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2017年3月1日水曜日

(3)隠れキリシタンになる前に 余波1(続)

この「隠れキリシタンになる前に」シリーズ第3弾目の記事となります。


第1回目では、最後に「今後の展開では、後日談や発展的考察が出てくるかもしれません。」と書いておきました。

一応少し動きがあり、何人かが集まって「この事態」をどう見るか意見交換する連絡会のようなものを構想しています。今月にはその最初の集まりが計画されています。

(もしこのシリーズ記事をご覧になり、「中に入って」日本の教会の将来を考えたい、という方がありましたら「先ずは」是非ご連絡ください。問合せ: sugamo_seisen*yahoo.co.jp)


前回(余波1)最後に予告のようなことを書きました。
「牧会の現場」から上がってくる「ケース(例証)」で巨大ジグソーパズルの一ピースを埋めることが出来るかどうか試してみたい。
どちらかと言うか、ほとんどと言うか、筆者は大局的な物言い(要するに「大風呂敷」)が多いです。

具体的なケース(例証)で補強するのが得意ではない。(要するにモノグサ)

今回トライするのは事実具体例なのですが、相談を受けた者の守秘義務に抵触しない範囲で表現しなければなりませんので、予めご了承ください。

(1) Aさんのケース

仮にその方をAさんと呼びます。

Aさんは地方の出身で数年前東京での暮らしにあこがれ、職も得ようと希望を持って上京しました。

数ヶ月もしないうちに、目的も殆ど達せないままに、東京暮らしのストレスに疲れ果て、その悩みを誰にも相談できずに、ある日憔悴しきった表情で教会にやってきました。

その後実家に戻りましたが、地元での「良い」就職は難しく、依然として東京での暮らしと仕事の希望を持ち続けて何回か上京し、その度に教会にやって来ては様々な話をするようになりました。

先日も就職のための講習会のようなもののために上京し、終わってからやってきました。

既に何回も会って話しているので気心が知れてきたのもあったと思うのですが、「実は今回お話したいのは(仕事とかそういうものではなく、宗教的なこと)・・・」と語り始めました。

ある日の夕方、ふと海と空の風景を眺めていたとき、突然「こんな美しい風景を眺めている自分はそのうち消えてなくなるのだ」と鋭く自分と言う存在のはかなさに目覚めた、というのです。

つまり、そう言う夕暮れ時の予想もしない瞬間に「必ずくる死」の自覚が突如彼を襲ったわけです。

おそらく一瞬背筋が凍りつくような恐怖であったと思います。

彼はその恐怖の体験を誰に話すことなく、彼の身近にいる人物の中では唯一の「宗教家」である筆者にその体験を告白してみたわけです。

(2)現代人の霊的リソース

打ち明けられた「宗教家」として先ず彼に語ったことは、それは特段驚くような体験ではなく、誰でも実存的に直面する危機的瞬間であること、しかし普段はそのことを構わないように、回避したり抑圧したりしているのだ、といったような説明をして安心してもらった。

逆に筆者が興味を持ったのは、彼にはそのような基本的「宗教的疑問」に対処する「霊的リソース」が備わっていなかったのか、身近に「参照する人物(リソース・パーソン)」はいなかったのか、ということ。

彼の実家は仏教だが、仏事の習慣がある他は殆ど実存的意義はないようだった。

親しい友人ともそんな話題は話せないようだった。

相応しい類の本や教えも(その時は)思いつかなかったようだ。

彼は特に教養があるという風な感じではなく、ほぼ平均的「霊性」の持ち主のように思う。

そんな彼に突如襲った「人生のはかなさ」に対処する手立てなく狼狽しなければならない「現代の日本」とはいったい何なのだ、というのが筆者の側の疑問である。

(3)来るべき霊的荒野の風景

第1回目で「寺院消滅」を紹介した。

曲がりなりにも日本社会における現代人の霊性を支えている寺院がそして神社が今後どんどん消滅して行くとすると、Aさんのような「人生の根源的問い」「生と死の問題」がふっと沸いた時、誰が相手をすることになるのか・・・。

余波1で若年層の「孤独死」を紹介した。

筆者はそれを「事故死」になぞらえた。

Aさんの三世代前までの「霊性」は、その次の(Aさんの親)世代で次第に希薄化し、三代目で殆ど有名無実になり、より弧独に生きる若年層の「霊性的な悩み」に直接答えられるような「霊的リソース」ではなくなっている現状をどうしたらいいのか。

最近流行の「パワー・スポット」「スピリチュアル」現象の要因のひとつは、葬儀や墓という「死」に伴う儀礼的宗教として「世代間を繋いできた」仏教や神道の若年層における空洞化をあらわしているのではないか・・・。

この現代的状況を「カルトの問題」と合わせて考えると、ある一つの像がおぼろげながら浮かんでくる。

今回はほんのり示唆するだけにとどまるが、既に「オウム真理教」関連で書いていることを挙げてく。


 (1)大田俊寛の指摘(筆者のブログ記事からの抜粋と、東洋経済誌記事の抜粋)
大田の「宗教学的人間観」が、第1章 近代における「宗教」の位置、1 そもそも「宗教」とは何か、で紹介されている。

 人間は、生まれ、育ち、老い、最後には死を迎える。死によって肉体は潰え、すべては無に帰るかのように見える。しかし、実はそうではない。死んだ人間が生きているあいだに作り上げた財産や、彼が伝達してきた知識は、残された者たちのなかでなおも生き続けるからである。この意味において人間の生は、その死後もなお存続すると言わなければならない。
 このように一人の人間の一生は、その誕生で始まり、肉体的な死を持って終わるわけではない。その人生は実は、生まれる前からすでに始まっており、死後もなお継続される。人間は、他者との「つながり」の中で生きてゆく存在なのである。(強調は著者、28ページ)

オカルト思想が栄え続けるワケ

――では、最後の質問です。霊性進化論というオカルト思想は、なぜ社会に蔓延し続けるのでしょうか?
大きな原因として、現代社会における霊魂観の貧困化、より具体的には、霊魂観の個人主義化、さらにはオカルト化、といった問題があると思います。
古今東西の諸文化の中で、「霊魂」に相当する概念を持たなかったものは存在しないと言っていいでしょうし、また近代以前の社会では、さまざまなバリエーションがあったにせよ、宗教と社会、宗教と政治が、なんらかの形で密接に関連していました。人間が死んだらどうなるのか、死者をどのように弔い、彼らの遺産をどのように継承していくのかといった事柄に関して、社会的な合意やルールが存在していたわけです。

――つまり、「死」がよりパブリックなものであったと。
はい。というより、むしろそれは、公共性の中心を占める事柄でした。ところがヨーロッパにおいて、宗教改革後の16~17世紀に宗教戦争が頻発し、それまで信仰によって一体化を保っていた社会が、むしろ信仰をめぐって争いを起こすという事態が引き起こされてしまった。そうした中で、どのような形の信仰が正しいのかを公的には決定しないという合意が成立し、それが近代における「政教分離」原則のバックボーンになっています。以降、霊魂観や信仰をめぐる問題が、公の場で議論されることは少なくなりました。
ただ、忘れてならないのは、現在のように「死後の世界」や「弔いの作法」に関する社会的な共通了解が存在しない状況というのは、長い人類の歴史においても、きわめて特異的な事態であるということです。政教分離をはじめ、近代の諸原則は、確かに一定以上の必然性や必要性から生みだされたものであり、それらを軽視することはできません。しかし、そこになんの問題も存在しないかといえば、そうではない。個々の人間の死に対して社会がどう向き合うのかということは、今も決して避けて通ることができない問題です。

――その空白を突いているのが、オカルト思想ということでしょうか?
そうですね。こうした状況に対して、本来であればまず、宗教の歴史や構造についての体系的な認識方法を提示し、問題の所在を明らかにする必要があるのですが、残念ながら現在の宗教学は、その任を十分には担えていません。その結果、一部の人間が考え出した恣意的な霊魂観が大手を振ってまかり通るという状況を許してしまったのです。霊性進化論は、そうした霊魂観のひとつであると言えます。そこでは、霊魂の存在が、社会や共同体という具体的基盤を喪失して個人主義化するとともに、「宇宙」や「霊界」という抽象的存在と直結するものととらえられるようになった。たとえば「宇宙における私の魂の霊的ステージ」などといった考え方ですね。こうして現代の霊魂観は、誇大妄想的でオカルト的な性質を帯びるようになったのです。
このような霊魂観を克服するためには、「魂とは何か」という問題をあらためて公に論じ合い、社会的合意を形成しなければならないでしょう。しかしそれは、いつ、どのような仕方で可能なのか。率直に申し上げて、現状では、私にも見通しがあるわけではありません。ただ、その前段階として、先ほど述べたように、現在の社会が抱えている困難や弱点の構造を、可能なかぎり明確化しておく必要があるのだろうと考えています。

 (2)オウム真理教に入門した「宗形真紀子」の宗教環境

宗形の育った宗教教育環境の欠如、「霊性的空白」がオウムに追いやったのではないか、と書いた。


(まだ続くと思う)

