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2011年4月15日金曜日

3.11とメタノイア

キリスト教ではメタノイア(『悔い改め』)を個人の行った罪責に対して悔い改める、と理解されている。所謂「罪の悔い改め」で、カトリックで言えば「懺悔」になるのかな。

しかしイエスの宣教において「悔い改めよ。神の国は近づいた。」と言う時、それは個人的な罪の悔い改め以上のニュアンスがある。少なくともその可能性がある。

それは「方向転換」と言うニュアンスでなされた。
イエスは、ローマの支配に武力を持って抵抗するユダヤ人(特にサウロのような国粋主義的パリサイ派の中のシャメアイ・グループのような急進派)に対して「メタノイア」と方向転換を迫ったのだ。(山上の垂訓における「愛敵の教え」も同様のニュアンスで捉えることができる)。

3.11、東日本大震災、特にそのうちの東京電力福島第一原発事故は、この国にメタノイアを突きつける深刻な意味を持つものであると思う。
政府・産・官・学が一体となって推進してきた原子力エネルギー政策が大きな岐路に立たされている。そういう重大な方向転換の時であるという受け止め方が要請されている。

この巨大な推進力に抗ってきた僅かな識者や市民グループが今ネット上では注目をされている。しかしマスメディアを牛耳る巨大な推進力は「原子力は安全」神話で彼らの警鐘や警告を押しつぶしてきた。
この度の深刻な事故でやっと国民(の一部)が彼らの声に耳を傾け始めているような印象である。
斯く言う筆者もついぞ聞いたことがなかった。

一体これだけの「過酷事故」を起こして、政府が、電力業界が、その他これを推進してきた「原子力ムラ(飯田哲也「原子力村の解体と市民社会の再構築」参照。月刊誌『論座』からの転載のようです。)」の人々が、原子炉発電に対する根本的見直し、メタノイアをしないで済まされるだろうか。

しかしその一部がこの度の事故に対して一定の「悔い改め」を表明した。
主要メディアでは言及されるぐらいで全文掲載はされなかったようだ。
原子力行政に加担した責任ある人たちの連名での謝罪文として一読の価値がある。
筆者も原発問題に対して無関心であったことを悔い改めて日々学習の毎日であるが、この文章、「福島原発に関する緊急建言」を、Peace Philosophy Centre と言うNGOに行き当たって読むことが出来たのだが、以下に紹介する。(是非この提言を出すよう進言した安斎育郎さんの文章も共にお読みいただきたい。リンク

福島原発事故についての緊急建言

はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。

私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終 息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容 器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。

特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器 内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。

こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させることが 唯一の方法である。現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅 れ、現場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。

こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能レベルのもつ冷却水の大量の漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通しが立たない状況にある。

一方、環境に広く放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えて いる。さらに、事故の終息については全く見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も 急ぐ必要がある。

福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。

当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量の放射能を閉じ込めることであり、また、サ イト内に漏出した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難な仕事であるが、これを達成 できなければ事故の終息は覚束ない。

さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏 洩を防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一にも水素爆発を起こさない 手立てが必要である。 

事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、 日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的 な取組みが必須である。

私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。

平成23年3月30日

青木 芳朗   元原子力安全委員
石野 栞     東京大学名誉教授
木村 逸郎   京都大学名誉教授
齋藤 伸三   元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長
佐藤 一男  元原子力安全委員長
柴田 徳思   学術会議連携会員、基礎医学・総合工学委員会合同 放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長
住田 健二   元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
関本 博    東京工業大学名誉教授
田中 俊一   前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
長瀧 重信   元放射線影響研究所理事長
永宮 正治   学術会議会員、日本物理学会会長
成合 英樹   元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子   前原子力委員、学術会議会員
松浦祥次郎   元原子力安全委員長
松原 純子   元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男   東京大学公共政策大学院特任教授
このような文章が、これまで反原発の立場で研究や啓蒙活動を続けてきた少数の識者からではなく、推進してきた側の立場からの発言として重く見る必要がある。
危機的現状の把握も概ね反原発の立場の識者の見方に近い。

