2015年3月3日火曜日

(4)オウム真理教ノート 2015/3/3

まもなくオウム真理教幹部たちが起こした「地下鉄サリン事件」から20年を迎える。

3月20日のNHKスペシャルでは、「未解決事件File.04 オウム真理教終わりなき闇(仮)」と題する番組を放送するとのこと。
2012年放送の未解決事件File.02では、オウム真理教の暴走の原点に迫り、大きな反響を得た。今回は、オウムの「終着点」となった地下鉄サリン事件にいたる過程を徹底検証。堅く口を閉ざしてきた元捜査員や、死刑囚たちの新たな証言から、これまで知られていなかった事件の舞台裏が次々と明らかになっ てきた。事件に至るまでの警察とオウムの水面下の攻防、独自に入手した被害の全貌を示すデータや、サリン拡散のシミュレーションなどをもとに、20年前の 「3・20」を立体的に再現しながら、未曾有の事件が今に突き付ける課題を見つめていく。
と言う触れ込みである。

しかし森達也も度々指摘するように、一体「動機の解明」なくして、その「暴走の原点」はどうやって定めるのか。
地下鉄サリン事件、一通の手紙が裁判を覆すかもしれない
地下鉄サリン事件がテロだった誰が断言できるのか?


今回これが「オウム真理教ノート」として投稿する10本目の記事になると思うが、書き始めはこの「2012年放送の未解決事件File.02」だったかと思うので、丸3年が経とうとしていることになるのだろうか。

前回オウム真理教ノート 2014/4/13では、教団中枢ではないがオウム真理教に関する情報を手記の形で表した、《野田成人》と《高橋勝利》の教団への「距離の取れ方」、つまり教団内にいた時どの程度「客観的な観察と批判」が出来たのだろうか、と言うことを二人のオウム入信前の「精神世界の形成や構成」からヒントを得ようとしてみた。

借りた本の返却期限、と言う事情もあり、最後の部分が十分書けないまま終わってしまった。

少なくとも《高橋勝利》の方がより具体的にオウムの内情を在団中も批判できていたのは、高橋が少年期に「世界観」レベルでの「根底的揺らぎ」を体験していたからではないか、と言う見方を提供しようとしたのだった。

その点で《野田成人》の精神世界が宗教と言うか世界観レベルでの体験が少なく幼稚だったため、オウムの教理への疑問や、「グルイズム」による縛りからなかなか取れなかった理由ではないか、と言うことを比較しようとしてみたかったのだが・・・。


さて、以下の文章は「不足した文」を補おうとして書いたもので、日付としては「2014/4/15」ということになる。

既に少し分析視点として書いたこともある「『リアリティー』はどのように構成されているか」、についての一社会学的視点ついてだ。

*  *  *  *  *  *  *

《社会学的リフレクション》
 アルフレッド・シュッツという「現象学的社会学」を理論的に構築した人がいる。

 読者の中にはルター派の宗教社会学者ピーター・バーガーをご存知の方もいるかもしれないが、彼の「現実の社会的構成(旧タイトルは日常世界の構成)」の理論的な部分は殆どシュッツに拠っているところが大きいと思う。
彼の理論で重要なものは、『リアリティー』を複眼的に分類・構想し、『日常世界』というプライマリーな「現実」をアンカーとする一方(シュッツはこれを「パラマウント・リアリティー」と表現している)、「科学」のような他の諸「現実」を二次的なものとして関連付けたことである。(かなり昔に読んだのでシュッツ理論の大雑把な印象的要約に過ぎないのだが・・・。)

一応この「日常世界」、と言う基底的な「現実」認識を念頭に以下を読んでいただきたい。

 野田はサリン事件の後、幹部が抜けたオウム教団の責任ある立場に立たされる。

 しかし実際の教団指導は拘置された麻原や麻原の家族から来た指示をその通りやるだけであったようだ。
 「グルイズム」は依然強力で、とても事件の重大性を自覚し反省するような環境には至っていなかった。

 最終的に野田がグルイズムを振り切り、教団を脱会する一番のきっかけとなったのは、「ハルマゲドン予言(1999年)」が外れたことによる幻滅であった。(それまでは終末の実現→革命のシナリオを否定することは出来なかった。そのことに意識が吸い付けられていた。)

 それに対し高橋は入信後一旦脱会し、また入会する、と言うジグザクをやっている。
 またオウム教団を客観的に観察したり、批判したりするだけの「自己」を保持していた。

 『キリストのイニシエーション』についての部分で高橋はこう述懐している。
三時間続いたこの儀式は、このように噴飯もののきわめて幼稚なものだった。それにしても、この「幼稚さ」はオウムの大きな特徴の一つであると思う。発想もその実行の仕方も管理の仕方も、すべてがあまりにも子供っぽい。だが、子供とは残酷で凶暴な一面ももっている。オウムの怖さは子供の犯罪の怖さに似ている。
高橋はどこまで客観的に、批判的にオウム真理教の行状を観察できていたか、と言うと(このような回想録の性格からしてなかなか難しいところではあるが)、少なくとも「おかしい」と気が付くことは十分出来ていたことは伝わってくる。

彼がある程度“普通に”オウムのおかしさを、それとして認識し批判できていたのは、少年期における『世界観の揺れ』を体験していたからではないか。

高橋はそれを基に「普通の世界」とそれとは「異なる世界」があり得るかもしれないことを感じ取っていたからではないか。

高橋がオウムにいながら、そして疑問を感じながらもワークを継続し、しかし簡単には取り込まれないだけの、オウムの宗教性を判定するだけの精神があったのは、彼にはオウムのような宗教性を比較する《原体験》が幼少期にあったことが大きいのではないか。

(ここから現在に戻る)
つまり高橋には「日常世界のリアリティー」と「宗教と言う、少し日常とは異なる面を持つリアリティー」とを区別し、観察する『目』が育っていたのではないか、とヨタヨタ考えている次第である。

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