読書の秋と言うことで最近また図書館に本を借りに行く機会が増えた。
村上春樹のものをまた読んでみようと思ってたまたま書架にあった「アンダーグラウンド」を借りてきた。
地下鉄サリン事件に遭遇した市井の人々の中から何とかインタヴューに応じてくれた人60人の「物語」である。
700ページ弱に及ぶインタヴューの一つ一つを読むのはそれほど苦痛ではなかった。
最後に村上自身が「地下鉄サリン事件」に対する、またこの本を企図した背景などをまとめた文章が載せられている。
さすがに文筆家、平易な文章でサリン事件の意義を掘り下げている。
村上がこのような本を企図した背景には、マスコミの事件の取り上げ方が一方的で、一面的なものであったことに対する違和感があったようだ。
オウム真理教は「悪」で、その被害に遭った市民、そして「私たち」は「善」と言う二分項的ないささかステレオタイプな処理の仕方に「これで果たして事件を終わらしていいのだろうか。風化させてしまうのではないだろうか。」と危機感を持ったみたいである。
オウム真理教ノート 2012/7/23で、森達也の『A』を取り上げたが、これも事件を別の視点から見てみようとするもので、その意味で村上の違和感と相通じる問題意識を背景としていると言えるだろう。
村上は巻末の「目じるしのない悪夢」--私たちはどこに向かおうとしているのだろう?で「自我の欠損」とそれを補おうとする「物語」の視点からオウム真理教と教祖麻原彰晃のことを書いている。
麻原彰晃という人物は、この決定的に損なわれた自我のバランスを、一つの限定された・・・システムとして確立することに成功したのだろうと思う。・・・彼はその個人的欠損を、努力の末にひとつの閉鎖回路の中に閉じ込めたのだ。(中略)村上が見るところオウム真理教が投げかけている問題は「物語」と言うことだ。
オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我と言う貴重な個人資産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。(698-699ページ)
それがオウム真理教=「あちら側」の差し出す物語だ。馬鹿げている、とあなたは言うかもしれない。・・・収録された60人の物語の中で特に重い後遺症を負った「明石志津子」さんと、亡くなった「和田栄二」氏夫人「和田嘉子」さんのインタヴューは村上にとってひときわ印象深いものだった。
しかしそれに対して「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
これはかなり大きな命題だ。私は小説家であり、ごぞんじのように小説家とは「物語」を職業的に語る人種である。だからその命題は、私にとって大きいという以上のものである。(703-704ページ)
その和田嘉子さんの記事の中にこういうくだりがある。故人の記憶をビデオで思い出そうとしている、と言うくだりだ。
少しはビデオとかも残っています。スキー旅行の時とか、ハネムーンのときとかに撮ったやつですね。 そういうのは声も入っているから、もうちょっと大きくなったら[子どもに]見せてあげようと思っています。(中略)私も段々この人の顔の輪郭とか、思い出せなくなってくるんです。特徴があって、この人ね、眉のところのホネが角ばっていたんですよ。そういうのがね、最初の頃は手でこうやってなぞっているとね、はっきり思い出せたんです。それがだんだん思い出せなくなってきて・・・・・喪失感が二重(肉体とその記憶)に迫ってくる部分だ。
ごめんなさい。なんか・・・・・
なんか・・・・・、肉体がないと・・・・・、肉親でも思い出が薄れていっちゃうんですね。肉体ないとね・・・・・。
記憶と言えば「私たち」と「地下鉄サリン事件」の関係はどうだろうか。
収録されたインタヴュイーの中にも事件のことを忘れ去ろうとしている人は少なからずいたようだ。
事件に遭遇せずマスメディアの記事として触れた大方の「私たち」はどうだろうか。
村上はサリン事件被害者に事件を物語らせることによって、それをよすがにして、忘れ去るのではなく記憶することを促しているようだ。
それは「私たち」現代日本を生きる者のアイデンティティーが漂流・喪失することに歯止めをかけ、事件を物語ることによって生ずる癒しを期待してのことなのだろう。
筆者はなぜ「オウム真理教ノート」を続けているのだろう。
別に自分の物語の中に取り組もうとしているわけでもないのだが・・・。
今のところまだこれと言った目的も動機もないが、まだ暫く続けていこうと思う。
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