2010年12月1日水曜日

科学者と霊的真理

「はちことぼぼるの日記」ブログ主、“はちこ”さんとそのご主人共訳の
フランシス・コリンズ、「ゲノムと聖書」を読了した。

筆者の場合は原書、The Language of Godの方だが。

読後の感想をいくつか書き付けておくことにしよう。
主に自分のメモ用に。

やはり専門分野の「人ゲノム解読」のエピソードは面白かった。
一生かかっても終えられないかもしれないプロジェクトに“身を捧げる”科学者は偉いと思った。
NHKの番組で「プロジェクトX~挑戦者たち」と言うのがあったが、幾多の困難を乗り越えて解読に挺身する姿に感銘を受けた。

さて、著者フランシス・コリンズの霊的遍歴が間を縫って綴られているのだが、“弱い”無神論から、やがて「道徳律」の存在から神論に移行する過程で、またその後の遍歴においても、C・S・ルイスの影響が大きいのが興味深かった。
依然としてルイスの著作は無心論者や不可知論者に一定の説得力があることを改めて感じた。

この本は、その大半が「一般神論的」な意味での科学に対する霊的存在・真理(宗教)の弁証論である、と言うのが筆者の印象。
アダムとエバの歴史性や創世記の創造論の問題を取り上げるが、最終的に自身のキリスト者としての信仰を明らかにしない上での、有神論的、知的な弁証に響いた。

最後に著者は、自分の罪深さの問題からイエス・キリストの救いを信じる信仰に至ったことを証しているが、これは個人的な証としてのものであり、キリスト教の普遍的真理性の弁証ではないことは否めない。
コリンズは、個人が他宗教も含めてどのような信仰を持つかは、その人自身の問題である、と言う良い意味では知的誠実さの態度を保持するが、反面イエス・キリストと言うお方の独自性、イエス・キリストの福音の公性、普遍性に関しては一定の距離を置く、消極的なキリスト教弁証論のように感じた。

彼の信仰はある意味、「個人的な救い」の面が強く、その部分が逆に印象に残った。

全体のテーマとして「科学」と「信仰(霊的真理)」の調和を主張しているのだが、当然と言えば当然だが、やはりコリンズのこの本での使命は、信仰者に「科学(進化論)」を説得的に語ることにあるように思えた。
確かに真面目な科学者が知的誠実さを持って信仰を両立させることが出来ることも主張してもいるのだが。

寄り道になるが、コリンズの「ID(知的デザイン)理論」評価(一過的)も、そうだろうな、と思わせた。

大雑把なレッスンとしては、キリスト者はもっと科学的な知識を習得するべきことが肝要。
そうすれば無用な「科学」対「宗教・信仰」の対立はかなり防げる。

以上、雑多な感想だがまとめてみた。

筆者は今、Bill Bryson, A Short History of Nearly Everythingを読みながら、一般的科学知識・常識の欠如をいくらかでも補えるかなー、と読み始めたところ。
結構科学って読み始めるとドラマがあって面白い。
アイザック・ニュートンとか変人だったらしいし、とにかく地球の大きさや、重さを、長年月かけて実験や測量を行ってきた科学者の人生は波乱万丈、面白い。

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