2015年12月26日土曜日

オウム真理教関連記事の引越し

3年くらい前から「オウム真理教」に関連していろいろ記事を書いてきました。

4回目くらいからは「オウム真理教ノート」として連載しました。

数えてみたら「ノート」は10回、その他も合わせると14本くらいの記事を書きました。

こちらの『大和郷にある教会』ブログでは殆ど紹介することもしませんでしたが、少し前から

宗教と社会 小ロキアム@巣鴨

にそのテーマに合わせた記事をポツポツ書いています。

今年後半になって少しペースが上がってきています。

少しずつ「宗教と社会」という広いテーマの中で、もう少し絞れたトピックが登場し始めました。

その最も大きなものは「イスラーム」に関連してくるものです。

さらに「終末思想」と組み合わさったイスラーム過激派の問題に関心が向かい始めています。

「終末思想」と「過激派」が合わさった、という点で「イスラーム国」とオウム真理教の相似性が見えてきたかな、と思い今回「オウム真理教関連記事」を、こちらのサイトに整理まとめました。

よろしければ、オウム真理教について


やその他の記事もお読みください。


 

2015年8月27日木曜日

今日のツイート 2015/8/27

なんともはや・・・

この「呪殺」とは何なのか・・・

オウム真理教ノート 2015/5/3」で鎌田東二『「呪い」を解く』を紹介したが、その本の中に「呪殺」の考察があった。

印象では《宗教的行為》として見過ごしてはならないものを含んでいる、というニュアンスだったと思う。

やはり「宗教とテロリズム」の範疇に入る事柄であろう・・・。

2015年8月8日土曜日

(3)オウム真理教ノート 2015/8/8

先日知人から原稿を頼まれた。その方が編集する同人誌だ。

しかもオウム真理教絡みで。

ご丁寧にオウム真理教についての新聞切り抜きも幾つかいただいた。

というわけで今夏は少し考えをまとめる時間が必要になるかもしれない。


前回のオウム真理教ノートは5月初めだった。

まだ3ヶ月しか経っていないが何か1年も前のように感じられる。

やはりこの間憲法と集団自衛権行使の問題がありそちらに注意を取られたからだろう。


少し時間は遡るが、ハッフィンポストにオウム真理教事件から20年、学ぶべきだった「普遍性」とは 森達也さんに聞くという記事が掲載された。

フェイスブックで友達の一人がその記事を「シェア」していたので次のようにコメントした。
□□さんも「オウム真理教」をウォッチしているのですか。
コメントしてもらうとどんな「ウォッチ」をしているか分かるんだけどな。
そして筆者としてはこの記事の要点として二つがあるのではないか、と以下のようにコメントした。
森達也が指摘する2大ポイント:
①宗教組織としてオウム真理教がサリン事件を起こした内在的メカニズム
②サリン事件が引き起こした「日本社会の集団化」の内在的メカニズム
二つの点ともそれほど議論も解明も進んでいないではないか、と言う問いかけに対して、マイノリティー宗教集団ニッポンキリスト教はどう答えるのでしょうかね・・・。
どうでしょう。
□□さんの反応は以下のようなものであった。
私はオウムについてはほとんど知らないのですが、前に奉仕した教会の目の前に□□□□の青年信者のホーム(秘密の共同住居)があり、また八王子駅前での正体を隠した違法伝道が酷かったので、□□□□と闘うことになってしまいました。その関係で異端やカルト問題には少し気を配っている程度です。
ところで小嶋先生は、ニッポンキリスト教、と書かれていますが、この言葉には何か考えが含まれているのでしょうか?日本のキリスト教界、とか日本のキリスト教会、ではなく、ニッポンキリスト教。
続けて引用すると、筆者の応答は以下のようであった。
「ニッポン」は意味ありげに聞こえますね。
確かに幾分意味は込めました。

まだブログ等に書く段階ではないですが、一つは山本七平が使った「日本教」との関連で。

もう一つは山本/丸山真男/そして最近関連付けて書いている池田信夫・・・が問題にしている「空気の思想」辺りですね。

「空気の思想」辺のことは、森達也が指摘している「集団化」と重なる現象でしょう。

オウムのように「トンガッタ」ことをやる宗教団体に対する異質観が本来マイノリティー宗教が持つ社会的役割なわけだけど、「マジョリティー志向のキリスト教」の問題が「ニッポンキリスト教」に繋がると思いますね。

その程度のイミシン状態にしておきます。ご容赦。

とまあ、森達也が「オウム真理教未解決」として提起した「二つの問題」に対する糸口みたいなものを暗示しただけに終わった。

「二つの問題」のうち「①宗教組織としてオウム真理教がサリン事件を起こした内在的メカニズム」はこれまでオウム真理教ノートが追っかけてきたことだ。

しかし「②サリン事件が引き起こした『日本社会の集団化』の内在的メカニズム」に関しては、まだそれほど考え来ていない。

森は同記事で次のような警鐘を鳴らしている。
事件後、各地でオウム信者の転入拒否がありました。あのときこの国の戦後デモクラシーが試されたような気がします。オウム信者の住民票不受理は明らかに憲法違反。行政も当然それはわかっている。でも住民たちは不安を訴える。「受理しないでくれ」と多数派が言ってきたときにどうすればいいか。結局は多数に流されるわけだけど、言い換えればその程度のデモクラシーしか僕たちは獲得できていなかった。そういう意味ではまぎれもなく、オウムは戦後初めて登場した「公共敵」ですね。心ゆくまで思う存分戦える敵。その存在を前にデモクラシーが膝をついた。オウムだからとの理由で。でも例外は絶対に前提になるんです。
オウム真理教自体も問題だが、そのオウムを「公共敵」として排除するに当たり「憲法違反」も許容されるような「空気が支配する日本社会」はさらに問題だ、ということであろう。

いずれにしてもこの辺のことをこの夏の宿題にして、依頼された原稿に繋げていこうと思う。

2015年5月3日日曜日

(3)オウム真理教ノート 2015/5/3

前回、オウム真理教ノート 2015/3/3からちょうど二ヶ月となる。

『地下鉄サリン事件から20年』も過ぎた。

前回の記事で出さなかったが、この間テレビとかネット雑誌のようなものとか、とにかくオウム真理教関係はよく目にするので、なるべく視る/読むようにしている。


先ずは、伊東乾の『サイレント・ネイビー:地下鉄に乗った同級生』

 さすがに内容の殆どは忘れてしまったが、貴重なポイントとしてオウムと第二次大戦との並行・関連が幾つか挙げられていた。

 例えば、オウムはイニシエーションにドラッグを使用していたと言うことだが、第二次大戦の特攻戦士に(死の恐怖を緩和するための)ドラッグが用いられていた、というようなこと。

 マインド・コントロールや総動員態勢、のような点も「オウムと第二次大戦」の並行として挙げられていたと思う。

 その他、クンダリニーに関してだったか、
オウム(麻原)は「身体性」と「霊性」の繋がりを巧みに用いてマインド・コントロールしたが、ちょっとでも「神経系統」から来る「身体性現象」への科学的知見や検証姿勢があれば、そうやすやすとは引っかからなかったのではないか
の様なことを書いていて、以前書いたが、加藤周一のオウム真理教への視点として《科学/理性》対《宗教体験》、と対置していたことを思い出した。

 ※ところで、この本を著作する動機として、サリン実行犯の一人豊田亨が伊東の友人であったことは覚えておかなければならない。そして、タイトルが暗示する「事件に関する黙秘」が卑怯なものではなく、豊田自身の鋭い自覚から来る責任の取り方ではあっても、真相が明らかにされないことで、結局は歴史の間違いが繰り返されてしまうのならば、残念なことである、と指摘していた。 


 次は、宗形真紀子『二十歳からの20年間:“オウムの青春”の魔境を越えて』

 元オウム信者の手記、という事で既に書いた《高橋》や《野田》の本と共通する。

 宗形の回顧で一番面白く読んだのは、オウム真理教に引き込まれる宗教性として挙げていた「霊的感覚」と、それに対する答えを提供してくれない「青年時までの生育環境」とのギャップについて。

 宗教に関する教育環境は個人差が激しい、とは言えるが、やはり日本における「宗教教育環境の不足」は戦後の反動という面があるのではないだろうか。

 自民党政権下、「道徳教育」や「愛国心」的教育の導入を推進しようとするが、なかなか難しい。オウム真理教の問題は、そのような「霊性的空白」を衝くカルト問題とも関わっているであろう。

