2011年4月8日金曜日

地震と原発

原発についてのポストが連続している。
これで三本目だ。

今回の「東北大震災」は地震と津波と原発事故の三重災害だったといえる。
しかし自然災害である地震と津波の人的・物的被害は仮に「想定外」であったとしても、原発事故に関しては同列に論じられない様々な人為的災害の面が露になったと言って良いと思う。

①東京電力福島第一原発は震災の被害者か
確かに設備等が被災し、事故処理のために東電社員や自衛隊員、消防隊員など多くの人命を危険に晒した意味ではそうだ。
しかし広域な地震・津波被害の救援を国家レベルで立ち上げるべき時に、一電力施設の事故処理のためにどれだけ多くの国家的救援能力が削がれたかと思うと、過剰なアンバランスを思わざるを得ない。

これは何を物語っているだろうか。
原子力発電所のエネルギー供給能力停止の深刻性か。
当然ノーだ。
明らかに地震・津波がもたらした原子炉冷却機能喪失によるメルトダウン、放射能漏れという事態がいかに深刻か、と言うことだ。

しかしこの深刻な事態に対し東京電力も、原子力安全保安院も、政府もごく初期の段階から危機意識を持って対応したかどうか非常に疑わしい。
マスメディアのニュースに登場した識者・専門家の方々も疑わしい数値や比喩を操って正確な危機認識を国民に伝えることを阻害した可能性が強い。

私たちは当初国外退避する外国人を過剰反応のように考えていたが、むしろ原発事故の深刻性を考えると彼らの行動の方が正しい。
要するに彼らの方が放射能汚染の危険に対するより正しい認識に基づいて行動しているのであり、私たちの方が東京電力や原子力安全保安院も、政府や、マスコミのいい加減な報道にごまかされている可能性が高い。

現状を正しく把握している人は、つまり現下の危機に関する正しい認識を持っている人は、ツイッターやユーチューブなどのメディアに出ている。
少なくとも筆者の印象では、このような市井の知識人は、マスコミで「安全」の空気を醸成するようなコメントや解説をする人ではない。
それは実際に聞いたり見たりして頂けば、危機の全体構造に対する把握力や危機意識によく現れていると思う。
必見 広瀬隆、広河隆一「福島原発現地報告と『原発震災』の真実」

②原子力エネルギーは本当に必要なのか
計画停電が実施されると言われていたが(一部地域で実施されたが)、東京電力は原則実施しないことを発表した。(東京電力トップページ
京都大助教の小出裕章氏によると、原子力発電を除いた現在持っている火力、水力等発電所で十分賄えると試算している。(小出裕章「原発なくても電力足りてる」
つまり「絶対的に危険な原子力発電」に依存しなければならない客観的状況にはない。

原子力発電は「産・官・学」が共同で推進してきたもので、決して国民全体の「インフォームド・コンセント」のもとに継続されているものではない。
私たち国民は原子力発電の危険に対する正確な知識を提供してもらう代わりに、「安全神話」を信じ込まされてきたように思う。
原発事故は既に何回も経験しているが、結局今度の大惨事が起こるまで原発の危険性に対する国民的議論は起こらなかった。

今はまだ危機進行中だが原発の是非を国民的議論として問うべき機会ではないか。

巨大地震が近未来に来るとの予測に対して国民的な自覚があると思えるのに、なぜ同じ国民がそのような地震国に多くの原子力発電所を稼動させているのを許容しているのだろうか。
今こそ冷静に原子力発電所が本当に必要なのかどうか、増え続ける使用済み核燃料処理施設を一地方行政体に押し付けるようなあり方で良いのかどうか、本当に原発のリスクを国民全体で背負う覚悟があるのかどうか、深く考えてみる時が来ている。

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