2012年6月30日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月1日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「イエスとの関係」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2012年6月26日火曜日

61ha 絆

最近「映画を見る」機会はめっきり減った。
映画館はもちろん、テレビやDVDでも。
時間的に集中力がなくなったからだろうか。

そう言う訳だが、昨年6月に鎌仲ひとみ監督ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見た(ブログ記事)のに続いて、今年もまた6月、昨日25日サロン上映会「61ha 絆」を見てきた。


瀬戸内海にある大島にあるハンセン病療養所「大島青松園」で暮らす東條高・康江夫婦の日常を追い続けた記録映画だ。
康江を軸として、その人生を写真や字幕で説明しながら映画は進む。

強制収容とは知らずに「3年で出られる」と言われて祖母に連れられて島に来た。
別れの切なさ。
結婚。

失明。その後は夫高の甲斐甲斐しい世話を受けながら生きて来た。

康江は島に来て何時頃かキリスト教に入信する。
食事のシーンでは「食前の感謝祈祷」が入る。
康江の病気をきっかけに後から入信した
きた高の祈りも記録されている。

自分の運命が知らない糸に操られるように生きて来た康江の心の底には言い知れない思いがあるに違いないが、普段の姿からは恙無い生活への「感謝の言葉」以外に余り見当たらない。
時々の思いは短歌に表現されてはいたようだが。


教会での礼拝シーンが二度だか出てくるが、二回とも「主の祈り」が捧げられるシーンを含んでいる。心なしか主の祈りの中の「赦したまえ」ということばが、彼女の人生の様々な困難や不条理に対する一つの回答として響くように聞こえるのだ。

ハンセン病問題に対する社会派的ドキュメンタリー映画ではなく、背負わされた環境の中でたんたんと生きる夫婦の物語りである。


監督:野澤 和之
撮影:堀田泰寛
インタナシヨナル映画 製作 ©2011年
「 61 ha 絆 」製作委員会
文部科学省選定 青年向き・成人向き
助成 文化芸術振興費補助金 

サロン上映会
日程:2012年6月21日(木)~6月27日(水)
上映時間:14:00~/19:00~(いずれも30分前開場)
会場:カーサ・モーツアルト(東京都渋谷区神宮前1-10-23)
最寄駅:地下鉄千代田線・副都心線明治神宮駅5番出口
JR原宿駅表参道口
会費:1,500円
(予約制090-6527-1490/61ha.info@gmail.com)

2012年6月23日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

6月24日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「キリストの律法」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(84)
ガラテヤ人への手紙(72)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年6月19日火曜日

神学遍歴④

前回アズベリー神学校での最初の「神学的思索」として「受肉と贖罪」に関する小論文について書いた。

ところで話は逸れるが、神学校を大学院レベルであることを指摘したいのか「神学大学院」とする方もいる。訳としてはそれでもいいのかもしれないが何か筆者には神学校の方がしっくり来る。

大学院レベルでの神学教育も幾つかあって、セミナリーのように大学から独立している場合と、大学に属している場合がある。前者では福音派ではフラー、老舗ではプリンストンなどがある。
後者は有名どころではハーバード大学やデューク大、シカゴ大学などはDivinity Schoolと呼んでいる。あるいはボストン大学やエモリー大学のようにSchool of Theologyと呼ぶところもある。

さて話を神学教育制度から「神学者」に移そう。

ある程度神学校での学びも進んで行くと、単にクラスで選ばれたテキストとして読む本ではなく、自分がこれぞと思って読む神学者の本が登場する。

筆者の場合そんな神学者の中でも初期の頃から心に留まったのは、H. Richard Niebuhrだった。
お兄さんがラインホルド・ニーバーでアメリカの20世紀政治思想にも一定の影響与えた神学者として有名である。
弟のリチャードは著名度の高さでは兄に譲るが、神学者の神学者として玄人好みの人であった。
一群の弟子を輩出した点でもその影響力の強さがうかがい知れる。