 もう一つ宗形の手記の面白いところは、教団内での修行による階層上昇と自己肯定(感)との関わりを、割合丹念に叙述していることだろうか。

 それによって「マインド・コントロールの被害者」として自己把握するだけでなく、宗教による自己肯定という能動的な側面にも光を当てている。


以上は「2015/3/3」以前に読んでいた本。

これ以降は「3.20」近辺のこともあり、テレビ番組の特集などを視た。

 『オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画』(テレビ朝日、ここ

 多少期待感を持って見たのだが、残念な内容。

 一応頑張って追跡し続けていますよ、とアッピールしたいのだろうが、それはどちらかと言うと「清田記者」個人、という感じが強い。

 synodos】高橋克也被告裁判・証言草稿──地下鉄サリン事件20年に際して/大田俊寛

 「オウム真理教ノート」には度々登場いただく、今やオウムに関する宗教学者としては代表的コメンテーターの大田先生の文章だ。

 一貫して「思想史」的アプローチからのまとめ、と宗教学者としての反省、という二本柱になっている。

 オウムの全体像を概観するには一番入りやすいし説得力がある。

 しかし、サリン事件は「なぜ」、そして「どのように」起こったのか、という問いに答えるには何か迫力に欠ける観は否めないだろう。

 鎌田東二『「呪い」を解く』は思いの外面白かった。

 その一端は鎌田氏自身の宗教実践者としての洞察によっていると思う。

 普通「客観性」とは「宗教的体験」と言う主観の外側にいることによって確保されると思われるわけだが、しかしそれは「門外漢」という面も負わされることになる。

 「宗教的実践」経験のない観察者に対して、それを持つ観察者は自己の経験からある程度類推する視点を持っている、ということは鎌田氏に関して言うと有利と思われる。

 さらに「呪い」の考察や、鈴木大拙の「日本の霊性」との比較、など筆者が今までお目にかからなかった論考を盛り込んでいて色々参考になることが多かった。



・・・と、今回はここまでといたしましょう。

  

2015年3月3日火曜日

(4)オウム真理教ノート 2015/3/3

まもなくオウム真理教幹部たちが起こした「地下鉄サリン事件」から20年を迎える。

3月20日のNHKスペシャルでは、「未解決事件File.04 オウム真理教終わりなき闇(仮)」と題する番組を放送するとのこと。
2012年放送の未解決事件File.02では、オウム真理教の暴走の原点に迫り、大きな反響を得た。今回は、オウムの「終着点」となった地下鉄サリン事件にいたる過程を徹底検証。堅く口を閉ざしてきた元捜査員や、死刑囚たちの新たな証言から、これまで知られていなかった事件の舞台裏が次々と明らかになっ てきた。事件に至るまでの警察とオウムの水面下の攻防、独自に入手した被害の全貌を示すデータや、サリン拡散のシミュレーションなどをもとに、20年前の 「3・20」を立体的に再現しながら、未曾有の事件が今に突き付ける課題を見つめていく。
と言う触れ込みである。

しかし森達也も度々指摘するように、一体「動機の解明」なくして、その「暴走の原点」はどうやって定めるのか。
地下鉄サリン事件、一通の手紙が裁判を覆すかもしれない
地下鉄サリン事件がテロだった誰が断言できるのか?


今回これが「オウム真理教ノート」として投稿する10本目の記事になると思うが、書き始めはこの「2012年放送の未解決事件File.02」だったかと思うので、丸3年が経とうとしていることになるのだろうか。

前回オウム真理教ノート 2014/4/13では、教団中枢ではないがオウム真理教に関する情報を手記の形で表した、《野田成人》と《高橋勝利》の教団への「距離の取れ方」、つまり教団内にいた時どの程度「客観的な観察と批判」が出来たのだろうか、と言うことを二人のオウム入信前の「精神世界の形成や構成」からヒントを得ようとしてみた。

借りた本の返却期限、と言う事情もあり、最後の部分が十分書けないまま終わってしまった。

少なくとも《高橋勝利》の方がより具体的にオウムの内情を在団中も批判できていたのは、高橋が少年期に「世界観」レベルでの「根底的揺らぎ」を体験していたからではないか、と言う見方を提供しようとしたのだった。

その点で《野田成人》の精神世界が宗教と言うか世界観レベルでの体験が少なく幼稚だったため、オウムの教理への疑問や、「グルイズム」による縛りからなかなか取れなかった理由ではないか、と言うことを比較しようとしてみたかったのだが・・・。


さて、以下の文章は「不足した文」を補おうとして書いたもので、日付としては「2014/4/15」ということになる。

既に少し分析視点として書いたこともある「『リアリティー』はどのように構成されているか」、についての一社会学的視点ついてだ。

*  *  *  *  *  *  *

《社会学的リフレクション》
 アルフレッド・シュッツという「現象学的社会学」を理論的に構築した人がいる。

 読者の中にはルター派の宗教社会学者ピーター・バーガーをご存知の方もいるかもしれないが、彼の「現実の社会的構成(旧タイトルは日常世界の構成)」の理論的な部分は殆どシュッツに拠っているところが大きいと思う。
彼の理論で重要なものは、『リアリティー』を複眼的に分類・構想し、『日常世界』というプライマリーな「現実」をアンカーとする一方(シュッツはこれを「パラマウント・リアリティー」と表現している)、「科学」のような他の諸「現実」を二次的なものとして関連付けたことである。(かなり昔に読んだのでシュッツ理論の大雑把な印象的要約に過ぎないのだが・・・。)

一応この「日常世界」、と言う基底的な「現実」認識を念頭に以下を読んでいただきたい。

 野田はサリン事件の後、幹部が抜けたオウム教団の責任ある立場に立たされる。

 しかし実際の教団指導は拘置された麻原や麻原の家族から来た指示をその通りやるだけであったようだ。
 「グルイズム」は依然強力で、とても事件の重大性を自覚し反省するような環境には至っていなかった。

 最終的に野田がグルイズムを振り切り、教団を脱会する一番のきっかけとなったのは、「ハルマゲドン予言(1999年)」が外れたことによる幻滅であった。(それまでは終末の実現→革命のシナリオを否定することは出来なかった。そのことに意識が吸い付けられていた。)

 それに対し高橋は入信後一旦脱会し、また入会する、と言うジグザクをやっている。
 またオウム教団を客観的に観察したり、批判したりするだけの「自己」を保持していた。

 『キリストのイニシエーション』についての部分で高橋はこう述懐している。
三時間続いたこの儀式は、このように噴飯もののきわめて幼稚なものだった。それにしても、この「幼稚さ」はオウムの大きな特徴の一つであると思う。発想もその実行の仕方も管理の仕方も、すべてがあまりにも子供っぽい。だが、子供とは残酷で凶暴な一面ももっている。オウムの怖さは子供の犯罪の怖さに似ている。
高橋はどこまで客観的に、批判的にオウム真理教の行状を観察できていたか、と言うと(このような回想録の性格からしてなかなか難しいところではあるが)、少なくとも「おかしい」と気が付くことは十分出来ていたことは伝わってくる。

彼がある程度“普通に”オウムのおかしさを、それとして認識し批判できていたのは、少年期における『世界観の揺れ』を体験していたからではないか。

高橋はそれを基に「普通の世界」とそれとは「異なる世界」があり得るかもしれないことを感じ取っていたからではないか。

高橋がオウムにいながら、そして疑問を感じながらもワークを継続し、しかし簡単には取り込まれないだけの、オウムの宗教性を判定するだけの精神があったのは、彼にはオウムのような宗教性を比較する《原体験》が幼少期にあったことが大きいのではないか。

(ここから現在に戻る)
つまり高橋には「日常世界のリアリティー」と「宗教と言う、少し日常とは異なる面を持つリアリティー」とを区別し、観察する『目』が育っていたのではないか、とヨタヨタ考えている次第である。

2014年4月13日日曜日

(5)オウム真理教ノート 2014/4/13

先日書いたものの続きになります。

《高橋のケース》
 前回取上げた「野田成人の入信パターン」がどちらかと言うと平凡なタイプであるのに対し、高橋のケースはそれなりに独特なものがあると思う。

 高橋の高橋英利『オウムからの帰還』によると、高橋は1967年東京立川市に生まれ、公団住宅で育った。

 まだ小学校にあがる前、彼は「自分が住む世界」の拡がりを確認すべくある冒険を試みる。

 それは彼の住む団地内に建てられた「同じように建てられた公団の建物」についているナンバーを「1~24、25、」と一つずつ確かめて行く、というものだった。

 19棟まで確認が進んだ時、そこで建物の棟数表示は順番通りではなくなった。ナンバー19棟の後がスポっと抜けてしまっていることを発見した。

 ここで高橋少年は意を決して同じ団地を出て、その外に「第20棟」を探しに行く冒険を試みた。

 自転車で数キロも走ったらしいが、そこに「忽然と自分の団地と同じ建物があらわれた」。

 最初は「これで続きの建物が探せる」と思った高橋少年だったが、目にするのは既に数え終った「7」「8」・・・だ。

 どうして同じ番号の建物があらわれるのか・・・。
 自分はもうかなりの距離を来た筈だ。
 じゃあれだけ走って結局自分の住む団地に逆戻りしたのか・・・。

 辺りは暗くなりかけていた。
 高橋少年はパニックに襲われていた。
 少し観察すると幾つか自分の団地とは異なるところがあった。

 しかし高橋少年は既にかなり心細くなっていたので、「この団地は自分の団地だ」、と信じたくて仕方がなくなっていた。

 そうして自分の団地の番号と同じ階の同じ番号の部屋まできた。
 ドアを開ければそこには見慣れたお母さんの顔が待っているはずだ。
 ドアをノックして出てきたのは・・・(残念ながら、やはり)違う人だった。

