2014年4月13日日曜日

(5)オウム真理教ノート 2014/4/13

先日書いたものの続きになります。

《高橋のケース》
 前回取上げた「野田成人の入信パターン」がどちらかと言うと平凡なタイプであるのに対し、高橋のケースはそれなりに独特なものがあると思う。

 高橋の高橋英利『オウムからの帰還』によると、高橋は1967年東京立川市に生まれ、公団住宅で育った。

 まだ小学校にあがる前、彼は「自分が住む世界」の拡がりを確認すべくある冒険を試みる。

 それは彼の住む団地内に建てられた「同じように建てられた公団の建物」についているナンバーを「1~24、25、」と一つずつ確かめて行く、というものだった。

 19棟まで確認が進んだ時、そこで建物の棟数表示は順番通りではなくなった。ナンバー19棟の後がスポっと抜けてしまっていることを発見した。

 ここで高橋少年は意を決して同じ団地を出て、その外に「第20棟」を探しに行く冒険を試みた。

 自転車で数キロも走ったらしいが、そこに「忽然と自分の団地と同じ建物があらわれた」。

 最初は「これで続きの建物が探せる」と思った高橋少年だったが、目にするのは既に数え終った「7」「8」・・・だ。

 どうして同じ番号の建物があらわれるのか・・・。
 自分はもうかなりの距離を来た筈だ。
 じゃあれだけ走って結局自分の住む団地に逆戻りしたのか・・・。

 辺りは暗くなりかけていた。
 高橋少年はパニックに襲われていた。
 少し観察すると幾つか自分の団地とは異なるところがあった。

 しかし高橋少年は既にかなり心細くなっていたので、「この団地は自分の団地だ」、と信じたくて仕方がなくなっていた。

 そうして自分の団地の番号と同じ階の同じ番号の部屋まできた。
 ドアを開ければそこには見慣れたお母さんの顔が待っているはずだ。
 ドアをノックして出てきたのは・・・(残念ながら、やはり)違う人だった。

 と言うエピソードを紹介している。

 この《原体験(と、筆者が呼ぶ)》とオウムでの体験とを照合して分析しているわけではないが、自分のオウム体験を検証する為に書かれた手記の冒頭に掲げられたこの体験は、高橋にとってかなり大きな意味を持つものであったに違いない。

 この辺が野田とは大きく異なる点だと思う。

 どう言うことかと言うと、(宗教社会学をかじった者のざっくりした感想で恐縮だが)、野田の場合オウム入信のきっかけとなった「大学入学後の挫折体験」まで、自己の世界観をかなり根底から揺さぶられるような体験がなかったように見えることだ。

 彼は人並みに「良い学校、良い成績」路線を破綻なくなぞっていたのだろう、と想像する。

 それが東大に入って「『ガロア理論』を自分よりはるかに若い年齢で打ちたてた頭のいいやつがいる」ことを発見して打ちのめされ「自分の限界」を思い知らされる。

 しかしここまでは、従来の価値観に従って、「世間」での(相対的優劣で判定する)「自分の立ち位置」を確認しただけでしかない。

 ただこれをきっかけに「何か別の価値観、意味」を探す方向にさ迷い始める。
 「人生の揺らぎ」の局面に入り込んで、自分を支える何かを「精神的な世界」方面で物色し始めたわけだ。

(※最早一記事としては長くなってしまった。野田、高橋の本は今日中に図書館に返却しなければならない。残念ながら一旦ここで文章を止め、結論めいたことは次回に延期することと相成ります。失礼!


0 件のコメント:

コメントを投稿