キャスリン・ストケット『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』、(上)(下)
(相変わらず映画のことには疎いのだが)2011年には映画化もされ、アカデミー賞助演女優賞や、主演女優賞にもノミーネートされたり獲得したりしたそうだ。
公民権運動最中の1960年代、南部深部(ディープ・サウス)のミシシッピー州を舞台に描かれるのは確かに「人種差別」のテーマなのだが、むしろその具体的な生活の中での一コマ一コマが興味深い。
筆者は1970年代後半にバイブル・ベルト州の一つであるケンタッキーで学生生活を送ったが、英語もよく出来なかったせいか、様々なレベルでの人種差別表現や行動を感知することは出来なかった。
そんなわけで時間的にはその僅か10年前位にこのようなあからさまな差別を描いている小説はなかなかスリルに富んで思わずどんどん読み進めてしまうのだ。
主人公はそのような差別の実態をレポートしようとする、大学卒仕立てでローカル新聞の生活欄記者のミス・スキーター。
しかし(これは書評でも、映画評でもないのでストーリーの詳細も粗筋も書かない)筆者にとって面白かったのは、もう一人の主役、ミス・スキーターのプロジェクトの強力な助っ人、黒人ヘルプ(日本語的には「お手伝いさん」)エイビリーンだ。
彼女は敬虔なキリスト教徒で、自分が通う教会でも一目置かれる存在だ。
一日の激しい労働で疲れていても、エイビリーンは主に教会の仲間たちへの「執り成しの祈り」を忘れない。
誰々さんが○○で苦しんでいます。神様助けてあげてください。
そんな風に祈るわけだが、エイビリーンの「執り成しの祈り」は口に出すことではなく、「祈りのノート」に記録される。そして祈る(のだろう)。
それは1時間以上に及ぶこともある。
いつしかエイビリーンの祈りは「効き目がある」と仲間たちに広まり、何かあるとエイビリーンに「祈りリクエスト」がなされる。
しかしエイビリーンは祈祷師ではない。コミュニティーの中で仲間たちがどんな困難にあっているかを考え合わせながら、慎重に「祈りのノート」に祈るべき内容、(多分)どう祈るべきかを書き留めていくのだ。
一種の「祈りのレシピー」みたいなものか。
エイビリーンのような人は単なる敬虔なキリスト者ではない。
自分の敬虔を高めるために祈るのではない。(それもないわけではなかろうが)
エイビリーンは祈りを通して自分が属する共同体を下支えするリーダーなのだ。
でふと思った。荒野でイスラエルがアマレクと戦った時、実戦のリーダーは将軍ヨシュアだったが、モーセは手を挙げて祈り続けたのだった。
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