 と言うエピソードを紹介している。

 この《原体験(と、筆者が呼ぶ)》とオウムでの体験とを照合して分析しているわけではないが、自分のオウム体験を検証する為に書かれた手記の冒頭に掲げられたこの体験は、高橋にとってかなり大きな意味を持つものであったに違いない。

 この辺が野田とは大きく異なる点だと思う。

 どう言うことかと言うと、(宗教社会学をかじった者のざっくりした感想で恐縮だが)、野田の場合オウム入信のきっかけとなった「大学入学後の挫折体験」まで、自己の世界観をかなり根底から揺さぶられるような体験がなかったように見えることだ。

 彼は人並みに「良い学校、良い成績」路線を破綻なくなぞっていたのだろう、と想像する。

 それが東大に入って「『ガロア理論』を自分よりはるかに若い年齢で打ちたてた頭のいいやつがいる」ことを発見して打ちのめされ「自分の限界」を思い知らされる。

 しかしここまでは、従来の価値観に従って、「世間」での(相対的優劣で判定する)「自分の立ち位置」を確認しただけでしかない。

 ただこれをきっかけに「何か別の価値観、意味」を探す方向にさ迷い始める。
 「人生の揺らぎ」の局面に入り込んで、自分を支える何かを「精神的な世界」方面で物色し始めたわけだ。

(※最早一記事としては長くなってしまった。野田、高橋の本は今日中に図書館に返却しなければならない。残念ながら一旦ここで文章を止め、結論めいたことは次回に延期することと相成ります。失礼!


2014年4月6日日曜日

(3)オウム真理教ノート 2014/4/6

オウム真理教について書き始めたのは、一つのテレビドキュメンタリー番組と、一人の宗教学者が提出したオウム真理教の「近代」思想史的位置づけに関する本の出版に拠るところが大きい。

それを書いた記事、オウム真理教への一視点、は2012年6月初旬だからそろそろ2年になろうとしている。
その後「オウム真理教ノート」として、特に2012年7月、8月、何本か書いた。

どちらにしても「オウム真理教」の《ラベル》で見ると、これまで9本の記事を書いたことになる。

一応それら9本の記事に目を通してみたのだが、オウム真理教がテロ事件を起こす内的意味連関、あるいは構図を一定程度説得力を持って提示できているのは小説家、しかも『物語り』を意識的に掘り下げて掬い取ってきて小説化する手法を取る、村上春樹ではないかと思う。


しかし筆者が「オウム真理教」について総括するのは時期尚早だと思っている。

と言うのも、オウム真理教ノート 2012/7/30で事件に関わった中心人物の一人、林郁夫の手記が示唆するように、やはり外側からの観察や、インタヴューだけでは十分分からない、当事者の動機や、複雑な意識が、それぞれにあるからだ。

「それぞれに」と言うのは、事件後サリン事件に直接には関わらず、そのため逮捕されず教団に暫く残った者たちが手記を出版しているのだが、それを読むと「オウム真理教」への関わり方がやはり「それぞれ」と思えるからだ。

今読んでいるのは次の二人の手記だ。

野田成人(なるひと)『革命か戦争か』


高橋英利『オウムからの帰還』


一回では済まないと思うが、先ず二人がどのようにして教団に引き寄せられたか見てみよう。

《野田のケース》
 野田は所謂ガリ勉で東大に入ったが、自分の能力に限界を覚え、「挫折し」「自殺を意識する」ことで「精神世界」に関心を持つようになったと言う。
 そうして書店の精神世界コーナーを物色しているうちに、麻原の『超能力秘密の開発法』という本に出会います。そこに記されていた『輪廻からの解脱』と言う概念は、ある意味衝撃的でした。それは自分が今生きていることの意味合いを、正面から問い直すものでもありました。そこですぐに私は麻原のヨーガ道場に連絡を取り、入信したのです。 (20ページ)
そしてあるセミナーで初めて麻原から直に話を聞くことになる。
 「ハルマゲドンと言うのは必ず起きるよ。99年に始まり、01年から03年の間にが使われる。そうなったらどうする?君たちは修行しているから、解脱して、ピカッと光った瞬間にクリアライトに入ればそれでいいよ。でも、修行していない君たちの家族や友達はどうなるんだ苦しむよね。それでいいのか君たちは。このことはインドの聖者たちはみんな知っているよ。でも彼らは諦めている。私は諦めないよ。ハルマゲドンを何とかして、食い止めようと考えているから君たちにも協力して欲しいね。」
 この説法には私は深く感動を覚えました。というよりもこれまでの自分といったら、己のことしか考えずに生きてきた。そのことが非常にエゴイスティックで、恥ずかしく感じられもしたのです。何か自分の生きている意味合いと言うか、託された使命というものに気付かされる大きな衝撃でありました。(21ページ)
キリスト者二世代目(父方)/三世代目(母方)として育った筆者にとって、このような野田氏の宗教的『ウブさ』『無垢さ』はある意味分からないでもない。(そのことを書けば長くなるので省略するが。)

 と同時に未成熟ではあっても、既に青少年期から宗教団体の影のような出来事(筆者の属する団体はある事件がきっかけで旧教団を離脱した)を通った者として、野田氏が余りにも『無防備』であった、と言う印象は拭えない。

 いくら高邁な理想を持って行動していても、そこにはさまざまな影がある。そのような「リアル」を多少なりとも経験した者には、「宗教がかったこと」だけ言われても、それを裏打ちするものがなければ、簡単には鵜呑みにしない。

 話は飛ぶが、ハルマゲドンに関連して言えば、根本主義的なキリスト者は教派の違いは様々だろうが、『空中携挙(ラプチャー)』を何らかの形で意識している。筆者が一年間過ごした米国バイブル・ベルトにある聖書学校の生徒たちは、『空中携挙(ラプチャー)』をジョークにすることも出来た。

 つまりハルマゲドンや『空中携挙(ラプチャー)』のような「聖書的終末の事柄」がどの程度にリアルかと言う問題に対しては、彼らなりに「一定の距離」を持てていたと思う。

 筆者はと言うと『空中携挙(ラプチャー)』のようなシナリオにはとてもお付き合いできない、と言うことで「終末」を封印していた。(文字通りには受け止めることは出来ない。しかしどう解釈していいか見当も付かない。だから触れないで置く。と言うスタンスだった。)

 しかし野田氏が書いているように麻原が語ったとすると、彼はキリスト教終末論、何だかよく分からないオカルト思想のようなもの、要するに極めて雑多な要素をいい加減な塩梅で接合した、常識的には「よく分からないシナリオ」を丸呑みし、極めて幼稚な麻原の予言を殆んど無批判的に受け入れた、ということになるだろう。なぜか。

 筆者の考えでは、要素は二つある。

 一つは「核戦争のリアリティー」は空想ではないと言うこと。(北米でなぜ「レフト・ビハインド」シリーズがシリーズトータルで6,500万部以上も売れたか、と言うことの背景も終末的なシナリオが、核戦争のようなリアリティーによって支えられていたから、と言う事があると思う。潜在的な恐れはリアルの世界で可能性があった。)

 もう一つは「自分の利己性」に気付き、「恥ずかしく」思った、と言うところにあるだろう。キリスト教用語では「罪」の意識の素朴なカタチと言える。

 このような初体験は現代青年が住む「宗教が人工的に殺菌除去された環境」では、殆んど「啓示的なもの」として体験されるのではないかと思う。

 もちろん「聖」と「俗」はそれほどはっきりと「サブカルチャー」と「メインカルチャー」とで棲み分けられているわけではない。
 ただ現代の世俗社会ではダイナミックな「宗教」は多分に隠される傾向、「私的空間に限定」される傾向にあり、「公共圏」から除外されることによって「一般的な話題」として共有されないために、自己が得た「宗教体験」の信憑性や正当性をチェックする機会に乏しい。

 「前田敦子は○○○○を超えた」の著者の宗教体験も、筆者から見ると「宗教が人工的に殺菌除去された環境」で育ったゆえの麻疹のようなものであり、要するに免疫がなかったのであろう。
 前田敦子の利他性が、殆んど「啓示的なもの」として体験されたのも、そのような背景の故ではないか、と思っている。

