれているということもあるし、経験上もそのような遭遇があったから、ということなのだろう。

近代主義者の行き過ぎにブレーキをかけたい、との含みもあったかもしれない。