2014年4月6日日曜日

(3)オウム真理教ノート 2014/4/6

オウム真理教について書き始めたのは、一つのテレビドキュメンタリー番組と、一人の宗教学者が提出したオウム真理教の「近代」思想史的位置づけに関する本の出版に拠るところが大きい。

それを書いた記事、オウム真理教への一視点、は2012年6月初旬だからそろそろ2年になろうとしている。
その後「オウム真理教ノート」として、特に2012年7月、8月、何本か書いた。

どちらにしても「オウム真理教」の《ラベル》で見ると、これまで9本の記事を書いたことになる。

一応それら9本の記事に目を通してみたのだが、オウム真理教がテロ事件を起こす内的意味連関、あるいは構図を一定程度説得力を持って提示できているのは小説家、しかも『物語り』を意識的に掘り下げて掬い取ってきて小説化する手法を取る、村上春樹ではないかと思う。


しかし筆者が「オウム真理教」について総括するのは時期尚早だと思っている。

と言うのも、オウム真理教ノート 2012/7/30で事件に関わった中心人物の一人、林郁夫の手記が示唆するように、やはり外側からの観察や、インタヴューだけでは十分分からない、当事者の動機や、複雑な意識が、それぞれにあるからだ。

「それぞれに」と言うのは、事件後サリン事件に直接には関わらず、そのため逮捕されず教団に暫く残った者たちが手記を出版しているのだが、それを読むと「オウム真理教」への関わり方がやはり「それぞれ」と思えるからだ。

今読んでいるのは次の二人の手記だ。

野田成人(なるひと)『革命か戦争か』


高橋英利『オウムからの帰還』


一回では済まないと思うが、先ず二人がどのようにして教団に引き寄せられたか見てみよう。

《野田のケース》
 野田は所謂ガリ勉で東大に入ったが、自分の能力に限界を覚え、「挫折し」「自殺を意識する」ことで「精神世界」に関心を持つようになったと言う。
 そうして書店の精神世界コーナーを物色しているうちに、麻原の『超能力秘密の開発法』という本に出会います。そこに記されていた『輪廻からの解脱』と言う概念は、ある意味衝撃的でした。それは自分が今生きていることの意味合いを、正面から問い直すものでもありました。そこですぐに私は麻原のヨーガ道場に連絡を取り、入信したのです。 (20ページ)
そしてあるセミナーで初めて麻原から直に話を聞くことになる。
 「ハルマゲドンと言うのは必ず起きるよ。99年に始まり、01年から03年の間にが使われる。そうなったらどうする?君たちは修行しているから、解脱して、ピカッと光った瞬間にクリアライトに入ればそれでいいよ。でも、修行していない君たちの家族や友達はどうなるんだ苦しむよね。それでいいのか君たちは。このことはインドの聖者たちはみんな知っているよ。でも彼らは諦めている。私は諦めないよ。ハルマゲドンを何とかして、食い止めようと考えているから君たちにも協力して欲しいね。」
 この説法には私は深く感動を覚えました。というよりもこれまでの自分といったら、己のことしか考えずに生きてきた。そのことが非常にエゴイスティックで、恥ずかしく感じられもしたのです。何か自分の生きている意味合いと言うか、託された使命というものに気付かされる大きな衝撃でありました。(21ページ)
キリスト者二世代目(父方)/三世代目(母方)として育った筆者にとって、このような野田氏の宗教的『ウブさ』『無垢さ』はある意味分からないでもない。(そのことを書けば長くなるので省略するが。)

 と同時に未成熟ではあっても、既に青少年期から宗教団体の影のような出来事(筆者の属する団体はある事件がきっかけで旧教団を離脱した)を通った者として、野田氏が余りにも『無防備』であった、と言う印象は拭えない。

 いくら高邁な理想を持って行動していても、そこにはさまざまな影がある。そのような「リアル」を多少なりとも経験した者には、「宗教がかったこと」だけ言われても、それを裏打ちするものがなければ、簡単には鵜呑みにしない。

 話は飛ぶが、ハルマゲドンに関連して言えば、根本主義的なキリスト者は教派の違いは様々だろうが、『空中携挙(ラプチャー)』を何らかの形で意識している。筆者が一年間過ごした米国バイブル・ベルトにある聖書学校の生徒たちは、『空中携挙(ラプチャー)』をジョークにすることも出来た。

 つまりハルマゲドンや『空中携挙(ラプチャー)』のような「聖書的終末の事柄」がどの程度にリアルかと言う問題に対しては、彼らなりに「一定の距離」を持てていたと思う。

 筆者はと言うと『空中携挙(ラプチャー)』のようなシナリオにはとてもお付き合いできない、と言うことで「終末」を封印していた。(文字通りには受け止めることは出来ない。しかしどう解釈していいか見当も付かない。だから触れないで置く。と言うスタンスだった。)

 しかし野田氏が書いているように麻原が語ったとすると、彼はキリスト教終末論、何だかよく分からないオカルト思想のようなもの、要するに極めて雑多な要素をいい加減な塩梅で接合した、常識的には「よく分からないシナリオ」を丸呑みし、極めて幼稚な麻原の予言を殆んど無批判的に受け入れた、ということになるだろう。なぜか。

 筆者の考えでは、要素は二つある。

 一つは「核戦争のリアリティー」は空想ではないと言うこと。(北米でなぜ「レフト・ビハインド」シリーズがシリーズトータルで6,500万部以上も売れたか、と言うことの背景も終末的なシナリオが、核戦争のようなリアリティーによって支えられていたから、と言う事があると思う。潜在的な恐れはリアルの世界で可能性があった。)

 もう一つは「自分の利己性」に気付き、「恥ずかしく」思った、と言うところにあるだろう。キリスト教用語では「罪」の意識の素朴なカタチと言える。

 このような初体験は現代青年が住む「宗教が人工的に殺菌除去された環境」では、殆んど「啓示的なもの」として体験されるのではないかと思う。

 もちろん「聖」と「俗」はそれほどはっきりと「サブカルチャー」と「メインカルチャー」とで棲み分けられているわけではない。
 ただ現代の世俗社会ではダイナミックな「宗教」は多分に隠される傾向、「私的空間に限定」される傾向にあり、「公共圏」から除外されることによって「一般的な話題」として共有されないために、自己が得た「宗教体験」の信憑性や正当性をチェックする機会に乏しい。

 「前田敦子は○○○○を超えた」の著者の宗教体験も、筆者から見ると「宗教が人工的に殺菌除去された環境」で育ったゆえの麻疹のようなものであり、要するに免疫がなかったのであろう。
 前田敦子の利他性が、殆んど「啓示的なもの」として体験されたのも、そのような背景の故ではないか、と思っている。

 では長くなったので、残りは次回に。


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