 では長くなったので、残りは次回に。


2014年2月27日木曜日

(4)ナラティブの闘い

先日図書館で借りてきた
「夢を見るために 毎朝僕は 目覚めるのです」
村上春樹インタヴュー集 1997-2011
を読んでいる。

半ばを少し越えたところで、引用したい箇所が見つかった。
 その文章の中で僕が言いたかったのは、地下鉄サリン事件とは、彼らのナラティブと、我々のナラティブの闘いであったのだということです。彼らのナラティブはカルト・ナラティブです。それは強固に設立されたナラティブであり、局地的には強い説得性を持っています。それゆえに多くの知的な若者たちがそのカルトに引き寄せられました。彼らは美しい精神の王国の存在を信じました。そして彼らは我々の暮らす、矛盾に満ちて便宜的な社会を攻撃しました。彼らの目からすれば、それは堕落したシステムであり、破壊すべきものだった。だから彼らは地下鉄を攻撃しました。騒擾(そうじょう)を引き起こすために。彼らは自分たちに与えられたそのナラティブを強く信じていたからです。彼らは自分たちのそのようなナラティブが絶対的に正しく、他のナラティブは間違っており、堕落しており、破壊されるべきものだと思い込まされていました。
 たしかに我々自身、この便宜的で堕落した社会に暮らしている我々自身、ここにあるナラティブは間違っているのではないかと考えることもあります。でも我々には他に選びようもないのです。デモクラシーやら、結婚制度やらにうんざりすることがあったとしても、なんとも仕方ありません。それでなんとかやっていくしかない。もちろんそれらはぜんぜん完璧ではなく、多くの矛盾に満ちているけれど、それらはとにかく歳月をかけて、それなりのテストを受けてきたものです。それが我々の手にしているナラティブです。
 僕は多くの人にインタヴューをすることによって、それらの「普通のナラティブ」を地道に採集していたのだと思います。現実にそこにある、リアルなナラティブを。それらは決して見栄えの良いナラティブではありません。しかし本物のナラティブです。そして僕はそれを『アンダーグラウンド』という本の中にまとめました。そしてその本が刊行されたあとで、教団信者の人々にインタヴューを試みました。彼らは能弁で、進んでいろんなことを語ってくれました。頭もいいし、知的な人々です。いわゆる「一般の人」よりは興味深くもあります。でも彼らがどんなことを語ったのか、僕には今ではよく思い出せません。彼らの話には多くの場合奥行きのようなものがなく、皮相的だった。ちょっと強い風が吹いたら、みんなどこかに飛んでいってしまいそうに思えました。でもいわゆる「一般の人」が話してくれた物語は、きちんとあとに残るんです。そこには本物の重みがあり、本物の中身があります。その話は知的でないかもしれないし、聡明とは言えないかもしれない。ある時には退屈かもしれない。でもそれはちゃんとあとに残るんです。全部で六十人以上の人々にインタヴューをしたあとで、僕はそのことに気づきました。 彼らの話しはどれも、僕の心に、頭に、魂に残っています。僕がその経験から学んだことは、物語というのは、たとえ見栄えが悪く、スマートでなくても、もしそれが正直で強いものであれば、きちんとあとまで残るのだということでした。(362-363ページ)
『アンダーグラウンド』については既に読後感想を書いた。(リンク

村上春樹の本は半分位は読んだと思うが、今回このインタヴュー集を読んで、彼の小説の創作過程がどのようなものであるか少し知ることが出来た。

簡単に言うと彼の紡ぐ「物語」は知的に操作(構成)されたものではない、ということだ。

村上にとって小説を書くとは、何か一つの印象に残るような情景とか、本当に簡単な文章の切れ端をある期間ためて熟成させたあと、それが物語りとなって生成していくのを、ライターである村上が追体験して書きとめるような作業なのだという。

それはゲームを作りながら同時にプレーヤーとして楽しむような感じだという。

彼は「書く作業」はかなりきついという。
だから身体、心とも十分準備してかかる必要があるという。

まっ、そんなところが読んでいて面白かった。

話をオウム真理教に移そう。

村上は引用文冒頭で、地下鉄サリン事件を「ナラティブの戦い」とまとめている。

それは彼が事件被害者のインタヴューと、オウム信者のインタヴューとを終えて抱いた率直な感想なのだと思う。

興味深いのはオウム信者が紡ぐナラティブではなく、事件被害者家族の日常にナラティブに「本物」を見ていることだと思う。

村上自身は自分を「普通の人」とよく定義する。

そして自身が翻訳するレイモンド・カーヴァーなどブルーカラーの出自を持つ作家の紡ぐナラティブに親近感を抱いているようなのである。

牧師として「キリスト教を語る」時、しばしばキリスト教の専門用語を使うことになるのだが、単に上手く説明しただけでは説得力がない(と思われる)理由の一つは、「日常世界」と言う『主要なリアリティー』(アルフレッド・シュッツの現象学的社会学で提出された様々な「リアリティー」のアンカーとなるもの)にしっかりと切り結んだナラティブを提供できていない、と言う事があるのかもしれない。

しかしだからと言って「普通のナラティブ」にどれだけの力があるか、と問われたら村上のようにその体験を深く掘り下げてナラティブとして再構成し、その中で「喪失」を位置づけ、ある程度「意味の混乱や欠落」のようなものに対峙することになるのではないか。

(忘れてならないのは「ユーモア」が必要だ、と村上はしばしば言っていることだ。)

ちょっと蛇足だが、加藤周一は日本人の世界観・価値観を「この世主義」のような表現でまとめていたが、日常世界に対する超越を認めず、ひたすら日常を洗練し、特に美的に洗練することで「聖の意義」を獲得していた、みたいなことを言っていたような印象がある。(最近全然読んでいないのでかなりあぶなかしいが・・・。)



2012年11月14日水曜日

オウム真理教ノート 2012/11/14

オウム真理教に関しては三ヶ月振りくらいとなる。

読書の秋と言うことで最近また図書館に本を借りに行く機会が増えた。
村上春樹のものをまた読んでみようと思ってたまたま書架にあった「アンダーグラウンド」を借りてきた。

地下鉄サリン事件に遭遇した市井の人々の中から何とかインタヴューに応じてくれた人60人の「物語」である。
700ページ弱に及ぶインタヴューの一つ一つを読むのはそれほど苦痛ではなかった。

最後に村上自身が「地下鉄サリン事件」に対する、またこの本を企図した背景などをまとめた文章が載せられている。
さすがに文筆家、平易な文章でサリン事件の意義を掘り下げている。

村上がこのような本を企図した背景には、マスコミの事件の取り上げ方が一方的で、一面的なものであったことに対する違和感があったようだ。
オウム真理教は「悪」で、その被害に遭った市民、そして「私たち」は「善」と言う二分項的ないささかステレオタイプな処理の仕方に「これで果たして事件を終わらしていいのだろうか。風化させてしまうのではないだろうか。」と危機感を持ったみたいである。

オウム真理教ノート 2012/7/23で、森達也の『A』を取り上げたが、これも事件を別の視点から見てみようとするもので、その意味で村上の違和感と相通じる問題意識を背景としていると言えるだろう。

村上は巻末の「目じるしのない悪夢」--私たちはどこに向かおうとしているのだろう?で「自我の欠損」とそれを補おうとする「物語」の視点からオウム真理教と教祖麻原彰晃のことを書いている。
麻原彰晃という人物は、この決定的に損なわれた自我のバランスを、一つの限定された・・・システムとして確立することに成功したのだろうと思う。・・・彼はその個人的欠損を、努力の末にひとつの閉鎖回路の中に閉じ込めたのだ。(中略)
 オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我と言う貴重な個人資産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。(698-699ページ)
村上が見るところオウム真理教が投げかけている問題は「物語」と言うことだ。
 それがオウム真理教=「あちら側」の差し出す物語だ。馬鹿げている、とあなたは言うかもしれない。・・・
 しかしそれに対して「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
 これはかなり大きな命題だ。私は小説家であり、ごぞんじのように小説家とは「物語」を職業的に語る人種である。だからその命題は、私にとって大きいという以上のものである。(703-704ページ)
収録された60人の物語の中で特に重い後遺症を負った「明石志津子」さんと、亡くなった「和田栄二」氏夫人「和田嘉子」さんのインタヴューは村上にとってひときわ印象深いものだった。
その和田嘉子さんの記事の中にこういうくだりがある。故人の記憶をビデオで思い出そうとしている、と言うくだりだ。
 少しはビデオとかも残っています。スキー旅行の時とか、ハネムーンのときとかに撮ったやつですね。 そういうのは声も入っているから、もうちょっと大きくなったら[子どもに]見せてあげようと思っています。(中略)私も段々この人の顔の輪郭とか、思い出せなくなってくるんです。特徴があって、この人ね、眉のところのホネが角ばっていたんですよ。そういうのがね、最初の頃は手でこうやってなぞっているとね、はっきり思い出せたんです。それがだんだん思い出せなくなってきて・・・・・
 ごめんなさい。なんか・・・・・
 なんか・・・・・、肉体がないと・・・・・、肉親でも思い出が薄れていっちゃうんですね。肉体ないとね・・・・・。
喪失感が二重(肉体とその記憶)に迫ってくる部分だ。

記憶と言えば「私たち」と「地下鉄サリン事件」の関係はどうだろうか。
収録されたインタヴュイーの中にも事件のことを忘れ去ろうとしている人は少なからずいたようだ。
事件に遭遇せずマスメディアの記事として触れた大方の「私たち」はどうだろうか。

村上はサリン事件被害者に事件を物語らせることによって、それをよすがにして、忘れ去るのではなく記憶することを促しているようだ。
それは「私たち」現代日本を生きる者のアイデンティティーが漂流・喪失することに歯止めをかけ、事件を物語ることによって生ずる癒しを期待してのことなのだろう。