既に紹介した「小出裕章」「広河隆一」「広瀬隆」らのビデオの他にお奨めは以下のビデオ。
落ち着いた語調でことの重大さ、深刻さを伝えている。
2時間ぶっ通しの講演と質疑応答で、トータル2時間半くらいだが、是非「メタノイア」の状況に私たちが立ち会っていることをよく自覚して見てもらいたい。

藤田祐幸2011年4月9日湯布院講演「今、福島原発でなにがおきているのか」

2011年4月11日月曜日

危機における情報管理

東日本大震災から一ヶ月。
今日も大きな余震があった。


今回の震災、特に原発事故に関する政府、原子力安全保安院の情報開示の仕方についての疑問。

どっちが国民の「安全・安心」に配慮した情報開示なのか。
①国民を不安に陥れないように、事故の確実な情報がきちんと整理されて報告されるまでは「分からない」としておく仕方。
②想定される危険を適切な範囲で可能な限り速やかに、予断を含んだ見通しも合わせて逐一開示する仕方。

今回政府官邸が取った仕方は①であった。
その姿勢は保安院の中村審議官が事故の翌日に「溶融の可能性もある」との発表を嫌って更迭した、との記事があるようだが、そうだとすると隠蔽とまでは言えなくとも、如何に国民の間にパニックが起こるのを恐れて情報を制御しようとしたかの表れと見える。

現在溶融進行停止策は一進一退であり、最悪のシナリオだと水蒸気爆発によりこれまでとは桁違いの量の放射能が空中に放出される可能性が考えられる、と言う。(京大、小出裕章助教、「福島原発で再臨界の疑いが濃厚に」

安全対策として適切なのは、
①過剰な反応を起こさないようにし、現れた事象に対応してその都度適切な安全対処をするのか、それとも
②予め可能性のある最悪の事態に対応して準備し、事象の危険度が低くなるにつれて避難・退避の指示、警告、勧告を解除していくのか。

どっちの方法が今回の原発事故に相応しいのだろうか。

そのことを今考えている。

政府は現在①を取っている。原発からの退避も最初は数キロ圏内から次第に20キロ、30キロ、そして同心円ではなく、風向きなどで放射線量が変化することを考慮するものに変化してきた。

放射線被曝の危険について十分な知識もなく、政府(お上)の指示に従順に従う国民性の国では、日本政府の取っている方法は「徒に危険を意識させない」と言うことではパニック回避として合っているのかもしれない。

自分の安全は自分でなるべく守る・・・と言う国民性の国の場合は、はっきりと客観的危険性についての情報を開示される方が合っているのかもしれない。

それで現下の危機に関して筆者が感じることは、これまでの「原子力安全神話」をかなり刷り込んできた経緯を顧慮すると、最悪のシナリオに沿った危機管理をするのは困難ではないか、と言うことである。
ただ自分で情報を利用し的確な危険回避行動を個人で取れる人には、現在の政府の情報開示の仕方は不十分と言わざるを得ない。

しかし、どちらにしても、政府は国民の人命を第一にした危険回避対策を採ってほしいと思うのである。国民もお上任せにしないで必要な情報や知識を積極的に取り入れる姿勢が必要ではないか。

2011年4月8日金曜日

地震と原発

原発についてのポストが連続している。
これで三本目だ。

今回の「東北大震災」は地震と津波と原発事故の三重災害だったといえる。
しかし自然災害である地震と津波の人的・物的被害は仮に「想定外」であったとしても、原発事故に関しては同列に論じられない様々な人為的災害の面が露になったと言って良いと思う。

①東京電力福島第一原発は震災の被害者か
確かに設備等が被災し、事故処理のために東電社員や自衛隊員、消防隊員など多くの人命を危険に晒した意味ではそうだ。
しかし広域な地震・津波被害の救援を国家レベルで立ち上げるべき時に、一電力施設の事故処理のためにどれだけ多くの国家的救援能力が削がれたかと思うと、過剰なアンバランスを思わざるを得ない。

これは何を物語っているだろうか。
原子力発電所のエネルギー供給能力停止の深刻性か。
当然ノーだ。
明らかに地震・津波がもたらした原子炉冷却機能喪失によるメルトダウン、放射能漏れという事態がいかに深刻か、と言うことだ。

