つれづれなるまゝに、有名な兼好法師の「徒然草」の冒頭だが、「随想」的に記述する文章はそのまま日本語のブログの特長でもあると思う。
日ぐらし硯に向かひて、
心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば・・・
米国に長い間遊学した筆者の印象では、essayとは何かの主題について構想を練って書かれた小論のことを指す。組み立てが論理的になるのは言うまでもない。
この英語圏でのessayは「随筆」と訳される日本語のエッセイとは大分趣が異なる。そしてそのまま英語圏のブログ文章の特徴にも当てはまると思う。
とまあ余計に思われるかも知れないが、以上の前置きで今日は筆者が回覧する英語ブログを一つ紹介しようと思う。
Dr. Chuck DeGroat、の、the NEW EXODUS: the Reflections Along the Wilderness Way
は心理学で博士号を取ったらしいサンフランシスコ在住の牧師さんのブログだ。
更新はそんなに頻繁ではないが、英語圏で言うエッセイのような文章をブログに書いている。
職業柄、牧会心理学に関連する分野のトピックが多いように思う。
最新の「クリスチャンの偽善」シリーズも面白いが、今回はその前に投稿された「牧師とうつ」からちょっと紹介しよう。
「最近鬱にかかっている三人の牧師と話した。」で始まる文章なのだが、標題に関わるデータを集めた三つの機関(Barna、Focus on the Family、フラー神学校)から次のような調査結果を紹介している。
- 毎月1500人の牧師が辞めていく。理由は道徳的失態、霊的枯渇、教会内での対立など。
- 結婚した牧師のうち半数は離婚に至っている。
- 牧師のうち8割は自信喪失や失望を感じている。
- 5割の牧師は失望して職を辞したいと考えるが、代わりに生計を立てる職の見込みはない。
- 神学校、聖書学校卒業生で牧師になった者のうち8割は、最初の5年以内に職を去る。
- 7割の牧師たちは鬱を抱えている。
- 約4割近い牧師が牧師になって以降不倫を経験している。
残りの文章は特に「牧師のうつ」の問題に焦点を当て、どう対処したらいいか提案している。
教会歴史からの一洞察として、16世紀神秘思想家「聖十字架のヨハネ」や、アビラのテレサ、を例に取り、彼らの「魂の夜の闇」のような体験が、多くの牧師たちの「うつ」に対する示唆を持っているのではないかと文章を続ける。
「魂の夜の闇」は必ずしも否定的自己像で終わるのではなく、却ってより深い自己把握や信仰理解に導く。
北米のような文化において、職業における成功が短絡的に捉えやすい傾向が、「うつ」のような症状を否定的に感じる引き金となっている、と指摘し、霊的枯渇を感じる時、無理やりそれを克服しようと努力するのではなく、むしろ神との深い関わりを体験するきっかけとして捉えるのが大切なのではないか、と指摘する。
さて日本の牧師たちの状況はどうだろうか。
最近「牧会塾」とか、「霊的深まりのセミナー」が需要を見せているところを見ると、このような傾向は北米文化に特徴的なことと限定できないのではないか。
程度の差こそあれ、やはり牧師も一個の人間として自己の全体像を捉えることが大事ではないか。落ち込んだ時、牧師としての自分を「霊的」評価で偏った見方をしてバランスを崩すのではなく、様々な弱さや心理的傾向を持った統体として落ち着いて自己を見つめることが出来るようになることが大切なのではなかろうか。
以上北米英語圏ブログの紹介でした。
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