2012年8月16日木曜日

オウム真理教ノート 2012/8/16

自分で勝手に夏休み中で、更新が滞っています。

暫く前に読了したのですが、アップする元気がなく今日になってしまいました。

オウム真理教への一視点で紹介した、大田(太田は間違い)俊寛の

オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義

豊島区の図書館にはなかったので板橋区の図書館から借りてようやく読むことができました。

目次で大体内容が掴めると思うので、自分のメモ用にも掲載しておきます。


第1章 近代における「宗教」の位置
1 そもそも「宗教」とは何か
2 キリスト教共同体の成立と崩壊
3 近代の主権国家と政教分離
第2章 ロマン主義ーー闇に潜む「本当のわたし」
1 ロマン主義とは何か
2 ロマン主義宗教論
3 宗教心理学
4 神智学
5 ニューエイジ思想
6 日本の精神世界論におけるヨーガと密教
第3章 全体主義ーー超人とユートピア
1 全体主義とは何か
2 カリスマについての諸理論
3 ナチズムの世界観
4 洗脳の楽園
第4章 原理主義ーー終末への恐怖と欲望
1 原理主義とは何か
2 アメリカのキリスト教原理主義
3 日本のキリスト教原理主義
4 ノストラダムスの終末論
第5章 オウム真理教の軌跡
1 教団の成立まで
2 初期のオウム教団
3 オウム真理教の成立と拡大
4 「ヴァジラヤーナ」の開始
5 国家との抗争
6 オウムとは何だったのか
おわりに
一読して労作だと思った。

オウムに対して「宗教学」としての反省や取り組が殆んどなされてこなかった・・・と言う宗教学者としての反省から構想された書だが、自分でも言っているようにオウムとは一見直接関係のない「近代の枠組み」とその諸思想をオウム教団分析の「射程」としている。 

それ故、「ロマン主義」「全体主義」「原理主義」の初歩的説明は丁寧になされている。

オウム教団が辿った軌跡には大田が指摘するように、「ロマン主義」「全体主義」「原理主義」の要素が多分に見て取れると思う。
それ故オウム真理教の実態を「原始仏教」の一現代版と捉えるより説得的なアプローチになったと思う。

大田の「宗教学的人間観」が、第1章 近代における「宗教」の位置、1 そもそも「宗教」とは何か、で紹介されている。
 人間は、生まれ、育ち、老い、最後には死を迎える。死によって肉体は潰え、すべては無に帰るかのように見える。しかし、実はそうではない。死んだ人間が生きているあいだに作り上げた財産や、彼が伝達してきた知識は、残された者たちのなかでなおも生き続けるからである。この意味において人間の生は、その死後もなお存続すると言わなければならない。
 このように一人の人間の一生は、その誕生で始まり、肉体的な死を持って終わるわけではない。その人生は実は、生まれる前からすでに始まっており、死後もなお継続される。人間は、他者との「つながり」の中で生きてゆく存在なのである。(強調は著者、28ページ)

つまりこのような視点から言うと、政教分離の近代の枠組みは「人の死を弔う」と言う重大な側面を持つ「宗教」共同体を根底的に揺さぶる人類史にとって例外的なものなのである。

大田のオウム真理教への取り組みは、「近代は宗教を、特に『死の問題』を共同体の公的時空間から、私的なところへ追いやった」、と言う近代の否定的な分析が座標軸となっている。

最後で大田は麻原の「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ」を引用しつつ以下のように締めくくる。
 本書で取り上げた、ロマン主義、全体主義、原理主義という思想的潮流は、そのすべてが、何とかして死を超えた「つながり」を取り戻したいという切実な願望に基づくものであると同時に、それにまつわる空虚な幻想であると捉えることができる。すなわち、ロマン主義は「本当の自分」という生死を越えた不死の自己を、全体主義は他者との区別を融解させるほどに「強固で緊密な共同体」を、原理主義は現世の滅亡の後に回復される「神との結びつき」を求めることによって生み出される幻想なのである。 (強調は著者、277ページ)
大田のこのような「近代における宗教」への視点は、オウムと言うカルト化したテロ集団に限らず、所謂「宗教」を営むグループにとってその存在原理を考えさせるきっかけともなるだろう。

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