しかしこの深刻な事態に対し東京電力も、原子力安全保安院も、政府もごく初期の段階から危機意識を持って対応したかどうか非常に疑わしい。
マスメディアのニュースに登場した識者・専門家の方々も疑わしい数値や比喩を操って正確な危機認識を国民に伝えることを阻害した可能性が強い。

私たちは当初国外退避する外国人を過剰反応のように考えていたが、むしろ原発事故の深刻性を考えると彼らの行動の方が正しい。
要するに彼らの方が放射能汚染の危険に対するより正しい認識に基づいて行動しているのであり、私たちの方が東京電力や原子力安全保安院も、政府や、マスコミのいい加減な報道にごまかされている可能性が高い。

現状を正しく把握している人は、つまり現下の危機に関する正しい認識を持っている人は、ツイッターやユーチューブなどのメディアに出ている。
少なくとも筆者の印象では、このような市井の知識人は、マスコミで「安全」の空気を醸成するようなコメントや解説をする人ではない。
それは実際に聞いたり見たりして頂けば、危機の全体構造に対する把握力や危機意識によく現れていると思う。
必見 広瀬隆、広河隆一「福島原発現地報告と『原発震災』の真実」

②原子力エネルギーは本当に必要なのか
計画停電が実施されると言われていたが(一部地域で実施されたが)、東京電力は原則実施しないことを発表した。(東京電力トップページ
京都大助教の小出裕章氏によると、原子力発電を除いた現在持っている火力、水力等発電所で十分賄えると試算している。(小出裕章「原発なくても電力足りてる」
つまり「絶対的に危険な原子力発電」に依存しなければならない客観的状況にはない。

原子力発電は「産・官・学」が共同で推進してきたもので、決して国民全体の「インフォームド・コンセント」のもとに継続されているものではない。
私たち国民は原子力発電の危険に対する正確な知識を提供してもらう代わりに、「安全神話」を信じ込まされてきたように思う。
原発事故は既に何回も経験しているが、結局今度の大惨事が起こるまで原発の危険性に対する国民的議論は起こらなかった。

今はまだ危機進行中だが原発の是非を国民的議論として問うべき機会ではないか。

巨大地震が近未来に来るとの予測に対して国民的な自覚があると思えるのに、なぜ同じ国民がそのような地震国に多くの原子力発電所を稼動させているのを許容しているのだろうか。
今こそ冷静に原子力発電所が本当に必要なのかどうか、増え続ける使用済み核燃料処理施設を一地方行政体に押し付けるようなあり方で良いのかどうか、本当に原発のリスクを国民全体で背負う覚悟があるのかどうか、深く考えてみる時が来ている。

2011年3月25日金曜日

明日については不明です

まん前の公園に設置された拡声器から、毎日2回東電の計画停電についての案内がアナウンスされる。
「今日の停電はありません。」
「明日については不明です。」
「引き続き節電にご協力ください。」

東北関東大震災から二週間。
刻々被災規模が大きくなって行くのを聞いてきた。
今日の時点で確認された死者数は一万人を越えた。

この間様々な情報(誤報も含めて)をメディアを通して提供され、ネットを通して探索し、そのたびに様々な感情の中を通過してきた。
大震災だけであれば被災地との地理的距離のゆえそれなりの平静さを保てるが、今度の場合ぱ原発事故のこともあり、今まで余り知らなかった、ヨウ素131やセシウム137、シーベルトやベクレルなどの単位で情報提供され、ますます「専門家の意見」に一喜一憂する事態となっている。

二週間これだけの規模の災害とその後の二次的・三次的影響の中で右往左往していると、ある程度神経がおかしくなってくる感じがする。
深刻な事態に関する情報を、意図的にせよ何にせよ一定量受けると、これは心理的な一種の被曝のような感じがしてくる。
情報被曝と言う造語が出来ているかもしれない。

情報を求めすぎるのは無理もない。かなり不安な中にあるから。
不安になるのも無理はない。しかるべく情報がすぐに明確に提示されないから。
でも生身の人間、正しい情報を取捨選択して身を守ろうとしてもある程度までしか物理的に無理だ。

より正しい情報。より正確な情報。より専門的な情報。それらをかき集める努力は必要だと思う。ツイッターを使っていると刻々それらしい情報が目の前を流れていく。
時間も能力も限られているからクリックするかどうか判別するのにも気を使う。
そして少しずつ疲れて行く。

