地震から三日経った。
巣鴨聖泉キリスト教会は昨日の礼拝でほぼ来られる状況のメンバーがすべて礼拝に顔を揃えることが出来た。感謝。
礼拝後それぞれ地震の時の様子や帰宅難民の様子を分かち合った。
海外のメディアはこれだけの規模の災害に見舞われながら、冷静に対処し、整然と列を作って電車を待ったり、コンビニで買物している姿を、信じられないと言うようなニュアンスで報道しているようだ。「日本は備えが出来ている国だ」との評。
被災の激しかった地域では、過去の被災経験から、地震にも、津波にもそれなりの準備をしていた。
しかし今回の大地震、大津波は想定外の規模であった。
備えはあったが間に合わなかったのだ。
そして備えは無駄であったわけではなく、被災規模が大きくなるのをそれなりに抑制したはずである。
残念ながら、多数の人命、財産の損失が見込まれるが、関連した被災の中でとりわけ人々の関心を集めているのが東京電力の福島原発だ。
地震への対応は出来たようだが、津波の対応までは想定外であったようで、バックアップ用の電源が作動しなかったとのこと。
一にも二にも安全運転が至上命令の原発であればこそ、災害対策は万全・・・とは行かなかった。現在想定外の事態に対して懸命の策を講じている。
被害を最小に食い止めることを祈るのみだ。
今人々は予想される余震や想定される様々なインフラ制限・機能不全による影響から生活を守ろうと食料や防災用品を買いに走っている。
これもまた災害への備えではある。
これからしばらくは被害の全体像を把握することと、被害後の二次的、三次的影響に対応するのに注意を払うことになるであろう。
同時に被災地域に対する復興支援をして行くことになる。
今回の激甚災害から、特に大型地震を想定している地域の関東・東海の者たちは色々学ぶことになるであろう。
しかし数々の教訓とともに、「現実(自然災害はその代表的なもの)はしばしば我々の想定を超える」 ことを肝に銘じなければならない。
その時に必要となるのは、冷静さ、知恵、機転、判断力、慈悲、親切、勇気、などという徳である。これらは人に自然に備わっているのではなく、訓練して身につけるものである。
その意味で様々な物質的備えとは別に、普段から私たちが心がけることが出来る備えとなる。
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