2012年11月29日木曜日

誰に聞く?

今回は全くのずぼらなエントリーです。

何の脈絡もなく(全然ないわけではないが、それは筆者個人の中だけで、読者の皆さんには見当たらないと言うこと)以下のような疑問がわきました。

「仏教」について誰に聞くと言えば「中村元」を思いつく。
「イスラム教」と言えば「井筒俊彦」。
ではキリスト教と言えば誰に聞く。

もちろんお二人の名前を挙げたように、日本人でと言うことです。

筆者も(ブログにも少し書いたことがあるかもしれないが)お二人の各宗教の原典とも言える「スッタニパータ」と「コーラン」に(さーっと)目を通したことがある。

二宗教については門外漢の筆者でもお二人の碩学は何となく分かるような気がした。

実際筆者のような疑問を殆んどそのままネットに投稿された方がある。(ここをクリック

最初に「何の脈絡もなく」と書いたが、実は今日図書館から借りてきた河合隼雄と柳田邦男の対談本『心の深みへ』(講談社、2002年)の中で、河合がこんなことを言っている。

そう、日本人の自己実現ということを考えてもいいと思う。そして、日本の自己実現にとってもっとも重要になるのが、もっとキリスト教を知るということ。日本人はキリスト教のことを知らなさすぎます。(54ページ)
なんで河合隼雄かはここには書かないでおこう。
ちょっとだけ言えばもともと「面白い」と思っていたのだが、図書館で手ごろなものを探していた時たまたま河合の対談集(何冊もあるみたいだ)の一つに村上春樹が入っているのを目にした。それがたまたま面白かったので柳の下の何とやらで手にしたのがこれ、と言うわけ。

最近雑誌などで「キリスト教」が特集されたり、2012年新書大賞に「ふしぎなキリスト教」が選ばれたりしている。
筆者も実は「ふしぎなキリスト教」をわざわざ買って読んだ。
わざわざが不遜に聞こえるとあれなので説明しておくと、筆者が買う本は殆んどキリスト教神学書に限られている。しかも英書。キリスト教関係書籍であっても日本語のものは殆んど買わない。

と書くとやっぱり不遜か・・・。失礼。

てなわけで「ふしぎなキリスト教」はやはりわざわざ買ったのである。
で内容には大体においてがっかりした。
かなりな放談で終始している。(これが漫才だったらそれなりにスピード感があっていいのかもしれないが。)

そんなご時勢だからますます「キリスト教に関してだったら(日本人の学者だったら)誰に聞く」と言う疑問は切実なものがある。と筆者は思う。

誰も思いつかないのである。

仏教も、イスラム教もそれぞれ長い歴史の過程で今日まで一大文明圏を形成し保ってきた。
その文明的意義を把握しつつ原典に依拠しつつその真髄を語ることは並大抵の知見ではできないことだ。

キリスト教は古代ユダヤ教に淵源し、二千年に渡って今や地球上のほぼ全域でその影響を見るほどに拡がってきた。
その間幾つかの大きな流れ(カトリック、東方教会、プロテスタント)に分岐したので、総合的にキリスト教を論ずることは仏教やイスラム教を語ることと同じかそれより難しいことかもしれない。

もっとも河合の言った意味は西洋近代が作り上げた「近代的自我」との関係で「自己実現」を考えるためにキリスト教をもっと知らなければならない、と言うことだろう。

さて読者の方でこれは、と言う方がいたら教えて欲しい。

蛇足になるが、Christianity scholarで検索していたら、20 Most Influential Christian Scholarsをヒットした。
以前目にしたことがあったものだが、N. T. ライトもノミネートされているので載せておこう。



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