昨日あたりから「情報被曝」が一定量に達したのではないか、少し自粛して情報を追うのをやめるべきかもしれない、と思い始めている。

ここでマタイの福音書の一節。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(6章34節)
不明なことはたくさんある。しかし「明日については不明です」と言うのも明日に向けての一つの態度ではないかな。(東電の停電策を支持しているのではありません。不便を被っている人は本当にお気の毒です。)

さて「平時のポスト」らしいものを二つほど付記させていただきます。

①愛読している「くらくら者の日記」さんが「神学校教師を辞職された」経緯について書かれている記事(「改めて全文をアップしてみました」)に接し、少し複雑な感じを抱かされました。
辞められた経緯の中に「現在の日本の福音派教会」が介在していることが文面で言われているからです。
筆者もこのブログで何回か、間接的に、時にやや直截に、福音派の問題についての苦言のようなことを書いてきました。
のらくら者さんが辞めるにあたって仰っていること、「有賀寿先生の言葉を借りるなら、「福音派の福音ではなく、聖書の福音」(『かごの鳥と見るな』参照)を探求したいのです。」について共感を覚えます。
くらくら者さんには是非今後も、現在の「福音派の福音」が「聖書の福音」に照らしてどのように逸脱しているのかを検証していただきたいと願っています。

②私事になりますが、筆者が「リバイバル・ジャパン」誌に寄稿した『自伝的「新約聖書学」最近研究状況レポート N・T・ライトを中心に』(「ご案内」参照をブログで取り上げて論評してくださった方がおられます。ありがたいことです。
久保木牧師のブログ、「小嶋牧師の文章からN・T・ライトを考える」
少しずつでもN.T.ライトに関心を寄せてくださる方がおられる様子を見て励まされる思いです。
未訳の論文についても言及されていますので、なるべく早く期待に応えたいと思っています。

2011年3月22日火曜日

自然災害と終末論的解釈

ここ数日ブログの更新をしなかったのは心が重かったことと体調がすぐれなかったこと。
そしてもう一つ東北関東大震災以外のトピックで記事を書こうと散々考えたのだが、どうしてもこのことに戻ってきてしまうことだった。

心が重い理由の一つは、これだけ多くの人の命が奪われ、惨憺たる情景を目の当たりにして、ことばを失い茫然自失となるのが自然だと思いきや、自分も含めて、案外平静としている、淡々としている人間が多いこと。
これって人間としてまともか・・・と言う疑問。(大惨事に当たって冷静でいられることは半面悪いことではなくむしろ賞賛すべきことであるが。)

もう一つはこれほどの大災害であっても彼我の差を非常に感じたこと。彼我の差とは、筆者が常時閲覧している英語ブログと日本語ブログでの取り扱いの差のことである。
一つ二つ例外はあるが、英語ブログではまるで何もなかったように神学やキリスト教の話題についてブログが更新されて行った。

気になったこともある。
例の福島原発関連の祈祷要請メール。
先日ちょっと書いた「命と性の日記」にこのチェーンメールについて警鐘を鳴らしているので筆者としては何も付け加えることはないが、エステル書を参照して「国難」緊急祈祷委員会気取りであちこちに祈祷要請しなければならないほど「総動員」をかけたいのか。依然としてそのメンタリティーにあきれる。個々の教会(教団、組織)はそれぞれの良識と知性と霊の導きによって祈る、そういう自主性に任せておいていいではないか。もしその輪を広げたいのであればこれだけネット環境が出来ているのだから、草の根的ネットワークのやり方、ボトムアップでやって欲しい。いきなり自称「中央」が出来上がってトップダウン、と言うのはいただけない。

さて本題に戻る。
先日「自然災害と宗教的解釈」と言うポストをしたばかりであるが、今度はそれを狭めたトピックである「終末論」的解釈との関連での発言が飛び出した。
米国の著名な大衆伝道者ビリー・グラハムの息子で、サマリタンズ・パースと言う慈善団体の総裁も務めるフランクリン・グラハム師。
昨年は大阪で大伝道集会を開いた。
今回はいち早く義援金と救援物資を送ってくれたことは感謝だが、無言でと言うわけには行かなかった。

