2014年4月14日月曜日

(2)「イエス入門」読書会を終えて 参加者感想文③

今年3月に終えた、リチャード・ボウカム「イエス入門」読書会参加者感想文のシリーズです。


「イエス入門」を読んで

(名前) 山田、(住所) 川口市、(年齢) 50代、男性 


 小嶋牧師と出会った頃、私はGood News(福音)とは一体全体何を意味するのか解らなかった。

 実を言えば読書会が終わった今でも自信がない。

 イエスの教えとは、道徳の教科書のようだと錯覚していたし、聖書にしても新約聖書や旧約聖書全体ではなく、4福音書を速読した程度の浅薄なイエス(キリスト教)知識しか持たなかった。奇跡物語は全く信じられず、却って私と聖書とを離れさせた。

 そんな中で、小嶋先生にこの本を紹介して頂いた。

 私は、感想文というよりはむしろ、より正しくイエスやイエスの時代を理解するための良書として推薦したい。

 本書は、かなりのスペースを割いてイエスが生きた時代背景を説明している。イエスが目指した事は、当時の時代背景を知らなければ、過去の時代を現代の法律で裁くような間違った文脈の判断を招く可能性があるからだと思う。

 当時のユダヤ人は、ローマの束縛から自分達を解放するメシアを待望していた。政教分離を疑う事も知らない現代日本人がイメージするような単なる精神的指導者ではなく、国家的且つ宗教的な指導者としてのメシアをユダヤ人は切望していた。

 小嶋先生がイエスは革命家だと読書会の中で話されていたが、多分そうなのだろう。当時の常識や律法を破り、悉く当時の指導者であったファリサイ派やサドカイ派の人々と衝突していたのだから、危険人物と言うよりは革命家の方が適当だと思う。

 当時は、例えば安息日には行動してはいけないと律法に規定されていたが、イエスはおかまい無しに人々を癒した。法律が人の行動を規制するのか、人が優先なのかをファリサイ派の人々とイエスは度々議論したが、そんな行動をとるイエスは、ファリサイ派の人々にとって自分達のルールを破り、自分達の既得権益を危うくする者であり、始末すべき人間だった。現実に彼らによって、イエスは葬られる事になる。

 イエスは統治者のローマ帝国と論争した訳でもないし、ましてや軍事的指導者でもなく、同胞のユダヤ人と論争して葬られた。伝道開始から十字架につけられるまでは凡そ3年だったが、その間どんな世界がイエスの頭にあったのだろうか。

 本書は、当時の人々やイエスがイメージしたユダヤの国、神の王国がどのようなものであったかを丁寧に説明する。その国は、人々の持つ信仰の力によって神の統治を支える神の王国だろう。イエスの俄には信じられない数々の奇跡物語も、イエスが、人々の信仰の力で神の憐れみを引き出したのだ。だからどんなケースでもイエスが病を癒せたかと言えばそうではない。イエスの育った地域でイエスを良く知る人々に対してはあまり奇跡が成功していないと述べられている。そこではイエスは、信仰の対象にはならなかったのであろう。これらを考えると、イエスが万能奇跡発起人ではなく、人々の積極的な参加が善や義を行う為に必要だと考えるべきなのだろう。受け身で待っていても何も解決しないのだ。

 神を信仰し、信頼する事によって、病や暴力や貧困を解決し、イスラエルの国だけではなく、全世界的に神の国を完成させられるとイエスが考えたのではないかと思う。

 神学とは無縁な個人的感想だから、私が正しい理解をしたとは思い難いので、本書を読んで頂き、読者が正しいイエス理解を得られれば幸いに思う。

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