2015年3月11日水曜日

(4)「若手論客」とか「新世代」について①

先日、日本を変える若手論客20の提言という本を図書館から借りてきた。

「20人」の中の一人である「坂口恭平」に興味があったわけだが・・・。
 
まっ坂口さんについてはまた続編②で取り上げることにして、今回は「若手論客」とか「新世代」とかとメディアが称揚して何をしたいのか、を考えてみることにいたします。

実はこの後書くことは2014年の年頭に『新春放談』として準備していた記事だったのだが、まとまらないうちに時機を逸してお蔵入りになっていた。

その記事はNHKが元旦放送予定の
新世代が解く!ニッポンのジレンマ 僕らが描くこの国のカタチ2014
の(後から分かったことだが)番組録画後に出演者にインタヴューしたものを読んでの感想だった。

そのお蔵入りにしていた記事の冒頭はこんな風に始まる。

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

最近更新が滞っています。
今一つ書くことが見つかりません。

って言うかまたまた波なのでしょう、集中力が湧きません。

そんな中、ツイッターでは結構呟いているのですが、たまたまこれが筆者のツイートとしては珍しく沢山(と言っても数字は一桁ですが)RTや「お気に入り」に登録されました。


なぜでしょう。

勿論10人の論者のうち何人かが自分の名前を見つけてRTするのは分かるのですが、筆者は単にヤフー記事を殆んど加工もせずにツイートしただけなのです。

今読んでも当時の(何とか記事にしようとしている)カッタルサが伝わってくる。
その記事はその後こう続く。
と言うわけで、少しこの記事を改めて読みながら「放談」することで、2014年最初の投稿にしたいと思います。

この国のカタチと言うとすぐ連想するのは、(筆者は読んでませんけど)司馬遼太郎の「この国のかたち」でしょうね。

1970年以降生まれの10人の『論客』が、「日本の新たな未来地図」を描く・・・と言う触れ込みだったので少し期待して読んだのですが・・・。

今再見すると、
※このページで紹介した論客が討論する「僕らが描く この国のカタチ2014」は、NHK Eテレで2014年1月1日(水)夜11時~(150分)放送。
となっているので、ヤフーの方に掲載された文章は、この番組のための前宣伝だったのでしょうね。
だとすればこの文章だけで論評するのも野暮と言うものかもしれません。

とにかく数日前読んだ時には余りぴんと来るものがなかった。

さて再読して気がつきました。

この短い文章群は番組収録後の「インタヴュー」に答えたものなのですね。
宴の後の・・・と言うことでしたか。
うっかりしてました。

読み直して感じるのは(NHK番組と分かったからの偏見なのでしょうが)、問題設定がお行儀がよろしい。
また『論客』たちもお行儀がよろしい。
と言うことでしょうか。
この時の筆者の反応は、
  若手に、
  マジメに、
  「天下国家」を
  論じさせるメディアのお膳立て
に対する居心地の悪さ、とでも言いましょうか。

また、先ほどの「インタヴュー」での
  「ホンネ」にしては
  中途半端で
  生煮え、
  歯切れの悪さを感じさせる内容
だったのではないかと思います。

さてこのNHKの番組では「10人の論客」だったのですが、冒頭に挙げた日本を変える若手論客20の提言と何人か名前が重なっていました。(家入一真、白井聡、與那覇潤、それにMCを務めた古市憲寿)

で、「20人」の方は
本書は『潮』2012年5月号から2013年12月号まで20回連載された「若手論客に問う『日本のカタチ』」を再構成のうえ加筆・修正したものです。
とある。

あれーこれってNHKが殆どアイデアを真似しているのでは・・・。

 
と、やっとここで「20人」の方に話題を移すのだが、はっきり言って面白かったのは「坂口恭平」だけであった。

もちろん何が面白いかは人それぞれなので、その面白さを語るまでは単なる独断に過ぎないが、次回まで待っていただくとして、その他から一つ拾ってみた。

提言13 外交下手のツケを「九条」に回すな 木村草太

主に質問する田原総一朗と「憲法との衝撃的な出会いの思い出」「『押し付け憲法論』をどう見るか?」について話してきた後、「憲法九条改正の波にどう抗うか?」に話題が移る。

田原は「憲法九条」を絶対に変えてはいけない、と自らの戦争体験から語るのだが、それは九条によって日本が戦争に踏み出すのを阻止できる、と考えているからだ。

しかし、木村は田原の勢いを削ぐように、九条は別に日本の武装を制限するわけではない、と主張する。
木村 たしかに憲法上、日本に許されているのは専守防衛のみで、自衛のための必要最小限度を越えると考えられる武器は持っていません。しかし、「自衛のための必要最小限度」というのはあいまいな概念です。「これからの日本は、核武装をしなければ自衛はできない」という説明がもし国民に支持されて通ってしまえば、憲法九条を持ったままでも核兵器保有は可能なのです。ただ、核不拡散条約に違反するので、国際法では禁じられますが。
 田原さんがおっしゃっているのは、九条の法技術的側面ではなく、「外交宣言」としての側面だと思います。九条は、「日本は非核三原則などの諸原則を、これからも守りますよ」という宣言として機能していて、おそらく田原さんはそちらの機能に注目されているのでしょう。
田原 まあ、そう言ってもいいですね。安倍首相にインタヴューしたときに、安倍さんは国連軍に参加したいと言う意向を明言していました。時間がなくて「集団的自衛権」(他国が武力攻撃を受けたとき、第三国が共同で防衛を行う国際法上の権利)のことまで聞けなかったのですが、たぶん自民党は集団的自衛権を行使可能にする方向で改憲するつもりですよ。具体的に言うと、北朝鮮がアメリカに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊がそれを撃ち落すべきだという話になる。それを可能にする九条改正を狙っている。
木村 まさにそういう行為を禁じているのが九条一項です。 (162ページ)
とまあこんな調子の対談であった。

若い木村が老獪な(?)田原相手に憲法学者としての条文の厳密な解釈とその適用を解説していて面白く感じた。

この部分だけで何か言うのもなんだが、木村の意見には「(憲法の)コトバと政治的現実とがどのように折衝するのか」ということに関する冷静な態度が垣間見られるように思われた。より柔軟な現実への対処ができそうな感覚というか・・・。

あと二三面白いな、と思われる意見や見方はあったが、総じて「論客」としてコトバを使って対論者との「間を測り」「太刀を斬り交わす」丁々発止の面白さを見せてくれるようなものは少なかったように思う。

余談だが、米国遊学時三大テレビ局の一つABCのテッド・コッペル「ナイトライン」を良く観ていたので、ウィットやユーモアを交えながら、遠慮なく相手を追い詰める質問のコトバの鋭さを懐かしく思うとともに、日本の政治家や責任ある立場の者たちの「応答責任」を引き出すような言論追及を観たいものだと思うのである。

では次回は「坂口恭平」についてになると思う。



1 件のコメント:

  1. 読者の一人にテッド・コッペル(米国)に比肩するジェレミー・パックスマン(英国)の存在を指摘された。
    教えてもらっていたのを忘れていた。

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