この度の日本での地震と津波は「終末のしるし」であるかもしれない、との発言をしたと報道されている。(CNN宗教ブログ
What are the signs of [Christ’s] second coming? War and famine and earthquakes … escalating like labor pains. ... Maybe this is it, I don’t know. We should pray and be vigilant. The Bible teaches us Jesus is going to return someday. Many of us we believe that day is sooner rather than later.
先の石原発言とは宗教的背景は異なるが、「キリストの再臨」を地震のような自然災害と絡めて取り沙汰されるのは何も今に始まったことではない。
ちょっとでも不穏な空気な中にさらされるとすぐ「再臨」を叫ぶメンタリティーは筆者が育ったキリスト教の中でもよくあったことだ。
今回の問題もまた、そのような宗教的、神学的解釈を施した発言をするのに適切な時だったのか、と言うことである。

共感福音書におけるイエスの「終末」の教えに関する解釈は様々である。
文字通り解釈に慣れた根本主義、福音主義の大半は、このオリブ講話(マルコの記述は『小黙示録』と呼ばれる)における天変地異的アポカリプティック表現をそのままキリスト再臨前の兆候と解釈する傾向が強い。
筆者はその解釈の可能性を全部否定するつもりはないが、歴史的に言って、イエスの預言者的使命とその行動の文脈から解釈するのならば、弟子たちの想像をはるかに超えた「キリストの再臨」と言う事態について懇々と説諭したと取るのは不自然だと思う。何しろ弟子たちは三度に渡る十字架と復活の予告さえ理解不能であったのである。その彼らにイエスが時間的にはるかに先の事態を果たして説明できたであろうか。
ルカの並行箇所で明らかなように、イエスの「終末の黙示」はもっと近い将来、イスラエルにとっての政治的危機・混乱を指し示していたことが見て取れる。ずばりローマによる神殿とエルサレムの破壊である。
これが最も自然な歴史的、文学的解釈であると思う。

問題は「終末の始まり」と「終末の終末」の間を生きる教会がこの箇所をどう解釈するか、である。

詳論する余裕はないが、先ほどのメンタリティーの問題としてみるならば、使徒の働きを見る限り、初代教会が「再臨」がいつ来るか、いつ来るかと気にしながら宣教している様子はみられない。
彼らはイエス・キリストおいて「終末」が到来したこと、つまり新創造が開始したことを根拠にして世界宣教に勤しんだのである。

キリスト者の使命は「再臨の時」を占うことではなく、神の国のわざを着実に進めることである。
時が良くても悪くても。
大恐慌の時でも好景気の時でも。
大災害があった時でも平時の時でも。

2011年3月18日金曜日

一週間経っても・・・

2011年3月11日

から一週間が経った。
被害の輪郭はほぼ掴めて来たが、まだ全貌は見えていない。
原発危機は進行中であるし、せっかく生き延びた避難者たちの生活条件は不便、苦渋、不安等に満ちている。

今だから語るべきことは色々あるだろう。
様々な情報が必要とされている。
しかし深く悼む時間的心理的余裕が少ない。

確認できた遺体数より不明者数の方が何倍も多い。
そんな中でも可能な限り「死者の弔い」が丁重に出来るようにと願う。

一週間経って公的に発言すべき人が発言していない。
東京電力のトップはまだ公式な場でコメントしていない。
この不在は何を意味するだろうか。

一方聞こえてくることばは・・・
・不安や錯綜する情報を沈静化しようとすることばがある。
・救援物資が届かない孤立した被災地の人々の叫びのことばがある。
・被災者を慰め励ますことばがある。
・お互いの安否を確認しあうことばがある。
・今次の災害で露呈した制度やシステムの様々な脆弱性を指摘することばがある。
・再建に向けた厳しい評価と希望のことばがある。
・卒業式をキャンセルして式辞をメッセージにして発信している校長のことばがある。

激甚災害も日が経っていくうちにいつしか記憶は遠のいていくであろう。
今どんなことばを、どんなイメージを記憶に刻んでおくべきか、注意深く選別しておこう。

2011年3月14日月曜日

備えと想定外

地震から三日経った。

巣鴨聖泉キリスト教会は昨日の礼拝でほぼ来られる状況のメンバーがすべて礼拝に顔を揃えることが出来た。感謝。
礼拝後それぞれ地震の時の様子や帰宅難民の様子を分かち合った。

