カウンセリングという臨床のベースになる心理学だが、セキュラーな心理学を牧会的現場に応用するような形で取り入れられていたように記憶する。
当時は「実践神学」部門がどんどん領域が広がり、古典的な神学科目の履修が削られていく趨勢にあった。
いわゆる「神学」とその周りに隣接する諸科学の問題は、神学と哲学の対峙・対話・吸収と応用から始まってずーっと続いているのだけれども、最近は色々な学問が神学教育の中に入ってくるようになった。
例えば「宣教学」と言えば「文化人類学」があり、と言うように。
そう言う訳で「心理学」も世俗の学問でありつつ「牧会学」と言う「実践神学」と接点を持っている。
さて、ここでがらっと話は変わるが、今年第一回目となる「N.T.ライト読書会」の案内をしておこう。
●3月26日(土)特にエレン・チャリーのこの小論には目が開かれた思いがした。詳細は読んで頂くこととして、キリスト教的角度からは心理学の対象、あるいはカウンセリングの対象となるのは、近代の自己(セルフ)ではなく、より全人的な、と言うか包括的な人格として捉えられる「魂」へのケアーであると言うこと。
●午前10時~昼食まで・・・昼食後解散(付近で外食・・・自由参加)
●会場:巣鴨聖泉キリスト教会(地図)
●お申し込み、ご質問等は 小嶋まで
●テーマ:
2011年1回目の読書会は、《牧会・カウンセリング》について。
課題図書(説教)はライト師の説教
Comfort, O Comfort My People
Isaiah 40.1–11; 2 Corinthians 1.3–11
といたします。
説教の中身はライト主教(当時)のpastoral adviceと言う感じですが、イザヤ書の釈義があったり、それなりにライトの考え方のミニチュア版みたいなものが詰まっていると思います。
討論のテーマは
①pastoral ministry/careについて
②pastoral couselling とsecular psychology/psychotherapyの違いについて
などでしょうか。
二番目の方(サブテーマ)に関しては余裕があったら
Ellen T. Charry, "Augustine of Hippo: Father of Christian Psychology"
が結構関連すると思いますのでお読みください。
そして世俗の心理学・カウンセリングが「ノーマル」な状態を前提して心の「機能不全」や「疾患」を考えるのに対し、キリスト教心理学の方は「神から離れた状態(アウガスチヌス的罪理解)」そのものが「霊的な病」にあると言う洞察を前提している、と言うこと。
現代様々な「癒し」が叫ばれているが、多分に精神衛生上のことや、ストレス発散、気分転換のようなものも含む。
しかし「心」の捉え方によっては、世俗の心理学に対しキリスト教心理学がより包括的・全人的なケアーへと視野を広げる働きをすることが出来る。
チャリーの提言はそんな興味深い視点を提供してくれる小論です。
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