筆者はなぜ「オウム真理教ノート」を続けているのだろう。
別に自分の物語の中に取り組もうとしているわけでもないのだが・・・。

今のところまだこれと言った目的も動機もないが、まだ暫く続けていこうと思う。


2012年8月16日木曜日

オウム真理教ノート 2012/8/16

自分で勝手に夏休み中で、更新が滞っています。

暫く前に読了したのですが、アップする元気がなく今日になってしまいました。

オウム真理教への一視点で紹介した、大田(太田は間違い)俊寛の

オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義

豊島区の図書館にはなかったので板橋区の図書館から借りてようやく読むことができました。

目次で大体内容が掴めると思うので、自分のメモ用にも掲載しておきます。


第1章 近代における「宗教」の位置
1 そもそも「宗教」とは何か
2 キリスト教共同体の成立と崩壊
3 近代の主権国家と政教分離
第2章 ロマン主義ーー闇に潜む「本当のわたし」
1 ロマン主義とは何か
2 ロマン主義宗教論
3 宗教心理学
4 神智学
5 ニューエイジ思想
6 日本の精神世界論におけるヨーガと密教
第3章 全体主義ーー超人とユートピア
1 全体主義とは何か
2 カリスマについての諸理論
3 ナチズムの世界観
4 洗脳の楽園
第4章 原理主義ーー終末への恐怖と欲望
1 原理主義とは何か
2 アメリカのキリスト教原理主義
3 日本のキリスト教原理主義
4 ノストラダムスの終末論
第5章 オウム真理教の軌跡
1 教団の成立まで
2 初期のオウム教団
3 オウム真理教の成立と拡大
4 「ヴァジラヤーナ」の開始
5 国家との抗争
6 オウムとは何だったのか
おわりに
一読して労作だと思った。

オウムに対して「宗教学」としての反省や取り組が殆んどなされてこなかった・・・と言う宗教学者としての反省から構想された書だが、自分でも言っているようにオウムとは一見直接関係のない「近代の枠組み」とその諸思想をオウム教団分析の「射程」としている。 

それ故、「ロマン主義」「全体主義」「原理主義」の初歩的説明は丁寧になされている。

オウム教団が辿った軌跡には大田が指摘するように、「ロマン主義」「全体主義」「原理主義」の要素が多分に見て取れると思う。
それ故オウム真理教の実態を「原始仏教」の一現代版と捉えるより説得的なアプローチになったと思う。

大田の「宗教学的人間観」が、第1章 近代における「宗教」の位置、1 そもそも「宗教」とは何か、で紹介されている。
 人間は、生まれ、育ち、老い、最後には死を迎える。死によって肉体は潰え、すべては無に帰るかのように見える。しかし、実はそうではない。死んだ人間が生きているあいだに作り上げた財産や、彼が伝達してきた知識は、残された者たちのなかでなおも生き続けるからである。この意味において人間の生は、その死後もなお存続すると言わなければならない。
 このように一人の人間の一生は、その誕生で始まり、肉体的な死を持って終わるわけではない。その人生は実は、生まれる前からすでに始まっており、死後もなお継続される。人間は、他者との「つながり」の中で生きてゆく存在なのである。(強調は著者、28ページ)

つまりこのような視点から言うと、政教分離の近代の枠組みは「人の死を弔う」と言う重大な側面を持つ「宗教」共同体を根底的に揺さぶる人類史にとって例外的なものなのである。

大田のオウム真理教への取り組みは、「近代は宗教を、特に『死の問題』を共同体の公的時空間から、私的なところへ追いやった」、と言う近代の否定的な分析が座標軸となっている。

最後で大田は麻原の「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ」を引用しつつ以下のように締めくくる。
 本書で取り上げた、ロマン主義、全体主義、原理主義という思想的潮流は、そのすべてが、何とかして死を超えた「つながり」を取り戻したいという切実な願望に基づくものであると同時に、それにまつわる空虚な幻想であると捉えることができる。すなわち、ロマン主義は「本当の自分」という生死を越えた不死の自己を、全体主義は他者との区別を融解させるほどに「強固で緊密な共同体」を、原理主義は現世の滅亡の後に回復される「神との結びつき」を求めることによって生み出される幻想なのである。 (強調は著者、277ページ)
大田のこのような「近代における宗教」への視点は、オウムと言うカルト化したテロ集団に限らず、所謂「宗教」を営むグループにとってその存在原理を考えさせるきっかけともなるだろう。

2012年7月30日月曜日

オウム真理教ノート 2012/7/30

今回は、林郁夫の「オウムと私」(文芸春秋、1998年)


500ページ近い本だが、興味深く、読みやすかった。

一種の「懺悔録」のような手記のようになっていて、自分の生い立ちから始めて、オウムでの修行のことや、次第に教団の武装化の中で知らず知らずのうちに犯罪に手を貸していく過程や、その度毎の(後からの回顧で)自分の心理の分析、そしてサリン事件の実行とその後の逮捕、そして取調べでの全面供述までを綴っている。

恐らく全面的に供述した時点から、オウムでの自分がどうだったかを総合的に回顧する視点を得たのだと思う。その視点から、各過程での修行の内容の意義や麻原との関わり合いをより客観的に観察分析できるようになったのだろう。

本を読んでいてその辺の「自己の掘り下げ」がなかなか徹底的で、読む者を納得させる。思わず引き込まれてしまうような箇所が幾つもあった。

その中で二点挙げるとすれば、一つは「麻原の怖さ」に関して書いている箇所と、麻原の宗教家としての二重性(建前と本音)を分析している箇所であった。

先ず、麻原の怖さだが、『池田大作ポア事件』と言うところでこう書いている。

 とはいっても、当時の私は、この事件で麻原が単に「殺人を犯そうとした人物」であるとか、「ポア」が単なる「人殺し」である、などと思っていたわけではありませんでした。それまで培ってきた見方によって、麻原が宗教的な存在であるということには、一点の疑いもありませんでした。麻原の行為はすべて宗教的な意味合いがある、と考えてきたのです。
 しかし、同時に、もっと私自身の根本の意識のところで、麻原の行為を犯罪だとみなし、許されないことだと言うことも分かっていました。それは、麻原の「秘密を知った」と言う自覚と同義なのです。「理屈」としての教義を肯定しても、「人殺し」はあくまでも「人殺し」で、人殺しという行為と結びついている「本能的な恐怖」を打ち消すものではありません。
 本能的恐怖は、それが犯罪だと思う心と、許されることではないと思う心を生じさせるのだと思います。もし私が、麻原のように解脱して、対象のカルマを見通すことができて、「ポア」もしてやれると言うのならば、「ヴァジラヤーナ五仏の法則」とその「ポア」は、「理屈」ではなくなるのですが、私は解脱しているわけではないのです。あくまで、麻原の説く教義を「教え」として、また「理屈」として受け入れているのであり、本能的な恐怖を消すことができないのです。
 麻原が「殺す」ことを「実際に」決断し、実行に移すことのできる人物なのだ、と言う認識を持ったその瞬間から、その麻原と私が自覚している本能的恐怖が結びついて、最早それ以前の麻原に対する感情は戻りませんでした。 そして、自分も妻子もまた「殺される可能性」があると言う、「こわい」麻原に対する感情が、ワークや修行のあらゆる場面における行動パターンに影響を及ぼしていくことになったのだと思います。(176-7ページ)
麻原の宗教家としての二重性については、林は以下のように分析している。
 麻原の本音からすれば、救済とは武装化計画の実行であって、宗教は武装化計画の実行をカモフラージュするものにすぎなかったのだと思います。三万人の成就者を出して、戦いを回避するといっていた平成二年の初期の頃から、このような背景があったことがいまになって分かります。
 つまり、麻原のいう救済は、一人一人を修行(宗教心)によって変化させ、世の中に感化を及ぼし、そのことの連続した積み重ねによって平和を保ち、真理を広め、人類が戦いなどの愚行を犯さないように導くという、通常宗教と結びつけて考えられている救済ではないのです。麻原は言葉「救済」と言ってはいても、実はその裏で武装化を準備し、戦いを起こし、勝ち抜き、社会を転覆させて・・・という、まったく革命そのものの世の中の変革を考え、実行しようとしていたことがわかるのです。
 したがって、麻原の本音としては、救済とは一人一人に宗教性を喚起させて実現していくというものではなく、先ず社会の枠組みを破壊し、自分ひとりがよしとする枠組みに変えたうえで、その麻原の枠組みの中に一人一人を閉じ込め、それでよしとするということだったと考えられます。
 (中略)
 麻原の中では、宗教は自らの本音を達成するために便利なもの、人も金も集めることができ、本音のカモフラージュにも使える看板のようなものだったのだと思います。が、いっぽう弟子にとっては、修行と救済は本来連なって展開する一体不可分のものだったのです。麻原はそれを百も承知のうえで、利用していたと言うことを私は述べたいのです。 (302-3ページ)
新興宗教の無残なところは、林のように社会的経験も立場もある者が、純粋に宗教(仏教、解脱)を求める余り、グルに対して過度に依存的になり、「人間的判断」をモラトリウムさせ、グルの「俗物性」が見えた地点でも、グルの客観的人間性(誤りや罪を犯しうる存在である)認識を徹底することができず、宗教的絶対性の方に収斂されてしまうことのように思った。