海外のメディアはこれだけの規模の災害に見舞われながら、冷静に対処し、整然と列を作って電車を待ったり、コンビニで買物している姿を、信じられないと言うようなニュアンスで報道しているようだ。「日本は備えが出来ている国だ」との評。

被災の激しかった地域では、過去の被災経験から、地震にも、津波にもそれなりの準備をしていた。
しかし今回の大地震、大津波は想定外の規模であった。
備えはあったが間に合わなかったのだ。
そして備えは無駄であったわけではなく、被災規模が大きくなるのをそれなりに抑制したはずである。

残念ながら、多数の人命、財産の損失が見込まれるが、関連した被災の中でとりわけ人々の関心を集めているのが東京電力の福島原発だ。

地震への対応は出来たようだが、津波の対応までは想定外であったようで、バックアップ用の電源が作動しなかったとのこと。
一にも二にも安全運転が至上命令の原発であればこそ、災害対策は万全・・・とは行かなかった。現在想定外の事態に対して懸命の策を講じている。
被害を最小に食い止めることを祈るのみだ。

今人々は予想される余震や想定される様々なインフラ制限・機能不全による影響から生活を守ろうと食料や防災用品を買いに走っている。
これもまた災害への備えではある。

これからしばらくは被害の全体像を把握することと、被害後の二次的、三次的影響に対応するのに注意を払うことになるであろう。
同時に被災地域に対する復興支援をして行くことになる。

今回の激甚災害から、特に大型地震を想定している地域の関東・東海の者たちは色々学ぶことになるであろう。
しかし数々の教訓とともに、「現実(自然災害はその代表的なもの)はしばしば我々の想定を超える」 ことを肝に銘じなければならない。

その時に必要となるのは、冷静さ、知恵、機転、判断力、慈悲、親切、勇気、などという徳である。これらは人に自然に備わっているのではなく、訓練して身につけるものである。
その意味で様々な物質的備えとは別に、普段から私たちが心がけることが出来る備えとなる。

2011年3月11日金曜日

来たー地震!

普通のブログポストを書こうと思っていたが、今日は特別。

その時何をしていたか。

事務室でパソコンで仕事をしていた。
揺れが長引くにしたがってこれは大きな地震と思った。
テーブルの下に隠れるとかはしなかった。
外に出ようともしなかった。
窓から公園が見えるが、公園の入り口にいる男性が立っていられないかのように辺りに掴むものを探していた。
とにかく推移を見守った。
何かしらコンクリートの建物なので大丈夫ではないかと勝手にそう思っていた。

早速ヤフーで情報入手。
段々地震規模情報が修正され、最後はマグニチュード8.8となった。
テレビをつけて見ていると、今回の地震の震源は点ではなく400キロに渡るプレートがずれたものとのこと。予想される東海沖地震や東南海沖地震と似た構造だそうである。

目下は渦中で一喜一憂しているが、落ち着いたら今後想定される地震に対する準備となるであろう。

余震が続いたが夕方になったので止まっていたガスを復旧させ夕食準備。

夕食後ようやく教会関係者やその他関係者に被害はなかったか情報収集。
聖泉連合の教会の中では最も震源に近い仙台教会や盛岡教会からはまだ連絡は来ていない。恐らく自分の教会員の安否を確認するだけで大変なのだろう。

当方の被害は別段なかったが、工房の方で立てかけてあった木材が倒れたり、棚の上に無造作に乗せてあった棒材などが束になって落下していた。
震度5ともなるとやはり何か押さえのようなものがないとこうなる、と言うことが分かった。

事務室の方は3メートル高の天井に向かって本棚が上まで伸びていて、棚は本で埋まっていたのだが、不思議に一冊も落っこちてこなかった。
やれやれ。地震の時は落っこちてくるなどとも思いもしなかったが・・・。

それにしても大量の帰宅難民、今夜をどうやって過ごすのか。外気はまだ寒い。地震で被害に遭われた方ともども適切な助けがあるよう祈る。