2015年8月8日土曜日

(3)オウム真理教ノート 2015/8/8

先日知人から原稿を頼まれた。その方が編集する同人誌だ。

しかもオウム真理教絡みで。

ご丁寧にオウム真理教についての新聞切り抜きも幾つかいただいた。

というわけで今夏は少し考えをまとめる時間が必要になるかもしれない。


前回のオウム真理教ノートは5月初めだった。

まだ3ヶ月しか経っていないが何か1年も前のように感じられる。

やはりこの間憲法と集団自衛権行使の問題がありそちらに注意を取られたからだろう。


少し時間は遡るが、ハッフィンポストにオウム真理教事件から20年、学ぶべきだった「普遍性」とは 森達也さんに聞くという記事が掲載された。

フェイスブックで友達の一人がその記事を「シェア」していたので次のようにコメントした。
□□さんも「オウム真理教」をウォッチしているのですか。
コメントしてもらうとどんな「ウォッチ」をしているか分かるんだけどな。
そして筆者としてはこの記事の要点として二つがあるのではないか、と以下のようにコメントした。
森達也が指摘する2大ポイント:
①宗教組織としてオウム真理教がサリン事件を起こした内在的メカニズム
②サリン事件が引き起こした「日本社会の集団化」の内在的メカニズム
二つの点ともそれほど議論も解明も進んでいないではないか、と言う問いかけに対して、マイノリティー宗教集団ニッポンキリスト教はどう答えるのでしょうかね・・・。
どうでしょう。
□□さんの反応は以下のようなものであった。
私はオウムについてはほとんど知らないのですが、前に奉仕した教会の目の前に□□□□の青年信者のホーム(秘密の共同住居)があり、また八王子駅前での正体を隠した違法伝道が酷かったので、□□□□と闘うことになってしまいました。その関係で異端やカルト問題には少し気を配っている程度です。
ところで小嶋先生は、ニッポンキリスト教、と書かれていますが、この言葉には何か考えが含まれているのでしょうか?日本のキリスト教界、とか日本のキリスト教会、ではなく、ニッポンキリスト教。
続けて引用すると、筆者の応答は以下のようであった。
「ニッポン」は意味ありげに聞こえますね。
確かに幾分意味は込めました。

まだブログ等に書く段階ではないですが、一つは山本七平が使った「日本教」との関連で。

もう一つは山本/丸山真男/そして最近関連付けて書いている池田信夫・・・が問題にしている「空気の思想」辺りですね。

「空気の思想」辺のことは、森達也が指摘している「集団化」と重なる現象でしょう。

オウムのように「トンガッタ」ことをやる宗教団体に対する異質観が本来マイノリティー宗教が持つ社会的役割なわけだけど、「マジョリティー志向のキリスト教」の問題が「ニッポンキリスト教」に繋がると思いますね。

その程度のイミシン状態にしておきます。ご容赦。

とまあ、森達也が「オウム真理教未解決」として提起した「二つの問題」に対する糸口みたいなものを暗示しただけに終わった。

「二つの問題」のうち「①宗教組織としてオウム真理教がサリン事件を起こした内在的メカニズム」はこれまでオウム真理教ノートが追っかけてきたことだ。

しかし「②サリン事件が引き起こした『日本社会の集団化』の内在的メカニズム」に関しては、まだそれほど考え来ていない。

森は同記事で次のような警鐘を鳴らしている。
事件後、各地でオウム信者の転入拒否がありました。あのときこの国の戦後デモクラシーが試されたような気がします。オウム信者の住民票不受理は明らかに憲法違反。行政も当然それはわかっている。でも住民たちは不安を訴える。「受理しないでくれ」と多数派が言ってきたときにどうすればいいか。結局は多数に流されるわけだけど、言い換えればその程度のデモクラシーしか僕たちは獲得できていなかった。そういう意味ではまぎれもなく、オウムは戦後初めて登場した「公共敵」ですね。心ゆくまで思う存分戦える敵。その存在を前にデモクラシーが膝をついた。オウムだからとの理由で。でも例外は絶対に前提になるんです。
オウム真理教自体も問題だが、そのオウムを「公共敵」として排除するに当たり「憲法違反」も許容されるような「空気が支配する日本社会」はさらに問題だ、ということであろう。

いずれにしてもこの辺のことをこの夏の宿題にして、依頼された原稿に繋げていこうと思う。

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