で、筆者はこの頃からこれだと思った人の本を重点的に買い集める(出来ればそれらを読む)傾向があった。

リチャード・ニーバーの著作と言えば幾つかすぐ名前を挙げられるが、自分が読んだ本に限って言えば、
  • The Social Sources of Denominationalism (1929)
  • The Kingdom of God in America (1937)
  • The Meaning of Revelation (1941)
  • Christ and Culture (1951)
  • The Purpose of the Church and Its Ministry (1956)
  • Radical Monotheism and Western Culture (1960)
  • The Responsible Self (1962)
あたりだろう。

この中でその後の自分の神学形成に一定の影響を及ぼしたものとしては「キリストと文化」だと思う。

リチャードの神学的思索には純然たる神学と言うより「社会学」と「倫理学」的な思索が加わっている著作が多い。
その後筆者が「社会倫理」や「宗教社会学」の方向に進んだのも、もしかしたらリチャードの神学思考的傾向が影響しているのかもしれない。

リチャードの本は割合短いのが多い。文章は練られていて余分なことは言わない。
その分よく読みこまないと理解できない。

上記に挙げた著作の中で最も衝撃的出会いだったのは「啓示の意味」だろう。
小さな本だがアンダーラインやマーカーの跡が沢山残っている。
余白に残したメモも多い。

そのころは集中して読めた時期だったのだろう。
何と言っても「神学」と言うものにまだ慣れていなくて、読むのに一生懸命だったのだろう。
今じゃその頃のような「吸収力」はない。

とにかく「啓示の意味」には勉強させてもらった良い思い出がある。
具体的にどこまで自分の中に消化されたのかは分からないが・・・。

2012年6月16日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

6月17日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「柔和な心で」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(83)
ガラテヤ人への手紙(71)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年6月14日木曜日

「イエスの意味」を解く鍵

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。
 
KJGの第7章、Jesus and the Gospelの後半をさらさらっと紹介しています。(ここをクリック


ブログで
「キング・ジーザス・ゴスペル」を章毎に簡単にその内容を紹介するため読み直しながら書いているのですが、N.T.ライトの「How God Became King」読書会と同時並行なので、色々重なることが多く、「あれっこれはどっちに書いてあることだったっけ」となる時があります。

「大和郷にある教会」ブログでは、ライトの「How God Became King」をなかなか紹介する機会がないのですが、現在第6章まで進んでいます。
ライトとマクナイト両者とも「福音書をどう読むか」と言うことで重なる部分が多いのですが、同時並行すると両者の違いがくっきりすることもあれば、先ほどのような混乱もあり、なかなか大変です。
と言うわけで、もっぱら「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内ばっかり掲載しています。

2012年6月11日月曜日

昨日の昼食会

昨日の巣鴨教会の昼食会メニューは「豚丼」。

一人200円の会費で提供する献立は限られている。

材料は豚肩とばら肉、玉ねぎ、ピーマン。(それとにんにく2片)
味付けは、酒、みりん、しょうゆ、豆板醤。
ポイントは調味料を薄めに。
少し“つゆだく”状態にする。
材料の旨みで勝負。

今年は野菜を始め材料費が高目になってきているので「一人200円」は経済的に段々きつくなっている。

しかし昼食会のある日(「食の日」と呼んでいる)は「世界飢餓」のための募金の日でもある。
加えて現在は「東日本大震災」復興支援募金も兼ねているので、会費は据え置き、その分募金に、と思っている。







2012年6月9日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

6月10日 午前10時30分

朗読箇所 ローマ人への手紙 11:25-36
説 教 題 「ヨナを遣わす神」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《説教シリーズ》「遣わされて」⑤

※昼食会があります。

2012年6月6日水曜日

オウム真理教への一視点

オウム真理教が教団として起こした一連の事件でもやはり1995年3月の「地下鉄サリン事件」は一番社会に与えた衝撃が大きかったのではないかと思う。
しかしそんな事件でも15年も経ってしまうといつの間にかその意義を考えたり、オウム真理教というカルト的宗教テロ集団の問題性をその背景とともに改めて見直したりする機会がないまま来てしまったのではないかと思う。