林が上記のような分析に達するためには、残念ながら最後の一線を越えて、そして自分の行為を客観的に見直す物理的・精神的余裕を得るまでは出来なかった、と言うことは、「宗教集団の閉鎖性」の問題を提示するものであると思う。
オウムに限ったことではない。

この本に書かれている林の様々な気付きや反省、内省は宗教に関わる者にとって他人事ではない事柄を多く含んでいると思う。

2012年7月23日月曜日

オウム真理教ノート 2012/7/23

現在図書館から借りているオウム関連の書籍は2冊。

まず紹介しておくとシステマティックに「オウム真理教」を扱っているのが情報時代のオウム真理教
一応最初の2章と、あと関心ありそうな部分をつまみ食い的に読んだ。情報的には結構詰まっていそうなんだけど、読んでいくと物足りない感じがする。

この本のデパートメント的な内容はここで目次を見ると分かります。

もう一つは森達也のAと言うドキュメンタリー映画を製作した時の経過を綴った本でそのタイトルもやはり『A』。

これは面白かった。

地下鉄サリン事件後の段階で「オウム=殺人教団」のような既成概念で報道がなされていた時、そのような枠組みを取っ払って、「信者の日常」をドキュメントしようと思いついたのは森達也が最初だったと言う。

どのようにドキュメントするか、森がその対象のキーパーソンとしたのは、当時オウムの広報部副部長だった荒木浩。
森は彼こそが(上祐と比較して)教団と社会との接点を繋ぐ言語を模索するコミュニケーターと見立てたのだった。

森自身も自分の主観で「信者の日常」を切り取る視点をもがきながら試行錯誤するわけだが、その「繋ぎ役」としての焦燥や苦悩が荒木と重なるのだった。

対象との適度な距離感を模索しながら森はオウムの信者を追う。越えられない壁、伝えきれないオウム信者の日常を感じながらも、対象に迫ろうとするドキュメンタリー監督の懊悩が読んでて伝わってくる。

「オウムを理解する」と言うことは果たしてできるのだろうか。
信者が言うようにオウムの宗教体験を、修行を、すれば見えてくるものがあるのだろうか。

「了解可能性」と言う問題を頭の隅で考えながらとにかく被写体に迫る。
森の発見の一つは「情」を共有する人間同士と言うことがあった。
しかし撮る方と撮られる方の緊張関係を放棄するわけではない。

読んだ中で少しメモした箇所は、荒木のオウム入信のきっかけについて。
荒木の大学(京都)に講演に来た麻原が荒木の目に、「・・・どんな意地悪な質問にも尊師は逃げないんですよ。きちんと正面から答えていて、ああこの人は本物かもしれないと思ったんです」と映ったのだと言う。(96ページ)

また、「破防法弁明で麻原の陳述に立会人として参加した浅野教授の話では、最後に発言を求められた麻原が、公安調査庁受命職員に向かって、『破防法を適用しなさい。しかしオウム以外の団体には今後絶対適用しないで欲しい』と述べた」と言う下り。(104ページ)

それと(森が考えた)「しかし、残された信者、逮捕された信者が、今もオウムにこだわり続ける理由は解かなくてはならない。理由はきっとあるはずだ。・・・彼らが今もオウムに留まり続ける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなく、オウムの外、すなわち僕らの社会の中にある。」(113ページ)

と、こんなところか・・・。

森も感じているがオウムと(メディアを通して)それに対峙する(日本)社会は、「合わせ鏡」のようなものではないのか、と言うこと。
一方で宗教組織の中で思考停止して「自分の言葉」を失っている信者たち。
しかしもう一方でテロ事件に対して苛立って思考停止して同様の報道を繰り返すマス・メディア。
思考停止で共通する二者。

先日の加藤周一の分析ではないが、オウムは(第二次大戦)戦時中の皇国日本の戯画、にも通底するかもしれない。

「オウム真理教を巡る冒険」はまだまだだ。


2012年7月16日月曜日

オウム真理教ノート、2012/7/16

筆者の関心がオウム真理教にかかり始めたのは、「オウム真理教への一視点」でも書いたように、NHK番組『未解決事件2:オウム真理教』を見たことにある。
特に「サリンガス製造」の目標が「70億人を殺戮できる量、70トン」と紹介されていたことに衝撃を受けたことである。

オウムの教義が折衷主義で、荒唐無稽で、と言うことは大方の人がそう感じるだろう。
ただその教義内容がどんなものだったかと言うことを別にしても、サリンガス散布を実行し、実際に12人を殺害し、何千人もの重軽傷者を出したと言う事実は見過ごしに出来ない凶行であった。

事件から17年たまたま特別指名手配中の残り2名が逮捕され、また少しオウム真理教へ関心が集まっているようだ。
筆者も言ってみれば野次馬的回顧者の一人に過ぎないだろう。

でも17年前と違って今回は「弱小宗教教団」が「終末(ハルマゲドン)シナリオ」を現実化しようとした過程を何とか理解の射程に取り込みたい気持ちが強くなったのである。

17年前は事件に驚愕するだけで、殆んど究明したい気持ちは出てこなかったが、今更ながらだが「その気になった」わけである。

図書館から借りてきた、鷲巣力編「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)に、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)と言う二つの文章が収められている。

『オウム真理教遠聞』には次のような疑問が投げかけられている。
①オウム真理教の教義と大量殺人の行為との関係
②信者の中の科学技術者たちがなぜ「非合理的な指導者に帰依したのか」
③オウム教団は孤立した現象なのか、それとも世界に類例のあるものなのか

加藤は自らの「科学的合理性」の限界と「宗教的精神現象」が科学から独立した現象であるとの観点から疑問点を整理しているが、とりわけロバート・リフトンの『終末と救済の幻想ーオウム真理教とは何か』 (岩波書店、2000年)を参照しながら思索を進めている。

リフトンはオウム現象を「マンソン一家」(1969年)や「人民寺院」(1978年)や「天国の門」(1997年)に比較対照されうる、と見ている。
しかし加藤はオウム現象は「1930年代から1940年代にかけての日本の狂信的軍国主義の戯画化」として比較対照する。

加藤の関心は科学的な思考や合理的思考を投げ打って狂信的な妄説(神風による米国爆撃機墜落、グールーの空中浮揚)を受け入れる条件とはどんなものか、と言うことに向けられる。
①科学技術の目的を定めるのに「実証的接近法や論理的思考」が通用するとは限らない。
②科学によって実証的に得られる知識外のことには「非科学的命題を受け入れて、先へ進むほかない。」
③科学技術の専門化により専門外のことに対する「理解への努力の放棄」、「合理的思考と実証的態度の忘却」が習慣化する。「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」

『「オウム」と科学技術者』でも加藤の論考の矛先はオウムを戯画・縮図として見る国家レベルの非合理的行為遂行に取り込まれる科学技術者の問題である。
東アジア全域への国家神道の強制、ヨーロッパ全土からのユダヤ人の一掃、全知全能とされる独裁者の下での一国社会主義建設、そしていくら探しても見つからぬ大量破壊兵器の脅威を除くためのイラク征伐・・・・・・。
このような「集団の非合理性と科学技術の合理性」とは同関係するのか。
①集団の側は目的遂行のため科学技術者を必要とする。
②科学技術者の側は合理的思考の「専門化」と「個室化」。「研究の究極の目的は専門領域外にあるから、それがどれほどばかげたものであっても、それを合理的な立場から批判することがない。」

このような関係の上にオウム事件は成立した、と加藤は見る。
再発を防ぐためには、「合理性の個室と非合理な信念の個室との障壁をとり払えばよい。そのためには科学的個室で養われた合理的思考を、いつどこでも徹底的に貫くほかないだろう。」

これら加藤の論考は「国家による馬鹿げた蛮行に知らず知らずのうちに科学技術者が取り込まれる危険」に対する警鐘と対策ではある。

しかし、「オウム真理教」のようなカルト的宗教団体が発生してくる社会的土壌に対してはどうだろうか。
そこには加藤が指摘しているように、「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」という状況がある。

なかなか難しい時代である。




2012年7月10日火曜日

オウム真理教その③

一先ず記事のタイトルは「オウム真理教その③」とした。

目下少しずつオウム真理教関連のものを図書館から探して読んでいます。そんな読書の「覚書」程度のものを時々掲載していこうかなと思っています。
それで適当なタイトルはないかな・・・と今考えているのですが。

オウム真理教覚書
オウム真理教ノート
オウム真理教雑感

それで記入日時を入れてタイトルにすると、例えば今日だと「オウム真理教ノート、2012/7/10」みたいになるのだけどちょっと長ったらしいかなー。
短縮して「オウム、2012/7/10」でもいいか。

「オウム真理教その②」で中島岳志が紹介した、宮台真司「終わりなき日常を生きろ」 (1998年)は図書館にはなかった。
しょうがないので同著者の似たようなタイトルの本「世紀末の作法ー終ワリナキ日常ヲ生キル知恵」 (1997年)を借りてきた。

