福音書でイエスの"infant narratives"(誕生・幼年物語)が挿入されているのはマタイとルカだけである。
ヨハネの福音書の「ロゴス」序文は、コスモロジカル(宇宙論)規模の物語で、当教会では(他の教会もそうだと思うが)クリスマス・イヴの「キャンドルライト礼拝」で導入に朗読される。
クリスマス礼拝と言うと、劇があったり、出し物があったりと、賑やかなページェントをする教会が多いと思うが、当教会では現在そこまでの余力はない。
また数年前から「聖書の朗読」を重視するようになり、それでシンプルではあるが、マタイとルカの「誕生物語」を「クリスマス・ストーリー」と言い換えて行っている。
先日19日の礼拝は「マタイのクリスマス・ストーリー」の番だった。
話は去年のことに遡るが、心身のバランスを崩して少し静養していた期間があった。
たまたまその時、朝目覚まし用に設定しているNHK・FMの「朝のバロック」で流れていた音楽にピーンと来たことがあった。
会堂を建て替えてから、音響が良くなったので、教会イベントとして適当な音楽プログラムを探していたのだが、なかなか会堂のスペースや性格にぴったりのものを企画できないでいた。
その朝たまたま耳に入ってきた楽器の音色を聞き、「これだ!」とインスピレーションが沸いた。
俄然聞き耳を立て、音楽が終わった後に紹介されるであろう演奏者名を聞き漏らすまいと待ち構えた。
その結果聞き覚えたのは演奏者の「しながわひじり」と楽器名の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」だった。
その日のうちにネット検索で調べた結果、関係している音楽事務所まで割り当てた。
しかし演奏者の「品川聖」氏に直接コンタクトを取るサイトは見当たらなかった。
と、話が長くなったので間を省略して話すと、そのアントレ音楽事務所と言う古楽専門の事務所は品川聖氏のご両親経営のものだった。それでご両親から電話とメールの連絡先を受け取り、恐る恐る「演奏会としてではなく、礼拝の一部として演奏してもらえますか」と問い合わせたのであった。
ほどなく快諾の返事を頂いて、去年2009年の「ルカのクリスマス・ストーリー」に出演して頂いたわけである。
そして今年も、今度は「マタイのクリスマス・ストーリー」に去年に続いて出演頂いたと言う次第である。
「マタイのクリスマス・ストーリー」の中では、「エサイの根より」「かいばのおけにねている」「星をしるべに」「ああベツレヘムよ」「グリーンスリーヴス」「コヴェントリー・キャロル」などのクリスマス賛美、そしてカール・フリードリヒ・アーベルと言う、バッハとほぼ同時代のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・作曲家の曲を二曲弾いて頂いた。
去年は礼拝後に、バッハの無伴奏チェロ・ソナタを一楽章弾いて頂いたが、今年は当教会のメンバーで、女優・朗読をしている方が用意した、韓国の詩人、尹東柱の「星をかぞえる夜」ともう一つ題名を忘れたが、即興でガンバと詩の朗読のコラボを披露して頂いた。
朗読者曰く、「尹東柱の詩の切ない詩情とガンバの響きが何か合うのよねー」とのこと。
星をかぞえる夜
季節が過ぎゆく天には
秋がなみなみと満ちています
私はなんの心配もなく
秋の中の星たちをみな数えられそうです
胸の中にひとつふたつと刻まれた星を
もうみな数えられないのは
まもなく朝が来るためであり、
明日の晩が残っているためであり、
まだ私の青春が終わっていないためです。
星ひとつに思い出と
星ひとつに愛と
星ひとつに哀しみと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつに母よ、母よ、
お母さん、私は星ひとつに美しい言葉を一言ずつつけてみます。
小学校の時に机をともにした子供たちの名前と、
ペ、ギョン、オク こんな異国の少女たちの名前と、
もう子の母となった娘っ子たちの名前と、
貧しい隣人たちの名前と、
はと、子犬、うさぎ、ろば、のろ、
フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ
そんな詩人の名前をつけてみます。
この人たちはあまりに遠くにいます。
星がはるか遠いように、
お母さん、
そしてあなたは遠く北間島にいらっしゃいます。
私はなんだかなつかしくて
このたくさんの星明りが降る丘の上に
私の名前の字を書いてみて、
土で覆ってしまいました。
なるほど夜を明かして泣く虫たちは
恥ずかしい名前を悲しんでいるわけです。
でも季節が過ぎて私の星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
私の名前の字を埋めた丘の上にも
誇らしく草が生い茂ることでしょう。
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