つい先日新しく「現代英語圏神学者」シリーズを開始し、「スタンレー・ハウアーワス」をアップしたところで、今度はMH氏より「ジョン・ヨーダー」と「ウォルター・ブリュッゲマン」との関わりについて質問をいただいてしまいました。
と言うことで「順番待ち」状態になってしまいましたので、先ずは「ミッショナル」を(言い方は良くないですが)片付けてしまわなければなりません。
新カルヴィン主義動向③ではシカゴ大マーティー名誉教授の観測(「ミッショナル・チャーチは流行・・・」)の発言に絡んでの質問でした。
コメント・セクションで少し書きましたが、今回は改めて(量は少ないですが)辞典並みの勢いで書いてみたいと思います。(少し冗談)
グーグル先生によれば、「ミッショナル」でヒットするものは極僅か。そのうち幾つかはこのブログにリンクしています。
日本語で「ミッショナルとは何か?」に答えてくれそうな記事は残念ながら見つかりませんでした。
と言うことで、次は英語"missional"で検索。
このクリスチャニティー・トゥデー(2008年3月)記事によれば、missionalやmissional churchと言う語が使われ始めて「まだ10年も経っていない」と前置きして、この本を紹介しています。
Missional Church:
A Vision for the Sending of the Church in North America
Edited By: Darrell L. Guder
A Vision for the Sending of the Church in North America
Edited By: Darrell L. Guder
実はこの本、筆者の友人の一人でもうかれこれ5-6年前かフラー神学校を卒業したG夫妻が、宣教学のテキストでこの本を使ったそうなことを教えてくれました。
それを聞いた後だったか前だったか、実はこの本買って少し読んでいました。
それを聞いた後だったか前だったか、実はこの本買って少し読んでいました。
(そんなに面白くなかったので途中で止まってしまいましたが。)
この記事を機会に「ミッショナルとは何か」だけでも抽出しようと改めて読んでみました。
でもそれを紹介する前に、Missional Church Networkというウェブサイトについて一言二言。
このサイトの説明によると、最初にミッショナルという語を使ったのは
However, the term was used by Dr. Francis DuBose, former professor at Golden Gate Baptist Theological Seminary, in a wonderful book titled God Who Sends published in 1983.
だそうです。(What is missional?)
Missional Church(1998年)よりさらに15年も前ですね。
と言うことは筆者が北加で遊学していた頃には既にあったわけだ。
全然覚えがありませんが・・・。
その後「ミッショナル」は爆発的に使われ始め、今では「なんでもかんでもミッショナルをつければ良くなる」風な氾濫状態だそうです。(教会成長論、伝道論、教会員を宣教に教化する、とか。)
このサイトではミッショナルを次の三点に整理して解説しています。
1. Missional Church is about the missionary nature of God and His Church.2. Missional Church is about incarnational ministry (versus attractional/extractional) in a post-Christendom context.3. Missional Church is about actively participating in the missio Dei, or mission of God.
どうも内容が重複しているところを見ると、「まだ十分神学的に煮詰められていない」印象です。
ではMissional Churchに戻って・・・。
編者のダレル・グーダーは現在プリンストン神学校の『宣教と教会一致の神学』教授をしています。
では『ミッショナル教会』でグーダーが第1章で書いている導入部分から「ミッショナルとは何か」について幾つかハイライトして見ます。
(1)(北米)キリスト教会はかつて圧倒的な「キリスト教文化」の中心にいたが、現在では増々「反キリスト教」的状況で「周縁」に置かれるようになっている。そのシフトによって自己のアイデンティティーを再確立する必要が生じ、「教会」についての神学的・霊的思索が「ミッショナル(派遣された教会)」を核にして掘り下げられている。
(2)「教会成長」とか「伝道プログラム」とか、教会の社会学的動態論から提案される様々な新しい伝道論も、この一大文化シフトに対して「解決」を提示しようとするものであり、「ミッショナル」を使用するが、このような「問題の認識→解決の模索」と言う実際問題的対応だけではとてもこのような大きな危機には間に合わない。
(3)これまでの宣教論をリードしてきた西洋の教会は(教会と国家・社会が重複した)キリスト教文明(Christendom)に基礎付けられて「教会中心」的な「宣教」実践をしてきた。その宣教は「キリスト教国」から「非キリスト教国」へ宣教師を遣わすという図式で理解されてきた。
(4)深い神学的反省によって、宣教が「キリスト教地域から非キリスト教地域への水平的な働きかけ」と言う「教会」が中心となる理解から、宣教なさる「神」から遣わされると言う垂直的な次元にまで立ち戻って捉え直されるようになった。
とまあ上手くまとめられませんが、そんな神学的思考が背景となっていると言えます。
今「ミッショナルという宣教的視点」は、単に実践神学の一分野である「宣教学」での強調・フォーカスであることに留まらず、聖書学・神学・教会の実践を統合するものになりつつあるといえるかと思います。
ではMissional Churchに戻って・・・。
編者のダレル・グーダーは現在プリンストン神学校の『宣教と教会一致の神学』教授をしています。
His writing and teaching focus on the theology of the missional church, especially the theological implications of the paradigm shift to post-Christendom as the context for Christian mission in the West.
(彼の著作とクラスはミッショナル教会に焦点を合わせるもので、特に西洋における脱キリスト教時代にパラダイム・シフトした文脈での意味合いを探るものです。)と紹介されています。
では『ミッショナル教会』でグーダーが第1章で書いている導入部分から「ミッショナルとは何か」について幾つかハイライトして見ます。
(1)(北米)キリスト教会はかつて圧倒的な「キリスト教文化」の中心にいたが、現在では増々「反キリスト教」的状況で「周縁」に置かれるようになっている。そのシフトによって自己のアイデンティティーを再確立する必要が生じ、「教会」についての神学的・霊的思索が「ミッショナル(派遣された教会)」を核にして掘り下げられている。
(2)「教会成長」とか「伝道プログラム」とか、教会の社会学的動態論から提案される様々な新しい伝道論も、この一大文化シフトに対して「解決」を提示しようとするものであり、「ミッショナル」を使用するが、このような「問題の認識→解決の模索」と言う実際問題的対応だけではとてもこのような大きな危機には間に合わない。
(3)これまでの宣教論をリードしてきた西洋の教会は(教会と国家・社会が重複した)キリスト教文明(Christendom)に基礎付けられて「教会中心」的な「宣教」実践をしてきた。その宣教は「キリスト教国」から「非キリスト教国」へ宣教師を遣わすという図式で理解されてきた。
(4)深い神学的反省によって、宣教が「キリスト教地域から非キリスト教地域への水平的な働きかけ」と言う「教会」が中心となる理解から、宣教なさる「神」から遣わされると言う垂直的な次元にまで立ち戻って捉え直されるようになった。
とまあ上手くまとめられませんが、そんな神学的思考が背景となっていると言えます。
今「ミッショナルという宣教的視点」は、単に実践神学の一分野である「宣教学」での強調・フォーカスであることに留まらず、聖書学・神学・教会の実践を統合するものになりつつあるといえるかと思います。
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