最近太田俊寛と言う方が

オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義

という本を著して、どのようにしてオウム真理教のようなカルト集団が出現したのか、その思想史的背景を「近代」の視角から分析・総括しようと試みている。

筆者はまだ入手していないのだが機会があれば近くの図書館に(無ければ)購入でもしてもらって読みたいと思っている。

さてそんなことを思っていた時に、たまたまNHKでオウム真理教を扱ったドキュメンタリー・リポートの番組を見た。

未解決事件2:オウム真理教 

番組を全部見たわけではなく、特に注意して見たわけでもないので、その感想を書くにして内容的に少々心もとないのだが、しかし一点どうしても気になったことがある。改めてショックを受けたと言うか戦慄を覚えたことである。

それは麻原彰晃と言う常識的にはおよそまともな宗教の指導者となるような器ではない人間の下に「エリート」と呼ばれるような教育的背景を持った者達が集められ、誇大妄想、荒唐無稽な宗教的言語に操られて、「終末的シナリオを持つ」弱小集団にはとても分不相応に巨大な反社会的テロ活動を構想しそしてそれを実行に移した、と言うことである。

番組中に明かされた事件の内容で特にセンセーショナルに響いたのは、オウム真理教の化学兵器工場で実に70トンのサリンを製造しようとした、と言うことである。その量は世界の総人口を上回る70億人殺せる量だと言う。
麻原と言う如何にも「小物」な人物が着手するには、余りにもアンバランスな巨大化学殺戮兵器製造計画ではないか。
その余りのアンバランスさと、小規模だったとは言え、そのような構想の下に首都直下の地下鉄駅でサリンがまかれた事実とは、何かシュールな感覚を覚えた。

翻って自らの所属する「宗教集団」であるキリスト教を遡って見ると、まだユダヤ教との区別が外側からは判明していない時、「道」と呼ばれ、「ナゾレアン」とか「クリスチャン」とか呼ばれていた原始キリスト教の時代、つまりペテロやパウロら最初の使徒たちが活動していた時代、彼らは外部者からは、「皇帝の勅令に背いて、『イエスと言う別の王がいる』」と 「世界中を騒がせてきた連中」と見られていた、とルカは述べている(使徒言行録17章6節、新共同訳)。

オウム真理教は事実「反社会的テロ活動」を実践したわけであるが、キリスト教はそのような負のベクトルに多大なエネルギーを注いだわけではないが、強いて共通点を言えばオウム真理教と同じように社会的に見て「弱小宗教集団」であった、ということである。

日本ではよくキリスト教は日本人口1%に満たないマイノリティーと言うが、原始キリスト教集団はもっともっとマイノリティーだったが、その孕んでいた「宗教的エネルギー」は「世界をひっくり返すような」と形容されたほど濃縮したものであったのだ。

日本のキリスト教の問題は「数の少なさ」ではなかろう。反面教師としての意味だがオウム真理教が引き起こした問題から考えれば、社会的インパクトは数の問題ではなく、世界に何を引き起こそうとしているか、その目的の明瞭さとその目的遂行のために全エネルギーを注入できる一徹さではなかろうか。
その観点から見る限り「数を問題にしている日本のキリスト教」は殆んど社会から相手にされる存在ではない。そんなキリスト教が多少人数が増えたとしても到底社会にインパクトを与えることはないであろう。

社会を根底から変革し人々の「生死を意義付ける」ほどの深い宗教性を持った宗教が欠落している時代にオウム真理教のような宗教団体が出てくるのが現代と言う状況だとすると、キリスト教が課せられている課題は並大抵ではないであろう。

2012年6月3日日曜日

イエスは福音を宣べ伝えたか?

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。
久々の更新です。

 
KJGの第7章、Jesus and the Gospelの前半をさらっと紹介しています。(ここをクリック


最近このブログの投稿が少し減っています。内容的にも物足りないと思われている方も多いかと思われます。
少しFacebookの方にエネルギーを取られている、と言えばそうなのですが、ブログの方にも何とかエネルギーをセーブして更新したいと思っています。

2012年6月2日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

6月3日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「あとでわかる」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。