2014年4月10日木曜日

(2)「イエス入門」読書会を終えて 参加者感想文②

「『イエス入門』感想と印象」

(名前)橋倉、(住所)豊島区巣鴨、(年齢)60代、(性別)男

 キリスト教はヨーロッパから世界に向けられた宗教と思っていましたが、ヨーロッパの宗教となる前に世界宗教であることに驚きました。
 キリスト教教義と離れてもイエス像はアイコンとして好意的であり、まさしく本書の通りです。
 キリスト教は様々な、芸術、音楽、文学に強い影響を与えているのは事実です。これらは当時の宗教文化育成として、芸術家が教会などの強権力に擁護されて芸術を生み出した。中世の文化はかならずしもすべてキリスト教と100%係わっていたとは考えられない。後世、宗教と係わらない文化は自由な個人発想に転換して現代文化の主流となっています。

 四福音書はイエス像をかなり歴史的に正確に捉えていると感じました。
 本書説明では福音書のベースである“目撃者証言”と“口述伝承”を高く評価しています。
 他宗教でも証言・口述伝承は一般的であり、年代を越えての信憑性に関しては判断が難しいと思います。

 イエスが存在した時代のイスラエルはユダヤ教で、旧約聖書が教義となっています。
 律法(トーラー)主体の宗教で、一般生活は律法を規範としていたようです。
 イエスは律法を熟知していたようですが、当時は律法を物差しにかなり硬直した宗教生活と思われます。イエスはそのような硬直した宗教性を柔軟に解釈して貧しい人々に教えを与えています。
 イエスはたとえ話を多用し、人々に解りやすく、時には考えさせるような講和で臨みました。
 イエスの講和にはかなり誇大表現もあり、如何様にも解釈できます。聖書を読み始めた人にはどこまで行動規範に必要かの解釈が難しいでしょう。

 神の国をこの地上にも作ることがイエスの使命であると感じました。本書でもかなりのページ数をこの説明に費やしています。
 非キリスト者は、天国(神の国)は死後の世界に存在し、死後、天国へ行くために信仰生活を送るように感じますが、イエスの意図は全く逆であり、マタイ福音書に記されている有名な“祈るときには”の節にあるように、
“御国が来ますように。御心が行われますように。天におけるように地の上にも“
総じて、この地上に神の国を作る事が神の支配なのでしょう。

 イエスの十字架刑後、復活して昇天したようですが、復活から昇天までの間の言動・行動はあまり福音書には詳しく記載されていないようです。
 弟子には昇天後の信仰を述べ伝えたと思われます。

 「イエス入門」著者、リチャード・ボウカム氏の文章は非常に客観性に富み、個人見解をできるだけ排除した優れた図書と思います。

 クラスに通っている間に思いつた、考え付いたこと

 本書ではイエスのひとなり・使命を歴史的事実から述べられていると思います。
 小嶋牧師様が解説している間、いろいろな質問(あまりに無知な質問で失礼しました)をあびせてご迷惑だったかもしれません。
 宗教を持たなく、キリスト教を全く知らない人間とキリスト者の間には大きな信仰の壁、知識の壁があるようです。
 私自身は技術屋なので、ジャンルを問わず、理論(屁理屈?)で理解しようとします。
 宗教と科学は相いれないと世間では言われていますが、現代に至ってはそう思いません。神学、人類学、心理学、哲学、物理学、生物学、生理学などの各視点から考察すれば幅広い理解と発展につながって行くと思います。
 一個人がすべてを勉強するのは到底無理ですが、現在までかなりの先駆者が存在するでしょうから、その資料を基にアプローチしたいと思います。

 最後に、今回のクラスで勉強させて頂き誠にありがとうございました。重ねて感謝いたします。


※ブログ主注、「イエス入門」ではカバーしきれない質問が幾つもなされました。キリスト者には「当たり前」になってしまっていることも、実際にキリスト者ではない人にも説明をしようとすると、なかなか難しいことを感じました。
 また『三位一体』や『(聖書記者への神の)言語啓示』の具体的様態など、依然として簡単には説明できないことも改めて感じました。良いチャレンジを頂いています

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