この本、雑誌や新聞などに書いた短い文章を寄せ集めたものなんですね。一応目を通しましたが、オウムについて直接書いてあるところは少なくて、ちょちょっと言及してあったりする。

中島の要約だと、
「宮台曰く、ハルマゲドンのような大きな変革など、もうやってこない。大切なのは永遠に輝きを失った世界の中で、パッとしない自己を抱えながら、腐らずに まったりと生きていくスキルである。輝かしい未来への幻想を捨て、終わりなき日常を戯れながら生きる知恵こそが必要とされる、と。」
とあるように、要するに《今の》リアリティーは「終わりなき日常」であるから、それにマッチした生き方を探さなければならない。
オウムのような「革命思想」や「終末思想」は今や時代錯誤、リアリティーとミスマッチ、みたいなことを主張していたようですね。

借りてきた本の中に『宗教が大きいのか、社会が大きいのか?』という一文がありました。

近代ヨーロッパで数々の宗教戦争を経過して樹立された『寛容の精神』や政教分離の「市民社会」の原理が一応日本にも明治近代化で導入されたが、もともと宗教が習合して「殺戮」を繰り広げなかった社会には「オウム事件」が起きるまで、「宗教が大きいのか、社会が大きいのか?」を深刻に問う背景がなかった、と宮台先生は仰る。

だから「オウム事件」から学ぶべきは「宗教が潜在的にもつ危険性について」の日本人のウブさを克服するための方法だ、と言うことだそうです。

と言うわけで宮台先生によれば、オウム真理教事件から私たち日本人がよくよく学ぶべきことは、「宗教」って潜在的にとんでもない暴力を発揮するような危険性を孕んでいるんだよ、と言うことのようです。


(※宮台先生の「終わりなき日常」も何か時代の空気を読むような社会学的分析で、筆者は余りピンと来ないな。キャッチコピーみたいで賞味期限のありそうな表現だ。)

2012年7月2日月曜日

オウム真理教その②

先日「オウム真理教への一視点」と題して一文書いた。


オウムについての著書を一冊紹介するのと、NHKによるドキュメンタリー構成された「オウム真理教問題」を振り返る番組を引き金にして書いた。

(※筆者の住む豊島区の図書館には紹介した本がないのでまだその本は読めていない。
その間に久保木牧師のブログでその本の読書感想が紹介されている。先を越されてしまった。)

事件から16-7年経って特別指名手配容疑者が次々逮捕され、一応の区切りが付いたところで事件を改めて振り返る動きが少し出ている。
筆者も改めて「オウム真理教」とは何だったのか、考え始めている。

そんな折、7/1朝日の朝刊の『ニュースの本棚』で中島岳志による「一から読むオウム」と題した書評文が出ていた。
「オウム」に対するこちらの感覚が少しずつ先鋭になりつつあるところだったので興味を持って読んだ。
オウムに関する本を幾つか紹介してくれたのは有難いのだが、内容的にもう一つぐっと掴むものがなかったような気がする。

取り上げられた本を順に紹介すると、

森達也「A3(エースリー)」 (2010年)
サリン事件の原因を麻原個人の特質に求める傾向に対し、森は麻原に従った「弟子たちの暴走に着目する」。「森は麻原を免罪しているのではない。麻原に罪を還元することで、オウムを他者化してしまうことを恐れるのだ。」

島田裕己「オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 (2001年)
「島田が言うように、オウム事件は日本社会に生きながら、社会の在り方に違和感を持つ人間の無意識の願望を象徴するものだった。しかし、それがなぜ殺人という暴力に行きついたのか。プロセスは理解できても、その構造は不明瞭だ。」

宮台真司「終わりなき日常を生きろ」 (1998年)
「宮台曰く、ハルマゲドンのような大きな変革など、もうやってこない。大切なのは永遠に輝きを失った世界の中で、パッとしない自己を抱えながら、腐らずにまったりと生きていくスキルである。輝かしい未来への幻想を捨て、終わりなき日常を戯れながら生きる知恵こそが必要とされる、と。」

この他にも簡単な紹介つきだけの本が三冊ほど紹介されているが省略する。

中島の感じではこれらの本はそれなりにオウム事件を解析する示唆を与えてくれるが、(中島にとって最も関心の高い、そして筆者の関心とも重なる)なぜ殺人にまで至ったかの構造的解明は与えられていないようだ。

オウムを生んだ(宮台が指摘した)社会的空気は依然としてある。オウム事件は更に追及されなければならない。「オウムは未決のまま、漂流している。、しかし、事件は風化し、忘却の淵に追いやられる。私たちは、もう一度、オウムと向き合う必要があるだろう。」、と中島は結んでいる。

かつてハンナ・アーレントは「アイヒマン裁判」から『悪の陳腐さ』と言う観察を報告した。
オウム事件はまだその「悪の正体」を見据えようとするところまで解明の射程は届いていないように感ずる。

疑問に思う側が納得できるような「サリン等による『大量殺戮』を意図し、実行した者たちの意思」を論理的、構造的に解明しきることは期待できるのかどうか分からない。
しかしどこまで出来るかは別にしてそれはなされなければならないだろう。

2012年6月6日水曜日

オウム真理教への一視点

オウム真理教が教団として起こした一連の事件でもやはり1995年3月の「地下鉄サリン事件」は一番社会に与えた衝撃が大きかったのではないかと思う。
しかしそんな事件でも15年も経ってしまうといつの間にかその意義を考えたり、オウム真理教というカルト的宗教テロ集団の問題性をその背景とともに改めて見直したりする機会がないまま来てしまったのではないかと思う。

最近太田俊寛と言う方が

オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義

という本を著して、どのようにしてオウム真理教のようなカルト集団が出現したのか、その思想史的背景を「近代」の視角から分析・総括しようと試みている。

筆者はまだ入手していないのだが機会があれば近くの図書館に(無ければ)購入でもしてもらって読みたいと思っている。

さてそんなことを思っていた時に、たまたまNHKでオウム真理教を扱ったドキュメンタリー・リポートの番組を見た。

未解決事件2:オウム真理教 

番組を全部見たわけではなく、特に注意して見たわけでもないので、その感想を書くにして内容的に少々心もとないのだが、しかし一点どうしても気になったことがある。改めてショックを受けたと言うか戦慄を覚えたことである。

それは麻原彰晃と言う常識的にはおよそまともな宗教の指導者となるような器ではない人間の下に「エリート」と呼ばれるような教育的背景を持った者達が集められ、誇大妄想、荒唐無稽な宗教的言語に操られて、「終末的シナリオを持つ」弱小集団にはとても分不相応に巨大な反社会的テロ活動を構想しそしてそれを実行に移した、と言うことである。

番組中に明かされた事件の内容で特にセンセーショナルに響いたのは、オウム真理教の化学兵器工場で実に70トンのサリンを製造しようとした、と言うことである。その量は世界の総人口を上回る70億人殺せる量だと言う。
麻原と言う如何にも「小物」な人物が着手するには、余りにもアンバランスな巨大化学殺戮兵器製造計画ではないか。
その余りのアンバランスさと、小規模だったとは言え、そのような構想の下に首都直下の地下鉄駅でサリンがまかれた事実とは、何かシュールな感覚を覚えた。

翻って自らの所属する「宗教集団」であるキリスト教を遡って見ると、まだユダヤ教との区別が外側からは判明していない時、「道」と呼ばれ、「ナゾレアン」とか「クリスチャン」とか呼ばれていた原始キリスト教の時代、つまりペテロやパウロら最初の使徒たちが活動していた時代、彼らは外部者からは、「皇帝の勅令に背いて、『イエスと言う別の王がいる』」と 「世界中を騒がせてきた連中」と見られていた、とルカは述べている(使徒言行録17章6節、新共同訳)。

オウム真理教は事実「反社会的テロ活動」を実践したわけであるが、キリスト教はそのような負のベクトルに多大なエネルギーを注いだわけではないが、強いて共通点を言えばオウム真理教と同じように社会的に見て「弱小宗教集団」であった、ということである。

日本ではよくキリスト教は日本人口1%に満たないマイノリティーと言うが、原始キリスト教集団はもっともっとマイノリティーだったが、その孕んでいた「宗教的エネルギー」は「世界をひっくり返すような」と形容されたほど濃縮したものであったのだ。

日本のキリスト教の問題は「数の少なさ」ではなかろう。反面教師としての意味だがオウム真理教が引き起こした問題から考えれば、社会的インパクトは数の問題ではなく、世界に何を引き起こそうとしているか、その目的の明瞭さとその目的遂行のために全エネルギーを注入できる一徹さではなかろうか。
その観点から見る限り「数を問題にしている日本のキリスト教」は殆んど社会から相手にされる存在ではない。そんなキリスト教が多少人数が増えたとしても到底社会にインパクトを与えることはないであろう。

社会を根底から変革し人々の「生死を意義付ける」ほどの深い宗教性を持った宗教が欠落している時代にオウム真理教のような宗教団体が出てくるのが現代と言う状況だとすると、キリスト教が課せられている課題は並大抵ではないであろう。