真に立地には恵まれている。
表にも内部にも十字架は無いが、何となく雰囲気的に教会、しかもカトリック的建物に見えるらしい。
と言うのも、先日も玄関の扉をガチャットする音がしたので、外に出て見ると、立ち去ろうとする30~40代の女性。
「ちょっとお祈りしたいと思って入ろうとしたんですけど閉まっていて・・・。」残念ながら、このような門前払いが一年に一二回ある。
「うちはカトリックのような教会ではないので・・・。」
現在の会堂に建て替える前はこのようなことは殆ど無かった。
建替え後からこう言う事が起こるようになった。
しょうがなく、と言っては何だが、「しばらく中で祈らせてください。」と言う人を無碍に断るのもどうかと思い、何回かは中に入れたこともあった。
「私どもの教会は、カトリックのような『お御堂』と言ったようなものではなく、ただの礼拝スペースなんですが・・・。」、と一応説明して。
普段の教会のミニストリーと言うのは殆ど無いので、このような突発的なことであれ、建物自体がそのように対応できるものであれば、開放された「祈りの家」のようなことを考えなくも無いが。
いかんせん、当教会は「牧師館」とほぼ一体の構造なので、開放しておくわけにもいかない。
一応牧師執務室(書斎)が玄関の横にあるので、玄関に来た人の気配はすぐ気付くことが出来るが。
先日紹介したアズベリー神学校で取った『スーパーバイズド・ミニストリー』を思い出す。
まあ実践神学のコースの一つだが、実際に現場でのミニストリーを「ケース・スタディー」メソッドで記録し、仲間たち(ピアー)から、そしてメンターとなる教授から、その時その現場でどんなミニストリーが出来たかを討論したり、アドヴァイスしたりしてもらう。
一学期間に数箇所ミニストリーの現場に赴くわけだが、筆者の記憶に良く残っているのは、一つは総合病院のチャプレンとして、死期の近い患者の個室でのミニストリーでのこと。
勿論一人で行うのだが、病室のドアを開けて、先ずその暗さに気押された。
カーテンを閉め切って、いかにも希望の無い雰囲気がひしひしと伝わってきた。
最初は話しかけるのもためらわれた。
しばらくして自分は何であり、何のために来ているかを説明して、相手の出方を待った。
結局少しずつだが、現在の病状と、信仰履歴のようなものを聴くことが出来、最後は確か祈って退室したと記憶している。
もう一つ記憶に残っているのは、「ミニマム・セキュリティー・プリズン」。要するに刑の軽い人が収容される刑務所で、割合施設内部で行動の自由がある。
刑務所のイメージと言うと、重たい鉄の扉や格子で閉ざされた空間、と言ったものだったが、入ってびっくり、中はまるで大学キャンパスのように服役者が自由に中庭で団欒していた。その輪の中に入って行って、証しするわけである。
まあ、いきなり個人伝道と言うことではなく、施設内での生活等を聞くわけだが、話を聴いていくうちに、やはり外見ではかなりな自由があると言っても、施設に閉じ込められていると言う束縛感はどうしようもなくあるのだ、と言うことを話してくれた。
新約聖書には「病人や、牢屋に繋がれている人」を訪ねるミニストリーのことが書かれている箇所があるが、現在の当教会のミニストリーは、そのような不特定多数を相手にしているものではなく、信者と言う言ってみれば「特定の顧客」相手のミニストリーで終わっていることを思う。
教会が地域と関連付けられている「キリスト教国・アメリカ」の歴史的伝統との彼我の違いを思わされる。
まだまだ地域との絆が弱い当教会は、ミニストリーを“開拓”して行かなければならないのだろう。
どうやって?
まだまだ力不足でイメージが湧いて来ないのが実情。
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